44話 大事なのは今、この瞬間
愛乃は上機嫌に「ふんふふんー♪」と歌いながら、風呂場に入ってきたが、ピタッと足を止めた。
透が知香を浴槽の中で抱きしめているのを見たからだ。
愛乃は、こないだと同じで、ぎりぎり大事なところを隠せているかどうか、というぐらいの際どいバスタオル姿だった。
ただ、いつもと違って、少し動揺している。
「と、透くんと近衛さん、仲直りできたの?」
透と知香は顔を見合わせ、それから恥ずかしくなって、慌てて互いから離れる。
知香は湯船の壁際まで移動し、ツンと澄ました表情になる。でも、さっきまで泣いていたから、その目は赤かった。
「べ、べつに仲直りなんてしていないわ」
「本当に? 目が赤いのは……泣いてたんだよね?」
「っ……!」
知香がみるみる顔を赤くした。
プライドの高い知香は、愛乃に泣いていたなんて知られたくないだろう。
愛乃は困ったような表情を浮かべる。
「二人が話す時間が必要かなって思って、わたしはわざと遅れてきたんだけど……」
道理で遅かったわけだ、透は思う。
知香を素直にするため、という愛乃の目的を考えれば、そういうことをしても確かにおかしくない。
愛乃は首をかしげた。
「でも、透くんの方から近衛さんを抱きしめているなんて、意外だったの。……わたし、お邪魔だったらいなくなるよ?」
「邪魔だなんてそんなことないよ」
「そう? もう少し、二人きりで話した方がいいのかな、って思うけど」
「そんなことないよ。三人で入るって話だったよね」
透は焦ってそう言った。
愛乃がいなかったら、透は知香と二人きりになる。
しかも知香の言葉を総合すると、知香は本当は透の婚約者でいたかった、ということらしい。
気持ちの整理が追いつかない。
そんな知香と一緒にいて、どんな話をすればいいか、わからなかった。
というわけで、今、透にとって、愛乃がいなくなってしまうのは困る。
愛乃はちょっと嬉しそうに「そっか」と言って、湯船に浸かろうとした。
ところが、知香がぎゅっと透の右腕にしがみつく。
胸を押し当てられる形になり、その感触に透はどきりとする。ちらりと知香の胸元を見ると、相変わらず透けたバスタオルの上から、小さな桜色の突起が見えている。
透は一気に冷静さを失いそうになった。
でも、知香はそんな透の内心には気づいていないのか、愛乃のみをまっすぐに見つめていた。
「リュティさんは私に素直になれ、って言ってくれたよね。なら、私が……透を渡したくないって言ったらどうする?」
愛乃は白い頬に手を当てて、そして、にっこりと微笑む。
その青いサファイアのような瞳は、射抜くように知香を睨み返していた。
「透くんはわたしの婚約者だもの。渡すわけにはいかないよ」
「でも、先に透を好きになったのは私なのに……!」
「大事なのは今、この瞬間だよ。そうだよね、透くん?」
急に話を振られて、透は硬直した。しかも知香がさらっととんでもないことを言っていた気がする。
真横に密着する知香はちらりと透を見つめる。
一方、正面の愛乃は、湯船の前のタイルの上に腰をかがめ、透の目を覗き込む。
抱え膝で座り込む愛乃は、バスタオルから大事なところがちらちらと見えそうになっていて、透はどきどきさせられた。
でも、愛乃のの大きな胸の谷間や、白い太ももに目を釘付けにしている場合ではなかった。
愛乃はくすっと笑い。それから、少し不安そうに青い瞳を揺らし、透にささやいた。
「わたしのことを……透くんは必要としてくれる?」