7 娯楽都市へ
アイラと二人でノーブルガーデンの観光を存分に楽しんだ翌日の朝。エマがベッドの上で胸にさらしを巻いていると、控え目なノックの音とほぼ同時に侍女のレオナが入室してきた。
「失礼しますエマ様。お召し物をお持ちしました」
「今のノックに意味あった?」
呆れるエマを無視し、レオナは室内にワゴンを運び込むと、そこからてきぱきとした手つきで巻き尺を取り出した。
「エマ様、昨日は用意がなかったため仕方なく諦めましたが、本日は下着をつけていただきます」
有無を言わさぬ口調で告げるレオナに、エマは冷や汗を流して苦し紛れの言い訳を述べる。
「えっとぼく、今までこれでやってきたんだけど……」
「ダメです。さらしを巻くならせめてブラの上からにしてください。あとパンツは履いてください。ノーパンなど絶対に認めません」
当然通用するわけもなく、エマの言い分はぴしゃりと却下された。エマはすべてを諦めた顔でベッドから降りると両手を上げ、黙って測定を受けるのだった。
初めて着用する女性用下着の慣れない感触に時折もぞもぞと体を動かしつつ、レオナとともに食堂へとやってきたエマが目にしたのは、侍女に囲まれ全力で奉仕されるアイラの姿だった。
「あっ、エマ様、おはようございます!」
「おはようアイラ。どういう状況だい?」
侍女達と朝の挨拶を交わしながらエマが尋ねると、アイラの代わりにレオナが答える。
「もちろんアイラ様もエマ様と同じく大事なお客様ですので、全力で可愛が――ご奉仕させていただいております」
「うん、前半本音がだだ漏れだったね」
「些細なことです」
開き直ったレオナに本日二度目の呆れ顔を披露しながらエマは席につく。すぐに侍女の一人がサラダと温かいスープをエマの前に置き、エマが笑顔で礼を言うとその侍女は黄色い声を上げて仲間達の輪へと戻っていった。
侍女たちに甲斐甲斐しくお世話された後、朝食を終えたエマがアイラと廊下を歩いていると、向かいからベアトリクスが歩いてきた。
「やあお二人さん。さっそくだが、ベルクローデンからの迎えが到着したよ。今はリノアと歓談中だから、私と執務室まで来てくれ。エマ、我々がよく世話になっていた人だぞ」
「え、ホント? もしかしてあの人?」
「そうそう。あの人も相変わらず苦労人だから、私たちで慰めてやろうじゃないか」
盛り上がる二人。一方アイラは会話の中にあった信じられないワードに驚愕していた。
「お、お二人がお世話になっていた方……!? ど、どれだけ凄い方が……!」
そして執務室までやってきた一行。相も変わらずノックなしでベアトリクスが部屋に押し入り、二人が後に続く。
「リノア、二人を連れてきたよ」
「もうベアったら。部屋に入る時はノックしてっていつも言ってるのにー」
「ははは、どうせ入るのだから問題あるまい」
「問題あるでしょ。レオナもそうだけど、君らに対してちょっとだけ待って欲しい時とか、割とあったよ?」
「――あなたがエマさん、いやエマ先生ね! リノアさんから話は聞いたわ!」
エマの姿を確認して、一人の女性が走り寄ってくる。平然としていれば眼鏡をかけた知的な感じの美人に見えるのだが、残念なことにその顔からは切羽詰まった余裕の無さが滲み出していた。
「マルさん、やっぱり貴女でしたか」
マルさん改めマルグリットはただの晴真の『ファンタジーステラ・オンライン』仲間ではなく、ライトノベル作家としての晴真の担当編集を務めていた女性である。ゲームに熱中する晴真の姿に感化され、自身もゲームを始めて召喚術士の上位プレイヤーとして活躍していた経歴を持つ。
「話を聞いたって何ですか?」
「エマさんが本来の先生そっくりの性格をしてるってことよ! どうか、どうか原稿の手伝いを……!」
藁にもすがらんばかりの勢いで詰め寄ってくるマルグリットに目を白黒させるエマ。見かねたリノアがぱんと手を叩くと、部屋の隅に置いてあった鉢植えの植物がするすると成長し、蔓でマルグリットを巻き取った。
「こらマルさん、エマが困ってるでしょ」
リノアは植物を自在に操る植物魔法を専門とする魔術師である。
派手に爆発だの落雷だのを巻き起こすベアトリクスとは相性が悪いが、二十年前の首都防衛戦ではベアトリクス率いる討伐部隊を街の外に配置し、自身はノーブルガーデンの生け垣を利用して鉄壁の布陣を敷いて、一匹たりとも魔物の侵入を許さなかった実績を持つ。ベアトリクスの影に隠れがちではあるが、彼女もまた女王にふさわしい実力の持ち主なのだ。
「ご、ごめんなさい。つい取り乱してしまって……」
巻かれた状態でしょんぼりとするマルグリットにエマは尋ねる。
「ああ、うん、ちょっとびっくりしただけだから……。察するにマルさん、その原稿ってセシアが書いてるやつでしょ」
「そうなの! セシア先生ったら次々に新事業に手を出して、おかげで常にスケジュールに忙殺されてるのよー」
「ベアトリクスとかレオンには頼めなかったんですか?」
「実は何度か頼んだこともあったんだけど、二人とも国のことで忙しいし、ベアトリクス先生は魔術師を、レオン先生は戦士を優遇しようとするところがあって、同じ記憶を持っていても性格の違いから上手くいかなかったの……」
確かに、元は同じ人間だったとはいえ現在のエマとベアトリクスはもはや別人といっても過言ではない。それはきっとまだ見ぬ七人も同じなのだろう。
「セシア先生、言動こそリアルの晴真先生とはだいぶ違うけど、文章に関してはそのままなの。だからエマ先生なら同じものが書けるんじゃないかと……」
「なるほど……まあ見てみないことには分からないですけど、手伝えそうなら承りますから。それよりいつまでもぼくらだけで盛り上がってると、そこにいるアイラに悪いですよ」
マルグリットの迫力に驚き、リノアの魔法にも驚いたアイラは完全に置物と化して入り口で固まっていた。状況が飲み込めずに頭が考えることを止めてしまったようだ。
「あ、あら? 私ったら恥ずかしい……。こほん、『星の巫女』のアイラさんよね。私はマルグリット。どうぞよろしく」
「……はっ!? あ、はい! よろしくお願いします!」
初対面で醜態を見られてしまったマルグリットは蔓から解放されると顔を赤くしながら自己紹介し、それを受けてアイラがようやく再起動する。改めて席についた五人はベルクローデンの使者としてやってきたマルグリットから、セシアが持つ情報網を利用するための条件について説明を受けていた。
条件はただ一つ。とにかく忙しいセシアの仕事を手伝ってほしい、である。どれだけ切羽詰まってるんだと突っ込みかけたエマだったが、それをぐっと飲み込んで頷く。
「わかりました、ぼくにできることならお手伝いしましょう。期待通りできなくても文句言わないでくださいよ? あとアイラがセシアのファンらしいんで、旅についてきてもらってもいいですか?」
「もちろん! じゃあさっそく出発しましょう! 善は急げよ!」
そう言うとマルグリットは席を立ち、すぐさま部屋を出て行った。そのあまりの忙しなさに、どんな量の仕事が待ち受けているんだと憂鬱になりかけるエマだったが、憧れのセシアに会えると期待に瞳を輝かせるアイラを見ると、苦笑を浮かべて席を立つ。去り際、ベアトリクスがアイテムボックスから筒状に丸められた紙の束を取り出し、エマに投げて渡す。
「ほら、昨日言ってた素材のリストと推薦状だ」
「ありがとう。じゃあちょっと行ってくるよ」
「行ってらっしゃーい。あ、適当にお土産お願いね! これお金!」
リノアもアイテムボックスから革袋を取り出し、ぽいとエマに投げ渡す。じゃらりと音を鳴らしてそれを受け取ったエマは、やれやれと首を振るのだった。
外に出たエマとアイラを待ち受けていたのは、通常の三倍にもなる大きな馬車だった。三人程度なら余裕で寝泊まりできそうな車体を、明らかにただの馬ではない赤みがかった毛並みを持つ大きな馬が引いている。
「私の召喚獣、エクセリオンホースよ。とっても賢い子で、ノーブルガーデンからベルクローデンまでの道のりは覚えてるから、御者をする必要はないわ。街中は安全第一だけど、外に出たら特急で行くわよ!」
意気込むマルグリットに答えるようにエクセリオンホースが鳴く。エマとアイラが乗車したことを確認したマルグリットがゴーサインを出すと、馬車は娯楽都市ベルクローデンを目指し、ゆっくりと動き出す。
「わあ凄い! こんなに高い景色は初めてです!」
通常の倍高い車内から外を見下ろし、アイラが歓声を上げる。
「うふふ、それはよかったわ。ベルクローデンまでは二日くらいかかるから、はしゃぎ過ぎて疲れてしまわないようにね」
微笑むマルグリットにエマは気になっていたことを尋ねる。
「マルさん。マルさんとセシアはいつ頃こっちに来たんですか?」
「今から十五年くらい前にセシアが、私はそれからおよそ一年後にこの世界に来たわ。何がなんだかわからないところを彼女に助けられて、それからずっと一緒にここまでやってきたの。不思議な縁よね。ただの作家と担当だったのに、今は異世界で同じ屋根の下で暮らしてるんだもの」
「セシア様のお話ですか!? わたしも聞きたいです!」
期待に瞳を輝かせるアイラの姿に興が乗ったマルグリットは身振り手振りを交えながら話し出す。セシアとはどういう人物で、どんな道を歩んできたのかを。
セシア・トライドリーマー、通称『夢幻のセシア』。
モノに魔法の効果を与える付与魔法を得意とし、数々の魔道具と柔軟な発想でどんな状況でも最適解を導き出し、味方に勝利をもたらしてきた。そんな彼女の言動はエキセントリックという他なく、常にハイテンションで芝居がかっており、落ち着きの欠片もない。
そんな彼女は今から十五年前、まだ人類が魔物による侵攻から立ち直りきれていなかった頃にこの世界にやってきた。持ち前の実力と明るさで瞬く間に人々の信頼を勝ち取ると、「娯楽は世界を救う」をモットーに会社を設立。会社はみるみるうちに大きくなり、今では世界最大の企業にまで成長。それでもセシアはまだ満足せず、現在も次々と新事業に手を出しているらしい。
異世界サクセスストーリーとでも言うべきセシアのこれまでを聞いた二人。アイラはまだ見ぬ彼女に対してますます憧れを募らせ、エマはどこか親心にも似た気持ちでその話を聞いていた。