6 ノーブルガーデン観光
模擬戦を終え、エマの実力を思い知った一同。それからは異論などもなく、粛々と会議は進んだ。
行方の知れない残りの五人の捜索はエマに任せるという事で話が纏まり、その場は解散。
会議後、執務室でエマはリノアからセシアに会うための旅行日程を聞かされていた。
「セシアがいるのは娯楽都市ベルクローデンよ。今は執筆のために市長室に籠もってるらしいから、会ってきてちょうだい」
「はいはい了解。ていうかセシアのやつ、市長なんだ……ん、娯楽都市?」
聞き慣れない単語にエマが反応すると、ふよふよと浮かぶポットを運んできたベアトリクスが答える。
「その名にふさわしく、この世の娯楽がすべて詰まった場所さ。ノーブルガーデンから東に進み続け、領内を出て少ししたら大きな時計塔が見えてくる。セシアはその頂上にいるよ。向こうからの迎えがあと数日以内に来るから、それまでは観光でもしているといい。二十年で進歩した世界を見ておいで」
ベアトリクスが二人の前にハーブティーを淹れる。国内産のハーブをオリジナルブレンドした一杯は土産としても売り出され、嗜好品として貴族から庶民まで広く親しまれる一品だ。
「ありがとう――あっつ!」
「なんだ君、晴真と同じく猫舌か。本当に似てるな」
「ああ、そういえば先生、小籠包とかすっごい慎重に食べてたもんね」
「うう……しょうがないじゃないか。熱いものは熱いんだから……」
ひりひりと痛む舌を出し、涙目で呻くエマにベアトリクスとリノアは顔を見合わせくすりと笑う。そうして、いつの間にかお茶会と化した会議は和やかに進んでいくのだった。
それからおよそ一時間後、エマはアイラを連れ、首都ノーブルガーデンをぶらぶらとあてもなく散策していた。
「あっ、エマ様見てください! 綺麗なお花が売ってますよ!」
城の侍女によって清楚な白のワンピースに着替えたアイラが、店先に並べられた花を見て顔を輝かせる。
「へえ、ミスティックブロッサムか。長年栽培方法が謎だったんだけど、値段を見るにこの国だと普通に栽培されてるみたいだね」
「えーっと……ご、五千ゴールド!? 一輪でですか!?」
「これでもずいぶん安くなったんだよ。以前はこの倍出しても買えないくらい高かったからね。高品質のマナポーションの材料になるんだ」
様々な店を回りながら、ゲーム時代と比べて安くなった、または逆に高くなった商品を見て時の流れを実感するエマ。
「二十年か。ぼくも一緒に歩みたかったな……」
思わずエマがそう零すと、隣を歩くアイラが躊躇いがちに口を開いた。
「あの、エマ様はやっぱり、フライヤーの方なんでしょうか……?」
フライヤーとは、元プレイヤーを指す種族名のことである。
あるプレイヤーが自らをプレイヤーだと名乗ったところ、それが新しい種族として間違った形で定着してしまったのだ。
一般的に認知されている特徴としては、エルフと同じように長寿で、老化しないこと。そして、極めて高い戦闘力を持つとされている。
ゲーム時代では死亡してもペナルティとしていくらかの所持金をロストする程度だったが、この世界ではどうなるかわかっていない。死んだら二度と復活しないかもしれないし、寿命があるのかも不明だ。事実、二十年経ってもリノアやベアトリクスの外見に変化はなかった。
「実は、ぼくにもよくわかってないんだ。たぶんそうなんだと思うけどね」
この世界に来て数日。自身の知る世界はいつの間にか二十年もの歳月を得て大きく様変わりした。謎は多く、旅に出ればきっと未知のものに数多く出会うことだろう。そう、未知だ。『ファンタジーステラ・オンライン』を始めて、どこまでも広がる世界を駆け抜けた日々。今となってはどこか遠い情景に感じるそれが、再び目の前に広がっている。ならば、自分がどんな存在だろうが関係ない。
「ぼくの種族なんて些細なことさ。外に出れば、冒険がぼくを待ってる。そう考えるだけで、わくわくしてしょうがないよ」
少年のように屈託のない笑顔でくるりと回るエマ。その笑顔に、何人もの通行人が見惚れて足を止める。それを見て、何事かとさらに人が集まってきて人だかりへと発展する。自身の魅力を毛ほども理解していないエマはちょっとした騒ぎになってしまったことにどぎまぎしつつ、アイラの手を引いてその場からそそくさと逃げ出すのだった。
「ふう、なんとか抜け出せたよ。なんで人が集まったのかよくわからないけど……」
「エマ様が素敵だからですよ。わたしもどきっとしちゃいましたもん」
確かに小説のエマは異性、同性問わず惹きつける魅力を持っていた。しかしゲームが現実となり、自身がその立場になってみると、いまいち自覚がないのだ。
そんなものなのかと思いながらエマが通りを歩いていると、突然声をかけられた。
「そこの美しいお嬢ちゃんがた、肉汁たっぷりの串焼きはどうだい? 今なら安くしとくよ!」
見ると、威勢のいい店主が屋台で肉を焼いていた。香ばしい匂いが漂い、食欲を刺激する。じゃあ一本、とエマが言おうとした時、アイラからきゅるりと可愛らしい音が聞こえた。
「ふふ、店主さん、二本くださいな」
顔を真っ赤にして俯くアイラを微笑ましく思いながら、エマは予定より一本多く注文する。
「あいよ! 一本二百ゴールドのところ、オマケして二本で三百ゴールドだ! あと、もう一本食えそうならサービスしてやるぜ!」
「おっ、気前がいいね! じゃあ、三本もらおうかな」
焼き上がった串焼きを受け取り、一本をアイラに渡す。
「あ、ありがとうございます……ん、おいしいです!」
「うーん、柔らかいけど歯ごたえはちゃんとあって、噛めば噛むほど肉汁が溢れてくる……うん、美味しいね! もう一本食べようかなあ」
一本をあっという間に平らげ、二本目を食べ始めたエマ。その食べっぷりに、屋台の店主は嬉しそうににかりと笑う。
「嬢ちゃん、嬉しいこと言ってくれるねえ! しかも嬢ちゃん、宣伝の才能があるな! よし、大サービスして次の一本は百ゴールドにしてやらあ!」
美少女が食べる姿というのは絵になるものだ。ましてそれが、ただでさえ人目をひく男装の麗人ともなれば尚更である。串焼きに舌鼓をうつ二人の姿に商機を見出し、店主はいっそう声を張り上げる。
果たしてその目論みは大いに当たり、広告塔と化した二人につられて大勢の人々が集まってきた。結局追加で二本の串焼きを平らげた後、エマは人でごった返す屋台の前を、店主とサムズアップを交わして立ち去った。
「スノードロップでも思いましたけど、エマ様っていっぱい食べるんですね。そんなにすらっとしてるのにうらやましいです」
「確かに、ぼくって食べても太らない体質なんだよね。だから女の子の知り合いからはよく妬まれるよ」
エマとしての自分はどうか知らないが、現実の自分はどれだけ食べても体型の変化がほとんどなかった。そのためリノアを含め、女子達からはよくずるいと妬まれたものだ。
その後も書店などを見て買い物を楽しんだ二人。ちなみに支払いはすべてベアトリクス持ちだった。所持金に関してはアイテムとは別枠となっており、誕生したばかりのエマは持ち合わせていなかったからである。アイラは恐縮しきりだったが、ベアトリクスは「国家予算ばりの買い物でもしなければ、私の貯蓄が尽きることはないから安心したまえ」と笑っていた。
気付けば太陽は地平線の彼方へと沈み、夜の道標たる街灯がちらほらと点灯し、街を照らし始める。
「もうこんな時間か。そろそろ城に帰ろう」
「エマ様、本当にありがとうございました。わたし、今日のことは絶対に忘れません!」
花が咲くように微笑むアイラ。同時に髪がふわりと揺れ、それを見たエマはふと思いついて指輪に触れ、メニュー画面からアイテムボックスを呼び出すと、そこから一つの髪飾りを取り出した。
「じゃあ、今日の記念にこれを贈るよ。よかったら使ってみて」
「えっ……?」
黄色い花をモチーフにしたそれは『黄仙華の髪飾り』といい、とあるイベントクエストで手に入れて以来、一度も身につけることがないまま眠っていた品である。
「い、いいんですか? こんなに素敵なもの……」
「ぼくには必要ないからね。誰かが使ってくれるなら、ぼくとしても嬉しいよ。もちろん、嫌なら全然いいけど――」
「嫌じゃありません!」
これまで聞いたことがないほど大きな声でアイラが言い、驚いたエマがびくりと肩を震わせる。
「あっ、ご、ごめんなさい。その、まさかわたしのための贈り物だなんて想像もしてなかったので、驚いてしまって……」
「そ、そうなんだ。ならよかった」
「あの、エマ様……それ、つけてくださいませんか?」
「うん、いいよ」
安請け合いするエマだったが、後ろを向いてアイラが髪を上げたあたりで、言いようのない謎の緊張感に襲われた。
白いうなじはほんのりと朱に染まり、女性特有の甘い香りが鼻腔をくすぐる。よくわからない汗が背中を伝う中、エマは震える手で大役を成し遂げた。
「お、終わったよ。うん、よく似合ってるよ」
「ほんとうですか? 嬉しいです……」
しばし見つめ合う二人。なんとも言えない気恥ずかしさが二人の間に流れ、二人は逃げるように城へと足を運ぶのだった。
夕食後、エマが部屋で寛いでいると、ノックも無しに部屋のドアが開き、ベアトリクスが入ってきた。
「失礼するよ」
「ただの事後報告だよそれ。で、なんの用?」
「君、私に改造されてみないかい?」
「はい?」
大真面目な顔でとんでもないことを口走ったベアトリクスに、ベッドの上でストレッチをしていたエマは怪訝な顔を向ける。
「君には説明の必要もないことだが、私は魔術の他に錬金術など、魔法が絡むものならなんでも研究を行っていてね。で、この二十年の間に開発した新技術があるんだが、それを受けてみないか、という話さ」
魔術師ベアトリクスは魔法に繋がる事であればなんでも研究し、しかも研究成果はたとえ危険が伴おうとも実際に確かめないことには納得しない、マッドな一面を持ち合わせていた。
そこにはいわゆる人体実験も含まれており、他人への倫理観は持ち合わせているため問題ないが、それゆえ実験対象はすべて自分自身となる。危険極まりない行為であったが、ゲーム時代は死すら恐るるに足りず。ベアトリクスはそのようにして実験を繰り返し、やがて世界最強と呼ばれるまでの強さを手にしたのだ。
「何ができるようになる?」
「色々さ。たとえば手から小規模な【空間魔法"ゲート"】を発生させたりね」
「よし、やろう」
即答するエマに、ベアトリクスは笑みを深める。
「即決だね。リスクとかは考えないのかい?」
「完璧主義者の君が他人にそんな提案をするわけないだろ。しかもそれ、人体に術式を刻んで円滑に魔法を撃とうっていう、昔研究してたやつだろう? 刻める術式の数に限りがある上に、ビジュアルの面でも入れ墨だらけになるからって断念したはずだけど、もしかしてクリアできたのかい?」
「パーフェクト。流石だよ。実は一年ほど前に完成してね、これが成果さ」
ベアトリクスが手をかざすと、その手に術式が現れ、そこから杖が出現した。
「これの画期的なところは、これまで基本的に足を止めて放つしかなかった術式魔法を動きながらでも使えるようにしたことと、刻んだ術式自体が使用者の意志で流動することで、いくつもの術式を刻む必要が無いということだ。あと塗料は普段は透明で、術使用時に限り使用者のマナに反応して可視化するから、ビジュアルの面も問題ない」
「マジか。とんでもなく便利じゃないかそれ」
「難点は私レベルで術に対する理解と習熟がなければまともに機能しないことと、単純に塗料の原料調達が困難なことだ。君なら前者はクリアなんだが、ちょうど私一人分でいくつかの素材が切れてしまってね。後でリストにして渡すから、悪いが旅先で集めてきてくれないか」
まさかのお使いクエスト発生である。しかも話からして、その素材とやらは相当集めるのが難しそうだ。しかし、エマに諦めるという選択肢はなかった。
「わかった。せっかくのパワーアップの機会を逃す手はないからね」
「それでこそエマだ。ちょうどセシアのいるベルクローデン近郊にあるダンジョンに一つあるから、ついでに取ってくるといいよ。君なら余裕だしね。あ、そういえば君、まだ冒険者登録してないんだっけ? 私とリノアで推薦状を書いておくから、登録の時に一緒に提出したまえ」
「ありがとう。至れり尽くせりで悪いね」
「お互い様だよ。君がもっと強くなって色々な素材を取ってこれるようになったら、おいそれと国を出られない私の研究も捗るってものだからね」
にやりと笑うベアトリクスに、エマも不敵に笑い返す。
会話するのは自分自身。ならばお互い、何もかも知り尽くしている。内に秘める狂気染みた情熱も。
二人が発するぎらついた熱意を、夜の帳が覆い隠すように包んでいた。
薬の副作用で胸焼けが凄くて遅れました。すいません。
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