第1話
わしの名前は高坂由紀乃。9月22日で82歳になりました。もう、いまはお迎えが来るのを毎日待つだけじゃよ。昔なんて、お友達と高級街へショッピングに出かけたり、少し背伸びして社交ダンスを習ってみたり、それなりに老人生活を楽しんでいたんだが、おじいさんが6年前に亡くなって、2か月前にお友達のよしちゃんも病気で亡くなって、ひとりになったら、もうなんも面白くなくなった。今は年金だけで暮らしとるからね、節約してばっかりの生活じゃよ。それでも、毎日平凡に暮らしておる。ちょっと刺激が欲しい気もするがね、ほほほ。
*
例年より少し気温の高い10月。庭先の秋桜は、疎らに咲いていて、まだご近所の人たちを和やかに楽しませられるような状態ではない。
高坂由紀乃が暮らしているのは、旦那が働いたお金で建てた2階建ての一軒家。築年数で言えば、もう40年近くになるボロ屋だが、掃除好きで園芸好きで世話好きな高坂の手入れのおかげで、中も外も比較的綺麗な状態を保っている。そんな高坂が一番手入れに時間と労力をかけているのが、庭での園芸。春は菜の花、夏は向日葵、秋は秋桜、冬はアネモネと、場所を変えて年がら年中、何かしらの花を植えている。近所の住人たちからは好評で、保育園の子どもたちの散歩道にもなっていることから、花が開花するといつも喜んでいる。その様子をみて、高坂も心の底から嬉しくなり、お金のことなんて忘れて、生きる活力をもらっている。ただし高坂は、一度や二度、いや、もっとたくさん、この家をリフォームして賃貸にするなりして、自分は老人ホームなりに入ろうという考えを巡らせていた。しかし、家族と過ごした大切な時間や思い出が詰まっているため、現状、ずっとここで一人暮らしを続けている。ただ、年齢のことも考えると、そろそろ相続のことも子供に言わなければならないと思っているが……
「――ピンポーン。ピンポーン」
真新しいインターホンの画面が光る。由紀乃は「はぁい、どちら様?」と言って画面を覗く。その画面に映っているのは、ラフな格好の星野昇多。少しだけ寝ぐせが付いている。
「隣に越してきた星野昇多という者です。ご挨拶に参りました」
「今開けますので、少しお待ちください」
「ありがとうございます」
由紀乃がゆっくりと玄関の扉を開けると、そこには右手に紙袋を持った星野が立っている。少しだけ頭を下げた状態で。
「こんにちは」
「こんにちは。改めまして、すぐ隣の家に引っ越してきました、星野昇多と申します。あの、これつまらないものですが、よろしければ、皆さまでお召し上がりください」
「あら、わざわざありがとうございます。まぁ、こんなお高いものを。私ひとりで食べきれるかしら」
「おひとり、なんですか?」
「えぇ。この歳になるとねぇ・・・」
「あの、失礼ですが、ご家族は・・・」
「おじいさんはもう何年も前に。子供は今離れたところで暮らしているんです・・・あ」
由紀乃は口元に手を持って行き、焦りの表情を浮かべる。そんな由紀乃に星野は「どうかなさいましたか?」と尋ねる。由紀乃は未だ目の前で起きていることが信じられないでいた。
「すみません」星野は唐突に頭を下げる。
「家族構成聞くなんて、怪しいですよね」
「あぁ、いいのよ。気にしないで」
「は、はい」
星野は由紀乃の反応に驚きが隠せない部分があった。あの反応を見れば、怪しまれているとしか思っていなかったから。しかし、由紀乃は怪しむ気配はなく、若い人に話しかけるようなテンションで口を開く。
「あ、もしよかったら、一緒に食べて下さらない? あなたから貰ったものなのに変かもしれないけれど」
「逆によろしいんですか? 怪しんだりしないんですか?」
「あなたのこと、怪しいと思えないから。今、お部屋片づけますから、少しお待ちいただいてもいいかしら」
「はい。ありがとうございます」再び星野は頭を下げるのだった。
一度玄関の扉を閉め、ゆっくりながらも急ぎ足でリビングに入って行く由紀乃。このとき、由紀乃はあることに気付いていた。それは、星野昇多が、応援していた人物の一人だということ。亡くなった旦那とともに、テレビで見て、その瞬間に可愛さと演技の上手さから心を奪われ、引退するまで応援し続けていた星野が、今、目の前に現れた。これは夢なのかもしれない。そんな思いで高坂は星野を招き入れる準備をしていった。