第7話
鳥のさえずりが聞こえる中、怒号のごとく響いた母の声。目をぎゅっとさせたあと、ゆっくりと目を開いた小笠原。ぼやけた視界に広がる景色は病室ではなく、自分の部屋。目を擦りながら小笠原は思う。何かの間違いじゃないのか、と。しかし、病室には持ち込んだことのないランドセルが置かれてあったり、机の上の散らかり具合を見たりして、ここが自分の部屋であることに確証を得る。
そのまま視線を自分の身体に向ける。胸に何も貼られていないこと、そして横に機械も置かれていないことを確認し、ホッとしたのも束の間、治療をしたときの痕跡を見つけた小笠原。身体はそのままか、と少しがっかりしていた。
ベッドから降り、スマホを探しているとき、部屋のドアが勢いよく開けられた。姿を現したのは、エプロン姿の母親。鬼の形相で小笠原のことを見つめる。
「お母さん・・・」
「何やってるのよ、早く準備しないと学校に遅刻するわよ」
「ごめん。今準備す――」
「送ってくから、早くしなさいよ」
「え」
「昨日まで入院してたんだし、荷物も多いから」
ここで、自分はちゃんと転生できたのだと知った小笠原。ただ、母親からの確証も欲しくなり、変なテンションで、「オレの病気ってさ、治ったんだっけ?」と尋ねる。すると「そう言われたでしょ。だから退院したんでしょ」と軽く馬鹿にするような言い方をした。
「そ……、だよね」
「とにかく、早く準備しなさいよ。ご飯も準備してるんだから」
「はーい」
母親がドアを閉めて部屋から出て行ったことを確認した小笠原は、部屋の真ん中に立ち、スッと右腕を突き上げ、「よっしゃ!」と力いっぱい叫ぶ。
ランドセルを背負った小笠原は、軽い足取りで階段を下りる。リビングにいたのは、既に朝食を済まし、制服のネクタイを結ぶ兄と、荷物の確認をしている姉、そして、キッチンで作業をしている母。父はもう仕事に行ってしまったのだろう。食器も片付けられていた。
「兄ちゃん、姉ちゃん、おはよう」
「うん」
「おはよう」
テレビからは、訊き馴染みのあるアナウンサーの声が聞こえてきていた。その番組は、病室でいつも見ていた情報番組。時刻からすれば、もうすぐ唯一楽しみにしている占いが放送される。そんなことを知らない母は、呑気に突っ立っている小笠原に「悠月、早く食べな」と言う。それに対し、「うん」と口に出しただけで動かなかった小笠原。動いた一太は、わざとらしくぶつかる。
「悠月、ちょっと邪魔」
「あ、ごめん」
占いの結果を伝えているアナウンサー。「今日の運勢第一位は、ふたご座のあなたです!」快活な声だった。拳を突き上げ、喜びを露にした小笠原。その姿を見た母は軽く鼻で笑う。そんな母親のことを、小笠原は特に気にしなかった。とにかく、第二の人生の初日が1位でスタートできることに意味があると思っていたから。そして、唐突に、兄と姉に対して今までの感謝を伝えたくなり、口を開く。
「兄ちゃん」
「何」
「姉ちゃん」
「どうしたの?」
「今まで心配とか迷惑とかかけてごめん。今日からオレ、第二の人生を生きるから」
「は? 今さら何言ってんの? っていうか、もうこれ以上余計な心配かけさせないでよね。こっちの寿命が縮まるから」
文句を言うような口調で言ってきた姉。ただ、その口元は緩んだままで、言葉と表情が一致しておらず、小笠原も思わず笑ってしまう。
「俺、もう行く」そう母に告げた兄。すると母は「ちょっと待って」と言い、鞄の中から財布を取り出す。チャックを開け、中から五千円札を取り、そして一太に手渡す。
「3人とも、夕ご飯これで適当に食べて」
「え~、また?」
「比奈、文句言わないで」
「文句じゃないよ。私はお母さんの手料理が食べれないのが嫌なだけ」
「ふふっ、そっか。じゃあ、今度美味しい料理作ってあげるから。だから今日はごめんね」
「じゃあ、俺は大盛りの唐揚げで!」
「えっ、お兄ちゃんずるい! お母さん、私はオムライスがいい!」
「はいはい。早く学校行きなさいよ」
「はあい」
兄姉母の会話の流れに乗ることができずに、ひとり寂しく椅子に腰かける。羨ましい、オレも入れて。この言葉さえも言えない。この先、こういったことが続くのだろうと思うと、正直嫌だと思っていた小笠原。
お札を受け取り、それをリュックに入れ込んだ兄は、「じゃあ、行ってくる」と言う。
「はいはい」
「ちょっと、お兄ちゃん待って! 靴下履くから」
「えー、早くしろよ」
俯いたままの小笠原に、背後から近づく兄。そのまま小笠原の髪の毛を触り始める。
「えっ、何?」
「元気になってよかったな」
「うん……、あ、ありがとう」
小笠原が微笑む。すると兄は照れ笑いを浮かべる。母は空になった食器を手に、キッチンへ歩いて行く。
「お待たせ! 行こう!」
「うん」
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
7時ちょっと前に出た兄と姉。そこから遅れること17分、小笠原は母と一緒に家を出た。駐車場に停まっている軽自動車の鍵を開ける母。自分の鞄を後部座席に置く。
「早く乗って」
「うん」
親に車で学校に送ってもらうことが初めてだった小笠原。向かう車内、変に胸がドキドキとしていた。