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代行サービス、運否天賦です  作者: 成城諄亮
第4生 松島志織
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第8話

 面接から入社、そして研修から実践と、怒涛の1週間だった割には、体たらくな父に邪魔され、しっかり休めなかった土日。それなのに、朝起きる時間は変わらない。洗面所に立って、私は目の下にできたクマの存在に気が付いた。昔だったら、きっとメイクで必死に隠しただろう。でも、若かったころに散々してきたから、という理由でメイクもしなくなったから、今手元にちゃんとした化粧用品はない。本当のことを言うと、ファンデーションで塗り重ねて、そして消した状態で出社したかった。ただ、その願いは叶いそうにないから、早々に諦め、私は歯を磨き始めた。


 いつもと同じバスに乗って出社。変わらない景色の中でも、バス車内で繰り広げられる高校1年生らしき生徒たちの愉快な話しに、私もふと耳を傾けることが、密かな楽しみになっている。今日は、ある1人の男子が信じている幽霊の話だった。


 会社が入るフロアまで、エレベーターではなく階段を使って上る。まだまだ若者には負けないぞ、みたいな感じを出しているけれど、ただ単に運動不足を解消するための手段でしかない。フロアに到着すると、私は必ず呼吸を整えてから、社員証をかざして、会社に入る。これをルーティーンにしていくのが、私の小さな目標だ。


「おはようございます」私より先に出社していた社員さんたちが、私の挨拶に手を振って応えたり、会釈してくれたりする。その中に星野さんも含まれており、私に笑顔で手を振ってきた。猫に成り変わっていた面影は、もうどこにもなかった。


「おはようございます、星野さん」

「おはようございます」を笑顔で言った後に、私の目元に目線を向けて、瞬きを数回する。


「あれ、目の下……」

「すみません、ちょっと調べものをしていたら、徹夜してしまって」


苦笑いを浮かべる私に、星野さんは「そうですか」と言って、同情しているのやら、呆れているのやら、含み笑いを浮かべた。


「あっ、あの、星野さん、今日のお昼ってどこかに食べに行きますか?」

「いや、今日は弁当だけど」

「よかったら、一緒に食べませんか? 星野さんにお尋ねしたいことがあって」

「いいよ。じゃあ、12時10分に、ビル後ろの公園で」

「はい。ありがとうございます」


 私は一礼して、星野さんのデスク前から移動する。後方から、何となく感じてしまう、私に向けられた視線。きっと、私が親しい感じで星野さんと会話したからだろうと思う。実際そう見えても仕方ないと思うし、もし今日だって、公園でお昼を一緒に食べているところを見られたら……。そう思ったけれど、成り変わったら会社を辞めて、また別の職場を探すつもりでいるから、特に気にする必要はないだろう。


 午前中、煽るような口調でクレームを言ってくる、そういう相手からの電話ばかり受けたためか、11時半を過ぎる頃には、なんだか心身ともに疲れ切っていた。45歳だからなのか、それともただちゃんとした仕事をしてこなかった弊害なのか……、どっちにしても、自分の経歴によるものだ。


 お昼休みの時間、星野さんは一足先に会社から出て行った。私は作業をしているフリをして、5分間をやり過ごし、「お昼行って来ます」と上司へ丁寧に一礼して、私も会社を後にした。


急ぎ足で公園へ向かうと、星野さんはベンチに座って、のんびり日向ぼっこをしているみたいだった。空を飛び交うカラス。公園の土の上をトボトボ歩く鳩。犬を連れて散歩をしている貴婦人、芝生の上でピクニックを楽しむ保育園児と保育士たち……。


「お待たせしてすみません」


その中に加わる、10年選手の弁当袋を提げた、45歳ノーメイクのおばさん。星野さんとの間に一人分の間を空けて、その隣に腰かける。


「お疲れ様です」

「お疲れ様。大変だったでしょ。対応変わらなくて大丈夫だった?」

「あー、はい。大丈夫です」


取り繕う私に、星野さんはフッと笑った。


「でも無理だけはしないでくださいね。辞めていった社員は皆、真面目で人に頼れないタイプが故に、まぁ身辺事情の人もいたけれど、心労が溜まって病んじゃう形だったから」


寂しそうに呟く星野さん。どこからか湧いてくる強い決意を、私は頷きで示した。


「あっ、すいません。それで、話って何ですか?」


 お弁当を包むバンダナの結び目を解いていく星野さん。ラフな話だと思っているからだろうと思うが、私はどんなテンションで言えばいいのか分からなくて、暗いとも明るいとも言えない、微妙なところを突いてみる。


「あの、私、つい先日知ったんですけど、星野さんって、俳優業やられていたんですね」

「あぁ、うん」


星野さんの返答は、私の考える“返答その2”のパターンだった。つまりは……、


「私、全然気づいてなくて、馴れ馴れしい感じで話しかけてしまって、申し訳ありませんでした」頭を下げる私に、星野さんは口角をスッと上げて、「あぁ、いいよ。気にしないでください」と言った。正直言って、返答その2のパターンを言って良かったのだろうかと、ちょっと不安になる答え方だった。


「私、親が離婚するまでは、超がつくほどのテレビっ子で、毎回食い入るように観ていたんですよ。でも、親が離婚して、父と二人暮らしになってからは、テレビを一切見なくなって、そのまま大人になってしまって……。テレビを見るって言っても、居酒屋の、あの小さな画面に流れる映像を、聞き流すぐらいで。多分、ちゃんと見ていたら星野さんにすぐ気付けたんでしょうけど」


 そうは言ったものの、実際心からそう思っているかどうかは分からなかった。確かに、昔のままテレビっ子に育っていたら、気付いていたかもしれないけれど、大学に進学して、アルバイトをして過ごす生活を送っていたら、星野昇多という名前は知っていても、顔までは分からなかったかもしれない。深く考え込む私に、星野さんは気遣ってくれたのか、疑心暗鬼な様子で、少しの揶揄いを含んだ言い方をしてきた。


「本当です? 見て知ってても、今の僕を見て気付きます?」

「……え?」

「僕の写真、見ました?」

「えっと、子供時代の、えっと、確か小学生の頃だったと」

「じゃあ、世には流れてない写真見せましょうか」

「え」

「ちょっと待ってくださいね」


 私が返事をする前に、星野さんは軽快に笑って、スマホを取り出し、サクサクッと操作し始める。膝の上で傾き、落ちそうになる弁当箱を、私はサッと手を伸ばして受け止める。星野さんはスマホから顔を逸らして、私に微笑み返す。そんな私は、星野さんの弁当箱を両手で持った状態で、スマホを操作する星野さんに問いかける。


「あの、そういう業界に居られた方って、引退しても、気付いて声かけてもらったほうが嬉しかったりするんですか?」

「それは、人によると思います。ちなみに、僕は気付かれても嬉しいし、気付かれなくても嬉しいです。気付いてくれる方は、僕のことを応援してくれてたんだろうなって思うし、気付かない方は、僕がうまく世に溶け込めてるってことを表してるわけですし」


ニヤッと笑った星野さんに、私は安堵というか、抱いていた気持ちが腑に落ちる感じがした。


「そうですよね。色々すみません。愚問ばかり尋ねてしまって」

「気にしないでください。おっ、あった、ありました」


笑みを浮かべた星野さんは、私に向けてスマホを差し出す。星野さんの弁当箱と引き換えに、受け取ったスマホ。画面に映っていたのは、まだ少年味が強い、あどけない表情でピースサインをしている星野さんだった。制服はぶかぶかで、裾が地面に付いているように見える。


「これが、高校入学時の僕です。まぁ言っちゃいえば、優業を引退して1か月ぐらいの写真です」


そういった後、今度は右に何枚か写真を送って、とある1枚の写真で動かす手を止めた。画面に映った写真、それは、まだ可愛らしい顔付きだけれど、各段と大人になった星野さんだった。その隣には、星野さんよりは大人びて見える男性も映っていて、星野さんは身の丈に合ったスーツを着用し、満面というよりは、少しクールな笑みを浮かべていた。


「で、これが、僕が大学を卒業したときの写真です。あ、隣の奴は僕と一緒に企業した田辺って男です。どうです? 面影って、残ってます?」


どういう答えを求めているのか、表情からも、口調からも分からなかったからこそ、私は思った通りのことを答えることにした。


「どことなく、じっくり見れば、星野さんだなって分かる程度ですね」

「そうでしょ? 高校入学前から結構、太っちゃったんですよ、実を言うと。ストレス太り、ってやつです。恥ずかしいですけど」

「そうだったんですね。でも、私が見る限り、全然太ってないですよ。ほら、私なんて余計なところに肉が……」


 自分で腹の肉を摘まんでおいて、醜く、そしてくだらないことをしていると自覚して、自分を馬鹿にするような笑いが込み上げてきた。星野さんは返答に困っているみたいで、眉のあたりを指で書いて、あはは、と呼吸するみたいに笑った。


「若い頃って、食べないだけで痩せるし、ちょっと運動するだけで痩せるじゃない。でも、40代になるとダメなんです。お金もないし、父も食が細くなったので、私も食べる量をセーブしてるつもりなんですけどね、ダイエットするにもお金はいるし、楽しくないから続かないし」

「分かります。ダイエットって、意外と継続できないですよね。僕も三日坊主なんで、続いた試しがなくて」

「へぇ、意外。星野さんって、何でも完璧にこなせそうに見えるのに」

「そうですか。松島さんには、そう見えてるんですね」


 私はこの時、星野さんが私の発言で傷ついているとは露知らず、そのまま明るい感じで、反省せず、馴れ馴れしい態度で話しかけていた。星野さんと隣同士に座って食べるお昼ご飯の時間は、居酒屋のときとはまた違って、純粋に楽しいと思えた。星野さんのお弁当と違って、私のお弁当は冷凍ものばかりで、しかも貧相な見た目をしている。それでも、時折顔を見合わせて、笑い合って、たまに代行サービス運否天賦の話を聴いたりして、とにかくここ数十年で一番充実した約1時間だった。


「あっ、もうこんな時間。僕、やることがあるので、先に戻ります」


空になった弁当箱に蓋を閉め、バンダナで包んでいく。普段からこうしてお弁当を持ってきているのだろう。バンダナで包むスピードはとても速く、でも丁寧だった。立ち上がろうとする星野さん。その前に私はサッと立ち上がり、星野さんに向かって頭を下げた。


「今日はお呼び出ししてしまって、すみませんでした」

「いえ。こちらこそ、お誘いいただいて、ありがとうございました。松島さんとお話しできて、嬉しかったです」

「私も、です」

「午後も頑張りましょうね、志織さん」

「えっ、今……」


 キャハハと子供みたいな高い笑い声を出した星野さん。胸元で小さく手を振って、走って公園を出て行った。私は、ベンチに残る星野さんの温もりを感じながら、最後のおかずを口いっぱいに頬張った。

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