世界中が敵になっちゃったけど、それでも君は私の味方をしてくれる?
「たとえ世界中が敵になっても、君は私の味方をしてくれる?」
初めてそのセリフを聞いたのは、どの作品だったか。
なんだかんだありきたりなセリフだ。その辺の映画や小説でも漁れば結構見つかるだろう。
じゃあもしーーもしも自分の大切な人がそんなことを聞いてきたら、一体どう答えるだろうか。
もちろん世界中が敵になるだなんて例え話だ。軽率にもちろん、と答えるのが普通だと思う。
あるいは真面目にそもそもそんなことにはさせない、とか、そんな状況で味方をするのが本当に正しいのか分からない、といった答えもありだろう。
ーーだがそれは、実際にその状況に陥ったことがないから言えるのだ。
本当に世界中が自分の大切な人の敵になったとしたら、そのときはどうするか分からない。
世界に流されて自分も敵になってしまうかもしれない。もしかしたら本当にずっと味方でい続けるかもしれない。きっと人によって答えは様々だ。
じゃあーー俺は。
俺は、どうするのだろうか。
ちゃんと味方で、いられるのだろうか。
俺はーー
「えーすけー?」
「ほゎあ!」
教室の隅、突如として俺を襲った脇腹への攻撃に、情けない声を上げてしまった。
俺の脇腹を突いてきた犯人を横目で軽く睨む。
「いきなり何すんだよ、咲月」
隣の席で呆れた顔をしている、比較的明るめに輝く髪を肩ほどで切り揃えているこいつは屠賀崎 咲月。俺の十年来の幼馴染だ。
成績は学年トップクラスかつスポーツ万能、性格も良くておまけに容姿もとても可愛いという絵に書いた様な完璧超人だ。
家が隣同士というだけで昔からよく一緒に遊んでいたが、それが無ければきっと俺では一生お近付きになれないような奴なのである。
「いきなりって……私さっきからずーっと影介のこと呼んでたのに、考え事に集中してまったく気付かったのはそっちじゃん。クラスの子は全員もう帰っちゃったよ?」
……そうだったのか、本当に全く気付かなかった。考え事に集中すると周りが見えなくなるのは俺の昔からの悪癖だ。
「今日は何を考えていたの? どうせ最近読んだ小説とか、最近見た映画やアニメとかで出てきたセリフとか場面を自分に置き換えた妄想だと思うけど」
なぜ分かるのだろうか。
しかも実際に影響を受けた小説という予想を一番始めにしているあたり、女のーー否、こいつの勘は恐ろしい。
「……別にいいだろ。何でも」
「お、図星かー?」
「うるせぇ」
「あはは、悪かったよ。じゃあ私たちももう帰ろう?」
そう言って立ち上がった咲月に続くように俺も席を立ち、二人揃って帰路に着いた。
◆◆◆
街中を歩きながら、俺はいつも通り咲月と色んな話をしていた。
「そういえば、咲月は今日なんか予定あるか? 今日ゲームやる相手いなくて暇なんだけど」
「ごめん、今日は美星のとこに行こうと思ってるから、それに他にも用事あるし……」
「美星……妹さんのとこか」
咲月には二つ下の妹がいるらしい。
俺はあったことがないのだ。正確には、ずっと昔に数度会ったことがあるらしいのだが、正直全く覚えていない。
そしてその妹さんは昔に難病にかかり、今なお入院中なのだという。
だから咲月は定期的に妹さんのお見舞いに行くのだ。
「そう、だからごめんね?」
「いやいいよ、じゃあ今日は一人寂しく読書に勤しーーうぉっと」
「おっと」
話に夢中になり過ぎていたらしい。街を歩く背の高い老人と肩をぶつけてしまった。
「すいません、不注意でした」
「いやいやこちらこそ……おや」
すると老人は何かに気づいたように目を細めたあと、「では失礼」と言って足早に去っていった。
しかし老人の視線は俺というより、どちらかというと咲月に向いていた割合の方が多かったような……
「……」
咲月の方を向くと、咲月も咲月で少し驚いたような顔をしていた。
「さっきの人、知り合いか?」
「……いや、知らない人。それにしても影介は影薄いんだから、もっと前見て歩かないとだめじゃん」
「はは……全くもってその通りだ」
昔から影の薄かった俺としては、外を歩く時はちゃんと道行く人に気を付けるようにはしているのだが、まだ足りなかったらしい。
いや、言い訳がましく聞こえると思うが、老人の存在にも、こっちに向かってきていることにも気付いてはいたのだが、どうにも距離感が掴みづらかったような……
「えーすけー? ……はぁ、まーた自分の世界に入っちゃってる……」
そんなことをしているうちに、俺たちは家に着いた。
「じゃあまた明日、咲月」
「うん、また明日ね、影介」
ーーまだ俺たちは、いつも通りの明日があると信じて疑わなかった。
◆◆◆
『今日未明、東京都品川区にて五三歳男性が刃物で首を切られる殺人事件が発生しました。犯人はここ数年の連続殺人事件の犯人と同じ人物とみられーー』
両親は二人とも海外へ出張中、唯一の兄弟である姉も上京して都会に住んでいるため絶賛一人暮らしを満喫中の俺は、いつも通りニュースを聞き流しながら料理をしていた。
「あ、醤油買うの忘れてた…………はぁ、仕方ない、買いに行くか」
夜、俺は買い忘れに気付き、家の近くのスーパーへ買い物に行こうと家を出た。
もう夜七時をまわっている。流石に外は暗い。
「……ん?」
ふと視線を向けると、なにやらたくさんの人でごった返しているのを見つけた。何かあったのだろうか。
俺はひとまず近くにいた知り合いのおばさんに声をかける。
「こんばんは、川端さん。これ、何かあったんですか?」
「ん? あら、影介ちゃんじゃない! あぁ、これね、なんか最近よくニュースでやってる犯人逃亡中の連続殺人あるでしょ? あの犯人を今警察が追い詰めてるらしくてねぇ、みーんな野次馬根性で駆けつけちゃったのよ! って、あたしもその一人なんだけどね! おほほほ!」
へぇー、殺人事件。
そういえば今日料理をしている最中にも聞いた気がする。たしか前は東京で事件を起こしたんだったか。
正直、世間を騒がせている殺人犯に、そしてそれを警察が追い詰めている状況に興味がないとは言わない……というか、すごく興味がある。
スマホや財布をもってこの人混みに入るのも、落として失くしそうで怖いし、買い物くらいささっと終わらせたいのだが…………少しくらいならいいか。
人混みに足を踏み入れ、人と人との隙間を上手く通り、俺はなんとか警察と殺人犯のやりとりを一目見ようと前へと進んだ。
「んー、ちょっと遠いな……あの辺か?」
俺はポケットから携帯を取り出し、カメラを起動した。そしてズームを使い双眼鏡代わりにする。
「お、見えた見えた」
大勢の警官が一つの人影を取り囲んでいる様だ。中心の人影が殺人犯だろう。どうやら状況は膠着しているらしい。
もう少しズームして、殺人犯の方を見てみる。
殺人犯は……女だろうか、なんとなく輪郭からそう感じる。体型はどちらかというと小柄な方だ。
顔は仮面で隠しているが、この夜の暗闇に溶け込みきらない、輝く明るめの茶髪が、夜風に靡いていた。
そう、それはまるで、咲月の様でーー
「ーー!?」
……俺は今、なんて思った?
咲月みたい? あれが? 今話題の殺人犯が?
「そんなわけ……」
ない、と言い切れるほど、俺は俺の目への信頼が低くなかった。
「嘘だろ……」
何か決定的な確証はないーーが、根拠のない確信がある。
十年来の付き合いの俺の勘が告げていた。
あいつが、咲月だと。
だが。
「仮にあいつが咲月だったとして、俺はーーどうする?」
どう、するべきなのだろうか。
スマホ越しの咲月の顔はかなり苦しそうだ。きっとこのまま俺が何もしなければ咲月は捕まってしまうだろう。
だが俺が何かしたところで、そもそも俺も咲月と一緒に捕まるのがオチだろうし、もしも仮に咲月が逃げられたとしても、そうやって殺人犯となった幼馴染を逃がすのは果たして良いことなのだろうか。
いいや、そんなはずはない。
本当に咲月のことを思うなら、咲月には殺人犯としての罪を償ってもらうべきだ。
そう、だからここで俺は、非情に、咲月が捕まるのを黙って見ているべきなんだ。
殺した数を考えればきっと死刑は免れないかもしれない。けどそれでも、殺人犯としての咲月を見逃してはいけない。
そうだ、だから俺は気付かなかった振りをしてこの場を立ち去るんだ。
それでいい、それで正しいーーはずなんだ。
パァン!
突如として、銃声が聞こえた。
俺の右手から。
「「ーー!!」」
大量の警官が一斉にこっちを向く。
いつの間にか俺は、咲月を取り囲んでいる警官の後ろまで行き、警官が構えている拳銃を素早く奪い上向きに撃っていた。
ここに来るまで、誰一人として俺に気付いていなかったらしい。もしかしたら野次馬の中には気付いている人が何人かいたかもしれないが、少なくとも警官には気付かれなかったみたいだ。
きっとそれは警官の殺人犯を逃さまいとする緊迫感と、俺の生まれつきの異常なほどの影の薄さが起こした奇跡だろう。
だが正直、俺にそんなことを気にしている余裕はない。
俺はさっき警官から拳銃を奪い即座に撃った。それが意味するところはつまり、俺のすぐ傍に警察官がいるというわけで。
「う……ぁ……ぐぁっ!」
流石はプロだ。何の訓練も受けていない高校生には何をされたかすら分からなかった。気付けば俺はうつ伏せに地面に組み伏せられている。
全く、我ながらどうしてこんなことをしてしまったのだろう。
今なら、漫画やアニメでよくある、考えるより先に動いていたという感覚を不本意ながら理解できる。
だがやってしまったことは仕方ない。というかせっかくここまでやったんだ。咲月は混乱に乗じて上手く逃げられただろうか。
そんなことを思った矢先。
「ーー!?」
突如として、俺の身体への拘束が緩んだ。
どうしてーーと考えるより先に、半ば反射的に身体を半回転させ上に乗っている警官を蹴って退かす。
「ーーひっ!?」
……訂正しよう。俺が蹴ったのは警官ではなかった。俺が蹴ったのはーー警官だったものだった。首から上のない物言わぬ肉塊だ。
顔を引き攣らせながら必死に周りを見る。
「うっ……!」
思わず口を押さえる。
周りはすっかり血の海だった。
さっきまで目の前で拳銃を握っていた大量の警官たちが、首や腕を斬り落とされたり、心臓を貫かれたりして地面に鮮血を垂れ流れしながら横たわっている。
その中に一人、返り血に濡れた人影が立っている。この惨状を一瞬にして作り上げた張本人だ。
この距離で見て改めて確信する、こいつは咲月だと。
すると咲月はおもむろにこっちに歩いてくる。
「……なんだーーよ!?」
「多分すぐに増援がくるから、一旦ここを離れるよ。色々話したいことはあるけど、それはひとまず後にしよう」
そう言いながら咲月は俺を軽々持ち上げ、路地を走り抜けていった。
◆◆◆
「ふぅ、ここまで来たら大丈夫かな?」
「はぁ……はぁ……」
まださっきの光景が目に焼き付いている。
「うっ……! おぇぇ……」
「あーあー、大丈夫? 無理しなくていいからね」
嘔吐してしまった。咲月に背中をさすられる。
「……もう……大丈夫だ……咲月」
「……うん、はいお水」
「さんきゅ……」
水を飲んだ後、咲月の手を借りてなんとか立ち上がった。仮面のなかの咲月の目を見る。
「……いっぱい、聞きたいことがあるんだ」
「そう……だよね。うん、とりあえず影介は顔を見られたかもしれないから、一緒に私たちのアジトへ行こう。道中にいっぱい質問してよ」
「アジト……? それに『たち』って……」
いや、と俺は頭を振る。その質問は少し後にしよう。それよりもっと聞きたいことがたくさんある。
「そもそもお前は咲月……なんだよな?」
「そうだよ、私は君ーー薄葉 影介の幼馴染兼同級生、屠賀崎 咲月で間違いない。そしてそれと同時に、世間を騒がす大量殺人犯でもある」
改めて本人から事実を告げられた。まあ流石にここまできて今更そこに動揺はしない。
「じゃあまず……なんで殺しなんかやってるんだ? 恨み……とかじゃないんだろ?」
「そうだね……まずそもそもーー私たちは報酬を貰って頼まれた人物を殺す、まあいわゆる殺し屋ってやつなんだ」
また『たち』……いや、それは後だ。
「つまり……金のためってことか? でも咲月の親父さん……今は出張中か。結構偉い人だし稼いでるんだろ? 仕送りとかきてないの?」
「ああ、別に生活費のためじゃないよ、美星のため」
「妹さんの……?」
「うん、美星さ……このままじゃもう……もたないんだって……」
「……」
俺は何も、言えなかった。
全く気付かなかった、咲月が苦しんでいることに。
妹さんの容態が厳しい状況だと言うことも、咲月が殺し屋を始めたことも、それがいつの出来事か見当もつかないほど、咲月の変化に気付かなかった。
「ふふっ、そんな顔しないでよ、影介。言ったでしょ、このままじゃ、って」
「……つまり?」
「手術をして、それが成功すれば治るんだって。でもそれがすごく難しいらしくて、その手術を引き受けてくれる人がまずいないの。けどね、偶然知ったんだけど、法外な値段でどんなオペも必ず成功させる凄腕の医師っていう人がいるらしいの」
「だからそのための金を殺しで貯めてるってわけか……」
「そういうこと」
頷く咲月に、新たな疑問をぶつける。
「ちなみに、あとどれくらいの金が必要なんだ?」
「えーっと、今の貯金がだいたい一億円くらいだから、あと残りは……ざっと十億くらい? だからこのままいけばあと十年くらいかかると思う」
「じゅ……!?」
「それだけ貯まったら殺し屋からは足を洗うつもり」
「……そっか」
それはつまりあと十年程度は殺しを辞めるつもりはないということだ。
「今日だってピンチだったのに、あんな危険なことをそんなに続けるつもりかよ」
「そうだよ、美星のためだもん」
決意は固そうだった。
そこで咲月は、思い出したようにこちらを向く。
「そうだ影介、お礼がまだだったよね。今日は助けてくれてほんっとにありがと! 影介がいなかったら絶対捕まってた! だからお礼に、影介の言うことなんでも一個だけ聞いてあげる」
「えっ今なんでもするって」
「……? 言ったよ?」
「……あぁ、いやなんでもない」
咄嗟に反応してしまったが、この純粋な反応を見るとそういうことを頼む気は無くなってしまった。いや、元々そんなつもりないのだが。
「じゃ、また今度頼みが決まったらな」
「うん。あっ、あれだよ、私たちのアジト」
どうやらアジトについてしまったらしい。正直まだ聞きたいことはたくさんあったが、それについてはとりあえず後回しとなりそうだった。
咲月が指差した先には、巧妙に入口を隠された地下への階段ーーなどはなく、何の変哲もないただの民家があった。
「……あれか?」
「うん、あれだよ」
そう言いながら咲月はインターホンに手をかける。
ピンポーンと、やっぱり普通に音が鳴る。
『はい、どなたでしょうか』
「さっちゃんいますかー?」
『……今開けます』
よく分からないといった顔をしている俺を見て、咲月が少し楽しそうに「合言葉だよ」といって説明し始めた。
「アジトはアジトってバレちゃ意味無いからさ、民家でカムフラージュしたり、こういう合言葉を言ったりするの。合言葉感ないけどね」
「へぇー」
ガチャリ、ドアの鍵が開いた音がした。咲月が一切の躊躇なく開ける。
「ただいまー」
「お、お邪魔しまーす」
「お帰りなさいませ咲月様。……おやその方は」
民家は中身もしっかり民家だった。
キッチンでコーヒーを入れているお爺さんがインターホン越しの声の主だろう。
……あれ、この人どこかで……?
「影介、覚えてない? 昼間にぶつかった人のこと」
「あー……あー! あの時のお爺さん!」
不思議な感じがしたから覚えている。下校中にぶつかった、背の高い老人だ。
咲月の方ばかり見ていたように感じたのも、知り合いだったなら合点がいく。
「咲月様の御学友の方ですね。お名前をお伺いしても?」
「ああ、俺は薄葉 影介って言います。そちらは……?」
「私は筒木 重吉、主にこのアジトの管理をしております。以後お見知りおきを」
お爺さんーー筒木さんの自己紹介を聞いたところで、ずっと聞きたかったことを尋ねる。
「なぁ咲月、さっきの話の中でも『たち』って言ってたけど、咲月一人でやってるわけじゃないのか?」
「あ、そういえば話してなかったね。そう、基本的に直接殺し行くのは私の仕事なんだけど、私一人じゃ近づけもしないような人とかいっぱいいるから、そういう時にサポートしてくれる仕事仲間がいるの」
なるほど、考えてみればどれほど咲月の身体能力が高くとも、それだけでは殺せない人はたくさんいるもんな。
と、納得していると、二階に続いているであろう階段から足音が聞こえてきた。
「お、帰ってたのか咲月」
現れたのは、日本人では無いだろうと一目で分かる煌びやかな金髪で、腰まで伸びるツインテールを作った年端も行かぬ少女だった。見た目で判断するなら……十歳くらいだろうか。
「あ、アリアちゃん、今日は筒木さんとアリアちゃんだけ?」
「そうだけど……?」
「影介、紹介するね、こちらアリア・クティーナ。見た目通りの十一歳だよ」
「ん? ーーうわっ! なんかいる! 誰だそいつ!」
……今気付いたのか。
まあこの人も咲月の仲間みたいだし、自己紹介はするべきだろう。
「初めまして、アリアちゃん。俺はーー」
「は? あんたには聞いてないんだけど。ってかアリアちゃんはやめてくれないか? 見たとこ大して歳変わんないだろ」
「うっ、えっ、あっ」
予想外に辛辣な反応に怯んでしまった。
「はぁ……ごめんね影介、この子悪い子じゃないの。……アリアちゃん」
「……うぅ…………悪かったよ……でも! アリアちゃんはやめろ! 咲月もだ!」
そう言われたので、呼び方を改めもう一度自己紹介を行う。
「ああ分かったよ、アリア。俺は薄葉 影介。よろしく」
「……あんた、咲月とはどういう関係?」
「……? どうって……ただの幼馴染だけど」
「……ふーん、へぇー、ただの、幼馴染、ねぇ」
「な、なんだよ」
なんだか含みのある言い方だったが、そんなことはさておき。
「ってかずっと気になってたんだけど、そいつ明らかにこっち側の人間じゃないだろ? 少なくともど素人だ。咲月、なんで連れて来た?」
「あ、そういえばそれ話してなかったね、筒木さんも。いやー、じつはかくかくしかじかでーー」
「……いやほんとにかくかくしかじかって発音されても分かんないんだけど」
咲月は本当にかくかくしかじかと発音していた。
◆◆◆
「……驚きだな」
「でしょでしょ! 影介ったらほんとになーんにもこういう経験ないのにすごくうまく助けてくれたの!」
俺たちはリビングの椅子に適当に腰掛け、咲月と俺で事の顛末について説明していた。
「あぁいや、それも驚きではあるんだが、そうじゃなくてな……」
「咲月様、失礼ですが本当に苦戦なされたのですか?」
「……? どういうこと?」
「……? どういうことだ?」
話についていけない咲月と俺が尋ねる。
「……あぁ、影介は知らないだろうし、咲月も大して自覚はないけど、実は咲月にはこれまで結構な難易度の依頼を振ってたんだよ、けどこれまでただの一回たりとも失敗らしい失敗をしたことはないんだ」
「あ、たしかに……えっ、私ってもしかして、ちょっとすごかったり……?」
咲月が少し冗談めかして言った。
「ああそうだよ、咲月は割とマジですごいんだ」
「えへ、えへへ……!」
照れた咲月の顔を見ながら、アリアは話を続ける。
「だから、その咲月がただの警察相手にしくじるとは思えない。多分、裏に誰かいる」
プルルルル……
と、そこまで話したところで、備え付けの電話が鳴った。
「おっと、あたしが出るよ、ーーもしもし」
アリアが電話に出ている間、暇なので少しアリアを見る。
改めて見ると本当に華奢な身体つきをしている。少し男らしい口調と派手な髪型がなければどこにでもいる小学生だ。
電話をしながら表情がコロコロ変わるので、余計にそう感じる。
だが、ここにいるということは何かしらの目的があって、間接的であれ人殺しをしているということだろう。
……アリアは何故、何の目的を持ってここにいるのだろうか。
そしてそれを言うなら筒木さんも、どうしてここで働いているのだろうか。
余計な詮索をするつもりはないが、しかし気にならないと言えば嘘になる。
「ーー了解です」
アリアは俺の視線に「何見てんのよ」と言わんばかりの顔をしながら電話を切った。
「みんな、今『上』から仕事の連絡があった」
「『上』?」
首をかしげた俺に、咲月が口を開く。
「私たちを子会社だとしたらその親会社……みたいな? それか私たちを一個小隊としたときの総司令部みたいな、そんなイメージだよ。基本的に依頼はまず『上』に来て、私たちは『上』から司令を受けて仕事をするの」
「あー分かったような分からんような……要するに仕事の依頼ってことか?」
アリアは「まあそんなもんだ」と頷き話を続ける。
「依頼内容はいつも通り対象の殺害。その対象がこいつーー柳川 好生だ」
そう言ってアリアが取り出しこちらに向けたスマホに映っていたのは、いかにも冴えないおじさん、っといった感じの、特徴らしい特徴のない人物だった。
「この人か? 別に誰かに恨まれるような奴には見えないけど……」
「影介、依頼理由には踏み込まないのが、この業界のマナーだよ」
「う……すまん」
咲月に窘められてしまった。
「ま、今回は怨恨とかじゃないがな」
「? どういうことだ?」
俺には殺人の依頼なんて怨恨くらいしか思いつかないのだが、一体どういうことなのだろうか。
「プロフィール的には目立ったとこのない一般人なんだがな。こいつ、最近警察に協力って形で指示出してんだよ」
「指示……?」
「そ、警察ん中にこいつを信頼してる奴が結構いるらしくてな。そして実力も折り紙つきだ。咲月、今日の警察、いつもより厄介だったんだろ?」
アリアの言葉に、咲月が頷く。実際警察にあそこまで追い詰められたのは初めてらしい。
「うん、なんかこっちの行動が全部読まれてるみたいに先回りとかされてて。もしかして……」
「あぁ、十中八九こいつのせいだな。他のチームでも手こずってるらしいから、『上』としても早めに始末しておきたいんだろうな」
「成程……して、殺人の期限などありますかな?」
アリアが、電話しながらとっていたメモを見ながら答える。
「期限は明後日までだから、作戦は明日決行する。あたしがここから遠隔で指揮を執るから、現場には筒木さん、咲月、そして影介で行ってもらう」
「了解でございます」「うん、おっけー……あれ?」「分かっ……え?」
今なんて?
「じゃ、当日の段取りについてだけどーー」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」
「ん? どうした?」
「いや、どうしたじゃねぇよ、なんで当たり前みたいに俺が行くことになってんだよ!」
「ん、あっそっか、そのへん言うの忘れてたな」
そもそも俺は顔を野次馬に見られている可能性があるからひとまずここへ来たのだ。そしてそのことは事情を説明するときに話してある。
それより咲月が任務に失敗しかけたことの方が衝撃だったらしくなんとなく流されていたが、ようやくそれについての話が始まるらしい。
「まず咲月を助けたのがお前ってことはバレてないと思う。まぁあたしは実際にその場を見てないから断定は出来ないけどな。もし仮にバレても数人だ、それくらいなら咲月を助けてもらった礼としてこっちで揉み消してやってもいい」
「それじゃあーー」
「が、それとこれとは話が別だ。あんたは今あたしたちのアジトにいる」
……それが咲月たちの仕事への参加にどう関わってくるのだろう。
「こっちとしてはアジトの場所を知られた以上そんな人間を野放しにはしたくない。だがかといってうちのエースを助けてもらっておいて家に帰さないってのも流石に悪いからな」
「あぁ、それはなんとなく分かるんだが……」
「で、その折衷案として一回、一回でいいからあたしたちの仕事に参加してもらう……まぁ要するにーーあたしたちの共犯者になれってことだ。それならあんたにも情報を隠す理由ができるからな」
なるほど、だから俺がこの作戦に参加することになっている、と。
「でも俺当たり前だけどこういうことの経験ないぜ? 確実に足手まといになる自信しかないんだけど……」
「そこはこっちも分かってる。だから明日までにある程度叩き込めることは叩き込むつもりだし、そもそもそんな大した仕事は任せねぇよ」
「うーん、でも……」
「できるだけあんたには危険が及ばないようにもする。だから頼む」
「……はぁ、しょうがないか」
事情は分かったし、頼むとまで言われたら仕方ない。
横に座っている咲月が申し訳なさそうに言う。
「ごめんね影介、私が軽率にアジトに連れてきちゃったから……」
「いや、咲月は悪くないよ」
「あぁ、咲月は絶対悪くない」
「……もう、二人とも……」
照れたようにそっぽを向く咲月に癒されながら、俺はアリアに作戦についての話を促した。
「まぁ話は分かった。話を続けてくれ、アリア」
「おう。……で、今回の注意点なんだが……こいつ、田中って人なんだけど」
そう言ってアリアはまたもや男の顔写真を出した。
「この人は……?」
「柳川をおびき出すためのーーいわば餌みたいなもんだ。つまりこっちの味方……ってかあたしたちの唯一の味方、『上』の重鎮だ。だから間違っても絶対殺すなよ」
「うん、分かった」
「あぁ。……ちなみに、もし間違って殺した場合は?」
「『上』に切られる。唯一の味方を失うから、早い話マジで全世界が敵に回ると言っていい。……ま、実際にやるのは咲月か筒木さんだし、二人ならそんなヘマはしないだろ」
「う、うん! ……多分」
咲月はさっきの失敗もあってか少し自信喪失気味みたいだ。
そんな咲月に「大丈夫、気楽にやれよ」と言いながらアリアが席を立ち、さっきコピー機から出てきていた紙を取った。
「これ、作戦決行場所の地図だ。全員頭ん中に入れとけよ。さて、具体的な段取りについてだがーー」
そうして俺たちの作戦会議が始まった。
◆◆◆
「影介、準備はいい?」
「すぅーっ、ーーよし、いつでも大丈夫だ」
ーー作戦当日、夜。
俺と咲月はとあるビルの近くの物陰に身を潜めていた。筒木さんは別の場所で待機している。
現場組の俺たち三人は顔を隠す用の仮面を付けている。視界が狭まるのではと思ったが、付けてみると案外視界に不便はなく使いやすい。
『みんな、作戦は頭に入ってるな?』
「うん、もちろん」「当然」
耳元に装着した無線からアリアの声が聞こえる。この無線についた小型のカメラの映像が今アジトにいるアリアのもとへ送られているらしい。
「けどよアリア、本当にこんな脳筋みたいな単純な作戦で大丈夫なのか?」
俺たちの作戦はこうだ。
まず『上』の人間である田中が柳川を屋外におびき出す。そこに筒木さんの狙撃で奇襲をかけ、そしてそこに咲月が突っ込んでカバー、俺は何かあったときのサポート、というものだ。
……作戦と言っていいのだろうか。
『いやこういうのでいいんだよ。あんまり複雑だと混乱するしな』
「だからってこれ……」
「あたしたちの一番の強みは咲月のフィジカルだ。それを最大限活かすならシンプルが一番なんだよ」
そんなもんか、とアリアの理屈に納得していると、隣の咲月に袖を引っ張られる。
「ほら影介、出てくるよ」
と、咲月の指さした先、ビルの出入口から出てきたのは二人の男だった。
両方アリアに写真を見せてもらったことがある。柳川と田中だ。
(来た……!)
柳川に咄嗟に建物内に隠れられぬよう、できるだけビルから離れるのを待つ。
筒木さんの狙撃が咲月突入の合図だ。その後状況を見てアリアから指示をもらい、俺がサポートする形になる。
ただじっと、俺たちは二人が建物から離れるのを待つ。
緊張による汗が頬を伝っている。
まだか、まだかと、一瞬にも永遠にも感じられる時を過ごしーー
ーー突然、柳川が上体を大きく反らした。
「ーー!!」
筒木さんの狙撃が避けられた。そう俺が認識した時には、咲月はもう走り出していた。
すると柳川がおもむろに手を上げる。
ーー瞬間、四方八方から拳銃を構えた警察官が十数人、柳川へと駆けた咲月を取り囲むように現れた。
「な……!?」
「罠……!?」
現れた警察官は躊躇なく咲月へと発砲。咲月は仕方なく柳川への攻撃を中断、銃弾を避けながら近くの建物の影へと滑り込む。
「全く、あの数の銃弾を傷一つなく、ですか。なかなか凄まじいですね」
口を開いたのは柳川だった。初めて聞く柳川の声は、どこにでもいる平凡な、しかし少ししゃがれていた。
「まぁじっくり追い詰めてーーと」
またも柳川が上体を反らす。するとさっきまで柳川のいた場所を筒木さんの銃弾が通り過ぎた。
「事前に得た癖や性格の情報が少量でもあれば、狙撃のタイミングくらい測れますよ」
柳川が誰へともなく喋る。
これでは筒木さんの狙撃による援護はあまり期待できないかもしれない。
ならやはりまず咲月を自由に動けるようにしなければならないだろう。
とそこまで考えたところで、耳元から突然大きな声が聞こえた。アリアだ。
『何ぼさっとしてんだ影介! はやく警官の数減らしてけ!』
「! お、おう!」
(俺の存在はまだバレていないみたいだ。ならこのアドバンテージを最大限活かしきる……!)
俺は隠れていた建物を迂回して、咲月を追い詰めようとジリジリ動いている警官の内一人の後ろに、音もなく忍び寄っていく。
両手で借り物の消音器つきの拳銃をしっかり握り、できるだけ素早く、しかし音を立てないよう慎重に標準を頭に合わせる。……後は引き金を引くだけだ。
『大丈夫、ここで躊躇しないために、ずっと練習しただろうが』
ーーそう、あの作戦会議が終わった後、俺は実戦で人を殺すのを躊躇わないよう、アリア指導のもと訓練を行っていた。
アジトの地下に捕らえられた、拘束され抵抗できない人間を、何人も殺し、人を殺す感覚に慣れようという訓練だ。
始めは何度も吐いた。人を刺す感覚も、銃の引き金を引く感覚も、慣れたくないとすら感じさせられた。
そうやって何人も、何十人も殺してきた。
ーーただ、この時のために。
パシュッ
そんな思考も束の間、俺は何の情緒も、感慨も、逡巡もなく、自分でも驚くほどあっさりと引き金を引いた。
警官の頭が弾け飛ぶ。もう、それにも動揺しない。
他の警官たちは咲月に集中しておりまだこの警官の死に気付いてないみたいだ。
『気付かれる前に速く隠れろ!』
「分かってるよ」
俺は一旦もう一度建物の陰に隠れ、見つからないように移動する。
そこからは同じ作業の繰り返しだった。
当然すぐに警官の死は気付かれ、何かがいることはバレてしまっているのだが、未だ俺は捕捉されずにいる。俺は自分のこの異様な影の薄さに、ただただ感謝するだけだった。
警官の数が残り数人を切ったところで、咲月が一転攻勢に出た。
銃弾を最小の動きで躱しながら、残りの数人の首を刎ねる。
「……想像以上に厄介ですね。なら……」
俺たちが警官の残党狩りで柳川から注意を逸らしたその瞬間、柳川はなんと懐から拳銃を取り出していた。
「拳銃の所持は違法なんですがね……もう流石になりふり構ってられません」
柳川は、警官の登場で動くに動けなかった隣の田中の首を掴み、そのこめかみに拳銃を押し付けた。
「うっ……手が出せない……!」
「おいアリア! 敵が殺してもダメなのか!?」
『……だめだ、それでも『上』には切られる。そして柳川の目の前にいる咲月は下手に動けないし、筒木さんの狙撃はタイミングを測られるからこっちも使えない……今一番動けるのはお前だ、影介』
「俺が……」
俺が、やるのか。
ーーそう、俺がやるんだ。
ここまで来て今更、緊張も躊躇もない。
俺は着ているコートの内ポケットから、咲月も使っている少し大きいサイズのナイフを取り出す。
『どうやっても抵抗される。だから銃を持ってる右手を、そのナイフで切り落とせ』
「了解……!」
咲月と向かい合っている柳川に、背後から近づく。
途中で咲月は俺に気付いたようだが、それを柳川に悟られぬようにか、こちらに視線をやることはなかった。
気付かれればいよいよ打つ手がなくなる。絶対に気付かれないよう、慎重に、それでいて大胆に。
柳川のすぐ後ろ、もうナイフが届く距離まで来た。両手で持ち直し、思い切り振りかぶりーー
「ーーはっ!!」
「ーー!!」
力いっぱい振り下ろした。
柳川の右腕が肩から切り離される。
「ぐぅ……!」
苦痛に顔を歪ませた柳川に、咲月がナイフを構え、突っ込もうとする、が。
「仕方ないですね……これだけはやりたくなかった……!」
柳川は無事な左腕を使いスーツを脱ぐと、その下から大量の爆弾が姿を現した。
「「「『ーー!!』」」」
「せめて誰か道連れに……!」
そう言って柳川が掴んだ足はーー俺の足だった。
「しまっ……!」
「影介!!」
咲月はさっき走り出した勢いそのまま、柳川の左腕を切り飛ばし、俺を抱えて柳川から離れた。
柳川に捕捉されていた田中はーー柳川の足の下にねじ伏せられていた。
「……! 田中回収しないと……みんなが……!」
『バカお前……! もう無理だ!』
そうアリアが叫んだと同時、柳川が爆散した。
「ぐぁ……!」
「うっ……!」
後で見ると、爆心地にはおそらく二人の男の死体であろうものが、転がっていた。
◆◆◆
「田中の死が『上』にバレてる。多分もう始末する準備をしてると思う」
アジトに帰って開口一番、アリアが言った。
「ここは位置が割れてる。『上』も知らない場所に移ろう」
荷物をまとめながらアリアは続ける。
「影介のことは『上』は知らない。それにもうアジトの場所も変えるし、好きにしていいぜ」
「そうか……」
そう、そもそもそういう約束だ。もうこいつらと関わることもない。咲月とは……きっと今まで通りに戻るだけだ。『上』のことだってこいつらならどうにかするだろう。
あとは、踵を返して帰路に着くだけだ。
「……じゃあね、影介。行けるか分かんないけど……また学校で」
咲月が出発の準備を手伝いながら言った。
……そんな顔を、するなよ。
「ーーなぁ、アリア、ここ、人員募集してるか?」
「……はぁ、言っとくが見ての通り給料だす余裕ないぜ?」
「それでいいさ」
「影……介……?」
あの夜、咲月のために発砲したあの時から、俺は咲月の味方でいると決めたんだ。
「ほんとに……いいの? もう誰も、私たちの味方はいないのに……」
「だから、俺が味方になるんだ」
「ーー本当に……本当に世界中が敵になっちゃったけど、それでも君は私の味方をしてくれる?」
「あぁ、この先何があっても、俺を君の味方でいさせてくれ」
「ーー! うん!」
そう言って笑った咲月は、こんな状況にも関わらず、見惚れてしまうほどのものだった。