第8話
家を出てから5分。特に母と会話を交わすことなく学校に到着。朝早くから来る児童生徒たちがチラホラと見える中、ドアを開ける部分を握る手を震わせる小笠原。そんな小笠原を、鋭い視線で見る母。軽く苛立ちを露にしながら、口を開く。
「何してるの。早く行きなさい」
「うん・・・」
「早く降りてくれないと、仕事いけないんだけど」
「・・・、ねえ、お母さん」
「何?」
「・・・」
「用がないなら早く行ってよ」
母の突っかかってくるような聞き姿勢に、少しだけ身体が固まりかける。鋭い視線が痛いほどに突き刺さる中、小笠原は軽く勇気を振り絞り、尋ねる。「オレって、4年何組だっけ?」と。すると母は頭を抱え、溜め息を吐き、呆れたと言わんばかりの表情を浮かべた。
「あ、え、そこから言わなきゃいけないの?」
「ごめん。4年になってから1回も行けてないから・・・」
「3組。同じクラスに海都君と毅彦君がいる。それ聞けば安心でしょ?」
「・・・うん。ごめん、ありがとう。行ってくる」
「分かってると思うけど、無理だけはしないで」
「うん」
ドアを開ける。10か月ぶりに踏む駐車場のアスファルト。遠い昔のような懐かしさがあった。小笠原は母のことを見ずに、静かにドアを閉める。前を向いて歩き始めたとき、母の車が颯爽と駐車場から出て行った。
駐車場を抜けて、教職員用の玄関を抜けて、その先に見えてきた児童用の玄関。6年生の靴箱の前で楽しそうに話す女子二人を横目に、小笠原は4年と書かれた札が置かれた靴箱から、自分の名前を懸命に探した。そして、靴を入れて、手提げ袋の中から上履きを出して履く。ただ、足先に窮屈さを覚えた。その理由は、たった1つ。足のサイズが変わっているのにもかかわらず、3年の夏休み後から上履きを変えていないため。上履き。ただ、新品が手元にない今は諦めるしかなく、何気ない顔をして廊下を歩き始める。
調理室の前を通り、理科室の前を通り、廊下途中に出てくる階段を3階までゆっくり上って、教室までの道を確かめるみたいに歩いた。でも、階段が続くだけできついものがあった。それは病気を患っていたせいもあるかもしれないし、久しぶりすぎて感覚が取り戻せていないだけなのかもしれないと思った。そして、長く続く廊下を歩いて、小笠原はようやく4年3組の教室に辿り着いた。額からは汗が滲んでいた。
教室には、まだ誰も来ていなかった。机の上に貼られた名札を頼りに、自分の座席を探していく。5月だから、まだ席替えをしていないだろうと思っていたが、そんなことはなかった。まぁ、ほんの一瞬だけ、自分がまだいないのだから席替えはしていなだろうという、淡い期待を抱いてみたが、そのこと自体が馬鹿らしいと思えるぐらい、バラバラな順で並ぶ座席。色んな名前が並ぶ中、ようやく見つけた自分の席。座席は、教卓の前だった。小笠原は勝手に、邪魔にならない後ろのほうに席が追いやられているもんだと思っていたために、驚きが隠せない。ただ、ただ、この席は昔から嫌われる傾向があったから、いつ来るか分からない奴にその席を与えたらいい、みたいな気持ちがあったのだろうとも思った。
正直な気持ちを表出するのなら、席替えを切に望む。ただ小笠原の望みは叶わなかった。朝の会の時間になって、初見の担任が入って来て、朝の会をすることを言ってから、「今日から小笠原君がクラスに戻って来ることになりました」とだけ報告して、そのまま始まった朝の会。出欠確認と連絡事項を伝えるだけで終わり、そのまま歌の時間になった。ここで小笠原は初めて知った。11月の発表会に向けて、週に2回、朝の歌の時間を設けて歌っていることを。こんなの、小3の頃はなかったのに、と過去と比べてしまう小笠原。それだけではない。周りは歌詞を覚えていて、口を大きく明けて歌っている。しかし、曲も歌詞も何も知らない小笠原。自分はやっぱり、置いてきぼりにされてるのだ。