第3話
高坂はひとつ咳払いをして、目の前に座る推しの星野に、自分の過去の話を語り始める。
「改めて、私の名前は高坂由紀乃。先月で82歳になった」
「えぇ、82歳! 見えないですね。60代ぐらいかと思ってましたよ」
「またまた、お世辞がお上手なこと」
「へへへ」
「ふふっ」
上品に笑う高坂を見て、星野はつい口元が緩む。
「じゃあ次は、転生したらどんなことを一番にやりたいか、お聞きしてもいいですか?」
「そうだね、一番と言われれば、まあ叶わない願いだけれど、おじいさんと子供たちの5人で、平凡で穏やかな生活を送ることだけどね。それは難しいし、できないでしょう?」
「僕が、昔に転生できる能力があれば良かったんですが、すみません」
「星野さんが謝ることじゃないわ。昔に戻ることなんてできないと分かってて言ってしまったの。無茶なこと言ってごめんなさいね」
「い、いえ。お気になさらないでください」
少しだけ沈黙した2人。星野の問いに、高坂は真剣な眼差しで答える。
「改めて一番にやりたいことは、今のうちに娘、長女に会いに行くことだろうね。身体のあちこちがもうボロボロでね。先がもう長くないよって言われているの。だからね、できれば病気をする前の身体に戻って会いたいかな」
「分かりました。では、次はその娘さんについて――」
「ごめんね。なんにも知らないの」
「え」
「娘とは、もう何十年と会っていなくてね」
「それは寂しいですね」
「仕方ないんだよ。縁を切られたも同然の状態だからね」
言葉に詰まる星野。高坂は目頭が徐々に熱くなっていくのを、必死に堪えていく。
「失礼なことを重々承知なうえで訊かせてもらいたいんですが、何かそういうことになってしまう原因があった、ということですよね」
「あぁ。私の娘はね、これが原因で家を出て行っちゃったの」
高坂は箪笥の引き出しにしまってあった何枚もの紙切れを手に取り、星野の前に並べていく。
「あの、失礼ですが、これって・・・」
「そうだよ。おじいさんがね、その昔詐欺に引っ掛かってしまってね。お金も散々持って行かれて、娘が大学を辞めなきゃいけなくなっちゃったの。あの娘、将来は弁護士になるっていう夢を持っていたからね、余計許せなかったみたいなの。それでね、当時付き合っていた彼氏と駆け落ちしちゃってね。それ以来、ずっと会っていないの」
「そうですか。あの、よろしければ、その詐欺に引っ掛かってしまったことも含めて、過去のお話しも、ぜひお聞きしたいのですが」
「話せば長くなるけど、それでも訊いてくれるかね?」
「もちろんです。しっかり聞かせていただきます」
星野はメモを書く手を止め、ボールペンのペン先を戻し、テーブルの上に置く。こういうちょっとした行為ひとつひとつが、星野の人の良さを物語っている、幼少期の頃から変わらずそのまま成長してきたのだろうと、高坂はひとり、親目線でもなければ、他人目線でもない、ちょっとした知り合いの目線で見てしまっていた。
「旦那の勲男さんが引っかかった詐欺は、いわゆる、昔の連れとのお金絡みなの。そのお友達のことは、わしも知っている人でね、当時同じ工場で働いていた男性。でね、その方がお金に困ったから助けて欲しいって、泣き付いてきたのよ。それで、勲男さんは人が困っていたら助けてあげなきゃっていう、強い正義感の塊の男だったからね、少しずつお金を渡しちゃったの。気付いたときには、もう手遅れ。子供のためにずっと貯めてきたものも、この家のローンのため用のお金も、すっからかんになってたの」
「そのことを、高坂さん自身は知っていたんですか?」
「私は、あとから知った。泣き付いてきたとき、1度きりだと言ってお金を渡したのは知っていたんだけど、まさかその後もお金を渡し続けてるとは思わなかった」
「そのことに気付いたキッカケは?」
「通帳を見た時に、あきらかに減っていたからね、そこで気付いたの。それで勲男さんを問い詰めた。『その方に騙されてるんじゃないの?』って。そしたら、『俺はそう簡単に騙される男じゃない』って意地張っちゃって。騙されてるって気付いていなかったのよ」
星野は俯き、瞬きを早くする。無意識に起きる生理反応。どうやっても止められない星野。落ち着いたトーンで尋ねる。
「その方とは、その後どうなりました?」
「その方とは縁を切った。まぁ、その方は昔の同僚たちから同じようにお金を集めていたみたいでね。嘘言ってお金を集めていたから、逮捕されたのよ」
「それは良かった」
「勲男さんはその当時働いていた会社を辞めて、給料がいい建設業で働き始めたんだけど、肉体労働だったから、次第に体を壊していっちゃってね。だから、私も働かざるを得なくなって。もう今は借金していた分は返済したんだけど、老後の為のお金もないから、一人寂しく年金暮らしをしておるということなんだよ」
「そうだったんですか」
星野は再び言葉に詰まる。由紀乃は紙切れに視線を向けながら、星野に向けて語りを続ける。
「長男は父親が簡単に騙されたことがキッカケとなって警察官になるっていう夢を持ち始めたんだけど、長女はそうはいかなかった。入りたい大学のために、なりたい職業のために、必死に勉強をしていたんだけど、やっぱり将来のために貯めていたお金が無くなったことが、相当許せなかったみたいでね。その反動か、悪い輩と絡むようになっちゃってね、そこの組長だった年上の男性と逃げるように家から出て行った」
「そこから、一度も?」
「ううん、一度だけね、謝罪の手紙が届いたの。『お母さんを傷つけるような行動をしてごめんなさい』って。それで、謝らなくていいよっていう手紙を、手紙に書かれていた住所に送ったんだけどね、届くことなく返って来た。だからね、その時以来、もうずっと音信不通。今もどこで何をしているのか、まったく知らないの。ごめんなさいね」
「高坂さんが謝ることではないですよ。あの、その娘さんから届いたお手紙は、今お持ちですか?」
「ええ。ちょっと待ってね」
高坂は椅子から腰をあげ、3段の小さな引き出し、丸い取手を引く。中から1通の手紙を手に持ち、それを星野に差し出す。星野はそれを静かに持ち上げ、小さく「ありがとうございます」と言って、封筒の裏面を見る。可愛らしい丸文字で、高坂富子という名前と、住所が書いてあった。
「高坂さんは、この地名の場所に、娘さんを連れて行ったことはありますか?」
「いいえ。私ひとりでも行ったことがない場所よ」
「そうですか。あの、よろしければ、このお手紙、一度こちらでお預かりしたいのですが」
「私は別に構わないけれど、預かってどうするの?」
「僕の友人の一人が、この地域に住んでいるんです。その人物に聞けば、何か分かるかも――」
「そんな都合がいいこと・・・」
「あるんですよ。運命なんです、すべてが」
「そうね。運は天に任せる、ものだものね」
「はい!」
星野は力強く頷く。高坂は、穏やかに微笑んだ。