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代行サービス、運否天賦です  作者: 成城諄亮
第4生 松島志織
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第9話

今日は6月2日、金曜日。私はビールの空き缶で一杯のゴミ袋を手に家を出た。ゴミ捨て場で、隣の一軒家に住む高貴な奥様と軽く会釈して、その足でバス停に向かった。そしていつもと同じ時間のバスに乗り、出社。早くから来ている人たちは、既に仕事の準備に取り掛かっていた。ただ、星野さんだけ、皆と違う動きをする。そう、星野さんは今日をもって、一旦仕事を終える。これは、私のため、というか、仕事のためというか、まぁ、そういう理由だった。


こういう流れになったのは、つい2週間前のことだった。定時になり、社員が仕事を切り上げていく中、星野さんは社長の元へ向かい、封書を手渡した。それを見て、キョトンとする社長に、星野さんは「すみません、社長」と言って、深々と頭を下げた。


「どうしたんだい。いきなり渡すなんて、星野君らしくないね」

「実は、昨夜、実家に住む両親から電話がありまして。祖父の介護をして欲しいと頼まれたんです」

「でも、お祖父さんは施設に入所されていたはずじゃ」

「その施設が、今月末にサービスの提供を終了するようで、新たな施設を探す必要がありまして。両親は休めない仕事があって、兄は家庭をもっているので、その間、僕が祖父の介護をするしかなくて」

「そうか。それなら、仕方ないね」


 社長は封書を手に取る。そこに見えた退職の文字に、残っていた一部の社員たちがざわつき始める。私はこの瞬間、何か悪いことをしてしまったのではないかと思った。それと同時に、星野さんは社員から大事な仲間と認識されているんだ、ということを思い知った。新入社員の私が言える立場にはないけれど。


「とりあえず、これは預かっておくよ。でも、退職じゃなく、休職でいいんじゃないかな」

「いつ戻って来られるか分からないので。でも、安心してください。社長と交わした約束、忘れていませんから」

「なら良いけど、私としては休職のほうがありがたいんだがな」


社長は二度、三度、顎に生えた立派な髭を優しく撫でる。行方が気になって仕方ないと言った様子で、社長と星野さんのやり取りを見る女性社員たち。皆、私より20は若い。お目当ては完全に星野さんなのだろうが、時折社長を見ては、小声で何かを呟いていた。


「どうしてです?」

「だって、わざわざ面接日を設けなければならないじゃないか。この会社には、戻って来る気でいるんだろう?」

「それは、はい」

「だったら猶更だよ。必ず、戻ってくるように。これは社長命令だよ」

「ありがとうございます」


 星野さんは深く、深く礼をした。その様子に胸を撫で下ろす女性社員たち。仲間内で楽しそうにトークに花を咲かしたまま、「お疲れ様でしたー」などと言って退社していった。私も見届けた後、社長と星野さんに向かって、「お疲れ様でした。お先に失礼します」と言って、後を追うように会社を後にしたのだった。


 それから、特に大きな問題が起きることもなく2週間が経過。星野さんは、私物だけを机から取り出して、大きな紙袋に入れていた。そんな星野さんに、女性社員が数人話しかける。星野さんは「ご迷惑おかけします」とか「また戻ってきます」などと言って、その場をやり過ごしていた。


 始業時間から、私はノンストップでお客様からのクレーム電話を受けた。それは、他の社員さんもそうで、中には悪戯電話だったり、ただ罵声を浴びせるだけの人だったり、クレームから突然自分の身の上話をし始める人がいたり、言ってしまえばいつもと変わらないやり取りが、今日もまた繰り広げられていた。


 お昼休み、星野さんは若い女性社員から「ご飯一緒に食べに行きましょう」などと、1人ではなく何人からも誘われていた。最初は丁重にお断りしていた星野さんだったけれど、女性の圧に負けたのか、最終的には「みんなで一緒に食べに行きましょう」と言って、別々の行動を求める女性たちをひとまとまりにした。納得していない女性たちだったが、食事から帰ってくる頃には、表情を一変させていた。どうやら、心もお腹も満たされたみたいだった。


一方で、昼休憩の時間がずれる社員には、週明けに、社員御用達のお弁当屋さんのお弁当が、星野さんの奢りで食べられる運びとなった。時間帯がずれている社員の殆どは30代から40代の女性で、20代ほどガツガツしていない為、星野さんに気遣いは要らないと断っていたが、星野さんは「今日までお世話になったお礼ですから」と言って、にこやかに笑った。来週、私はそのお弁当を食べられる。実を言うと、そこのお弁当屋さんのお弁当を食べるのは初めてのこと。しかも、新たな自分で食べられることが、今からの楽しみになった。


 午後も変わらず電話応対の職を熟した社員たち。定時を告げるチャイムが鳴ったとき、社長がスッと立ち上がって、「皆さん、少々お時間いただきますよ」と言って、社員に集まるよう告げる。


「はい。皆もう知っているとは思うけれど、今日をもって星野君が休職します。星野君、挨拶、いいかな?」

「はい、只今社長から仰っていただいたとおりで、しばらくの間、祖父の介護のために、実家へ帰省させていただくことになりました。僕が不在の間、社員の皆様、並びに社長には沢山のご迷惑をおかけすると思います。落ち着き次第、必ず戻ってまいりますので、その際はまたよろしくお願いします。一旦、今日までありがとうございました」


 頭から背中、腰まで、ピシッと折り曲げ、礼をした星野さん。社員からは拍手が送られ、社長も笑顔で拍手をしていた。私は内心、こう思っていた。休職するというだけで、ここまでのお見送りがされるなんて、星野さん人気者過ぎ、と。私はアットホームな雰囲気の会社に入社できたようだった。それと同時に、このまま初心を忘れずに、新たな自分で、来週からも変わらず業務に当たろう、そう誓った。


 曇り空が広がっていた土曜日。私は父と顔を合わせたくなくて、行く当てもないのに、散歩がてら外出しようとしていた時、父がソファの上でノソノソ動き、ボソッとした声で呟いた。「父さんも、仕事しようと思う」と。私は寝ぼけているのかと思って、大きめな声で「え、今なんて?」と聞き返した。すると、もう一度、しかもハッキリとした声で答えた。「志織に感化されたから、父さんも仕事するよ」と。


「え、仕事って、何するの?」

「今から本屋行って、情報集めて来ようと思うんだ。まぁ、この歳だし、できることにも限界があるけどな。流石にこれ以上体たらくな生活を続けられないからな」

「え、でも、できるの? 別に無理して働かなくても。私、お給料ちゃんと貰ってるよ」

「いいんだ、いいんだ。何年も志織に迷惑かけてきたんだ。死ぬ前にもう一度仕事したいだけなんだよ。父さんの我儘だと思って、聞いてくれ、な、志織」


 父が私に向けた眼差しは、幼少期の私に向けられた時と同じだった。その眼差しをしていたのは、確か、初めて家族旅行に行こうと言ってくれたときだったと思う。父が誰かの為に動こうとする。その気持ちは、まだ忘れていなかったみたいで、私の目頭は熱くなった。ただ単に歳のせいでもあると思うけど。


「そっか。分かった」

「父さん、出てくるから、留守番よろしく」

「うん」


 いきなりの発言だったから驚いたけど、父のことだから、多分、前々から考えていたのだろう。でも、もし仕事が見つかって、そこで雇ってもらえるとなれば、少しは人生が潤うのかもしれない。ということは、もしかしたら、私に成り変わってくれる星野さんにも、多少の楽をさせてあげることができるのかもしれない。そう思うと、私はもっと成り変わりに興味を持った。


 深夜1時。父が寝落ちしたことを確認した私は戸締りの確認をして、自分の寝床に入った。通年使える卓上カレンダーは3日のままにしてある。理由は、明日に楽しみを取っておこうと思ったから。洗濯したての布団はもふもふで、少しの温もりがあった。「おやすみなさい」自分に呟いた私は特に微睡むことなく、スッと寝落ちした。


翌朝。夢の途中で目が覚めた。どんな夢だったか朧気ながら、何となく楽しかったということだけ覚えている。まだ寝ていたいという気持ちがありながらも、日めくりカレンダーを捲る。その瞬間、目に入ったのは4という数字。一見何気ない数字でも、6月4日、そう今日は私にとって運命が動きだす日だ。


正直、実感がわかないというか、星野さんに依頼を求められ、それに応じたことが、つい最近な気がしてならない。30代の頃から感じていたことだが、最近になって、より一層そう感じるようになった。もう、歳だ。

 

迎えた成り変わり当日の朝は、まさかの雨。しかも、土砂降り。バケツをひっくり返したような雨、という例えが正確かもしれない。成り変わりが控えているというのに、気分は瞬間ブルーになる。


自分の部屋と台所を隔てる襖を開ける。臓物が出ているソファに寝そべる父は、ちっとも可愛くない大きなクマだ。地響きしているのではないかと心配になる鼾。床に付きそうなほど、だらっとさせた右腕。床に落ちているポテトチップスのカケラ。テーブルの上に置かれた、ビールの空き缶と募集バイトのフリーペーパー。だらしなさの象徴が、私の画角に収まる。


「馬鹿か、ハァ」


いつものことだ、と思いながらも、ついつい大きな溜め息を吐いてしまう。私はわざと大きな音を立てて、空き缶を1つずつ、ある意味丁寧に掴んでいく。最後の一缶を掴んだ瞬間、「ぐはっ」と大きな声を出して飛び起きた父。私の怒りに満ちた目を見て、包まっていた毛布に顔全部を隠す。まるでやっていることが子供だ。


「できそうな仕事、あった?」

「工事現場だな。日雇いの」

「そう」

「今日にでも電話してみるつもりだ」

「上手くいくといいね」

「ああ。履歴書書くときは、添削頼むよ」

「はいはい」


 私は出かける格好をしているというのに、父は一切口出ししてこなかった。私がどこに行こうが、父には関係ないみたいだった。家出しようとしたとき、必死に追いかけてきたのに。今はその気力すらもないのだろうか。


「今日、帰宅遅くなるから。夕飯、これで適当に食べて」

「どうもさん」


私は財布の中から、貴重な千円札を取り出し、机の上に置く。その一部始終をしっかり、淀んだ目で見る父。私が振り返ろうとした瞬間、サッと伸びた父の右腕。まるで猫が獲物を取るときのような機敏さ。腹が立つ。煮えくり返る。その気持ちをグッと堪えて、私は鞄を持って家を出た。


さようなら、私の千円札。


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