第3話
一度目の転生が中止になってからちょうど1か月。時刻は16時30分手前。本来なら転生する時刻の1~2時間前頃に現地に到着できるようにしているが、今回は高坂たっての希望で、夕食の時間から一緒に過ごすべく、星野は15時に退社し、最初に尋ねたときと同じ店のバームクーヘンを手みあげに持って、再び高坂の家を訪れた。
「――ピンポーン」
「はーい」
「こんにちは。代行サービス運否天賦の星野です」
「はいはい。ちょっと待ってね、今開けるから」
「ありがとうございます」
インターホン越しに聞く高坂の声は、少し元気がないように思えた。そして、ドアが開き、中から顔を出した高坂。ダウンジャケットの下にも服を着重ね、首にはストールを巻き、温かそうな生地のスカートを履いている。でも、その隙間から覗く高坂の身体の感じ。知り合って数か月の星野が見ても分かるほどに表情が乏しくなり、全体的に肉がなく、骨が目立つようになっていた。
「来てくれてありがとう。どうぞ、上がって」
「お邪魔します」
靴を揃えて置き、足を踏み入れる。高坂の家には来客用のスリッパはなく、靴下のままで廊下を歩く。そのために、床の冷たさが靴下越しに伝わってくる。思わず身震いをする星野。高坂は何ともなく歩き続ける。
「ごめんね、まだお夕食の準備をしている途中でね」
「いいですよ。あ、何かお手伝いしましょうか?」
「ううん。大丈夫。それに星野君にはお料理の内容、内緒にしていたいから」
「そうですか。では、すみません、お言葉に甘えさせていただきます」
「すぐに作るからね、ちょっと待っていてね」
「はーい。ふふっ」
歩く高坂の後ろをついていく星野。歩幅は小さくなり、転ばないように一歩ずつ確実に歩いているような感じだった。
部屋に入ると、ストーブならではの暖かさで包まれていて、どこかホッとするような感じに包まれる。キッチンへと向かって歩き出す高坂に、星野が後ろから呼び止める。
「高坂さん」
「はーい。何かしら?」
「退院、おめでとうございます」
紙袋の中から小包を手に取り、それを高坂に差し出す星野。高坂は「開けていい?」と子供のような笑みを浮かべて星野を見る。
「もちろん。気に入ってくださるとうれしいのですが」
包みを開ける高坂。中身が見えた瞬間に、パッと顔色が明るくなる。
「これ、高級店のティーバックじゃない。いいの?」
「えぇ、是非お飲みください」
「ありがとう。転生から帰ってきたら、楽しみに飲ませていただくわね」
「はい」
「でも、もうこの歳でおめでとうなんて、なんだかむず痒い」
「そんなこと言わないでくださいよ。まだまだお祝いさせてください」
「ふふっ、本当に星野君はお優しくていい方ね。よかったわ、あの頃と変わっていなくて」
「え?」
「あ、ううん。何でもない。お料理できるまで、待っていてね」
「はい」
星野は気持ち頭を下げ、会釈する。
「あの、よかったら、これ、富子さんへのおみあげに」
「あら、いいの?」
「今回はお抹茶のバームクーヘンです。富子さんの居場所を突き止めた友人が、富子さんがお抹茶を好きでいると聞いたようで」
「そう。もう富子も子供じゃないものね。抹茶ぐらい、好きよね」
洟をすすり、涙目になる高坂。すっと涙を拭って、笑顔を浮かべる。
「ありがたく使わせてもらうわね。あぁ、富子へのおみあげができてよかった。何あげようか迷っていたのよ。本当助かったわ」
「いえ、高坂さんのお助けができて良かったです」
キッチンに立ち、高坂は途中だった夕食づくりを再開する。その間、どうしても星野のことが気になって、チラチラと見てしまう。すると、椅子に座っている星野と目が合い、高坂は意を決して口を開く。
「あのね、星野君。この前聞けなかったことがあるの」
「どんなことでしょう?」
「キャンセル料って、どうなっているの?」
「キャンセル料……、ですか」
「ほら、先月、入院しちゃって一度キャンセルしてプランを変更したでしょう? だから、そのキャンセル料は、どうなっているのかしら?」
「すみません……、キャンセル料のこと何も考えていなくて」
「えっ、そうなの?」
「至急、同僚と相談するので、少しお時間いただいてもいいですか?」
「ええ。その間に夕食を完成させておくからね」
「はい」
ポケットからスマホを取り出し、田辺に電話をかける星野。そのやり取りはシャットアウトして、高坂はフライパンで肉を蒸していく。この音を聴くのも、誰かのために料理を振る舞うのも、久しぶりのことで、高坂の気分も少しばかり高揚している。
「高坂さん、キャンセル料のことですが、今回はいただきません」
「どうして?」
「高坂さんの場合、体調不良でのキャンセルです。致し方ないことと判断しました。なので――」
「でも、お仕事の予定狂わせてしまったわ。お金、払わせていただけないかしら」
「これは僕だけの判断ではありません。同僚と話し合った結果ですから」
「そう……。それじゃあ、その言葉の意味をそのまま受け取らせてもらうわね。ありがとう」
「いえ。こちらこと、キャンセル料のこと聞いていただいてありがとうございました。僕も副社長もすっかり忘れてて」
「お二人とも、少しおっちょこちょいなのね」
「ですかね。ははっ」
それから10分。料理を盛り付けた皿を手に、星野が待つテーブルへ運ぶ高坂。星野は、料理の匂いを感じ取り、段々と表情を晴れやかにしていく。
「はい、お待たせ」
「えっ、これって」
「そうよ。今もお好きかどうか分からなかったんだけど」
「好きです、大好きです! ハンバーグ、しかも綺麗な円形の!」
「良かったわ。昔テレビのインタビューで言っていたものね、お母様が作るお月様みたいなハンバーグが大好きだって」
「懐かしい。覚えていてくれたんですか?」
「もちろん。富子も健蔵もハンバーグが大好物だったから、ついあの子たちのことも重ねちゃってね」
「そうだったんですね。嬉しいです」
「さぁさぁ、食べましょう」
「はい」
高坂が数年ぶりに作ったハンバーグ。中にもしっかりと火が通っていて、それなのに噛むたびに肉汁がぶわっと溢れてくる。母が作るハンバーグも好きだが、高坂の作るハンバーグも好きだと思えた星野。終始口元がにやけている。そして星野と高坂は、一緒に食べる最初で最後の夕食のひと時を楽しんだ。