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代行サービス、運否天賦です  作者: 成城諄亮
第4生 松島志織
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第5話

 中学生の頃は、高校を卒業したらそのまま、近くにある大学に進学して、学びたいことを学びながら、キャンパスライフを全身で楽しみ、働きやすいうえに給料もいいという一流企業に就職して、20代のうちに結婚をして、40代までに3人子供をつくって、老後は旦那と緩やかな生活を送るということを夢見ていた。一応私にも、叶えたい夢は少なからずあった。


それなのに、現実は大きく違う。大学には進学せず、高校を卒業すると同時に家を出て、家賃1万円のアパートに住みながら、昼は平日パチンコ屋で清掃の、土日は焼き肉店でホールの、平日土日関係なく夜は居酒屋でバイトをするという生活を始めた。この間、一度も男の影がちらつくことはなく、結婚のけの字すらも、今の私は見失っている。


当時バイトしていた店での時給はそれなりだった。でも、ギャルになるためには、それ用のメイク品や髪のメンテナンスなど、とにかくお金が必要だったから、広いアパートには住めなかった。そして、一人暮らしを始めて分かったことがあった。それは、仕事で疲れてやる気がなくなると、部屋が散らかっていく一方だ、ということ。どうやら、私は同居人がいないと片付けができないみたいだった。そのため、服やメイク道具が床に散乱していくばかりで、入居から3か月もすれば、ゴミ屋敷(本当は言いたくない)とまではいかないものの、足の踏み場がなくなっていた。


そんな私に救いの手を差し伸べてくれた人がいた。その人は、同じ時間帯に居酒屋でバイトをしている馬場千明という女性。私と同じくギャルになることを夢見る、3つ上の先輩だった。ある日、飲み潰れた千明さんを自宅に招き入れた際、千鳥足で物を踏みつけながら、私に対してこう言ってきた。「一緒に住まない?」と。


そのときは笑って誤魔化した。千明さんは酔っていたから、そんな発言したことすら覚えていないだろうと、そう自分で決めつけていたから。その3日後、バイト終わりに、千明さんに提案を受け入れるか尋ねられ、私は驚いた。酔うと発言を忘れると言っていた千明さんが、発言内容を丸々覚えていたから。同居人がいれば片付けられる、でも、迷惑をかけるかもしれない、その両者で悩み続ける私だったが、千明さんが熱烈アピールをしてきたために、私は「お願いします」と言って頷いた。そして、私は6月から千明さんの家で暮らすことになった。


千明さんは私よりもメイクが上手で、しかも短時間でギャルになる。普段からもギャルで、会話をしていると、私も自然とギャルの口調になる。こんなにも心を許せる友達ができるなんて、夢にも思っていなかった。ギャルになってよかった。私は心からそう思っていた。


「志織っちってさ、なんでギャルになろうと思ったん?」

「この見た目で、中学生の頃までちゃんと勉強してたんです。でも、うち、親が離婚してて。バカな父と二人暮らししてたんですけど、ある時、もうどうにもならないぐらいの嫌気さしちゃって、家出したんです。そのとき、街中で見かけた看板に映るギャルに憧れちゃったんです。それで」

「へー、でも、言われてみれば確かに志織っちって、しっかりしてて賢そうだもん。ちゃんと敬語も使えるし、私とは大違い」

「そうなんですか?」

「うん。うちは生粋のギャル家庭育ちでね。パパもママも18の時に結婚して、19で私産んだの。それで今でも両親はギャルしてる。なんなら、私よりもギャルだよ? あ、写真見る?」

「見てもいいんですか?」

「いいよいいよ~。ちょっと待って」

 

スマホを触り、写真フォルダを見ながら独り言をぶつぶつと呟く千明さん。小指の爪先に張られたネイルシールの一部が、剥がれ落ちそうになっていることに気付くも、私は楽しそうに写真を探す千明さんの邪魔をできず、見て見ぬふりをした。


「あっ、これがいちばん盛れてるかも!」そう言って千明さんは私に1枚の写真を見せてきた。千明さんの言う通り、生粋のギャル家庭だった。短く明るめの茶髪男性が父親、金髪のロン毛女性が母親、ボブの茶髪でヘアクリップを沢山付けているのが妹だ、と、幸せそうに家族の説明する千明さんを見て、私はどこか羨ましくなったのと同時に、寂しい気持ちにもなった。私の家族とは大違いだ、と。


「羨ましいぐらい素敵なご家族ですね」

「そう? でも、めっちゃバカだよ。パパなんて、九九できないもん。私でもできるのに」

「振り切ってるぐらいがいいじゃないですか。私みたいに、途中からギャルになろうなんて難しいですから」

「そうなの?」

「どうしても、賢かった時代が残っちゃって。邪魔するんですよね。いくら明るいギャルになりたいって思っても、やっぱり体よりも脳が動いちゃう。こんな自分が嫌になるんです」


 私は自分の爪を見つめる。手入れされていない爪周りには、無数のささくれができていて、肌も荒れている。私は敏感肌体質で、ちゃんと手入れしなきゃ、とは思っている。でも、手入れが面倒で、またネイルをして荒れてしまうのなら、もうやらなくてもいいか、となってしまう。ギャルになりきれない自分のことが、どうしても憎くなる。


「そっか。でもさ、ギャルにもさ、色々あるから、志織っちにしかなれないギャル目指せばいいと思うよ。だって、私にはない良さ、他のギャルにはない良さを、志織っちは持ってるんだから」


ピンク色のカラコンが入る瞳は、キュルキュルに輝いている。そんな目をしている千明さんに見つめられると、私の心はギュッとなって、痛んだ。


「……そう、ですね」


瞳から溢れ出す涙を抑えることができなかった。「なんで泣いちゃうの?」と同感しつつも笑顔を浮かべる千明さん。私は身体を震わせながら泣いた。こんなにも大粒の涙を流すのは、久しぶりのことで、私自身も戸惑いが隠せなかった。


 この夜のことは、2年が経った今でも、よく覚えている。でも、もうこうして、千明さんと一緒に暮らして、楽しみや悲しみを分かち合うことはできない。千明さんが、この夏、同じ年齢の男性と結婚することになった。相手男性は、いかにも真面目そうで、堅実の二文字がとっても似合う感じだった。この人から、ギャル要素はどこにも感じられなかった。一体どこで出会ったのか、とか、告白したのはどっち、とか、色々聞きたいことはあったけれど、結局聞けないまま、今日を迎えている。


 明日の朝一番にアパートを出て行くという中で、私は最後の荷造りをしていた。すっかり、暮らしていた形跡のなくなった部屋。そのとき、下ろしたてと思われるミニスカートを履いた千明さんが、小さな箱を手に入ってきた。


「ねえ志織っち」

「はい」

「これ、志織っちにあげる」


千明さんは、箱を私に手渡す。開けて、と聞く前に、開けるようにジェスチャーで伝えてきた千明さん。スコッという音と共に、姿を現した小さな瓶。クッション性のある緩衝材に包まれていた。


「えっ、なんですか、これ」

「香水」

「こ、香水!? 初めて……見た、本物だ」


 箱を持つ手はどことなく緊張で震え始める。可愛らしいフォルムをしている瓶に入っている、淡いグリーンの液体。匂いは一体なんだろう。つける瞬間って、どんな感じなんだろう。私の想像は広がっていくばかり。もらえたわけでもないのに。


「これ、どうしたんですか?」

「志織っちにあげる。最初のお給料で買ったものなの。結構高かったんだから、大切にしてよね」

「え、そんな大事な物! 私、貰えませんって!」

「いいんだよ。これは、もう私には必要ないから」


千明さんは、ニコッと笑った。私は、笑えなかった。香水を貰えた。もう香水は必要ない。これは、つまり、アイドルが人気絶頂の中、ステージに商売道具を置いて去る、ということと一緒。このことは同時に、私が先輩の意思を継ぐということでもあるのだ。


「ありがとうございます。大事に、大事にします!」

「使ってくれたほうがありがたいんだけどな」

「使いながら大事にします!」

「ふふっ、ありがとう」


 私は箱をぎゅっと手の中で抱きしめた。ほんのりと、千明さんのぬくもりが感じられた。これから先、道に迷ったときには、この香水を付けて、頑張ろうと思う。

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