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代行サービス、運否天賦です  作者: 成城諄亮
第4生 松島志織
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第7話

 退社時間を迎えた社会人たちで賑わう居酒屋。そのカウンターに腰かけた星野さんと、その隣に、少し遠慮気味に座った私。星野さんは慣れた手つきでメニュー表を取り、私に向けて差し出す。


「松島さん、何呑みます?」

「あ、一番安いやつで」

「遠慮しないでくださいよ。今日は奢りですから」

「は、はい。えっと、じゃあ、どうしようかな……」


 端がボロボロに折れているメニュー表。手書きの文字が並ぶ。飲み物の他にも、食べ物の種類も豊富で、優柔不断な私は頭を抱えてしまう。


「おすすめは、ジンジャーエールなんですけど、どうです?」満面の笑みで言われた。私の心はキュンとなり、飲んだこともないジンジャーエールを頼むことにした。今まで、ジンジャーエールだけは避けてきていたから、ある意味で勇気を振り絞った頷きだった。


「大将、ジンジャーエール2つ。あとは、芋天とポテサラ、生姜焼き、2つずつ」

「はいよ」


メニュー表を閉じていた星野さん。が、突然、口をパッと開いて、照れ笑いを浮かべた。


「あ、いつもみたいに頼んじゃった。食べられます?」

「芋天と、ポテサラと、生姜焼き、ですよね? はい、大丈夫です」


そう明瞭に言ったものの、運ばれてきた料理を見た私は、ぞっとした。芋天の量も、ポテサラの量も、生姜焼きの量も、全てが大盛で、年齢のせいか、最近油もので胃もたれしてしまう私にとっては、正直言って食べ切る自信はなかった。


 客たちの入れ代わり立ち代わりが落ち着いてきて、そして、料理のほとんどを星野さんに食べてもらい、お皿に空白ができ始めた頃、星野さんは唐突に、独り言のように呟いた。「僕、実は人に成り変わることができるんだけど」と。


「えっ、」


私は頬が少し赤くなっている星野さんのことを見つめた。私の瞳孔は開き、しっかりと星野さんのことを捉える。


「それで、僕ね、高校のときの友人と代行サービス運否天賦っていう会社運営してるんだけどね、今、依頼してくれる人が全然いなくて、困ってんの」

「ああ、はい」

「それで、仕事内容としてはね、僕は今まで困っている人たちに成り変わっては、その人の人生を歩んで、死んで、また星野昇多として戻る人生のサイクルを送っててさ、えへへ、楽し~いんだ」


 居酒屋で気軽に聞いていいような話だとは思えなかったのだが、星野さんは特に気にしているといったことはなく、逆に言えば、星野さん自身が社長を務める「代行サービス運否天賦」という会社を宣伝しているようだった。それに、お酒を飲んだ星野さんの印象はガラリと変わった。口調も砕け、日本語も乱れ始めている。入社して4日目の人に見せる表情に、嘘はなさそうだ。


「それで、僕、そろそろ次の人に成り変わりたいって思ってるんだけど、よかったら、成り変わってみない? 多分ね~、成り変わったら今よりも幸せになれると、思うな~」


アルコールのせいか、言っている意味が分からない私は、「え、どういうことですか?」と、なぜか大声で聴き返した。その後、私は口を両手で抑えて、声を押し殺した。星野さんは笑顔を浮かべたが、私は失態を犯したと思った。ただ、周りの客たちは自分達の会話にしか興味がないようで、全然私達の会話に耳を傾けているといった様子はなかったから、安心したのも束の間、今度は星野さんが大声で口を開いた。


「僕、松島さんに成り変わって~、貧困生活してみた~い!」


そう言って、両手を広げた星野さんは自分の身体を強く抱きしめ始める。酔った星野さんは自分に甘々になるらしく、瞳もアイスみたいに溶けて、口調もデレデレしている。「ちょっと、星野さん、声大きいですって」私は両手を星野さんの肩に置くも、星野さんはずっと「成り変わりたい。成り変わりたい」と子供みたいに同じことを、同じテンションで呟き続けた。


 星野さんに根負けした私は、「いいですよ」と頷いた。きっと星野さんは自分の発言を覚えていないだろうし、頷いたとは言っても口約束だけだし、酔った勢いで頷きました、とテキトーに嘘をつけば誤魔化せる、そう思っていた私だったが、それは安直すぎる考えだった。


「じゃあ、早速だけど、成り変わりについて説明させてもらいますね。よくよく聞いておいてください」


真面目モードへと態度を一変させた星野さんは、鞄の中からノートPCを取り出し、カチャカチャ音を立ててブラインドタッチしたのち、私にとある画面を見せてきた。そこには、大きな字で「代行サービス運否天賦」の文字が表示される。


「僕が代表を務める代行サービスの会社なんだけど、代行しているのは、その人の人生そのもの。子供からお年寄りまで、年齢も性別も問わずにやってます。依頼されたことはないけど、動物にも成り変わることができるので、念のため、伝えておくよ」

「はぁ、はい」

「それで、僕が松島さんに成り変わった場合、今まで松島さんが歩んできた人生と、これから歩む人生全てを僕が受け継いで、逆に松島さんは、第2の松島志織として人生を歩んでもらうからね。ここまでで分からないことは、ありますか?」


 まるで入社初日の、午前中の研修を思い出すようなやり取り。確かに酔っていたはずの星野さんだったけれど、今は完全なる素面の状態に見える。不思議だった。そう、この時、私はまだ星野さんが元子役で、中学生まで俳優をしていた、という経歴を持つことを知らなかったから。でも、それを知ってから思い出すと、確かに、あれは演技だったのだろうと思えて仕方ない。


「えっと、私に成り変わった星野さんが死ぬのは、私が死ぬときと一緒、ってことですか?」

「いえ。僕はこれからの松島さんが歩まれる人生を送りますが、年月の経過は一緒ではないので、5年が1日という感じで進みます。なので、例えば松島さんが55歳で死ぬとなれば、僕の成り変わりはたったの2日で終わるということです」


 不気味にニヤッと笑った星野さん。笑うタイミングが分からないと思いつつも、私は頷く。話は、一応頭には入っている。けれど、酔いが醒めた後、ちゃんと覚えていられるかには一抹の不安もある。あとで、説明を受けた資料を貰えないか尋ねてみよう。


「因みに、松島さんは第2の松島志織となっているので、僕の成り変わりが終わったからといって、第1の松島志織に戻ることはありません。新しい人生を最期まで歩んでいただけます」

「そうなんですね。分かりました」


 私は残り少ないポテトサラダを箸で掴み、そして口に運ぶ。ほくほくとしたポテトに、キュウリや人参、コーンといった野菜から、淡いピンク色のハムに加え、真四角に切られた林檎の甘味と酸味が、口いっぱいに広がっていく。その一方で、星野さんはおかわりしたジンジャーエールを一気に飲み干し、ふんわりとした眼差しを私に向ける。


「松島さんって、僕のこと意外と、あっさり受けいれるんですね」

「えっ、あぁ、ははは……、どうして、でしょう……」

「それって、要は僕のことを信頼してくれてる、ってことですよね? ね!」


子供みたいな笑みを浮かべて、アイドルみたいなキラキラの瞳で私を見つめる星野さん。酒に酔っているはずなのに、崩れない表情。酔うと表情が怒りっぽくなる私とは大違いだ。


「それで、もう少し話進めてもいいですか? 僕のこと信頼してくれてるみたいなので」

「あ、はい」


 無邪気すぎる星野さんに圧倒された私は、無意識のまま、芋天にソースをかけていた。運ばれてきた当時、星野さんが塩を全体的に掛けたというのに。恐る恐る口に入れると、やっぱり、塩に対してソースが喧嘩を吹っ掛けてきた。


「成り変わりの実行日は、そうですね、来月の満月の日はどうですか?」

「それって、いつですか?」

「6月4日です。どうです?」


 私は乱れた字で枠が満たされている手帳のページを捲り、6月のところを開く。4月の予定とは打って変わって、すっからかんの手帳。びっくりするぐらい、予定が何一つとして入っていない。プライベートは潤いを欠いていた。


「予定は特にないです。日曜って仕事休みですもんね」

「はい。じゃあ、その日で。満月が浮かんでいる夜に、松島さんと会って成り変わらないといけないんですけど……」

「父がいるので、できれば人目が避けられて、しかも家から遠い場所のほうがありがたいです」

「じゃあ僕の会社はどうです?」

「えっ、部外者が立ち入っても大丈夫なんですか?」


 驚きが隠せない私とは裏腹に、星野さんは至って平然だった。


「松島さんと僕は、依頼者様と引受人です。社員は17時にみんな帰るので、満月が出る頃なんて、もう誰もいませんし。人目も気にしなくていいかと」

「警備とかは……?」

「大丈夫です。僕が信頼してる奴で、一緒に会社立ち上げた男がいるんですけど、そいつに頼んで、データ消してもらいますから」


ピースサインをして、ニカッと笑う星野さん。大丈夫なのか心配になるが、これ以上心配するのはお門違いかと思って、私はそうですかと言って、頷いておいた。


「じゃあ、こんな感じです。あ、明日中に、今日説明した内容のデータを松島さんのスマホに送信するんで、電話番号聞いてもいいです?」

「はい。えっと、090――」



「じゃあ、今日はこの辺で」軽く微笑んだ星野さんは、調理中の大将に向かって、右手を挙げる。「大将、お会計お願いします」


 作業を止め、手を洗い、そして拭う大将。その間、ポケットから財布を取り出し、札や小銭を触っていく星野さん。私は椅子から立ち上がりながら、星野さんの横顔に尋ねた。


「最後に、いいですか」

「はい」

「星野さんって、一体幾つなんですか? 私より断然若い気はしますけど」

「23です。なので、松島さんとは――」


にっこり笑顔を浮かべながら、揶揄い半分といった感じで言ってくる星野さんを、私は両手を前に突き出す形で制止させる。


「それ以上言わないで! もう、分かってる……から」


 改めて思う。自分の年齢って、結構だな。と。星野さんが30代には見えなかったけれど、まさか23歳だったなんて。自分のその頃と重ね合わせると、本当に立派というか、何と言うか……。


「ハハハ、言いませんよ。ごめんなさい、揶揄って。でも僕、年齢詐称してる感ありますよね」


こうやって、年上女性を揶揄うところとかは、まだまだ子供だなって感じがする。


 金銭を支払った星野さんは、大将に「また来るよ」と愛嬌のある笑みを振り撒いて、店のドアを開ける。私は星野さんの後を追って、大将に一礼して店内を出た。


「会社は、ご家族経営とかだったりするんですか?」

「いえ。誰とも親族じゃないですよ」

「え、じゃあ、どうして役職が……」

「約束交わしたお礼っていうか、そんな感じです。あ、約束ってアレです、息子さんと成り変わることですから」

「えっ、それって、いつの話です?」


 店を出てすぐの交差点。信号が赤に変わったことで、星野さんは歩くスピードを早い段階から遅くする。それに合わせて、私の歩幅も小さくなる。


「社長の息子さん、隼哉さんが34歳になったときです。なので、今からだいたい1年後って感じです」

「へぇ、そんな先まで予約入ってるんですね。面白い」

「今、松島さん思ったでしょ。私に成り変わりを提案しておいて、予約客がいるのかい、って」


 私のことを指しながら言う星野さん。残念ながら図星というわけでもないけれど、そうかと言って、ちゃんと返答ができるとも限らないので、私は濁す形で笑い声を出す。しかも、家の塀に登っているキジトラ柄の猫を見ながら。


「素直ですね。でも、成り変わりしてないと、いつか能力が消えるんじゃないかって不安があるから、こうして、タイミングを見て色んな人に成り変わってるんです。これ、まだ誰にも言ってない情報だから、秘密ね~」


 急に乙女チックな表情を見せる星野さんは、表情管理も豊かだし、表情を切り替えるタイミングも絶妙に良くて、全くと言っていいほど星野さんのことを知らないにも拘わらず、もう少しで恋に堕ちそうだというところまで、知らぬ間に連れて行かれていた。


 信号が赤から青に変わる。私はそのまま歩き始める。が、星野さんはついて来なかった。


「あれ、星野さん……?」


横断歩道を歩いている途中で振り返る。そこに、星野さんの姿はなくて、代わりにいたのは、1匹のキジトラ柄の猫だった。塀からひょいと飛び降りる。そして、猫はじーっと私のことを目で見続けて、最後に小さくミャアと鳴いた。まるで「さようなら」と言っているみたいに。恐らく、というより、確かに、星野さんが成り変わったのだろうと思った。

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