22 五色の賢者
「へえ、彼女に会ったのですか」
夕食時、エマがセシアに軽業師ミスティキャットと出会ったことを話すと、セシアは食事の手を止めて興味深そうに言った。
「あ、知ってるんだ。で、単刀直入に聞くけど彼女、何者だい?」
【サイレントムーブ】が見破られた話を出してエマが尋ねると、セシアは一つの国名を挙げる。
「彼女はエスピオス共和国のエージェントですよ。前にコペリさんが教えてくれました」
「ああ、コペリも来てたんだ。なんだ、じゃあ向こうの得意分野だったってわけか。それなら見破られるのも納得だよ」
得心がいったとローストビーフを咀嚼するエマだったが、ふと顔を上げるとマルグリット以外の面々がぽかんと口を開けてこちらを見ていることに気付く。
「え、なに? どうしたのみんな?」
「エスピオス共和国って……あのエスピオス共和国ですよね? 世界最大の劇場を持つ、あの……」
アイラのその言葉で、エマはプレイヤーでない者から見たエスピオス共和国の姿を思い出した。
「そっか、マルさん以外は知らないのか。それはあの国の表向きの姿で、裏側はけっこうすごい設定――じゃなくて、すごい秘密が隠されてるんだよ」
エスピオス共和国。マギノリア王国より北に位置する、ゲーム時代にプレイヤーが興した国で、諜報活動を意味する言葉が国名の由来である。
巨大な劇場や博物館を有し、学術や芸術を奨励する文化の中心地、というのは表の顔であり、その正体は所属するプレイヤーの全員がアサシンで構成されているアサシン教団という、なんというか色々と凄い国なのだ。
そしてこの国の国主を務める者こそ、マスターアサシン『絶影のミストレス』。現在行方知れずとなっている、七番目のキャラクターだった。
二人の言うコペリとは教団のナンバーツーを務める女性プレイヤーで、親しい者にはフルネームのコッペリアルではなく愛称で呼ばれることを好む、暗殺者のイメージからはかけ離れたフランクな人物だ。戦闘では笑顔のまま投げナイフで相手を蜂の巣にする恐ろしい一面もあるのだが。
エスピオス共和国の内部事情を説明してエマが当時を懐かしんでいると、ミーアが疲れたような溜め息をつく。
「はあ……エマと知り合ってから衝撃の事実をどれだけ知ったか、数え切れたもんじゃないわね」
「というか、エマさんはなんでそんな重要な事ばかり知ってるんですか?」
「軽い調子でとんでもない国家機密を喋るんだからな。毎度驚かされてばかりだ」
「エマ様に出会ってから、知らない世界がどんどん広がっていきます」
三者三様ならぬ四者四様の感想を述べる仲間達に、マルグリットが釘を刺す。
「わかってるとは思うけど、今のは他言無用でお願いね。それこそ国家のお偉いさんでもなければ知る機会のない機密中の機密だから。エマさんも軽々しくよそで吹聴しちゃだめよ」
ついでとばかりに念押しされたエマは「はーい」と答えて食事を再開し、それに合わせて食卓は和やかな雰囲気を取り戻す。
(仲間想いのミストレスが仲間を置いて行方不明か……いったい何に巻き込まれているのやら)
忙しなく料理を口に運びつつ、エマはミストレスについて思いを馳せるのだった。
「今回はありがとうございました」
翌日の朝、正門前にてマギノリアに帰還するエマとアイラは、残りの面々と別れの挨拶を交わしていた。
「色々ありすぎた数日間だったけど、二人と知り合えてよかったわ!」
「近いうちにマギノリアに行くので、見学の件、よろしくお願いします!」
「本当に世話になった。ありがとう!」
タキシード姿のセシアが前に出て礼をすると、続けて獣人三人も感謝を伝える。
「ひとまずお別れね。エマさんはまた原稿を頼むと思うから、その時はよろしくね!」
「うっ、まあほどほどにね……」
マルグリットとエマが作家と担当の会話をする中、最後にアイラが笑顔を振りまきながら言う。
「みなさんのおかげで、今回の旅はとっても楽しかったです! 本当にありがとうございました!」
そして二人は馬車に乗り、マギノリアへの帰路につく。三日後、二人はマギノリア王国の首都ノーブルガーデンに到着した。
「帰ってきましたね、エマ様」
「うん、短い間だったけど、なんだか長いこと留守にしてたような気がするね」
談笑しながらマギノリア城に向かう二人。そのまま正門まで来たところで、こちらに向かって一直線に走ってくる者がいた。
「おーい姉さーん! 迎えに来たぜー!」
エマはその呼び方に覚えはなかったが、声には聞き覚えがあった。
「やっと会えたなエマ姉! と、そっちがアイラちゃんだな! よろしく!」
二人の前に現れたのは、真紅のローブを身につけた少年。明るい茶髪に大きな瞳、周囲を照らす太陽のような笑顔が特徴的なその少年を、エマはよく知っていた。
「ジークじゃないか! 元気だったかい?」
術士の格好をしてはいるが、どちらかといえば外で運動している姿が似合いそうな少年の名はジークフレア。アイラが上ずった声を上げる。
「ジークってまさか……『紅蓮灼光のジークフレア』様ですか!?」
驚くアイラにジークは少し困ったように頭をかく。エマもそうだが、彼も他人から敬われるのは苦手なのだ。
「様なんてつけなくていいよ。畏まられるのは苦手だからさ! それより、みんな二人が帰ってくるのを待ってたんだ! ついてきてくれ!」
そう言うとジークはずんずんと城へ入っていく。二人が後をついていくと、先日も晩餐会を行った応接室にやってきた。
「みんなー! 連れてきたぞー!」
「おかえり二人とも! 旅は楽しかった?」
「おかえり。セシアはどうだった? 相変わらず激務にひいひい言っていただろう?」
部屋に入った二人に一番に声をかけたのはリノア。部屋には他に五人の男女がおり、そこにはベアトリクスも含まれている。他の四人はこの世界では初対面だが、ジークと同じくエマは彼らとも面識があった。
「お久しぶりです先生。といっても、先生はこちらに来てまだ間もないんでしたっけ」
膝に手を置いて微笑む少女はシルフィことシルフィエット。『瞬風のシルフィエット』の異名を持つ、物腰穏やかで礼儀正しい少女だ。
「あら、本当に小説とそっくりなのね」
雪のように白い肌と髪に氷のように冷静沈着な少女はミシェル。普段表情をあまり顔に出さず、『氷帝のミシェル』と呼ばれる彼女だが、再会がよほど嬉しかったのか、その口元には微かに笑みが浮かんでいる。
「やっほー先生! それが九番目の姿なんだ! めっちゃ可愛くてイケてんね!」
フード付きパーカーを着たギャル風の少女はエレナ。ファンタジー世界には似つかわしくない今風のファッションを着こなす彼女だが、雷の力で加速し戦場を駆け巡る『迅雷のエレナ』の異名を持つ凄腕の術士である。
「……おかえり、先生」
職人にオーダーメイドした独自の軍服を着て帽子を被った少年はアルトリンデ。寡黙で内向的な彼だが、戦闘時は地震や地割れを引き起こし、『撃砕のアルトリンデ』として周辺国から恐れられる人物である。
彼らにジークを合わせた五人こそ、筆頭魔術師ベアトリクスと並んでマギノリア王国最高戦力とされる特務魔術師団『五色の賢者』。それぞれ得意とする属性魔法においてはベアトリクスすら上回る、魔法戦のエキスパート達である。
慣れてきたとはいえ王国最高の要人達が勢揃いしたこの状況はさすがに想定外だったのか、目をくらくらさせてふらつくアイラの手を引き、エマは彼女を席に座らせ自身もその横に座った。
「ずいぶんと盛大な出迎えだね。マギノリア建国メンバーが勢揃いだなんて、何か重要な打ち合わせでもするのかい?」
「みんなエマ姉を待ってたんだ。この前エマ姉がここに来た時は、俺達全員国境警備で出払ってたからさ。戻ってきたらベア姉に色々聞いてびっくりしたぜ!」
前回エマがアイラを連れてマギノリアに来た時、彼らはみな国境付近で怪しげな動きがあるということで調査のため各地に散って不在であった。そして戻ってきたらベアトリクスから顛末を聞いて、それから二人が帰ってくるのを待ちわびていたらしい。
集まった顔ぶれを見て、エマは懐かしさに目を細める。
まだゲームがベータテストをやっていた頃、学校の友人同士だという五人を見つけ、何もわからず魔物に突っ込んで全滅してはリスポーンを繰り返していた彼らに、当時パーティを組んでいたリノアとともにベアトリクスとして色々と教えてやり、その時の七人が後に作ったのがマギノリア王国だ。
術の習得方法がほとんど明らかになっていなかった当時、ファンタジーならではの超人的な身体能力と闘気という力により術士の地位は低かった。そんな中誕生した術士の国は彼らを快く受け入れ、また魔法習得について知る限りの情報を彼らに開示し、結集した知識はやがて大輪の花を咲かせる。
吹けば飛んでしまいそうな頼りない芽は団結という名の水を得て、大国の侵攻すらはね除ける最強の術士集団という大樹へと成長したのだ。初陣となるストルムヤードでの戦いは術士の力を世に知らしめ、多くの戦士プレイヤーを術士へと転向させた伝説の戦いとして記憶されている。
苦楽を共にした仲間達と歩んだ日々。今まで冒険してきた八人のキャラクターにまつわる記憶を思い起こし、思い出に沈むエマを、ジークの快活な声が引き戻した。
「それでさエマ姉! 帰ってきたばかりで悪いけど、今日まだ時間あるよな? リノア姉からノーブルガーデンはちょっと観光したって聞いたけど、まだまだ見てないところがたくさんあると思って、俺達で色々案内しようと思うんだ! もちろんアイラちゃんも! な、いいよな!?」
興奮して早口になるジークをシルフィが宥め、補足する。
「お疲れなら後日でも構わないですが、エマ先生には私達が二十年間守り通したこの国がどれだけ発展したのかを、ぜひとも目にしてほしいのです」
「もちろんだよ。ぼくもまだまだ見て回りたいと思ってたんだ。アイラはどうする?」
「一緒に行きます! 『五色の賢者』様達に案内してもらえるなんて、夢みたいです!」
エマが快諾すると、アイラも一も二もなく賛成する。そしてエマが「それでどこに行くの?」と質問すると、ジークは胸を張って答えた。
「それはもちろん、このマギノリアが世界に誇る魔法研究機関、『魔術師の殿堂』さ!」
面接で落とされ、求人を見て連絡しても返信がなかったり適当な理由で断られ……世知辛い世の中です。