第2話
浮かれた気分扉を開ける由紀乃。星野はつい5分前と全く同じ状態で立っていた。
「お待たせ。どうぞ入って」
「ありがとうございます。お邪魔します」
広めの玄関に置かれているのは、由紀乃が履きなれているスニーカー一足のみ。星野はその隣に高校時代から愛用しているローファーを、綺麗に揃えて置く。際立つスニーカーの小ささ。星野はふっと微笑む。
「随分とお綺麗にされてるんですね」
「一人なのに、って思ったんでしょ?」
「いえ、そんなことはないです」
「スーパー以外に行く所もない老人なんて、掃除ぐらいしかやることがなくて暇なのよ。それで、いずれはここも手放すことになるだろうから、せめて売却するまでは、おうちだけでも綺麗な状態にしておいてあげたくてね」
「お元気な証拠ですね」
「ありがとう」
リビングへとつながるドアが、由紀乃の皺だらけの手によって明けられる。全体がアンティーク調の家具で揃えられていて、天井からは一部にステンドグラスが施された照明器具がぶら下がり、煌々と優しく空間に色どりを与えている。
「すてきなお部屋ですね」
「もう、今はこの空間でしか生活していないのよ。だから、昔よりは散らかってしまってるんだけどね」
「そうなんですね」
「勿体ないとは思っているのよ。でも、この歳になると階段の上り下りが大変でね、月に1回の掃除のタイミングぐらいでしか、行かないのよね。いつか、賃貸でもいいから、だれか使ってくれたらいいんだけどね」
「僕、この家住んでみたいな」
「住んでくれるのかい?」
「はい。ぜひ。いつか、いや、絶対住みます」
「ありがとうね」
テーブルの上に置かれている食パン。バッククロージャ―は中途半端に袋を止めている。
「飲み物、何がいいかしら?」
「何でも飲めます! 好き嫌いないですから」
「ふふっ、そうなのね。それじゃあ、レモンティーなんてどうかしら? たぶん、いただきものに合うと思うんだけど」
「合いますよ、お渡ししたの、レモンが練り込まれたバームクーヘンなので。それに、店員さんにおすすめされたんです。紅茶と一緒に食べると美味しさが増すんですよ、って、」
「あら、そうなの。じゃあ、私はストレートにしようかしら」
「それもいいですね」
星野は初対面の高坂に対して、人懐っこい子犬のように愛想を振り撒く。湧いていく水、ポットの中で激しくダンスをし始める。
「そういえば、お名前、星野君っておっしゃっるのよね?」
「はい」
「星野君って、子役やられていたでしょ?」
「(照れ笑い)ご存じなんですね。ありがとうございます」
「もちろん。ふふふ、引退してから、こんなに大きくなっていたのねえ」
「(はにかむ)よく言われます。それに、嬉しいです。知っていただいていて」
「亡くなったおじいさんと応援していたのよ。我が子の成長を見守っているみたいにね」
「ありがとうございます。嬉しい」
由紀乃は食器棚の中から、お揃いのティーカップを取り出し、ダイニングテーブルの上に運ぶ。そして、沸き立てのお湯をティーバックに注いでいく。そして、フルーティーな香りが鼻を掠めていく。
「ねぇ、星野君は、今どんなお仕事をされているの?」
「実は、今年から社長業をはじめまして」
「えぇ、あの星野君が社長さん? びっくり」
「はい。あ、これ、よかったら。僕の名刺です」
「ありがたく、頂戴します」
星野から名刺を受け取った由紀乃は、首から吊るしていた老眼鏡をかけ、眺め始める。
「代行サービス運否天賦?」
「そうです」
「どんなことを仕事にされてるの?」
「転生を生業にしてます。なかなか依頼が来なくて大変なんですけどね」
「転生・・・?」
「はい。驚かれると思うんですけど、僕、人に転生できる能力を持ってて、それを生かして、依頼をくださった方の元に直接お話を聞きに行って、それで僕がその依頼主の方に転生するという、まぁそんな感じですね」
「へえ、面白そうね」
「まだ依頼としては1人しか来てないんで、まだまだですけど」
「そうなの? でも、いつか人気が出るんじゃないかしら?」
「そうだと良いんですけどね」
由紀乃は冷蔵庫から瓶を取り出し、シロップ漬けになったレモンを箸で掴み、それを紅茶の中へ入れる。レモンの華やかな香りがふわっと漂う。
「お待たせ。お口に合うかしら」
「ひとくち、飲ませてもらってもいいですか?」
「えぇ、どうぞ、どうぞ。あ、バームクーヘン、さっそく切らせてもらうわね」
「僕がやりますよ」
「大丈夫よ。星野君はお客さんなんだから、ゆっくりしてて」
「すみません、ありがとうございます。お先にいただきます」
「どうぞ」
星野がティーカップを口に付けて、味わうようにレモンティーを飲む。その様子を微笑ましく見ながら、由紀乃は白い箱の中からホールのバームクーヘンを取り出し、包丁で切り込みを入れていく。
「あら、美味しそう」
「僕、お店の常連ではあるんですけど、レモン入りのバームクーヘンは初めて購入したんです。高坂さんのお口に合えばいいなと思って」
「レモン好きだから嬉しいわ。ありがとう」
「いえ。あ、レモンティー、すごく美味しいです」
「お口に合ったようなら良かった」
「初対面の人物なのに、ありがとうございます」
「ふふふ。いいのよ、気にしなくて。それに、昔から応援していた星野君をおもてなしできて、嬉しいもの。引っ越して来てくれてありがとうね」
「これからしばらくの間、よろしくお願します」
「こちらこそ」
それから2人は紅茶を飲みながら、バームクーヘンを頬張った。高坂には分かっていた。星野が、自分に遠慮をして、バームクーヘンを少量しか食べていないことを。そして、紅茶を瞳を輝かせながら美味しそうに、大切に一口ずつ味わいながら飲んでいることを。
「ねぇ、星野君」
「はい」
「お仕事の内容のこと、少しお話し聞いてもいいかしら」
「はい」
「星野君は、どんな依頼が来ても、その方に転生するの?」
「はい。無理難題そうな依頼でも、性別年代関係なく転生できるんです。過去や未来、異世界には転生できないんですけど」
「つまりは、現代限定の転生ということなのね」
「そういうことです」
「じゃあ、こんな老人にも転生できるの?」
「できますよ。あ、僕にお仕事、依頼されます?」
「折角のご縁だし、依頼させてもらおうかしら」
「いいですよ。じゃあ、高坂さんの今から過去のお話しを聴きたいので、準備させてもらってもいいですか?」
「もちろん。ふふふ、楽しみだわぁ」
星野はポケットに忍ばせておいたメモ帳と3色ボールペンを取り出し、テーブルの上に広げる。
「では、今から色々と質問をさせていただきます。自然体でお答えくださいね」
星野はにっこりと微笑む。好青年さが際立つ星野に、由紀乃は再び虜になっていた。