第2話
1986年7月30日。空は晴れ、命を凌ぎ合うかのような声で蝉が鳴いていた、と思う。庭に植わる小さな桜の木の枝は、湿気を纏った風に吹かれ、青々とした葉っぱを揺らしていたっけ。
「ほーら。六花、そろそろお姉ちゃんと離れなさい。お姉ちゃんたちの、出発時間が迫っているのよ」
「やーだっ。ずっと一緒」
「六花、我儘言わないの」
「お姉ちゃんと離れたくない、ずっとぎゅーってしてたい!」
小さくて薄い手で強く握られた、私のお気に入りの服。胸の下あたりが、六花の涙で濡れていくのが分かった。電車に乗るまでに乾いたらいいけど。
「お姉ちゃんのこと、大好き!」
「アタシもだよ、六花」
「お姉ちゃんと、離れたくない」
「アタシも、六花と離れたくないよ」
私は荷物で塞がっている両手を、そっと六花の背中に回す。きっと、荷物が当たって痛いだろうけれど、六花は何も言わず、私のことを抱きしめる。
「お姉ちゃん、六花と、また会ってくれる? 一緒に遊んでくれる?」
涙目で訴える六花に、嘘が言えなくなった。私は、六花に会いに来るつもりはないのに、頷いて、
「うん。遊びたいし、会ってたくさんお話ししたいもん」と言って、笑った。六花は純粋な子。だから、前歯の抜けた口を大きく開いて、「六花も! お姉ちゃんといーっぱい遊んで、お話ししたい!」と言って、不器用に笑った。
人は時に優しい嘘を吐くことはある。でも、純粋な六花に嘘は通じない。それなのに、私は嘘を吐いた。お姉ちゃんとして、失格だと分かっていても……。
「ねぇ六花」
「なぁに?」
「ママの言うこと、ちゃんと守って、ずっと元気でいてね」
「うん! お姉ちゃんも元気でね!」
「うん。ありがとう」
六花はずっと抱き着いたままだった。その背後から、今度はお母さんが抱きしめてきた。間に挟まれた私は、愛情と悲しみと想い出が積み重なって、少し苦しかった。ずっとこのままでいたかったし、父親だけを捨てて、女3人で生活してもいいじゃないかと思っていた。しかし、現実は甘くない。母親は身体を離し、耳元で囁く。
「志織、1人で大変だろうけど、頑張ってね」
「お母さん……」
「志織なら大丈夫。だって、お母さんの子だもん。ふふ」
ぽろっと一粒の涙がこぼれ、頬を伝う。それをお母さんが拭ってくれた。その仕草が優しくて、ちょっぴり淋しい。
「元気でね」
「うん。お母さんも、元気でね」
「ありがとう」
両親は私が8歳、小学2年生の1学期中に離婚した。家族会議をした結果、アタシは父親に、六花は母親に引き取られることになった。
アタシが生まれてからずっと、お父さんもお母さんも、アタシと沢山遊んでくれた。そして妹の六花が生まれてからも、家族4人で和気藹々と平和に暮らしていた。
家族で旅行にも言った。もちろん、国内だけど。普段から倹約家の母によって、ある程度の出費で抑えられるような旅行プランにはなっていたものの、今思えば、あれは贅沢なことだった。天候の影響がなければ、好きなことはさせてもらえたし、行きたいところにも行った。お土産も沢山買ってもらった。ちょっとしたことが、私にとっては幸せそのものだった。
私の家は、いわゆる一般家庭だった。お父さんは、平日は会社に出勤して、お母さんは平日の朝から夕方にかけて、近所のスーパーマーケットでパートのお仕事をしていた。高級車は買えないけれど、普通車と軽自動車を1台ずつ持っておけるくらい、海外旅行には行けないけれど、年に1回は1泊2日の国内旅行にいけるくらい、それぐらいの稼ぎがあった。そんな生活を送っていても、とっても仲良くしているように見えていた。でも、それは子どもの前だけの話で、2人きりになると喧嘩が絶えず、関係もぎくしゃくしていたらしい。
そして5月の末の日曜日、私と六花が大好きなアニメを見て、家族団欒の時間を過ごしていた中で、突然お母さんが口を開いた。「お父さんとお母さん、離婚するから」と。
「え、どうして?」
「仲が悪くなったからよ」
私は意のままにリモコンを握って、電源ボタンを力強く押す。その横で、六花は「お姉ちゃん!!」と叫ぶ。しかし、六花の気持ちなど今の自分には関係ないと言わんばかりに、松島は両親に向けての気持ちを、心の底から叫ぶ。
「何それ、勝手すぎるよ!」
「ごめんね」
「どうして、急に離婚ってなっちゃうの?」
両親は共に黙って、俯いて、私たちから目線を逸らして……。親なのに、無責任だって、子供ながらに思った。
「何か言ってよ!!」
「お姉ちゃん、こわーい!」
姉が醸し出す迫力に負け、わんわんと泣き出す六花。慰めに行く母は、怯えた眼で私のことを見る。私、何か悪いこと、した?
「お父さんがね、仕事、辞めるんだって」
「……え」
「リストラ、されたんだ」
「何それ」
「従業員の数を減らすことになって、それで、お父さんもその中に含まれたんだよ」
私は、リストラの意味を知っている。つい最近放送されていたドラマで、たまたま耳にしたから。だから、リストラの意味を説明して欲しかったわけじゃない。分かっている。この後、家を追い出されるってことも。でも、何かの間違いであって欲しいと思った私は、確認するように、呟いた。
「じゃあ、私たち、この家から出て行かなきゃいけないの?」
「うん」
「え、じゃあ引っ越さないといけないの?」
「うん」
分かっていたこと。でも、溢れ出す涙は、しょっぱかった。
「引っ越すのなんて嫌だよ」
「志織、お姉ちゃんなんだから、我儘言わないで」
お姉ちゃんだから我儘言わないって、どういうこと? 私には分からないよ。
「だって、だって、夕ちゃんとも、栞奈ちゃんとも、誠君とはずっと一緒って、そう約束したんだもん!」
「ずっとなんてないんだよ」こう吐き捨てるように言う父親は、私のことを蔑んだような目で睨んでいた。
この時の父親の目は、何十年と経った今でも忘れられない。そして結局、私は引っ越しを余儀なくされ、保育園の頃から仲が良かった夕子、栞奈、誠と離れ離れになり、そのまま疎遠となっている。なんとなく想像はできていたけれど、小学校の同窓会のお知らせが届いたことは一度もない。年賀状も、引っ越ししたその年で終わり。私に、小学生時代の友達はもう、いない。
引っ越した先では、一応新しい友達もできたが、あまりクラスの中では馴染めていなかった。転校してすぐの頃はみんなが転校生というワードに興味があって、よく話かけてくれていたけれど、遊びに誘われても断ったり、リズムが掴みにくいとかと言われて、日が過ぎていくと、だんだんと話しかけてくるクラスメイトも減ってしまっていた。
そんな娘に対し、父は「大好きだよ」「愛してるよ」と毎日、しつこいと思えるぐらい言ってきていたが、毎日言われ続けると、本当に愛してくれているのか分からなくなっていた。それに、毎日言うという事自体が父親の中での日課みたいになっているような気がして、言葉に重みが感じられなくなっていた。
離婚してからも、転職した職業柄、毎日仕事仕事で、私が朝ごはんを食べている途中で家を出て行くし、夜も遅くまで帰ってこないという終い。週末ぐらい、父親と一緒に過ごしたり、どこかに出かけたりしてみたかったが、友達とか会社の付き合いだとか何とか言って、全く出かけてはくれなかった。だから、次第に志織は父親のことが憎くて、嫌いになっていった。
そもそも、離婚に至った1番の理由は、父の金遣いが荒いこと、だった。父の趣味はアウトドア用品を集めることで、しかも、家族以外の人達と行くキャンプ用のものばかり買っていた。自慢することが父の中では最終ゴールだったようだが、少し買い過ぎとかという文句を言うと、「自分で稼いだ給料なんだから、何に使ったっていいだろ?」というのが口癖で、そのせいで家族が自由に使えるお金は限られていた。その頃から、家族で旅行に出かけることは無くなり、車も中古でしか買えなくなっていた。
それ以外にも理由はあって、母から聞いたのは、父が家事を全くやってくれないのが原因だということ。だから離婚してからは、母が担っていた家事を全て私が受け継いだ。そして、今もその流れは続いている。当時を思えば、その働きっぷりは小学生じゃなく、ランドセルを背負う家政婦だった。
学校からはこちらの事情とか関係なしに宿題が出される。期限があるからやらなければならないのに、まだまだ料理には不慣れで時間もかかるし、怪我することもある。みんなは学校帰りに公園で遊んだり、習い事をしたりと楽しそうな生活を送っているのに、この頃の私にはそんな余裕は一切なかった。