5 選ばれし者たち
窓から差し込む爽やかな朝日に照らされ、エマは眠りから目を覚ます。
昨日はベアトリクスと風呂に入った後、部屋に案内されそのまま飛び込むようにベッドに潜り込み就寝となった。
寝ぼけ眼で大きく伸びをし、あくびを噛み殺しながらベッドから上半身を起こした状態でうとうとと微睡んでいると、唐突に下腹部を馴染みのある感覚が襲う。
ベッドから降りてトイレに向かい、用を足す。最初の時は気恥ずかしさから限界ギリギリまで我慢していた行為も、数回の経験を経て大分慣れてきていた。
顔を洗い、ボサボサになった髪を手櫛で整えていると、部屋のドアをノックする小さな音が耳に届く。
「エマ様、おはようございます。もう起きていらっしゃいますでしょうか」
ドア越しに落ち着いた女性の声がかけられる。
「うん、起きてるよ」
「リノア様よりお世話を仰せつかりました、侍女のレオナと申します。お部屋に失礼してもよろしいでしょうか」
それを聞いてエマは焦る。なぜなら、その格好はシャツ一枚を羽織るのみという、そこはかとなく扇情的なものだったからだ。戦闘で汗をかいたのでその時の服装のまま寝たくはない、しかし女性の服は着る方法がいまいちわからないし恥ずかしいという理由からだった。
「えっと、まだ着替えてないから、少し待ってもらってもいいかな?」
「それならお手伝いいたしましょう。失礼します」
エマが何か言う前にがちゃりとドアが開き、入室してきたレオナと目が合った。まるで時間が止まったかのように停止し、しばし見つめ合う両者。
「――エマ様は、寝る時は何もつけない派でしょうか?」
クールに首を傾げるレオナの誤解を解くのは大変だった。後にリノアにそう語ったエマは、見事に爆笑をさらうことになるのだった。
誤解を解き、ついでに着付けを手伝ってもらったエマは、途中で合流したアイラと王の間にやってきた。玉座には昨日の醜態など影も形もない、女王の風格を宿したリノアが座っており、その周囲にはベアトリクスを始めとした大臣や近衛騎士らが並んでいる。
「『星の巫女』アイラ、リノア陛下に予言をお伝えするべく参上いたしました」
「ご苦労様。早速、貴女が見た夢の内容を教えてもらいたいのだけれど、その前に紹介しておくわ。今回の護衛任務に助力してくれた、旅人のエマよ」
「どうも、エマです」
事前に打ち合わせでもしていたのだろう、顔に多少の緊張を浮かべつつも淀みなく口上を述べたアイラに対し、いきなり呼ばれたエマは反射的に素の口調で答える。途端にざわめきが起こり、近衛騎士の一人が剣を抜いて歩み出た。
「貴様、なんだその態度は! 女王の御前だぞ!」
凄まじい剣幕にびくりと震えるアイラ。それを横目に見つつ、しまったなとエマが反省していると、ベアトリクスが鷹揚にそれを制した。
「剣を収めたまえヴェルナー君。彼女は私とリノアの知り合いだ」
「ベアトリクス様! しかし……!」
なおも食い下がろうとするヴェルナー。すると、リノアはざわつく場内を手で制し、書記官を呼ぶ。そして書記官から一枚の書状を受け取ると、滔々とそれを読み上げた。
「彼女は第三騎士団のクラウス団長ら護衛メンバーの窮地を救った、今回の最大の功労者よ。報告によれば、およそ百八十匹のゴブリンの群れにナイトホーク六匹を一人で殲滅。そして昨日出現した悪魔を追い詰めたのも彼女とあるわ」
よほど衝撃的だったのか、その場の人々は目を丸くして男装の少女を凝視する。エマがなんとなく居心地の悪さを感じていると、ベアトリクスがさらに続けた。
「それに彼女は、件の夢の内容と無関係ではないんだよ。アイラ嬢、みんなに君の見た夢について教えてやってくれ」
「はい……!」
ベアトリクスに促され、アイラは力強く頷き、語り出す。
きっかけは、各国の巫女が一斉に神託を受けたこと。この場で知らないのはエマだけだったが、この世界で主流となっている宗教が祀る神は実在が確認されており、時々巫女を通じてメッセージを伝えることがあった。それによれば、近いうちにこの星そのものの意志を受けた『星の巫女』が現れ、予言を伝えるだろうとのこと。そして選ばれたのがアイラであり、近くの街の教会へと足を運び、正式に『星の巫女』として認められ、こうしてマギノリア王国へとやってきた。『九人の男女が世界を救う』という夢の詳細を伝えるために。
(ん? 九人の男女……?)
ふと何か引っかかるものを感じたエマがベアトリクスを見ると、悪戯っぽい笑みが返ってくる。
エマが加速度的に嫌な予感を募らせていると、ついにアイラがそれを口にした。
「夢で見た九人のうち、一人はベアトリクス様。そしてもう一人は――このエマ様です!」
その言葉を受け、かつてない衝撃がその場の面々を襲う。そしてエマは、続けて語られた九人の容姿を聞き、また別の衝撃に襲われ、白目を剥いていた。
(全員晴真の持ちキャラじゃんか)
元は一人だったのに、どういうわけか分裂してもはや各個たる存在として動き始めた自分たち。それだけでも手に余るというのに、なぜか『星の騎士』などという肩書きまで付き、それが世界を救うのだという。訳の分からなさもここまでくると笑うしかない。
虚無の表情で打ちひしがれるエマの姿に、リノアとベアトリクスは必死に笑いを堪えるのだった。
「しかし、まだ信じられん……。こんな小娘がベアトリクス様と並ぶなど……」
なんとか衝撃から立ち直り、しかし未だ納得のいかない様子で呻くヴェルナー。一番信じられないのは自分の方だとエマが内心で突っ込んでいると、ベアトリクスがわざとらしく手を打った。
「ならばヴェルナー君、彼女と模擬戦をしてみてはいかがかな? 訓練で何度も私に転がされた経験のある君なら、きっと彼女の強さを感じ取れるだろう?」
愉快そうに笑うベアトリクスに、ヴェルナーは真剣な表情で頷く。一見馬鹿にするような物言いだが、彼に憤りはなかった。世界最強の呼び声高い魔術師に敗北を喫するなど、当たり前のことだからだ。
「そうさせていただきます。ついてこい、訓練場に案内する」
まだ了承してないんだけど、と口を尖らせるエマを完全に無視して事は進み、一同は城の中庭にある兵士の訓練場へと集合していた。ちょうど演習中だった騎士団に経緯を話すといい機会だからと喜ばれ、あれよあれよいう間に即席の観客席まで出来上がった上に、どこからか聞きつけた侍女達まで観戦に加わる始末である。知り合いの国の闘技場みたいだなとエマが呑気にしていると、見知った顔が声をかけてきた。
「やあエマ殿、昨日ぶりだな。なにやら面白いことになっているじゃないか」
「やあクラウス。ぼくは今、ひょっとしてこの城の人達って案外暇なんじゃないかと思ってるところなんだけど、実際どうなんだい?」
話しかけてきたのは第三騎士団団長クラウス。最初こそ敬語だったが、旅の中ですっかり打ち解け、素の口調で話すようになった彼に、エマは冗談交じりに問いかける。
「いや、そうでもないぞ。私を始め、ウチの兵士たちは間違いなく有意義なものになると思っているよ。侍女達の方はおそらく、貴殿の容姿が原因かな」
なるほど確かに、侍女達はみなどこか熱っぽい眼差しでエマを見つめていた。その中には今朝知り合ったレオナも混じっている。彼女は他と違い、カメラを構えてどこぞのカメラマンの如く様々な角度からエマの姿をシャッターに収めていた。
カメラが存在することにエマが驚愕していると、クラウスは白線で区切られた円形の枠内に二人を立たせ、自身は枠の外、ちょうど二人の間にあたる位置につき、声を上げた。
「それではこれより、模擬戦を行う! 両者、構え!」
闘気を漲らせ、左腕に装備した盾を構えるヴェルナー。一方でエマは、いつもと変わらぬ自然体のまま、ただそこに突っ立っていた。
「始め!」
号令とともに試合が始まる。相対する二人を緊張の眼差しで見つめるアイラに、右隣に座るベアトリクスが笑って言った。
「アイラ嬢、そう心配することはないさ。エマが負けるなど、それこそ天地がひっくり返ってもあり得ないことだからね」
「そういえばベア。私、エマの戦い方は貴女からぼんやりとしか聞いてないんだけど、彼女は何ができるの? なんだか色々できそうだけれど」
自信たっぷりに断言するベアトリクスに、アイラの左隣に座るリノアが質問する。
問われたベアトリクスは顎に手をやると、何かを思い出すように遠い目で語り始めた。
「ふむ、まず私を含めた『星の騎士』とされる九人は、みな何かに特化している。我々はそれぞれ魔法や闘術など、特定の分野においては全人類の中でもトップクラスだという自負がある」
そしてベアトリクスは佇むエマに視線を向けると、口の端を吊り上げる。
「そしてエマだが、はっきり言って彼女は別に、何かが特別秀でているというわけではない。強いて言えばスピードはトップクラスだが、その他の能力はどれだけ頑張っても上の下がいいところだろう」
「え、ええ……? 大丈夫なのそれ?」
「そ、そんな、エマ様……!」
心配そうな二人だが、ベアトリクスは「しかし」と前置きすると、それを笑って説き伏せる。
「それは彼女の戦い方が極めて特殊であることが原因でね。要は彼女は、『私たち』を全員足して割ったものだと思えばいい」
その言葉の意味を理解したリノアは息を呑む。
「ちょ、ちょっと待って。それってつまり……」
「その通り。専門職ではないからか、どれも中級レベルの技までしか扱えないという制限があるが、彼女はあらゆる分野の技を極めて高い練度で使いこなす。言うなれば、器用貧乏の極みとでもいう存在なのさ」
「ご、ごめんなさい、つまりどういうことなんでしょうか……?」
「たとえば魔法なら中級までのものに限り、私と同レベルだと言うことだよ。そこに闘術や剣術、魔道具を駆使した罠などが加わる。さっきは器用貧乏などと言ったけどね、裏を返せばそれは、『格下では絶対に勝てない』ということでもあるのさ。ありとあらゆる面で負けてしまっているんだからね。そういうわけで、ヴェルナー君には悪いがこの試合の結果は見えたも同然なんだよ」
「な、なるほど。エマ様すごい……」
感心するアイラだったが、リノアはまだ不安そうにベアトリクスを覗き見る。
「でも、器用貧乏って言ったって事は、ベアも弱点は理解してるんでしょ。たとえばすっごく硬い敵とかが出てきて攻撃が何も通用しなかったら、エマだけじゃ勝ち目がないってことじゃない」
「ふむ、それはもっともな意見だ。まあそれを覆す方法はいくらでもあるし、実を言うと奥の手もあるんだが、せっかくだから今は黙っておくよ。どうせこの試合で見ることはないだろうしね」
不敵に笑うベアトリクス。エマの勝ちを確信するその様子に、アイラは少し安堵してエマ声援を送るのだった。
円形のエリアの中で、ヴェルナーは油断なく構えながら眼前で突っ立ったままの少女を観察していた。
(なぜ剣を構えない……! たとえ刃のない模擬刀だろうと、闘気を乗せれば鎧だって叩き潰せる。だというのに棒立ちのままとは、何を考えている……!)
(うーん、手加減するなって怒られるかもしれないけど、じゃないと怪我どころじゃ済まないかもしれないから怖いんだよなあ。何かないかな……あ、そうだ)
何かを思いついたエマがおもむろにヴェルナーを指差す。ヴェルナーがその意味を理解する前に、右肩をとてつもない衝撃が襲った。
「がっ!?」
何をされたかわからない。しかし何らかの攻撃を受けたことは理解できる。そこまで分析し、盾を正面に構えた直後、二発分の衝撃が盾を持つ手を震わせる。
「ぐっ、おおお……!」
攻撃の正体は、【刺突】ならぬ【指突】という、エマのオリジナル技だった。
達人は闘気を剣で飛ばすことができる。というか剣でなくとも棒状のものなら木の枝だろうが爪楊枝だろうが可能だ。ならば指でも闘気を飛ばせるだろうと考え、訓練の結果生み出されたこの技は、エマにしてみれば意表を突ければ儲けものというオマケ程度の認識だったが、この世界の一般常識では違った。
(鉄が凹むほどの威力の技を指で連発するだと! ちい、守っていては勝てんか……!)
初撃を食らった鎧の右肩部分には見てわかるほどの凹みがあった。恐ろしい威力の技をただの指から連打する様に戦慄を覚えながら、ヴェルナーは意を決して飛び込み、渾身の一撃を振るう。
「はああああ!」
ありったけの闘気を込めた一撃を前に、エマの瞳がぎらりと光る。瞬間、ヴェルナーは己の死を予感した。
ヴェルナー最大の一撃に対し、エマはそれを左手であっさりと掴むと、剣をまるで小枝のようにへし折った。同時に右手で拳を放ち、それは盾を容易く貫通したところで止まる。
「私の完敗だ……。エマ殿、貴殿を侮ったこと、ここに深く謝罪する」
やがてヴェルナーが真摯な色を瞳に宿し、深く頭を下げる。こうして模擬戦は、エマの圧勝で幕を閉じたのだった。