第1話
東北翔です。今年の4月に、高校に入学したばかりの16歳っす。誕生日は5月28日。えっと、僕の通う高校には、幼馴染はおろか、同中出身者が一人もいない状態っすね。中1のときに転校したから、ってのもあるけど、ただ単に僕はみんなから避けられてるんで。それでも、結構学校生活は楽しくて、逆に知り合いがいないほうが済々できていたっていうか。それでも、僕は変わることができなかったんすよ。メールでも送った通りなんすけど、僕、ある瞬間から不幸体質になって、それでずっと大変な思いをしているんすよ。でも、先生もクラスメイトも、誰も僕のこと助けてくれなかったから……。両親にはこれ以上心配かけたくないし、嫌われるのもヤなんで。だからアンタにお願があるんすよ。お願いだ。僕の体質を改善してくれ。
*
僕が高校に入学した日は、まさに花曇りの空が広がるときだった。少し散りかけた桜の木が何本も植わる校庭を、合わないサイズの制服を纏って歩いているとき、僕はうまく言葉に言い表せない幸せを感じていた。同じ高校に進学した僕の同級生は誰一人としておらず、完全に新しい自分自身になれると思っていたから。でも、そんな簡単に僕自身が変われることなんてなかったのだ。
そもそも、僕が不幸体質になったのは、完全に祖母の影響だった。母方の祖母は、昔から“けがれる”ことが大嫌いで、常に綺麗な状態でいるよう、孫の僕に求めてきた。そうは言っても、僕は所詮男の子で、幼少期から外遊びが大好きなヤンチャ少年だった。そのせいで、遊べばどこかに必ず傷を作り、服を汚し、靴も汚し……という始末。それでも、両親は微笑ましく見守ってくれたし、「北翔らしく遊んで、成長してくれたらいいのよ」と言って、そのことを特に注意することはなく、僕の遊び方を認めてくれていた。
でも、そんなある日のことだった。確か、あれは七五三のお参りに行くと言われ、神社へ連れて行かれたときだったはず。父が七五三の際に着用していた袴を着せられて、近くの神社へお参りに行っている最中、後部座席に座る母の携帯電話に着信が入ったのだ。相手は、祖母だった。
「もしもし。どうしたの、お母さん。うん、うん。えっ、あ、うん――」
電話を終えた母の表情は、少しばかりか暗く感じた。父がルームミラー越しに母の顔を見て、話しかける。その会話の内容は、僕にはまだ理解できなかった。それでも、車内に暗雲が立ち込めていることだけは分かった。
「到着してみないと分からないんだから、そう今から暗くならなくても」
「ううん。もう、私にはどうしようもできない。お母さん、スイッチ入っちゃうと、手に負えなくなるから」
「でも、何でまた急にお義母さんが来るんだ?」
「分からない」
「教えてないんだよな、神社に行くこととか」
「うん。でも、この地域で七五三をするって言ったら、あの神社しかないからね。調べたんじゃないかなって思う」
「そうか……」
僕は男として、息子として、母のことを守らないといけないと思った。もちろん、父のほうが男としては立派だし、母も頼りにしていることだろうけれど、僕にしかできない守り方もあると思った。けれど、頭では考えられても行動に移すことが、幼い僕にはできなかった。当時はとても悔しい思いをしたことを、今でも覚えている。
神社の駐車場に到着した僕は、チャイルドシートから父に抱きかかえられる形で下ろされ、そのまま砂利道に両足を付けた。歩き慣れてもいない草履だったけれど、母は僕がまた走り回ると思ったのか、降車して早々に僕の手をぎゅっと繋いで、頑なに離そうとしなかった。そして、駐車場で祖母の到着を待つこと10分弱。見慣れた白の軽自動車が入ってきた。
僕の父が運転する車の、すぐ右横に停められた車の運転席から降りてきた祖母。子供が見ても分かるぐらい、高級な着物を着ていた。
「こんにちは」
「あら裕也さん、こんにちは。すーちゃんも、北翔も」
「うん」
祖母は両親の全身を舐めまわすように見たのち、僕の特に似合ってもいない袴姿を馬鹿にするような目で見た。ただ、そのことに関しては、何も言わなかった。逆に怖かった。似合っていないならそう言えばいいのに、とも思うけれど、祖母は決してそのことを口にしなかった。けれど、それだけじゃなく、挨拶していないことに対して不服そうにしていた。だから、母は僕の隣にしゃがみ込んで、こう呟いた。
「ほら北翔も、お祖母ちゃんに挨拶して」
「ヤダッ!」
「北翔、駄目だよ。ちゃんと挨拶しなきゃ」
母は僕のことを諭すような、どこか切願しているような目で見てきた。祖母に挨拶するよう訴えかけてもいた。だから僕は、「ちは」と言って、嫌々、頭を下げる形で祖母に挨拶をした。その様子を、上から睨むように見てきた祖母。眉を吊り上げて、見下すような目線を母に注いだ。
「まだ挨拶できるようになってないの?」
「ごめん。今、覚えてる途中みたいで」
「覚えるのに、よほど時間がかかってるのね」
「……」
祖母の嫌味発言に父も母も黙り込んだ。僕は気持ちを抑えきれず、走り出そうとした。けれど、草履ということもあって、うまく走り出せなかった。それだけじゃない。握っている手越しに母の固い意志が犇々と伝わってきたことも要因だった。
「あら、まだお参りしていないの?」
「お母さんが来るって言ったから」
「別に良かったのに」
そう言って微笑んだ後、祖母は僕の元へと近づいて、腰を屈めた。母が僕の手を握る強さを変えたのが分かって、僕は両足を軽く広げて踏ん張って、全身に力を入れる。
祖母が来た目的、それは二言で表すならば、偵察、そして……。
偵察の目的は、僕の5歳の誕生日に祖母宅へ遊びに行った際、両肘にできた傷を見たらしく、そのことが気になっていたのだと言う。確かに、言われてみれば、当時祖母の家に行ったとき、外遊びを許されなかった僕は、家で大人しく遊ぶしかなかったのだが、室内遊びに慣れていなかったからか、僕の動きは挙動不審そのものだった。だから、傷ができる原因が外遊びだと言っているようなものだったのだ。そして誕生日から5カ月が経過した11月、どうなっているかを確認するために訪れた、ということ。
この時の僕は、右頬にかすり傷、左の手首には切り傷を創っていた。頬の傷は躓いて転んだときにできたもので、手首の傷は室内で折り紙を使って遊んでいたとき、紙で切ったことによりできたもの。それなのに、何も知らない祖母は僕の頬を撫でるなり、酷く蔑んだ目を僕に向けた。
「顔にも手首にも傷を作っちゃって。やんちゃな子だね、北翔は」
「うっ……」
僕は祖母の触れた手が痛く感じて、思わず首を竦めてしまった。そのことの何がいけなかったのか分からないけれど、祖母は血相を変えて、まるで悪魔を見るような目つきで、今度は母のことを見つめた。
「すーちゃん、北翔に何させたの。もしかして暴力を――」
「そんなわけないでしょ」
「でも今、北翔、触られたとき嫌そうにしたじゃない」
「違うの、お母さん!」
「今さら言い訳するつもり?」
小さな僕の目の前で繰り広げられる、母と祖母の会話。口調や表情から、母は怒っているように見えた。男としてママを守らなきゃ、って思ったはずなのに、僕は何もできずに、その場で立ち尽くすだけだった。その代わり、父が母を守る形で攻防に出た。
「お義母さん、それはあり得ません。涼香は、俺もですが、北翔のことを愛しています。この傷は、北翔が保育園で創った傷でして、ですから暴力によるものではないです」
「そう。保育園でも大人しく遊べないのね。そう、北翔は可哀想ね。お祖母ちゃんがなんとかしてあげないとね」
いわゆる、僕はやんちゃで落ち着きのない子供だった。長時間座っていることが苦手で、何か興味を惹かれるものがあれば、やっていることをそっちのけにしてしまう。それに、一つの遊びに集中することも苦手で、常に動いていないといけないタイプだった。だから、教室では浮いた存在で、友達ができたことはなかった。
両親が心配してくれていたことは、僕はよく知っている。支援の所に連れて行こうとしたり、子育ての方法を変えてみたり、色々努力しようとしてくれたみたいだった。でも、そのことを邪魔したのが祖母であり、僕を不幸体質にしたのも祖母なのだ。言わば、僕の元凶。
「北翔には、お祖母ちゃんが魔法をかけてあげる。いいかい、北翔。お祖母ちゃんの目をよく見て」
「うん」
「今から、3つ数えるから、その間、ずっとお祖母ちゃんの目を見ているのよ」
「分かった」
「じゃあ、いくわよ。1、2、3!」
この瞬間、自分の身体に何かうごめくものを感じた。全身がぞわっとした。両親に言っても、信じてもらった事はないけれど、確かに僕の目はその光景を鮮明に覚えている。なんなら、その日以来祖母と目を合わせることが怖くなって、記憶を思い出すのが嫌で、祖母の家に遊びに行っても、目を合わせないようにしていたぐらいだ。
そして、このときから、僕はおかしくなった。最初の異変に気付いたのは、小学2年生の夏休み中。夏祭りに行って、初めての金魚すくいでゲットした3匹の金魚が、立て続けに死んだことだ。1匹目が死んだのは、祭から1週間後のこと。僕が餌をやって、初めて僕の目の前で餌を食べてくれた、その日だった。2匹目が死んだのは、1匹目が死んで2日後のこと。父と一緒に水槽を掃除したその日だった。掃除といっても、食べ残しを網ですくって、追加の藻を入れるぐらいの、簡単な作業だった。そして3匹目が死んだのは、2匹目が死んだ翌日。父は、水が合わなかったかも、と言っていたけれど、僕は違うと思った。
言葉にうまく表現することはできなかったけれど、七五三が終わって家に帰ったあたりから、なんだか僕の様子、というよりは、僕を取り巻く環境自体がおかしくなった。本当に些細なことだけれど、例えば、買ってきたばかりのパンの賞味期限が切れていたり、公園でピクニック中に突然雨が降り出して、母手作りの弁当もお気に入りの服も濡れてしまったり、ちょっとした悪戯で掃除機を触った翌日に、急に故障したり……。
最初は、たまたま運が悪いだけだと思っていたけれど、運が悪いわけではなかった。ただ単に、祖母に魔法だと言ってかけられたものが、僕にとっては呪いだったのだ。しかも、自分や、自分の周りの人が不幸になるという、最悪のパターン。大きくなれば治ると思っていたけれど、そんなことはなく、その不幸体質は大人になるにつれ、段々と強くなっていた。ずっと、意地悪に身体の中で灯を燃やし続けるのだ。
小学生時代、中学生時代、それぞれ大きな壁とぶつかって、それを何とか乗り越えた先、高校1年生の2月。僕は、自らの不幸体質のせいで、人生のどん底に突き落とされる。