1 初戦闘
「どうしてこんなことに……」
女性にしては低い、しかし元よりも高い声を漏らし、晴真はがっくりとその場に膝をついた。
まさか自分の作品の人物として異世界に飛ばされるなんて、いったい誰が予想できるというのか。
これが夢なら笑い話で済む。だが万が一にもそうでないとしたら――。
とにもかくにも情報が必要だ。どうにかしてこの世界の住人に会わなければ。
晴真は再びメニュー画面を呼び出し、アイテムボックスに手鏡をしまうと自身のプロフィールを表示した。
まず名前。これはそのまま「エマ」であり、その後に続く気まぐれで付け足した名前も作成時のままだ。ここで晴真は恥ずかしさの余りしばし頭を抱えて悶絶することとなった。
次に装備。当たり前だが、ずばり初期装備である。なにせエマは誕生したばかりのキャラクターなのだから。しかし晴真はメニュー画面をいくらか操作し、問題はないと判断する。
『ファンタジーステラ・オンライン』はプレイヤースキルこそが戦闘能力を決定づける最大の要素。その点で言えば晴真は間違いなくトッププレイヤーに名を連ねるだけのものを持っていた。
そしてステータスを確認した晴真は驚きに目を見張る。
キャラクターを新規で作る際、既存のキャラがいればそのキャラのステータスの三割を受け継くことができるのだが、エマはその常識を無視していたのだ。
晴真がこれまで作成してきた八人のキャラクターたち。いずれも何かに特化した構成となっている彼らの能力のうち、実にトータル八割近くが受け継がれたその数値は圧巻という他なく、しばし呆けた様子でステータス画面を眺めていた晴真だったが、気を取り直してウィンドウを閉じると、安堵の息を漏らした。
ずいぶんと都合のいい話もあったものだが、これなら仮に戦闘になったとしても問題はない、はずだ。この世界の敵がすべて『ファンタジーステラ・オンライン』における大規模戦闘モンスター並の強さでなければの話ではあるが。
(うーん……これが夢でも現実でも、やっぱり人に会わないことにはどうにもならないよね。ここはどの辺りかな。【ワールドマップ】は……うん、問題なく使えるね。えっと、ここは――――)
とその時、メニューウィンドウから地図を呼び出して現在地を確認しようとしていた晴真の耳に悲鳴が届いた。
その方向へ顔を向けると、少し離れた街道と思しき道の上で一台の馬車が立ち往生しており、その周囲を何体もの人型の生き物が武器を手に取り囲み、じりじりと距離を詰める様子が目に入ってきた。子供ほどの身の丈に緑の肌。それはゲームを始めたての初心者プレイヤーがよく相手することになるRPGではおなじみの魔物、ゴブリンの群れだった。
「これまたお約束だね……、なんにせよ、放っておくわけにはいかないな。ぼくの知ってるゴブリンならどれだけいても負ける気はしないけど――」
駆け出しレベルの魔物など今さら晴真の敵ではない。しかしそれはあくまでも『ファンタジーステラ・オンライン』での話。見た目は同じでも、このなんだかよくわからない世界の魔物がそうであるという確証はない。
晴真は指輪に触れ、メニュー画面から《アイテムボックス》を呼び出す。虚空に青白い空間が出現し、晴真はそこに無造作に手を突っ込むと、一本の剣を取り出し、抜き放った。薔薇の意匠が施されたそれは『ローゼスレイピア』という華美な細剣で、晴真がエマ作成にあたり用意した一品である。
『ファンタジーステラ・オンライン』はステータスこそ一部しか引き継げないものの、装備やアイテム等の所持品はすべてアカウントごとに共通であったため、今まで倉庫の肥やしとなっていた物資を惜しみなく注ぎ込み、一流の職人に頼んで誂えてもらったのだ。
目にも止まらぬ速さで三度、突きを放つ。馬車まではそこそこ距離があったが、一拍おいてゴブリン三体の脳天に風穴が開いた。何が起こったのか理解する間もなく絶命した仲間を見て、他のゴブリンたちが騒ぎ出す。
(一撃か。油断はできないけど、これならなんとかなるかな――?)
などと考えながら晴真は地面を駆ける。一足ごとに十メートル近く馬車との距離が縮まり、瞬く間に馬車まで到達した晴真はその勢いのまま追加で三体を斬り捨て、護衛と思しき兵士たちの隊長らしき男に声をかけた。
「大丈夫ですか?」
突然現れた晴真に隊長は瞠目したが、すぐに気を取り直し、同様に狼狽えていた目の前のゴブリンを豪快に両断する。
「貴殿は……? 今、いったいどこから……」
疑問を投げかける隊長に、晴真は何かを確かめるようにゴブリンたちを倒しながら言う。
「話は後にして、まずはこの場を切り抜けましょう。戦力差はどれくらいか、わかりますか?」
突如乱入してきた、おそらくは男装の少女。華奢な見た目から繰り出される、恐ろしいまでの正確な剣捌きで次々とゴブリンを骸へと変えていくその腕前に戦慄を覚えながら、隊長は己の見立てを正直に伝えた。
「ゴブリンは元より単体ではそれほど脅威ではないが、いかんせん数が多い。部下たちは一度に四、わたしは七匹が限界といったところだが、奴らはどこに潜んでいたのか、後から後から湧いて出てくる。正直に言ってかなり厳しい状況だ」
渋面を作る隊長だが、その答えに晴真は逆に感嘆する。
今の話の通り、ゴブリンとは設定上、単体なら一般の成人男性でも撃退が容易とされている。だがこれが複数となるとその危険度は大きく跳ね上がり、一度に三匹ともなれば熟練の兵士でも不覚をとることがあると言われているのだ。
それを一度に四匹、この隊長に至っては一度に七匹を相手どれるとなれば、仮に大国の兵士だとしても精鋭と断言できるだろう。
「馬車には誰か乗ってますか?」
「それは……詳しくは言えないが、その通りだ。何としても無事に王都までお送りしなければ……!」
よっぽどの重要人物なのか、言い辛そうに口ごもる隊長。王都という言葉からして貴族か、もしくは王族が乗っているのだろうと晴真は予想する。
「なるほど。ではぼくが前に出るので、兵士のみなさんは馬車の付近を固めてもらっていいですか?」
「しかし、それでは貴殿が――」
危ない、と続けようとした隊長だが、晴真は聞こえないフリをしてゴブリンの群れの真っただ中へと飛び込んでいく。
(おそらく、このゴブリンたちはぼくの知る『ファンタジーステラ・オンライン』のもので間違いない。それならこのキャラクターでの初陣ってことで、どれほど戦えるのか試させてもらうよ――!)
小説の主人公がモデルのエマだが、その戦闘スタイルは大きく異なる。
正確に言えば異なるというより、小説の方のエマはまだそこまで成長していないのだ。
現在刊行されている時点での、小説版のエマが扱うのは剣術のみ。しかし、ゲームの方では剣も魔法も戦術に組み込まれている。
ある意味原作者本人によるネタバレと言えなくもないが、その辺りは出版社と話し合って許可をもらっていた。余談だが、担当者も『ファンタジーステラ・オンライン』にはまり込んでいて、晴真とはプライベートでも親交があったりする。
まず繰り出すのは先ほども放った【刺突】。剣術の基本に位置するこの技は本来、武器の長さがそのまま射程となる。しかし一部のプレイヤーはその限界を超えて『飛ぶ刺突』を放つことが可能であり、トッププレイヤーに名を連ねる晴真は当然というべきか、そちら側の存在だった。
五回の刺突がほぼ一瞬のうちに放たれる。それらは急所を的確に穿ち、五体のゴブリンが声を上げる間もなく最期を遂げた。
次いで放たれたのは魔法。キャラ作成時に自動的に習得する、術士なら誰でも使える【炎魔法"火球"】も晴真にかかれば通常の三倍ほどの大きさとなり、本来なら単体のところを複数体まとめて焼き尽くす。
調子が出てきた晴真は剣をしまい、両手を空けた。何体かの賢い、または臆病な部類のゴブリンが先の魔法を見て様子見に徹したが、武器がなくなったことで油断したゴブリンが好機とばかりに勇んで突撃してくる。
(さて、闘気もマナも大したことはないように見えるけれど、実際はどうかな――?)
ゲームでは戦士は闘気、術士はマナと呼ばれる力を使って技を操り、同時に【解析"闘"】および【解析"魔"】というスキルによりそれぞれの総量から相手の力量を見抜くことができる。エマは少々特殊なビルドをしているためどちらも使うことができるが、両方を使って調べた結果は実によくあるゴブリンのステータスそのままだった。つまり、脅威ではない、ということだ。
眼前まで迫ったゴブリンから突き出されるナイフをしっかりと捉え、ほんの少しだけかする程度に指先を合わせる。
普通なら皮膚を切り裂くはずだったナイフはしかし、その直前で硬質な音とともにあっけなく弾かれた。
闘気を身に纏うことで身体能力を強化する戦士のスキル、【闘気硬化】。その名の通り硬質化させた闘気が問題なく刃を防いだことを確認した晴真は、即座に【闘技"刀拳"】により切れ味を持たせた手刀を振るう。もしゴブリンの視点で見ていたのならば、得物が弾かれたことを認識する前に視界が宙を舞っていたことだろう。それほどの早業だった。
「アン」
一体を仕留め、まるで踊るようにステップを踏む。数々の演技と訓練で培ったそれは一見優雅に見えるが、残念ながら確認できた者は誰もいない。
「ドゥ」
二体のゴブリンの間に移動し、片方を【闘技"掌破"】で吹き飛ばして仲間にぶつけ、もう片方を【氷魔法"ブリザードコフィン"】で凍結させる。
「トロワ」
華麗にターンを決めるとともに袖に仕込んだ針を飛ばし、命中した者に針先に仕込んだ毒で苦痛なき死を与える。
「アン・ドゥ・トロワ、アン・ドゥ・トロワ――」
あらゆる手段で速やかに、そして鮮やかに敵の命を刈り取るエマ。死の円舞曲に誘われたゴブリンの群れは見る間にその数を減らしていき、わずか数分後にはあっけなく壊滅していた。
殲滅を終えたエマが馬車まで戻ると、兵士たちからの恐れを含んだ視線が飛んできた。
(――あれっ!? 活躍して信用を勝ち取るつもりが、なんかおっかないものを見る目で見られてる!? ど、どうして……?)
エマが表面上は爽やかな笑顔を浮かべつつ、内心であたふたしていると、隊長が申し訳なさそうに口を開いた。
「いや、すまない……。部下たちは貴殿の戦いに圧倒されてしまってな。貴殿に対して、尊敬を通り越して畏怖の感情を抱いているんだ。かくいう私もここまで凄まじい戦いを見るのは久々だったよ」
「あ、そうだったの……。てっきり何か疑われてるんじゃないかと思ってひやひやしたよ……」
エマがほっと胸をなで下ろすと、隊長は苦笑して部下たちを見回す。
「正直に言うと、貴殿が今回の襲撃の主犯ではないかという声もあったのだが、これほど実力差があるとかえって疑う余地もない。貴殿なら小細工などなくても正面切って我々を打倒できてしまうだろうからな!」
そう言って隊長は豪快に笑うと、エマに向かって手を差し出した。
「申し遅れた。マギノリア王国第三騎士団団長のクラウス・アンドレアだ」
「ぼくの名はエマ……って、マギノリア王国? あの花と魔方陣がシンボルになってる?」
クラウスと握手を交わしながら、エマはその名に聞き覚えがあることに気付く。
マギノリア王国。『ファンタジーステラ・オンライン』にてあるプレイヤーが建国した大国で、何を隠そう晴真が一人目のキャラクターで建国メンバーに名を連ねていたりする。国名の由来は花と魔法を意味する単語からで、その名の通り魔法研究と植物栽培が盛んな国だった。
「ああ、今は要人警護のため隠しているが、普段は鎧に紋章を刻んでいる。ところでエマ殿、単刀直入に聞くが、貴殿は何者なんだ? さぞかし名のある冒険者とも思ったが、生憎と無知なもので覚えがなく……」
RPGでは定番の職業、冒険者。各地に点在する冒険者ギルドで登録を行い、依頼を受けることで報酬を受け取り、ランクを上げてより難しい依頼に挑戦する。自由がウリの『ファンタジーステラ・オンライン』では登録は任意だったが、高ランクの依頼でしか得られない素材やアイテムが多くあったため、ほとんどのプレイヤーは登録しているはずだ。
「えーっと、つい最近故郷から出てきたから、たぶん誰も知らないんじゃないかな。冒険者登録もまだだし」
本当は最近どころかついさっき目を覚ましたばかりなのだが、当然そんなことは言えず、エマは適当に話を合わせる。
「なるほど……ならばエマ殿、ひとつ雇われてはくれないか? 貴殿ほどの実力者が一緒なら心強い」
願ってもない提案だ。むしろ自分から同行を願い出ようとしていたエマは、勢い良く頷く。
「うん、ちょうどぼくも大きな街に寄りたいところだったから、喜んで同行させてもらうよ。ところで、護衛対象はいったいどんな――」
とエマが言いかけたところで、馬車から一人の少女が飛び出した。若草のような髪をふわりと靡かせながら、興奮に目を輝かせエマに声をかける。
「あのっ、『星の騎士』様ですよね!? お会いできて光栄です!」
「へっ?」
全く覚えのない呼び方をしてくる少女に、はて、彼女は晴真の知り合いだったかと首を傾げるエマ。フレンドはそれなりの数がいるが、エマの姿ではまだ誰とも会っていないし、自分以外に新キャラ作成のことを知っている者もいなかったはずだ。
「えーっと、人違いじゃないかな? たぶん君とは初対面だと思うんだけど……」
「アイラ様! 馬車から降りると危ないですよ――って、『星の騎士』!? エマ殿がですか!?」
「はい! 間違いないです! 夢で見たままの姿ですから!」
困惑するエマをよそに、何やら盛り上がるクラウスと少女。
「あの、盛り上がってるところ悪いんだけど、ぼくには何がなんだかさっぱり……」
以前、現実では現役女子高生なフレンドに誘われてカフェに行った時、終始話題についていけず悲しい思いをしたことがある。その時のことを思い出しながらエマが沈んでいると、少女ははっとして申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごっ、ごめんなさい! まさかこんなに早く会えるなんて思ってなかったので、つい舞い上がってしまいました。私、アイラと言います!」
「すまないエマ殿、まさかエマ殿が『星の騎士』だとは夢にも思わず……」
「その『星の騎士』ってなんだい? ぼくはそんな風に名乗ったことも呼ばれたこともないんだけど?」
『ファンタジーステラ・オンライン』では、特に活躍したプレイヤーに二つ名がつけられる傾向があった。なのでその一種かと考えるエマだったが、自分は戦い方が騎士と呼ぶには少々特殊すぎる上に、何度も繰り返すが生まれたてのキャラクターである。そのように呼ばれる心当たりはなかった。
「えっ、そうなんですか? そういえばベアトリクス様が、『たぶん彼女はそこらへんわかってないだろうから聞かれたら教えてあげて』って仰っていたような……?」
「……ベアトリクス、だって?」
可愛らしく小首を傾げるアイラだったが、エマはその話に出てきた名前に眉根を寄せる。
「それって『万魔』とか呼ばれてたりする、あのベアトリクスのことかい?」
「はい! マギノリア王国筆頭魔術師にして、全魔術師の頂点とも言われる、『万魔のベアトリクス』様です!」
満面の笑みで肯定を返すアイラを眺めながら、エマの胸中は次々と湧き上がる疑問に支配されていた。
『万魔のベアトリクス』。主にオープンベータ時代に名を馳せた魔術師で、数々の魔法を発見、開発し、またそれを惜しみなく他のプレイヤーたちに公開したことからついた異名だ。もっとも当時は恥ずかしさから、大げさじゃないかと名付け親のフレンドに文句を言ったりしたのだが。
つまり、ベアトリクスとは晴真が『ファンタジーステラ・オンライン』で最初に作成したキャラクターのことであり、今のアイラの話からおそらく本人で間違いないだろうと思われる。ならば、今ここにいる自分はなんなのだろうか。
(いったい何が起こってるんだ……)
思わず天を仰ぎ見るエマ。暗雲が立ちこめるその胸中とは裏腹に、そこにはどこまでも澄み渡る青空が広がっていた。