21 軽業師ミスティキャット
書店ウォルマーズブックスを出た三人はそれぞれの収穫を抱え、ほくほく顔で談笑しながらレジャー区へ向かう。
目的は、レジャー区で何かスポーツをやっているらしいミーアとリゼルに合流すること。二人がいるらしい公園に向けて歩きながら、ミーナが購入した魔法の入門書について盛り上がる。
「それで、帰ったら色々と勉強しようと思うんですが、やっぱり教えてくれる人がいないので大変そうです……」
「あ、だったら学校紹介してあげようか? 実はさっきも男の子を一人誘ったところでさ」
「本当ですか!? 帰ったら相談してみますね! それにしても、エマさんって顔が広いんですねえ」
「いや、どちらかというと顔が広い人と繋がりがあるだけなんだけどね」
「わたしもちょっと読みましたけど、魔法ってすごいですね! わたしも勉強したら使えるようになるかなあ」
そうしているうちに三人はレジャー区に到着した。目標の公園は中央のやや手前にある。元気に走り回る子供たちの姿に癒やされながら進むと、一面の芝が生い茂る広大な公園が見えてきた。
「いました! お姉ちゃーん!」
二人はあっさりと見つかり、ミーナは二人の元へ駆け出す。エマは二人の格好に首を傾げる。二人ともどこかで見たような服を着ていたからだ。
(んん……? あれって、もしかしなくてもジャージだよね……?)
そう、二人が着ていたのは紛れもなくジャージだった。機能性に優れた部屋着の代名詞ともいえるジャージ。それを猫耳と尻尾を持った男女が着用しているのはなんだか不思議な光景であり、これもファンタジーの成せる業かと思いながらエマは二人に近づく。
「あら、ミーナだけじゃなくてエマとアイラも来たのね! ナイスタイミングよ!」
「先に商業区で買い物をするという話だったが、それは終わったのか。ちょうど人数が足りなかったから助かったよ」
ボールを手にしたリゼルの言葉にエマが『人数って何のだろう』と疑問に思っていると、ジャージを身に纏った人物が小走りで近寄ってきた。人懐っこい笑みを浮かべた桃色ショートカットの快活な美少女で、ミーア達姉妹と同じく猫耳と尻尾の生えた獣人だ。
「初めまして! 私はメルですにゃ! 話はミーアさんから聞いてますにゃん。みなさんがお二人のお仲間さんで間違いないですにゃ!?」
(にゃ、きたー! ゲーム時代はたまーに猫の獣人でそんな喋り方をするNPCがいたけど、現実で目の当たりにするとなんか感動するなあ……!)
表面上は平静を保ちつつ、内心でエマが感動していると、ミーアが手にジャージを持ってやってくる。
「はい三人とも、あっちに更衣室があるからこれに着替えてきて! 戻ってきたらルールを説明するわよ!」
なんのことかわからないままジャージに着替えさせられた三人に、ミーアはボールを手に説明を開始する。
曰く、このスポーツは以前見かけて攻撃を躱す訓練に向いているのではと思い、今日やってみることにした。
ルールは線で囲われたエリアを二チームで半分に分け、その内野と呼ばれるエリア内でボールの当て合いをすること。
ボールを当てられた者は外野と呼ばれる相手側エリアの外のゾーンに移動し、相手チームを全員外野に送れば勝利となること。そして外野は内野の選手にボールを当てれば内野に戻れること、などなど。
ルール説明を聞いたエマは真っ先に思った。
(ドッジボールだこれ!)
元プレイヤーが広めたのか、それは紛う事無きドッジボールだった。ちなみにジャージはこの競技を行う時のユニフォームらしい。
「じゃあチーム分けするわよ! はい、くじ引いてー!」
こういうスポーツが好きなのだろう、ミーアははつらつとした様子でどこからともなくくじを用意する。くじの先には赤か青の色付けがされ、結果赤チームはミーア、リゼル、メル、青チームはエマ、アイラ、ミーナとなった。
元外野としてそれぞれリゼルとアイラが外へ行き、試合開始。当然というべきか早々にミーナが当てられ、早くも一人となったエマ。だがその顔には不敵な笑みが浮かぶ。
「ふっふっふ。エマには悪いけど、この勝負もらったわ!」
「ミーア、油断は禁物だって特訓で何度も教えたはずだよ」
勝ち誇った顔でミーアが投げたボールをエマはすれすれで体を仰け反らせ躱す。標的を見失ったボールはそのまま飛んでいくはずだったが、それをリゼルがすかさずキャッチする。
「もらった!」
事前に打ち合わせでもしていたのか、ミーアがボールを投げると同時にエマの背後につけていたリゼルが体勢を立て直しきれていないエマに向かって全力で投球する。普通なら当たってもおかしくないがそこはエマ、そう甘くはなかった。
「もちろん予測済みさ。まだまだ甘いね」
そう言うとエマは姿勢を戻さず、逆に勢いをつけて高らかに後方宙返りを行い、飛び越えるような形でボールを避ける。
「んなっ!?」
「ええーっ!? なにそれ!?」
「にゃにゃっ、さすがはミーアさんの師匠! なんというアクロバティックな動き!」
外野のアイラからパスを受けたエマは間髪入れずにミーアを狙い投球。だがそれは横から攫うように割り込んできたメルにキャッチされた。
「お返しですにゃん!」
球速こそさほどでもないが強烈な回転がかけられたボールを、エマはしっかりと両手でキャッチする。
「そういえばミーア、これって特訓の延長線ってことだったよね。その意気に応えてビシバシ投げてあげるから、頑張って避けてね」
にっこりと笑い、しかしそこはかとない圧を発しながらエマが言うと、ミーアはたらりと冷や汗を流す。
結論から言うと、彼女は頑張った。数十球に及ぶ球をよく見極め、時にはカーブしながら迫り来る球を必死に避けた。だが勝負は無情、最後には体力が尽きたところを当てられ、しょんぼりと肩を落として外野へと歩いて行く。
だがエマとてミーアばかり狙っていたわけではない。残る一人、メルにも折を見て投球していたが、彼女はその場からほとんど動かずにすべてを躱してのけたのだ。
(てっきりボール遊びに興味がある普通の子だと思ったけど、どうも只者じゃないね)
わざとらしく「今のは危なかったにゃ!」などと言ってはいるが、その顔からはまだまだ余裕が窺える。さて何者だろうかとエマが考えていると、周囲に人が集まり出した。
エマが投げたボールをメルが華麗に回避する度に「おおー!」とか「すげー!」といった歓声が上がる。注目されることに慣れていないエマがどうしようかと思った時、メルがポケットからマスクを取り出し装着した。顔の上半分だけを隠す、俗に言うベネチアンマスクというものである。
「さあさあお立ち会い! 世界を旅する軽業師ミスティキャットがお送りする、突発興行の始まりですにゃ!」
集まった観客に対して高らかに宣言する姿は実に堂に入っている。どういうことかとエマがミーアに視線を向けると、彼女は気恥ずかしそうに舌を出した。どうやらこういう流れになることは知っていたらしい。
「本日の題目は人気スポーツドッジボールにあやかりまして、この内野から出ないで乱れ飛ぶ無数のボールを華麗に避けてご覧に入れますにゃ! ではお願いしますにゃん!」
その言葉に合わせ、ミーアとリゼルがそれぞれボールを手に前へと進み出る。状況が飲み込めないエマに、リゼルが小声で苦笑交じりに説明する。
「すまないなエマさん。実はここまでの流れは俺達三人が仕組んだものなんだ。最初はここに来て普通にミーアと準備運動してたんだが、そこで二人じゃドッジボールできないことに気付いて、エマさん達が来るまで他の運動でもやろうと思ったところであの子が来てな。興行に付き合ってくれと頼まれたんだ」
「なるほど、そういう事情か」
ようやく理解できたエマの前で、メルこと軽業師ミスティキャットが次々とボールを避けていく。「さあさあ、お客さんも一緒に投げるにゃん! 全部避けて見せるにゃん!」と彼女が焚きつければお客からも「ぼくやりたい!」と声が上がり、ずっと外野で暇そうにしていたアイラとミーナも加わり、総勢十五人でボールを投げるがそれでも彼女にはかすりもしない。
(大した回避能力だね。こうなると、どこまでやるのか試したくなっちゃうよなあ)
まだまだ余裕そうなその姿に好奇心をそそられ、エマは何気なくボールを投げる。まるで力のこもっていないそれはへろへろと明後日の方向に飛んでいったが、ちょうどそこに誰かが投げたボールがぶつかり、勢いよくミスティキャットに進路を変えた。
「にゃっ!?」
予想外の方向から飛んできたボールに驚愕するミスティキャットだったが、紙一重でこれを避ける。偶然かと思いエマを見るが、続く二投目、三投目でその予想を完全に撤回した。
(明らかに狙ってやってるにゃん! ミーアさんの師匠だとは聞いていたけど、いったい何者――!?)
事態は更に彼女の予想の斜め上を行く。さりげなく注視していたにも関わらずエマの姿が空気に溶け込むようにして消え失せ、そこで彼女は慌てて声を張り上げた。
「きょっ、今日はここまでにゃん! みんな楽しんでくれたかにゃー!?」
その一言に周囲は大いに湧き、観客は気前よくいつの間にか用意されていたおひねりの箱に硬貨を投げ入れていく。こうしてゲリラ的に始まったショーは大成功の内に幕を閉じた。
「ご協力感謝するにゃん!」
客が散った後、箱を回収して元の格好に戻ったメルが頭を下げる。結局彼女にボールが当たることは一度もなく、圧巻の回避能力を見せた彼女に一同は拍手を送る。
「ありがとうですにゃ! ではまた縁があったら、どこかでお会いしましょうにゃー!」
耳と尻尾をぴこぴこふりふり揺らしながら去って行くメル。その後ろ姿を見送りつつ、エマは思う。
(まさかぼくの【暗殺術"サイレントムーブ"】の入りが読まれるとはね。一応本職と遜色ないレベルのはずなんだけど、世界って広いなあ)
自らの気配を消し、気付かれずに行動する技【サイレントムーブ】。熟練のプレイヤーでも補足困難なその技を入り、つまり前段階の気配を消した時点で気付かれた。並の者には気配を消す瞬間すら認識できないはずなのだが。
磨き上げた自分の技を見破った獣人の軽業師。時計塔への帰路につく前にその名前を胸に刻みつつ、セシアにいい土産話ができたとエマは楽しそうに口の端を吊り上げた。
急に暑くなってきましたね。熱中症に気をつけて、水分補給をこまめにとるようにします。