旅立ち ~鞄に旅支度を包み込んで~
「ふむふむ、なるほど。せっかくの魔法の鞄が用なしだね」
「何もない。ヨルハは倹約家?」
グランが部屋を見回して、顎に手をあてながら頷いている。
彼らの言う通り、何でも入る鞄は僕にとって無用の長物なんだ。
最低限の衣服以外、僕は何も持っていないのだから。
「魔物に襲われた時、私物は全部置いて逃げたから」
「正しい選択だと思うよ? いくら金銀財宝を貯め込んでも、冥界には持って行けないし、転生先にだって持って行けないからね」
「それもそうだね。って、服が鞄に食われた!?」
グランの言葉に適当に相づちを打ちつつ、僕は鞄の中に服を入れる。
すると、まるで鞄に食べられているかのように服が鞄の底に飲み込まれ、消えてしまう。
「ははは、大丈夫。手を突っ込んで必要な物を念じれば取り出せるさ」
「……僕が食われそうで怖いんだけど、人間はこの鞄に取り込まれないですよね?」
「あはは、今まで何人か人間をしまったことはあるから安心してくれ。その時はヨルハが取り出してくれるから心配いらないさ」
「人をしまうの!? 怖くて、手を突っ込めないんですけど!?」
「大丈夫大丈夫。ボクもしまわれたことがあるけど、ピンピンしてるだろう?」
「あんた半霊だから無事なだけだろう!?」
なんて危険な鞄に服を突っ込んでしまったんだろう。
これじゃあ魔法の鞄じゃなくて、鞄の形をした魔物じゃないか!
どうしよう。着替え全部入れちゃったよ。新しい服と鞄を買うお金もないぞ。
というか、ヨルハも何でこんな危ない鞄を捨てないのさ。
「安心して。この鞄は仲間の錬金術師が作った練金生命体。しまわれるのは私たちの私物を狙う盗人だけ」
「そういうことさ。勇者なら金目の物を持っているに違いない、なんて欲に駆られる人間が多いからね。危ない道具を持っていることもあるし、ヨルハは意外と間抜けだし、みんなの安全のために作った鞄なのさ。さっきフェンツ君にヨルハと夫婦の契りをしてもらったのは、この鞄を使えるようにする儀式でもあったんだよ」
そういうことだったんだ。確かに空腹で行き倒れていたし、ちょっと間抜けなところがありそう。
ヨルハも大丈夫だと言ってくれるし、勇気をもって鞄の中に手を突っ込む。
すると、僕の手は鞄に飲み込まれることなく、かわりにさっきしまった着替えの服が出てきた。
「この鞄すごいね!? いろいろな調理道具を入れておけば、外でもちゃんとした料理を作れるかも!」
後は火をつける薪とかも入れておけば完璧じゃないかな。
って、あれ? そういえば、さっきグランが変なことを言わなかったか?
「盗人しか捕まえない鞄なのに、どうしてグランはしまわれたことがあるんだ?」
「ハハハ、なぁに。娼館と賭場に遊びに行く金がなくてね。ちょっとみんなの軍資金から拝借しようと手を突っ込んだのさ!」
「おい! このろくでなし!」
「情報収集のための必要経費さ。あの手の場の空気は人の隠された側面を暴けるからね。特にお偉いさんのお忍びの情報を集めるにはもってこいさ」
それっぽいことを言っているが、絶対このろくでなしは遊びがメインだな。
とにかく、仲間内でもやましい気持ちで鞄の中身をあさると鞄にしまわれてしまうみたいだ。
旅の仕度はこれで出来た。
もう二度と戻ることはないだろう屋根裏部屋を出て、店の外へと踏み出す。
すっかり夜が更け、街の灯りは完全に消えている。
かわりに道が星の光と月明かりに青白く照らされていた。
「フェンツ君の旅は良い旅になりそうだね」
グランが天を指さすと、雲一つ無い満天の星空と丸く満ちた月が僕らを照らしていた。
どん底にいて光なんて無いと思っていたけど、見上げればこんなに綺麗な空が広がっていたなんて知らなかった。
そうだ。僕は知らないことがいっぱいあり過ぎる。
目の前の女の子のことも、どんな冒険を繰り広げたのかも、ちゃんと知らない。
「ヨルハの冒険を僕も体験してみたいな」
自然とこぼれた僕の言葉に、ヨルハはうんとしっかり頷いた。
「グラン、精霊の道を王都に繋げて」
「おやすいごようで」
ヨルハの言葉でグランは杖を回すと、道の真ん中に輝く輪っかが生まれた。
優しい光が溢れていて、まるで別世界の扉のようにも見える。
僕がその光に見とれていると、グランとヨルハが扉の前に立って、手を差し伸べてくれた。
「フェンツ君、この扉は転移魔法で出来たものさ。精霊が世界の各地に顔を出す時に使う通り道でね。くぐればどんな距離もひとっ飛び。歩いて一週間くらいかかる王都もわずか一歩で到着する優れものさ」
「行こうフェンツ」
僕はヨルハの手を取り頷く。
そして、旅の第一歩を大きく踏み出して、光の中へと飛び込んだ。