狂信者の大過去
俺の時は某国のご意向で憲法改正、現代の半島出兵を行う羽目になった。
人員が不足している某隊では当然、某衛省の管轄下の学校からも出された。
反対も多かったが、後方支援ということで反対派も次第に小さくなった。もちろん高工もその対象になった。
もっとも学生は安全な後方支援隊として働いて余程な事が無い限り戦闘はしない筈だった、あの日までは......自分が殺されそうになっても撃鉄を落とせなかった、覚悟が出来ていなかった、なんだかんだ言ってもあの時は倫理観を捨てきれていなかった。
もちろん国際情勢には敏感でいたし、色々な前時代的な事がまかり通っていた事は知っていて、それが必要な事は知っていた。それを知っていたにも関わらず、それが倫理観度外視でも一番合理主義であった事を忘れて、生半可な覚悟でそれを活用しようともしなかった。現実主義を謳いながらもその実、理想主義だった。ナガサワと変わらない、現実から目をそらしていた。
自分の現実を思い知らされた、本当に嫌な思い出だ。
それでも今思えば補給線が比較的整っていた一番マシな戦場だったのかも知れない。
その点で言えばナガサワはその内に理想と現実の差を知ることは無いだろう。この世界においてナガサワは最強に近い。敗北は色々な見えていなかった事を見る為の機会だ。そしてそれを改善する。
それを得ないまま居るといつか死ぬ目より辛い事になる。
人の振り見て我が振り直せ、か。死ぬ事が日本よりも身近に溢れているこの世界には、勝つことよりも負けて生き残る方が重要だ。生きている限り、間違いは正せる。関係を修復することが出来る。
生きている限りやり直せない事はない。
死んでしまってはそれすらできない。
だから、俺は安易に死ぬことを否定する。
だから、俺はナガサワハルトの死に方を肯定できない。
自殺は自らの可能性を潰す行為だ。
どうしようも無いことなんてない。
だから俺はアイツがどうしても好きに成れない。
以前の自分を見てるようで嫌いだ。
大過去としているのはあくまで、■■■■・■■■■が転生する前の話だからで、あまり気にしなくてもいいです。
後、今更ですがこの世界の暦は360日を一年としています。




