第6話
迎えた転生当日は、秋らしい太陽が柔らかな温度で、まだ蕾のままのコスモスに光を照らす。だいぶ日の入り時刻が早くなってきたものの、まだ山の向こうでは色濃くオレンジ色の空が広がっている。星野は、その山と高坂が手入れしているコスモス畑を被写体に、スマホで写真を撮っていく。今日も良く晴れている。夜も晴れたまま。このままいけば、順調に満月の下で転生することができる。毎月ある満月でも、やはり転生するとなると気分は興奮しっぱなしの星野。今日も、やる気と元気に満ち溢れている星野は、興奮と心配とを胸に秘めて、高坂の自宅のインターホンを鳴らす。
「――ピンポーン」
「・・・・・・」
「――ピンポーン」
「・・・・・・」
家の中から遅れて聞こえる、インターホンの音。玄関の扉に向かって、星野は声を張って呼びかける。
「高坂さーん、星野です」
「・・・・・・」
「高坂さーん、高坂さーん、いらっしゃいますかー?」
いくらインターホンを鳴らそうとも、声を張って呼びかけようとも、高坂が出てくる気配がない。もしかしたら、買い物にでも出ているのだろうか。そう薄々思いながらも星野はドアノブをゆっくりと回す。すると、それと呼応するように、ドアがぎぃぃと古びた音を鳴らしながら、ゆっくりと開いていく。
「高坂さーん、すみませーん、星野昇多です。お邪魔しますね」
玄関で靴を脱ぎ、わざと足音を鳴らしながらリビングへ入って行く。電気が付けられたままの部屋。星野が恐る恐るドアを開けて中に入るなり、目に入ってきたのは、床にうつ伏せ状態で倒れている高坂の姿。テーブルの上には弁当の蓋が置かれたままになっていて、床には弁当の具材が散らかった状態で落ちている。
「高坂さん、高坂さん! 大丈夫ですか!」
「・・・・・・」
「高坂さん! 星野です! 高坂さん!」
うっすらと開く目。強張ったように動く手の指。乾いた声で高坂は星野の名前を呼ぶ。
「高坂さん、今、救急車呼びますからね」
「あ、あぁ・・・」
スマホを操作し、救急車を要請する。そのとき目に映る、大量の薬。種類は全部違うからオーバードーズとかそんな感じじゃないことだけは、すぐに分かった。でも、その薬が一体何の薬なのかまでは、流石に分からない。本当ならお薬手帳とか、そういうのが必要なはずだが、どこにあるかも知らなければ、現状の高坂さんに尋ねることはできない。星野は咄嗟の判断で、机の上に散らばっている薬を拾い集め、それを持っていたジッパー付きの袋に入れていく。
「はい、よろしくお願いします。失礼します」
スマホの画面がホーム画面へと戻る。夜空に浮かぶスーパームーン。今日もまた、月が昇る。
救急病院の個室、ベッドの上で眠っている高坂。その横、丸椅子に腰かけ、星野は指同士を絡ませ合いながら俯き、自分の足元を見続ける。星野が付けている腕時計。針は20時15分をさしている。
高坂が目をしばしばとさせながら開くと、見覚えのある天井が広がっていた。高坂はあぁ、と小さく息を吐く。
「・・・坂さん」
微かに耳に届いた男性の声。心配しつつも、少し安堵したといったような声色をしている。
「高坂さん。よかった。よかったです」
ゆっくりと声がしたほうを向くと、そこには下唇を噛み、手を小刻みに震わせながらこちらに全身を向ける星野の姿があった。高坂は目をぱちぱちとさせ、その一瞬ですべての状況を読み取り、ゆっくりと頷く。
「また倒れていたのね」
「僕が駆け付けた時には、既に」
「そう」
高坂は額に皺をよせ、「そう」と呟く。また人様に迷惑をかけてしまった。胃が締め付けられる感覚が襲う。
「あの、さっき『また倒れてた』っておっしゃいましたけど、過去にも倒れられていたってことですか」
「そうよ。でもね、毎度誰かさんに気付いてもらえて、こうして病院に運ばれて、治療を受けられているのよ。ふふっ、死の淵には行くのにね、なかなか向こうの世界には連れて行ってもらえないのよ」
高坂の目は気力を失ったように光を消す。
「もしかして、やっぱりお体の調子が良くないんじゃないですか」
息苦しそうにしながら聞く星野。
「あぁ、そうだよ。先が長くないと言われているって言ったけどね、本当は、あと3か月の命と言われていてね。ごめんね、言えなくて」
「そ、そんな・・・・・・。何かの間違いじゃ――」
「間違いじゃあないよ。星野君だって見ただろう? 机の上に置かれてあった薬の数を」
「・・・・・・」
星野の発言を遮り、強く否定する高坂は、何もかも諦めているような表情を浮かべる。その表情を星野は見ないように俯き、不甲斐なさと向き合っているように見えた。そして高坂は、脳裏によぎったことを、嘘偽りない本音を口にする。
「あれが、現実だよ。だからね星野君、娘に会うことを諦めようと思う」
「ど、どうしてですか。もしかして、会うのが怖くなったとか、そういうことですか? だったら、僕が全力でサポートしますよ。高坂さんが安心して娘さんにお会いできるようにしますよ」
「怖くなったとかじゃないんだよ。私は、死ぬ前にもう一度娘に会いに行きたいし、話をしておきたいとは思っているよ」
「じゃあ猶更諦めちゃダメですよ」
「でも、持病も悪化しているし、この体力じゃ流石に厳しいと思うの。それに、これ以上星野君に迷惑はかけられん。だから、もうこれを機に――」
「そんなこと仰らないでくださいよ」
涙を流さんばかりの声高で言う星野。しかし高坂はこんなところで、星野にどんなことを言われたとしても、食い下がるつもりはない。高坂の声にも感情が籠り始める。
「私は、転生には興味があるが、死ぬことを思うと、最期は高坂由紀乃として迎えたいんだよ」
高坂は、自分が我儘なことを言っているという自覚はあった。ただ、どうしても譲れないこともある。それに、星野なら、きっと自分の夢をかなえてくれると思っていたから、だからこう伝えた。すると星野は腕を組み、顔を落とし、靴先を軽く鳴らした後、よし、と言って顔を上げた。
「それなら、転生する期間を設けましょう」
「期間?」
「僕らの会社は、転生するとなれば、その人の生涯まるごと、というのをプランAとして提供しているのですが、今回は僕のほうから高坂様にプランBを提案したいと思います」
「そのプランBは、転生の期間が短くていいってこと?」
「はい。例えば、3日間だけ転生するというのはどうでしょう? 持病のこともありますし、転生というのも体力を奪われてしまいますから。それに、転生すると性格が変わってしまう恐れもあるので、短い期間であれば、高坂様の負担も少ないでしょうし、高坂様のご依頼を叶えることができるかと」
「でも、もう今日の転生は難しいんじゃないの?」
「高坂様の体調のこともありますからね。なので、今回の転生は一度キャンセルし、先ほどお伝えしたプランBのほうで、来月の満月の日、12月8日にもう一度チャンスをいただけませんか?」
「チャンスをくれって言うのは私のほうじゃよ。星野君、こんな老いぼれだけど、最期の望みを、叶えてくれるかい?」
「もちろん。どんなことでも、お手伝いしますから」
目を閉じて感謝の意を伝える高坂。星野はその目を見て、こくりと頷く。
「今は元気になることだけを考えてください。僕のことは何も心配しなくていいですから。それに、富子さんのほうには僕から連絡を入れておきますから」
「ありがとう」
「またお邪魔しますね」
「助かるよ。ありがとうね」
「では、Let’s meet again on a full moon night」
病室を出て、柔らかな間接照明の光で包まれた廊下を歩き、星野はそのまま病院を後にする。溢れそうになる涙を流さないために、顔をグイッと上に向ける星野。皆既食が終わりを迎えようとしている月が浮かんでいる。赤黒いその月は地球へと、いつもと違う姿を見せていた。星野は再びカメラを向け、写真を撮る。出来栄えは最高だった。