夫婦の契り ~人でなし精霊の祝福を添えて~
旅に出ることが決まったけど、何か忘れている気がする。
「それじゃあ、旅立ちの前に夫婦の契りを結ぼうか。ボクが神父役をするから、ちゃちゃっと指輪を交換して、口づけを交わしてくれ。形式的なものだから、触れる程度でも――いやっ! 口づけは熱―いベーゼでも構わないぜ」
「そういえば、そんなことを言っていましたね……。ヨルハも言っていましたけど、この旅と結婚は関係ないのでは?」
僕は新しい料理を学び、ヨルハに僕の料理を食べてもらう。
そうやってヨルハを人間に戻すのが、旅の目的だ。
それに、結婚は全く関係ないはずだ。
「大いに関係あるのさ。ヨルハは世界を救った勇者だぜ? 魔王がいなくなった今、世界で最強の力を持つ子だ。そんな子を好き勝手旅させる権力者がいると思うかい? この子を手元に置いておくために、王様がどれだけの金と地位を積んだと思う?」
「確かに目の届くところにいて欲しいと思うかもしれないですが、それでどうして結婚なんですか?」
「だから、言っただろう? 新婚旅行だってさ」
グランはそう言うと、一度咳払いをして、大げさに両手を広げた。
「ヨルハは旅の途中で将来を誓った者がいます。この戦いが終わったら結婚するんだ。そんな死亡フラグをへし折って、彼女は無事に魔王を倒したのです。でしたら、新婚旅行くらい自由に行く権利があってもよろしいのでは? なーんて言ったら、渋い顔しながらも頷いてくれたよ」
「なるほど。自由に旅をする建前が新婚旅行だ、ってことですね」
それならそうと、早くその理由を言ってくれればいいのに。
けれど、王様がすごいお金と地位を積んだって言うほどヨルハを引き留めていたのに、新婚旅行だからと言って、ヨルハを自由に旅させる条件を呑むかな?
「よくそれで王様を説得できましたね? そんな理由だけで納得しそうにないですけど」
「おぉ、フェンツ君は賢いね! その通りだったんだよ。そこで、僕はこっそり王様に耳打ちした訳さ」
「何か弱みでも握っていたんですか?」
この人でなしなら、王様を脅しても不思議じゃないもんな。
「ヨルハの旦那を懐柔して取り込めば、ヨルハの力は王様のものですよ。だから、今はヨルハを泳がして、旦那に恩を売るのがお得です。ってね」
「出会う前から僕のことを売ったの!? あんた本当に人でなしだな!?」
出会う前の人間を売るっていうろくでもないやり方に、グランに対する敬意が完全に消えた。
というか、もし、僕にヨルハを助ける力がなかったら、ヨルハは今日消えてなくなっていた。そうなれば、王様は絶対によくも騙したな、と怒って、全力でグランを捕まえようとするだろう。そんな危険な賭をよくしたな。
いや、ちょっと待てよ。このグランだぞ?
「もし、ヨルハが精霊化して消えていたら、この国から自然に逃げるために、新婚旅行で旅に出るって話にした?」
「あっはっは。その通り!」
「本当に人でなしのろくでなしだ……」
「まぁ、良いじゃないか。どちらにせよ、過ぎた力を権力者の下に置いておくのは良くない。ろくなことにならないのが歴史の常さ。長生きな分、そういうのは嫌という程、見てきているからね」
けれど、グランの言い分はある意味で正しい。
ヨルハの力を手に入れた王様が、次の魔王にならないなんて誰も保証出来ないのだから。
ということで、王様から距離をとるというのも必要なんだろう。
「とはいえ、権力者の笠に着られるのなら、遠慮無く笠に着られようじゃあないか。これがヨルハとフェンツ君の結婚指輪。王家の紋章入りだから、関所は税金なしのフリーパスだし、門番の検査だって受ける必要がない。希少な食材があるダンジョンにも行けるぞう」
けれど、そこは人でなしのろくでなし。使えるものは使うということで、王様の権力を使い倒す気満々な説明をしてくる。
顔の面の厚さがとんでもないことになっている。
「ま、要するに旅をする際の身分証なのさ。特にフェンツ君はただの一般人。勇者とともに旅をしているなんて言っても誰も信じてくれない。けれど、ヨルハとおそろいの結婚指輪をつけていれば、納得してくれるという訳さ」
「そういうことなら……まぁ、仕方無いですけど」
僕がつける分には仕方無い、ということは分かった。
けれど、ヨルハはこんな理由で、僕と結婚――の真似事をしても良いのだろうか?
夫婦の契りは、その、そういうこともするしさ。
パーティメンバーや故郷に、思い人はいなかったんだろうか。
「フェンツは私じゃ嫌?」
「そうじゃないけど、ヨルハは僕で良いの? 王様たちを誤魔化すためとは言え、け、結婚するとか……」
「フェンツが良い」
僕は顔を真っ赤にしているのに、ヨルハの表情は全く変わらないし、声の調子も嬉しいのか、恥ずかしいのか分からない。
けれど、感覚も感情も記憶もほとんどなくしたヨルハが断言してくれたんだ。
なら、きっとヨルハの相手になることに、後ろめたさを感じる必要なんてない。
「グラン、指輪を貰うよ」
夫婦の契りはお互いに指輪を交換し、口づけを交わすことで成立する。
口づけか。やばい、ちょっと緊張してきた!
「フフ、仕方無く据え膳を食うつもりになったかい?」
「ううん、仕方無くじゃない。ヨルハとの約束を果たすために、指輪を受け取る」
「さすが男の子。そうでなくっちゃあ、からかいがいがな――面白くない。では、二人ともこれが君たちを繋ぐ指輪だ」
「おい、ろくでなし、今からかいがいがないって言った!?」
「ハハハ、何のことやら。ほら、夫婦の契りをするんだぜ? ボクじゃなくて、ヨルハの目を見ないと」
グランが僕とヨルハの手に指輪を乗せて、うさんくさい笑いで失言を誤魔化している。
ヨルハはもう慣れきっているのか、僕のようにツッコミを入れる気配はない。
想像を絶する苦労をしたんだね、と思わず労いたくなるような様子だ。
よくこんな奴と一緒にいられるもんだよ。
そんな風に僕の中でグランの評価が底を打った時だった。
僕に手渡された指輪が赤く輝き、ヨルハの持っている指輪が青く輝いた。
「新郎フェンツ、新婦ヨルハ、君たちの新たな門出を光の精霊グランが祝福する。我が光は暗闇を照らす満天の星、青き世界を照らす太陽。新郎の指輪には星の加護を、新婦の指輪には太陽の加護を与えん」
「グラン!? 一体何をしたの!?」
「なぁに、精霊のちょっとした祝福さ。君たちがこれからの旅を楽しく過ごせるよう。ちょっとした力を指輪に付与しておいた。一つの能力は二人を繋ぐ魔法さ。安心したまえ。別にこれをつけたからといって、精霊化はしないさ」
精霊に祝福された物は特別な力が付与される。
グランが言うには、ペアとなったこの指輪をつけると、どれだけ離れていても声が届くし、どこにいるか知りたければ指輪が導いてくれるという。
そんな指輪の説明を受けていると、ヨルハがグランをガン無視して僕の左手を取り、薬指に指輪をはめてきた。
「今度はフェンツの番」
そして、左手を僕の目の前に差し出してくる。
グランが横でやれやれ、僕の活躍にもう少し感動してくれても良いのに。とぼやいているが、ヨルハは視線の一つも向けなかった。
その代わり、僕の目と指輪を交互に見比べている。期待してくれているのかな?
そう思って、僕もヨルハの手を取った。
ひんやりと冷たい手は、ずっと握っていたくなる心地良さがある。
「フェンツの手、熱い」
「あ、ごめんなさい」
「違う。久しぶりに熱を感じて、ビックリしただけ。フェンツのおかげだね。ありがとう。昔みたいに笑えたら良いんだけど、ごめん」
思わず引こうとした僕の手を、ヨルハがしっかり掴む。
そして、伝えられた感謝の言葉で、僕はヨルハの手を握り返す。
無表情でも精一杯伝えてくれるヨルハの感謝に、僕の気持ちが伝えるように。
「触れられた感覚はないけど、フェンツの温かさは分かるよ」
「ヨルハさんのこと、必ず元に戻します」
そして、もう一度ヨルハの笑った顔を見たいんだ。僕の料理を食べて、すごく楽しそうに笑ってくれて見せたあの笑顔を。
「うん、ありがとう」
僕の宣言にヨルハは小さく頷くと、ぴょんと僕の目の前に近づいて来て、つま先で背伸びをして――。
「んっ!?」
ほんの一瞬だけ僕たちの唇が触れて、離れた。
まるで春の温かい風が唇をなでたような感覚に、僕は口づけをされたことに一瞬気がつかなかった。
やっぱり、見た目は人間でも精霊化の一歩手前なんだな、と実感させられる。
「おっと、ボクの進行は完全に無視だねぇ。まぁ、でも、短いキスでも誓いは誓いだ。これで夫婦の契りは完了さ。フェンツ君は少し不満そうな顔をしているけどね」
グランがからかうような口調で唇に手を当てて、ニヤリと笑う。
ヨルハはそんなグランを一瞥すると、僕の方を見つめてきた。
いや、別に不安って訳じゃないよ。ただ、キスされたことと、ヨルハの感覚に驚きの方が強かっただけで。
「熱くて火傷しそうだから、感覚が戻ってきたらまたしよう」
「そうですね。――って、夫婦の契りをまたするんですか?」
頭がボーッとしていて、何も考えず同意したけど、またするの!?
「ん? 感覚が戻ったかどうか、触れあう再確認は必要」
「あ、あぁ、ですよね」
別に何か特別な意味がある訳じゃないよな。
ヨルハの方は何ともなさそうなのに、僕はドキッとして顔が熱くなっている。
そんな僕を、グランのやつが何も言わないでニヤニヤして見ている。
何も言わないでも人をからかえるのか、あの人でなし!
「次の機会は君からすれば良いのさ。さて、夫婦の契りはこれで終わりだ。さて、早速旅に出よう。フェンツ君は初めての旅だろう? 僕らも準備を手伝おう。ほうら、こうして何でも入る魔法の鞄も用意してあるし」
僕の嫌そうな目を物ともせず、グランが僕の背中を押して屋根裏部屋へと案内させようとする。
手で押されているはずなのに、触れられている感覚が薄くて、風に吹かれて浮き上がっているみたいな感覚だ。抵抗が一切出来なくて、僕は諦めてグランとヨルハを部屋に案内した。