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第2話

第2話

 学校から電車で約1時間。

 俺と家白はビル群よりも緑の割合が多い郊外に来ている。最寄り駅からコンビニや商店がまばらに立ち並ぶレンガ敷きの歩道に沿って歩くこと数分。


「いつもこんなとこまで通っているのか?」

「そだよー。あ、ここ通ると近道」


 目指す事務所は児童公園を抜け、大通りを挟んだ向かい側に見える三階建てのコンパクトなビル。横断歩道を渡って到着だ。

 大きく掲げられたステンレスのプレートにはオシャレな書体で『Circular Caste』と彫られている。


「さーきゅらー……かーすと?」

「そうそう、よく読めたじゃん! サーキュラーカースト。スカートじゃないよ」


 壁ガラスの向こうは所属タレントのグッズ販売フロアのようだ。俺達は正面から入らず、裏手の階段から三階のオフィスへと進む。


「ざーーーす」


 お前、ざーすて。十年選手の貫禄で入室する家白に続き、俺も中に入る。


「し、失礼します……」

「なーにぃ、ヨリタカ。緊張してんのぉ?」


 あたりまえだろ。こっちはバイトだって数えるほどしか経験ないんだ。面接に来た訳じゃないけど、こんな社会の現場は緊張するさ。しかもアイドル系の事務所とくれば、ありもしない期待で無意味に緊張してしまう。


「あら、おつかれさまナユちゃん。突然ねぇ。今日って予定入ってたかしら?」


 アポなしか! ホント自由だよな。


「アラ、そちらの坊やは?」

「早い方が良いと思って引き篭もり姫のネゴシエーター連れてきたよん」

「アラアラ、ご苦労さま。宜しくねぇ坊や」


 使用感のない白い事務デスクが向かい合わせに四つポツンと置かれる中、少し離れたお誕生席から妖艶さ漂う妙齢の女性が出迎えてくれた。


「今度こそ引きずり出してくれると助かるわぁ」


 穏やかじゃない単語出てきた! 複雑な事情がある世界なのかなぁ。


「あ、お、ボクは家白さんと同じクラスの大森頼崇といいます」

「アラかわいい。私はサーキュラーカースト代表の佐倉です。スカートじゃないのよ」


 そう言って麗しさと艶美さを絶妙なバランスで醸し出し俺の前に立つ佐倉さんは、両袖の透けた濃紺ブラウスに白いアンシンメトリーなサーキュラースカートを履いていた。家白も同じこと言ってたし、つかみのネタなのだろうか。事務所名を覚えてもらうには効果的かもしれない。


「ナユちゃん強引だったでしょう? ごめんねぇ」

「はい」

「なによー! 二人とも残念そうな顔してナユ見んなし」

「そのかわりレイカちゃん……引き篭もっているコね、部屋から出してくれたら謝礼はうんとはずみますね」


 小さいため息をついた佐倉さんは、切実な表情で俺の手を優しく包んだ。


「自信はないですけど、やってみます。詳しい事は何も聞いていないので、レイカさんが引き篭もった原因を教えてもらってもいいですか?」


 引き受けたからには覚悟を決めよう。


「キモ! ヨリタカ、キモ! レイカさんて! ソッコー名前覚えちゃった? ワンチャン彼女ゲットに必死すぎ」

「うるさいよ」


 校内屈指の美少女か知らんが俺の片思いトップは部長で揺るがないし、スマホで見たレイカさんだって家白より何倍も美少女じゃないか。そりゃあ覚えもするって。


「残念ねぇナユちゃん。彼の中でもサーキュラーカーストの中でもアナタの序列は下の方なのねぇ」

「ぐっ……」


 うわ、佐倉さん強烈。笑顔もそうだが、吸い込まれそうな瞳が俺の心中を見透かしているようでなお怖い。


「ごめんねぇ、頼崇くん。私もなんであのコが拗ねてるのか知らないのよぉ」

「そうですか」

「ほら、さっさと行くわよヨリタカっ!」


 俺の手を掴み、ズカズカと不機嫌な足取りで事務室を出る家白。


「よろしくねぇ、二人とも」


 ドアから半身で手を振る佐倉さんに見送られ、レイカさんの篭る部屋へと引きずられる俺だった。


「なんか緊張してきた」


 小さいビルながらも、建物内部は芸能事務所に合わせた造りになっているようで、フロア構成は下から物販コーナー、二階に事務室と各種レッスン室、そして俺達がいる三階が上位タレント達の部屋と、ざっくりこんな感じになっている。


「アンタには縁の無い女の園だもんねー。しかもこれから会う相手は事務所カースト上位ですもんねー。好きなだけ興奮するがいいわよ」

「俺にあたるなよ」


 まぁ内心興奮してますとも。気のせいか、このフロアだけ何かいい匂いがするし。


「ほら、ここがあのコの部屋ね」


 いい匂いの発生源はこの部屋っぽいな。しばらく嗅いでいると、匂いのせいなのか一ヶ月振りの感覚がこみ上げてきた。


「どーしたん、ヨリタカ?」


細い眉を八の字にして覗き込んでくる家白。


「そんなクンクンしちゃって、ナユ引くわー。盛っちゃった? ねぇ、盛っちゃった? やっべ、ヨリタカ興奮状態じゃん」


 ふつふつと体の内側から何かが湧き上がってくるこの感じ。あれだ、本屋にいるとなるアレに似ている。


「ビッグウェーブが……」

「びっぐうぇーぶ?」

「トイレってどこ……」

「ちょっ、ひとりエッチなら家帰ってからにしなさいよ!」

「ち、ちがう、実は俺ここ一ヶ月ずっと便秘なんだ……」


 そう、本人もビックリの一ヶ月。原因は薄々わかっているが、今はそれの説明で気を紛らわせるどころではないエマージェンシーだった。


「はぁ!? 一ヶ月って、早くトイレ行ってきなさいよ! そこ、非常階段の横!」


 このフロアの性質上、女子トイレしか無かったが気遣う余裕もなく駆け込む。幸い三室とも使用中のサインはなく、一番奥の便座に腰をおろすことにした。


「はぁ~……一ヶ月振りだなぁ」


 頭を抱え、ひと月分の宿便を出す事に集中する。便秘の原因はやっぱり部長の料理だろうなぁ。「はぁ」と、今度は無事出し切った安堵のためいきを漏らし、顔を上げると。


「太くて長いのね」


 いつの間にか恍惚の表情で見つめる美少女が目の前にしゃがんでいた。ルックスもそうだが、よく見ればそのカッコも水着に角・羽・尻尾と、ゲーム画面から飛び出してきたと思えるほどファンタジック溢れるビジュアルで。


「あぁ……この臭い」


 誤解の無いように言っておくが、彼女が見つめる先は俺じゃない。便器に浮かぶ一ヶ月振りのソレだ。

 いくら俺がカギを掛け忘れ集中していたとはいえ、こうも気づかないものだろうか。音も無く、無防備な用足し中、いつの間にか美少女に凝視されている。俺の『うんこ』が。

 うんこ見つめて何言ってんのこの子。サキュバス風コスした新手の花子さん? とか、パニックが想定外だと変な方向で冷静になるもんだなぁ。

 ついに新手の花子さんが尖った薄ピンクのネイルに白磁のような細腕を、俺の両腿の隙間へ躊躇なく突っ込んで鷲づかみする。


「この硬さ……たまらない。黒光りしていて美味しそう」


 誤解ないようもう一度言うぞ? 掴んだのは俺の『うんこ』だからな?

 いやいや、こんな斜め上な方向にアグレッシヴな花子さんはナシだろ。まぁとにかく今はアレだ。逃げないとやべぇ!


「ゴメン、ほんとゴメン」


 俺が悪い訳じゃないが、彼女を刺激しないよう尻を拭くのも忘れてゆっくり退室した。


「申し訳ないけど、流しといてもらえると助かります」


 危険な変態空間から脱出した安心感からか、わずかな良心でドア越しに声をかけ、一目散に自宅へ逃げ帰る。

 帰宅後、風呂場へ直行した俺は、ごわごわする尻を今日の出来事と共に洗い流した。

 そして一日の最後。


「結局、レイカさんとは会うこともなく全部ほっぽり出して帰ってきちゃったからなぁ。家白はともかく、佐倉さんには合わす顔がないや」


 明日は休みだし、謝りに行くか。


 ――――で、今ココ!

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