第2話
小笠原は、昔から身体が弱かったわけではなかった。むしろ、とても健康体だった。病気知らずの身体で、保育園に通っていた頃も、周りが同じ感染症等に罹患してダウンし、欠席していく中でも、小笠原だけは1人でピンピンしていた。それは小学校に入学してからも続いて、小学3年生の1学期まで一度も学校を休んだことがなかった。つまり、皆勤賞、ということ。でも、とある瞬間に、小笠原の人生はガラリと変わってしまう。
あの日は、8月最後の火曜日だった。あと2日もすれば2学期が始まる。そんな中で、小笠原は友人である海都と毅彦と一緒に遊ぶ予定があり、野球クラブの活動もなかったために、朝8時半前にはお気に入りのリュックに荷物を詰めて、それを背負い、勢いよく家を飛び出した。この日の空は雲ひとつなく、暑すぎるぐらいだった。そのせいもあって、小笠原は流れてくる汗をタオルで拭いながら、軽快に走って海都の家に向かっていた。
横断歩道のすぐ目の前にある角を曲がり、20段の階段を上れば海都の家に到着するという中で、赤信号にて足止めを食らった小笠原。「早く信号が変わらないかな」なんてことを呟きながら、立ち止まっていた。しばらくすると車の動きは止まり、歩行者用信号が鳥の鳴き声のような電子音を鳴らし始める。小笠原は青に変わったことを目視でも確認し、大股で一歩を踏み出した。でも、そこで事態は急変・・・した。
小笠原が目を覚ますと、そこには見覚えのない天井が広がっている。目を疑う。この天井は、海都の家でもなければ、逆に毅彦の家でもなく、もちろん自宅のものでもない。脳の中にある記憶を引っ張り出そうとしているとき、女性の声がする。「先生呼んできますね」と。声が聞こえたところを見ると、そこには小笠原も見知らぬ可愛らしい女性が、微笑みながら立っていた。身に着けているエプロンには、子供に今人気のキャラクターがデザインされていた。
「あの」
「ちょっと待っててね」
そう言って、その女性はドアを開けて出て行く。突然広く感じられる部屋。遠くのほうから一定のリズムで聞こえてくる電子音。このリズムには、聞き覚えがあった。この音を聞いたのは、確か3年前。兄が骨折をして入院をしていた病室だった。手術終わり、病室に戻ってきた兄の見舞いに行った時に聞いた時と全く同じ音だった。現状への気付きと同時に、小笠原は絶望する。なぜなら、腕には注射針が刺されてあって、胸元当たりにシールのようなものが数個貼られていて、そこから伸びたコードが、音を鳴らす機械に繋がっていたから。
この時、小笠原が抱いた思い。声を発しても、誰にも届かないことを知っていて、わざと布団の中にもぐって叫ぶ。
女性が出て行ってから数分。ドアを開けて入ってきたのは、白衣を着た男性と、出て行った看護師、そして後ろから静かに付いて来た母親の3人。男性は小笠原に近づくなり、にこやかに挨拶をして、小笠原の担当医であることを告げる。
「小笠原悠月くん、ここがどこか分かるかな?」
「病院、ですか?」
「そうだよ。じゃあ、どうしてここにいるか、分かるかな?」
「ううん」
「えっとね、悠月くんがどうしてここにいるかと言うとね、実は――」
このあと、男性医師は小笠原に対し、どうして病院に運ばれたのか、といった経緯を事細かに説明。そして、その話の最後、男性医師は小笠原の顔を見ながら、落ち着いた声色でこう告げる。
「小笠原君、実はね、検査をして、心臓に病気があることが判明したんだ。それでね、しばらく入院してもらわなきゃいけないんだ」
自分が心臓の病気にかかっているということを知った小笠原が抱いた感情は、今まで病気をしたことがなかったのにどうして、という疑問ではなく、学校に行けない寂しさと野球の練習ができないという不安。そして、その思いがこみ上げてきて、我慢できずに涙を流してしまう。そんな小笠原のことを、母親はただ静かに見つめていた。そんな母と息子のことを見かねた男性医師が、穏やかな表情で口を開く。
「お母様、悠月くんのことでお話したいことがあるので、こちらに来ていただけますか?」
「分かりました」
何の声掛けもなく出て行こうとする母に対し、「ママ」と不安や恐怖に満ちた声色で言う小笠原だったが、母親はそのまま男性医師に付いて病室を出て行く。その背中を、小笠原はただ静かに、じっと見つめていた。そのためか、看護師が気を利かせて、「今ね、先生とお母さんがお話するからね、終わったら来てもらうように言っておくから、それまで待っててね」と言ってくれたものの、小笠原は頷くこともできなかった。
看護師が言っていたことを信じ、母親なり、家族の誰かしらがこの病室に来てくれるものだと思い込んでいた小笠原だったが、いつになっても、看護師以外の人物は立ち入らず、そのまま夕食の時間を迎えてしまった。「オレは家族から見捨てられたんだ」そう思った。「別に来なくても悲しくない」と言い聞かせ、寂しいという気持ちを押し殺そうとしていた小笠原だったが、寝る前、暗くなった外を見て、唐突にその現実が辛くなって、涙を流す。今日ぐらいは許して、と誰かに向けて呟いて。
特に何もないまま月日は流れ、小笠原が入院して3か月が経過。この間は、週に1度は家族の誰かしらが見舞いに来ていたが、12月になった途端、月に1度の頻度に減り、2月になると、ついに病室まで足を運ぶことはなくなった。兄が受験生ということは把握していた。だから仕方のないことだったかもしれない。でも、どうしても寂しいという感情は拭えない。そしてそのまま卒業式のシーズンを過ぎても、家族は誰一人として来ることはなく、荷物の受け渡しを受付で済ますのみ。荷物の入れ替えも、担当の看護師がするだけ。
最初は小笠原も家族と話せないことや会えないことに対しての、一抹の不安や寂しさを覚えていたものの、ここまでくれば、同じように病気を抱え、小児科病棟に入院している子供たちと過ごす毎日のほうが断然楽しいことに気付き、家族の存在なんてクソみたいなもんだと思い始めていた。
そんな感じで、小笠原は家族から見捨てられ、今は1人の病室で、同じ環境で過ごす入院患者の子供たちとともに、遊びながらも、いつ死ぬか分からない恐怖心を抱き、終わりの見えない入院生活を送っている。