03. 代理戦争
その音は、古竜が羽ばたく音だった。
「紅の体躯に、炎を吐く飛行竜、か。この世界はドラゴンハンターの世界なのか?」
男が呟いたとおりの外見持つ古竜が、自らの巣へ侵入してきた存在を見て、怒りの声を放つ。
古竜にとっては、人間などミジンコ以下にしか見えないだろう。矮小で弱すぎる人間を、獰猛なるその権能を以て追い払うことなど、古竜にとっては何回も繰り返してきた些細な行為に過ぎないのだろう。
どんな人間でも、この一撃で全てが灰燼に帰させてきた。故に貴様もその一人となれ、と語るが如く、古竜は空中に浮遊したままその首をグッと縮めた。
人間の持つ弓矢は高低差に弱い。魔法は発動に時間がかかる。たとえ発動が極々早い、手順を省略化した魔法があれど、速度と引き換えに威力を殺した魔法など、考慮する価値もない。
首を縮めてから、およそコンマ5秒と言うところだろうか。
古竜はその顎門より、直径50メートルにも届く吐息を放った。
それは古竜の必滅が一撃。数多の史書に、数多の伝説に、滅亡と同義と描かれてきた、街をも滅ぼしうる悪夢の炎。
だが。
「『加減熱操』」
ただ一言、ただ一動作。
男が無造作に手をかざしただけで、滅亡の象徴はあたかも夢の如く消え去った。燃やし、滅ぼすという概念の炎が、刹那の行動に相殺されたのだ。
「悪いな、俺に炎は効かないんだ」
男はそう呟きニヤリと笑うと、吐息を消し去ったその腕を、今度は横薙ぎに振るう。
「俺も空を飛べないことはないが……」
たった、それだけの動作で。男の周りには、数多の大剣が現出していた。
透き通るように青ざめた、あたかも水晶のように、純氷のように煌めく剣どもは、再び男が腕を振るうと同時、目にもとまらぬ速度で射出される。
超高温の爆風が吹き荒れる中、涼しげに嗤う男はたった一言だけ、告げた。
「……墜ちてもらおうかな」
次の瞬間、古竜は浮遊魔術の操作触媒となっている翼を、無数の煌剣に貫かれ……無残にも墜落した。
◆ ◆
「あれが今回のターゲットか……」
そんな戦闘が行われている場所から一キロメートル以上離れた場所で、マキナはゴーグル型遠視魔導装具を外しながら呟いた。
「相手の持つチートは『加減熱操』。自分の周囲50メートル内の熱量を自由に操る能力で、魔法ではないから魔力消費はない。代わりに別の何かを消費するのかは分からないが、魔法の訓練を積んでいるのであれば、ギフトと魔法を使い分ける、または同時使用してくる可能性がある、か」
今回のターゲットがいるのは、標高三千メートルを超えた高地だった。森林限界を既に超えたその高さには、魔力を帯びた一部の植物以外は人間の背丈以上に成長することが出来ない。また人間の背丈以下しか成長しない種も、種類があまり多くはないため土の色が露出している場所が各所に見受けられる。
そして古竜が巣を作っているのは、そんな高地の中でもひときわ高い場所だった。
古竜が好む、他の生物があまり寄りつかない高地という場所で、さらに幼竜が外敵の脅威にさらされにくいここは、古竜が作るべくをして巣を作ったのだと言えるだろう。
そんな古竜、正確に言えば火炎種の古竜と、今回のターゲットはやり合っていたのだ。
「古竜とやり合う人間、か。俺の魔導装具が試し撃ちに、ふさわしい相手と言えるな」
古竜。
それは、討伐履歴が歴史上、未だ二桁に届かぬ真性のモンスター。たった一匹が出没しただけで、幾多の街は滅んで行ったと言われる災厄。
そんな、言うなれば伝説上の生物に等しい存在と渡りあうターゲットを前に、マキナは獰猛に嗤って呟いた。
「魔導装具、展開」
◆ ◆
「『加減熱操』」
半径五十メートルほど、だろうか。
高地の中でもひときわ高い崖、さらにそこから斜め上に張り出した半径五十メートルほどの場所で、男と古竜は戦っていた。
地に落ちたとは言え、古竜が脅威であることに変わりはない。三十メートルほどか、その巨体を活かした体当たりや、噛みつき、尻尾の振り回しと言った物理攻撃。吐息や竜魔法を扱う魔法攻撃。基本的に古竜は生態系の頂点に立つ。つまりは狩る側のアルゴリズムが、ルーチンが、考え得る中で最高峰なまでに最適化されていると言える。
「くそ、また飛ぶのかっ!?」
最初期の交戦で、浮遊魔術の操作触媒となっている翼をボロボロに破壊された古竜だが、しかし完全に浮遊魔術が使えなくなったわけではない。触媒とはつまり、目的とする動作をより簡単に行うための物質。翼が泣くとも、浮遊魔術は扱える。
ただし通常時の飛行のような、高精度な飛行は出来ないだけだ。
「くっ……また回復されるは防がないと……。『加減熱操』」
古竜は浮遊魔術を全力で発動させ、男が追跡できないほど高度に達してから、落下時間中に回復魔術を扱うという戦法で、男から食らったダメージを凌いできた。古竜が持つ魔力は、人が持てる魔力の数十、数百……いや数千、数億倍だ。いくら男の『加減熱操』魔力に依存しないとはいえ、こんなことをされ続けたら膠着状態に陥ってしまう。それは男の望むところではない。
男は遠ざかりつつある古竜に向かって、上昇を止めるため大技を放とうと溜めを作る。
「『プラズ……
そう。両者が両者を見ているようで、しかし実際は自分の事のみを考えて、次の行動へ集中しているタイミング。その瞬間を狙い澄ましたかのように。
「ファイア」
たった一言。マキナの声が風に乗る。
刹那、古竜の姿に隠れた上空から、完全に死角になっている背後の地面から、古竜の心臓と男の頭を貫くように、重要な内臓が集まる胸部を狙うように、熱線が、凍線が、放たれた。
完全なる不意打ち。第三者の唐突なる乱入。
限りなく人造神装に近い二つの一撃は、古竜の肉体はおろか空気さえ蒸発させながら、空間すら刹那の間停止させながら、男を挟み込むように襲う。
「……な、んっ!?」
しかし、男がそう叫ぶ直前だった。
丁度男から一メートルと半分の所で、二種の攻撃はまるで強引にかき消されたかのように消滅する。
「遠隔操作機器による、魔法転送……!? ファンネノレみたいなもんか!?」
即座に攻撃の発射元を確認した男が見たのは、黒と蒼でカラーリングされた、子供の顔ほどもある立方体だった。
空間をゆがませるようなエフェクトを表面に浮かべながら高速で遠ざかっていく立方体の行方を、なんとかして追跡した男は……この張り出している地面、その端の方に佇む少年の姿を認めた。
「なるほど、常時展開式の結界か、それに類するものが貼られているのか。不意を討ったとしても、結界を貫通しなければ意味がないと」
そう語る少年は、あることを除けば普通の格好をしていた。どこの街にもいる、耐火ゴーグルに作業着、腰には無数の道具がぶら下がっている。ここが街中であるのならば、この少年がどこにいたって気にされることはないだろう。
だた一点。少年の周りで無数に浮遊する、黒と蒼でカラーリングされた立方体だけが、この少年がただ者ではないと、不気味な存在であると物語っていた。
「ああ、なるほど……」
そして、そこまであからさまにされれば男だって気がつくだろう。身も知らずの人間が、自分を倒そうとして襲ってくる。そんな環境に、身に覚えがないなど口が裂けても言えないのだから。
「お前が、一人目の『代理者』って訳か!」
ここに、代理者は邂逅した。
互いが、互いを敵だと認識し、倒すべき脅威だと決定づける。
神霊戦争。それに連なる者として、自分の目的のため。神の目的のため、最後の一人、後世に偉大なる功績を残すために、全力でその身を燃やす。
代理戦争が、ここに開戦される。
「『加減熱操』」
「全武装、スタンバイ」
◆
「敵の能力は創造系、魔導装具か何かで魔法の噴出点を作って飛ばしている!?」
「ターゲットの能力は熱操作、温度変動系攻撃はやめた方が無難か」
互いの呟きが風に乗り、有効打を探すために刹那の思考時間が始まる。加速されたようにゆっくり流れる時間で、互いは互いを睨み付けていた。呟きが相手の耳に入るが早いか、二人は互いに手を打ち、自分が勝利を掴むための方程式を一分の隙もなく組み立てようとしていく。
「まずは、その噴出点を遠隔操作できる余裕を無くす!」
「熱変動系ではない……とりあえず、物理攻撃を与えてみるか」
男がその腕を振るうが早いか、熱風が吹き荒れる。男からマキナの方へ、強烈な向かい風が発生していた。まるで台風の逆風の中を強引に進もうとしているかのように、マキナの動きは鈍化する。封じられる。
風。相手は熱を操る能力のはずなのに、だ。
一方マキナが魔導装具に命じて、再び男の死角から放った超収束光は弾かれた。今度は魔導装具の位置がきっちり把握されていたらしい。空気密度か何かを変えて多重屈折させ、光の進路を強引にずらしたのだ。
「空気を急激に膨張させることで、意図的に風を起こしているのか」
「そんな事を悠長に考察している暇はあるのかな?」
そしてマキナに男の攻撃、その第二波が襲いかかる。男の一手は概ね成功し、マキナの一手は阻まれた。ならば次は男が有利のターンになることは疑いようがない。
「『プラズマバースト』」
瞬間、マキナに向かって襲い来る風が、一方向ではなく三百六十度、全ての方向になった。まるで巨人の手によって全方位から圧搾されているかのようなそれは、しかし敵を足止めする、そして空気密度を上げるという目的でしかないことに、マキナはまだ気づけていない。
そして敵を閉じ込めた後、内部の温度が急激に上昇する。コンマ一秒でおよそ一億度。コンマ五秒後には五億度にまで達し、風の吹き込む空間内部全てプラズマと化した。
熱と風。基本能力と応用能力の組み合わせによって生まれた強力無比な一撃に、その周囲は純白の閃光に包まれる。
「……やったか?」
男は今の一撃に手応えを感じたのか、いかにもなセリフを吐いた、瞬間だった。熱風とプラズマを解除したおかげか、今まで高かった外気温が下がり、背後にいつの間にか出現していた熱源を感知する。
「……っ!?」
「『模倣:絶対零度』」
そう、マキナは知る必要はなかったのだ。熱風が自身を圧搾し始めた理由も、空気密度が上昇したのは密度上昇による発熱を、プラズマ化に上手く利用していた、という因果も。
アンカーの魔導装具がある場所へ、即座に空間移動出来るのだから、魔法的妨害のない攻撃は、瞬時に避けるだけなのだから。
そしてマキナが放つは、師クロノが作ったアーティファクト、『絶対零度』の模造品。師クロノの制作の様子と、そして結果から逆算してロジックを解析した、アーティファクトの出来損ないだ。もちろんマキナはクロノではないので再現率は少ないが、アーティファクトは半壊状態で対国家殲滅兵器として扱われたこともある。少ない再現率でも、神技に及ぶ奇跡であることに違いはないだろう。
そして半径一キロメートル以内の全てが、−273.15へと冷却される。
本物の『絶対零度』の最大カタログスペックは、直径5キロメートルの球内の物体を絶対零度へ冷却する、というものだ。その状態は最低でも十秒間は続き、絶対零度が解除された後も、物体は運動を忘れて砕け散る、とされている。
絶対零度とはつまり、物質の最低構成要素ですら運動が止まると言うことだ。全てが固まり、ほとんどの物体は急激な冷却により組成が破壊され、再びもとの状態に戻ることは敵わなくなる。
で、あるはずなのに。
「ふ、ふふ。お前の切り札が冷却系で助かったよ……」
ターゲットは、未だ立ち上がる。まるで全てを静かに破壊し無速度に堕とす絶対零度など、自分には効いていないのだと宣言するように。
そう、ターゲットの能力は『加減熱操』。温度変動に対して、コンマ一秒で一億度の加熱を見せた能力だ。裏を返せば、絶対零度からの復帰、コンマ一秒で273.15度の加熱など、お茶の子さいさいに決まっている。常時展開式の結界で、全ては無力化されたのだ。
「そして、この距離まで来た時点でお前の負けだ。『カウンターショック』」
瞬間、男からマキナへと紫電が散った。それは強力な絶縁体である空気をものともせず、一瞬のうちにマキナへと直撃する。
雷。
空気中の塵が摩擦によって静電気を蓄え、それが極大集中して雷になる。熱によって風を操れる男は、塵をわざとぶつけ、摩擦を起こし雷を発生させる下準備を既に終えていたのだ。
だが。
「常駐型結界があるのは、そっちだけじゃないんだぜ」
「っ!」
マキナの一言に、男の雷は無力化される。そう、男も認識していたではないか。マキナは創造系能力、熱や風を使った常駐型結界しか展開できない男と違い、全てに対応した結界を『創造』することが可能なのだから。
さらに。
「今のでダメなら、今の俺には火力不足だ。……だから、ギフトに頼らせてもらうよ」
必殺の一撃を、近距離における奥の手を簡単に無力化され、硬直状態に陥る男に、マキナの言葉が突き刺さる。そう、まるで今までの戦闘ではギフトを使っていなかったとばかりの物言いが。
「なん、だと……?」
そんな表現に、身体が動かない代わりに男の頭が高速回転を始めた。
今からギフトを使うというのであれば、今まで使っていた魔導装具はギフトを使っていないと言うことになる。つまり、ギフトを使って作った魔導装具をこれから使うという意味合いでなければ、敵のギフトは創造能力に直接効果を及ぼすものではない、という推論が成り立つ。
つまり。
(まさかコイツ、いままで威力上昇のギフトを使わずに俺と渡り合っていたのか!?)
そんな推論を裏付けるように、マキナは再び同系統魔導装具を取り出して、手向けの言葉を向けるように……そっと囁いた。
「さあ、その身体に刻め。これが、全神未踏、世界を変える人造神装だ。……『アブソリュート・ノヴァ』」
その言葉と共に、再び世界は静止の一途を辿り、そして初めての代理戦争は終焉を迎えることとなった。