第2話
星野は幼少期から中学校を卒業するまでのおよそ10年間、子役として芸能活動を行っていた。これは、星野自身ではなく、母親が望んだことだった。
星野は、いわゆる芸能一家の生まれ。父親は大学2年のときに、所属していた演劇サークルの公演を見に来ていた関係者から声を掛けられ、そのまま俳優デビュー。数々の有名作品に出演してきた経歴を持っていて、55歳となった今でも、第一線で活躍をしている。一方の母親は10代後半のとき、女性アイドルとして一斉を風靡していた。20代、30代は主婦として、また2人の子供を育てる母親として家を支え、56歳を迎えた今は、歯に衣着せぬ発言が若者世代から人気を呼び、再びテレビに出始めている。
そうした両親の影響も少なからず受けている星野だったが、子役として仕事をしている理由はそれだけではなかった。星野には6つ離れた兄がいて、星野に自我が芽生えた頃から、兄が子役の仕事をしていたために、何となく子役に対する憧れを持っていた。そして、気付けば自然な流れで芸能事務所に所属し、同じように仕事をすることとなったのだ。
当時5歳だった星野は、演技という仕事に興味があるわけでもなく、そうかと言って仕事が嫌いなわけでもなかった。その頃は訳も分からず、ただただ厳しい母に言われるがまま、仕事場に連れていかれ、そして、望んでもいないオーディションを受けさせられる。そんな感じだった。それでも星野は嫌だと反抗することもなければ、負の感情を表に出すこともなかった。大人しく指示に従うことこそが、幼い星野からすれば母を怒らせない方法なのだと、勝手に解釈していたから。
ただひとつ、子供でも不思議に思うことがあった。それは、どんな態度でオーディションを受けたとしても必ず合格していたこと。喜ぶ母親の手前、悪い態度を取っていたとも言えず、それっぽく嬉しいといった感情をむき出しにしていた星野。その当時は、ほかよりも自分が優れているだけ、と言い聞かせて、それ以上のことを考えないようにしていたのだが、小学1年生になった4月のある日、合格し続けていた裏の事実を知ってからは、例え合格を言い渡されたとしても、自らの口で断り続けるようになった。
そして、星野の取った行動は瞬く間に母親の耳へと入り、その日の夕方には、母親から御目玉を食らうことに。しかし、星野は初めて母親の前で怒ってみせた。
「なんで合格したのに、自分から断ってんの?」
「だって、ママとパパの力が働いての合格だから。そんなの、嬉しくないもん」
「私はね、あなたのためを思って偉い人たちに言っているのよ。どうしてそれが分かってくれないの?」
「分からないよ。僕はママじゃないから」
いくら叱っても、言っても聞いてくれない息子のことを見かねた母親。5月、6月とはオーディションを受けることなく、子役としての仕事は全くしていなかった星野。このまま子役として仕事をしなくてもいいかもしれない、と思っていた7月。もうすぐ初めての夏休みを迎えようとしていたある日の夕方、いきなり、「次のオーディションに落ちたら、芸能活動をやめよう」と言って来た母親。
「どうせまた、ママが偉い人たちに言うんでしょ? 僕を合格させてって」
「ううん。今回は言わない」
「絶対?」
「うん、絶対」
母親のことが100パーセント信じられているわけではない星野だったが、これ以上何も言わず、「はい」と言って頷いた。母親から向けられる視線は、恐ろしいぐらい、とてもやさしいものだった。
そして迎えた、子役人生最後のオーディション当日。やる気満々でいる他の子役たちとは違って、星野は落ちる気満々でいた。周りは、事前に知らされている台詞を繰り返し練習しているというのに、星野は会場の隅っこ、小さな身体から食み出るほどのリュックサックを背負ったまま座り、ぼんやりと遠くを見たり、爪をカチカチと鳴らしてみたり、とにかく暇を持て余していた。
10時ちょうど。オーディションの開始を告げるアナウンスが会場全体に響き渡る。
子役たちは荷物を置いて、列をなし始める。星野は、二列目のまた一番端っこ、自分よりもはるかに背の高い男の子の後ろにひっそりと、目立たないように突っ立って説明を聞く。小学1年生の星野でも分かりやすいような表現の言い回しがされる中、オーディションに本気で向き合う子役たちの眼からは、燃え滾る炎が見えていた。
「続いて11番」
回ってきた星野の番。一応、決められた位置まで歩み寄ったものの、台詞は当然覚えているわけもなく、冷たい視線が浴びせられる中、棒立ちを続けた星野。沈黙に負けた1人の男性(のちに作品のプロデューサーということを知る)が、小さい声で何かを呟き出す。その声に耳を傾けていた銀縁丸眼鏡の中年男性が、「君、名前は?」と、低い声で星野に問いかける。
「星野昇多です」
「台詞は、覚えていますか?」
「すみません。覚えていません」
「そうですか。ふん、では、何か我々に言っておきたいことは、ありますか?」
「ありません」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
6歳の小学1年生に対しても丁寧な言葉遣いをするその男性は、冷めた目をしていた。そして耳に聞こえてくるのは、星野を蔑む声や、非難する声。それでもなお、星野は促されるまで、その場に立ち続けた。
「そうですか。それでは次の――」
そう言っている途中で、ボールペンが落ちる音が聞こえた星野。去り際にさり気なくそれを拾って、「どうぞ」と言って手渡す。そのときに、銀縁眼鏡の男性から耳打ちされた言葉。その瞬間に、星野はハッとした。
オーディションが終わったのは、12時過ぎ。子役たちが一斉に会場を後にしていく中、星野はただ1人、会場に残っていた。壁掛けの時計がカチカチと音を鳴らし、時を刻み続ける。だだっ広い空間に、ぽつんと座る小さな星野。怯えながらも、その時が来るのを静かに待っていた。
―バタン
首から上をガクンと下げながら歩いてくる男性。表情は読み取れない。
「お疲れ様です」
星野が立ち上がってそう挨拶すると、顔を上げて微笑んだ銀縁眼鏡の男性。そして開口一番、こう伝える。
「星野昇多くん。このオーディションの合格者は、紛れもなく君だ」
と。
「ほ、本当ですか?」
「あぁ、本当だよ」
「あの、僕、台詞も覚えてなかったし、態度も悪かったと思うんですが」
「へへへ、いいんだよ、それが良かったんだよ。いやぁー、実はね、やる気がない子が欲しくてね。まさに君は当たり役の人材なんだ」
ニコッとした銀縁眼鏡の男性は、さらにこう続ける。
「君のことを一番に気に入ったのは、僕の隣に座っていたプロデューサーなんだよ。並んでいるときから目星をつけていたみたいでね。待っている時の態度の悪さも、可愛くていい感じだって、褒めてた」
「そう、ですか」
「しかもね、プロデューサーだえkじゃなくて、実はあそこにいた全員が君の虜になっているんだ。君はきっといい俳優に化ける。親御さんの血筋とか関係なくね」
瞬間、星野は喜色を満面に出す。今回の結果は親の力とか関係なく、初めて自分の手で合格できたのだ、と実感できたから。羽が生えて、このまま空の彼方まで飛んでいけそうなぐらい、嬉しかった。
今まで受けたオーディション、これは自分で掴み取った結果ではなかった。毎回、”親の捏ね”で合格し続けていたから。その理由としては、業界で働く大人たちの間で、「星野昇多を不合格にすれば、この世界で働けなくなる」という噂が密かに広まっていたこと。この裏の事情を知った星野は、大人からすれば、自分のことが一番大事で、子供の気持ちを尊重することなんてどうでもよかったのだろうと思えていた。
最終的な結果としては、周りの子役たちと比べると、やる気がないということが審査員たちに刺さったようで、まさかの合格。そのことを母親に報告した星野。星野の力だとは思いつつも、どこか自分の影響が出ていると思い込んでいる母親は、ただただ冷静に「良かったわね」とだけ言って微笑んだ。星野は「ありがとう」と伝え、銀縁眼鏡の男性から言われたことは、自分の心に仕舞い込んで、頑丈な鍵をかけることにしたのだった。
そして、このオーディションでの合格が、星野の子役人生を華やかにしてくれるのだった。