勇者がやってきた ~唐突な求婚と人でなしの魔法使いを添えて~
魔王は倒され、世界は平和になった。
赤髪の女勇者は王子様と結婚して、めでたしめでたし。
なんていう英雄譚はパン屋の下働きである僕フェンツとは、まーったく関係がない。
朝から晩まで他人に押しつけられた仕事ばかりして、先輩や親方に仕事が遅いと怒られる毎日だ。
僕が代わりに仕事をしている間、彼らはのんびりタバコを吸っているけれど、文句を言えば怒鳴られるので、いつしか文句を言うのも諦めた。
「……世界は平和になっても、僕の生活は平和にならないんだよなぁ……。魔物に殺されるのとどっちがマシなんだろう」
そして、今夜も一人店に残ってお店の床掃除をしている。もちろん、給金は出ない。
けれど、さぼれば明日の朝、怒鳴られる。
嫌なら出ていけば良い。善意でそう言ってくれる人は多い。
けれど、僕の村は既に魔王軍によって焼き払われていて、このパン屋を出て行っても行く当てが無い。
「……冒険者になれるのなら、世界中を旅するのになぁ……」
でも、僕は腕っ節も弱いし、戦うための魔法も使えない。僕に出来るのは、せいぜいパンを焼くか、先輩たちのまかない料理を作るだけだ。
だから、冒険者になりたくても、なれない。
パン屋の屋根裏部屋、狭くて暗い部屋と日々の食糧のために、僕はこの奴隷のような扱いを我慢しなければならなかった。
「うぃーっく、フェンツ! いつまでだらだら掃除してんだよ!」
酔っ払って顔を真っ赤にした親方が店に来た。
息が酒臭い。かなり飲んできてみたいだ。
「あなたたちが酒を飲みに出かけて、僕に片付けを押しつけていなければ、とっくに終わっています」
なんて言える訳もなく、僕はすみませんと頭を下げる。
それに、たとえ僕の言っていることが本当だとしても、僕の言葉に返ってくるのは言葉ではなく、拳骨だ。
怒鳴られるのは嫌いだし、殴られて痛いのはもっと嫌だ。
だから、諦めて謝るしかない。
「お前は俺が拾ってやったから、今日も寝床と飯があるんだ。感謝しながら仕事をしろよー。美味いまかないが作れても、上下関係ってのは大事だからな!」
「はい、感謝しています」
もちろん、嘘だ。本当はもっと自由に料理をしたい。
故郷にいた時みたいに、美味しい料理を作って、誰かを笑顔にしたい。
このまま一生、奴隷みたいな生き方はしたくない。
誰でも良い。僕をここから連れだしてくれないだろうか?
そんなお伽噺のお姫様みたいなことを願った。
その時だった。
カランカランと客の来店を告げる鈴がなる。
「こんな時間になんだぁ? 閉店中の看板が見えなかったのか? 今日の営業は終わったぞー。帰ってくれー」
酔っ払った親方は客の方も見ずに、あしらっている。
けれど、その客は親方の言葉を完全に無視して、僕らの前にやってきた。
剣を腰に携え、盾を背負った赤髪の少女。
炎のような赤髪に対して、目は青く、表情からは氷のような冷たさを感じさせる。
けれど、怖くない。そんな不思議な雰囲気の子だった。
「人を探してる」
そっけなく、ぶっきらぼうな口調。
「人探しだぁ? 嬢ちゃん、人探しなら冒険者ギルドにでも行ってこい」
「名前、フェンツ。パン屋の人」
「フェンツ? フェンツって言ったら、こいつのことか?」
親方が僕の方を指さすと、赤髪の少女は僕の前に音も立てず、スッとやってきた。
あまりにも軽い身のこなしに、僕が固まっていると――。
「見つけた。一緒に来て」
「え? って、ちょっと君!?」
僕の返事も待たずに、少女は僕の手を引いて店を出ようとする。
見た目よりずっと力が強い!? 僕の方が身長は上だし、普段力仕事しているはずなのに、全く抵抗できないなんて。
「って、おい嬢ちゃん! お前、フェンツをどうするつもりだ!?」
「魔王を倒したら、何でも願いを聞くと王様が言っていたから、フェンツを貰いに来た」
「「は?」」
親方と僕は全く同じ反応をした。
王様の許可を得て、僕を貰いに来た? ごめん、さすがに意味が分からない。酒を飲んで暴力的になっている親方が素面に戻るレベルの意味不明さだ。
それにこの子、魔王を倒したって言った?
「君は本当に勇者のヨルハさん?」
「ん。覚えてくれて嬉しい。結婚しよ」
「「結婚!?」」
ヨルハさん魔王を倒した衝撃でお馬鹿になったの!?
いや、そんな訳あるか! この子が勇者ヨルハを騙っているだけだろう。
親方も壊れた玩具のように、首を左右に激しく振って、いやいやいやと繰り返している。
そんな中、もう一度扉が開かれた。
「ぜぇぜぇ! ヨルハ、老人を走らせるんじゃあないよ。まったく、こんな見た目でもボクは100歳を越えているんだぜ? もっといたわってくれないかな?」
白金の髪の若い男性が息を切らせながらヨルハに文句を言う。
100歳を越えていると言っているけれど、見た目は20歳くらいの青年にしか見えない。
優しそうな顔をしているけれど、身体が淡く光っていて、まるで幽霊みたいだ。
この人は本当に人なのか!?
いや、待てよ。聞いた事がある。勇者のパーティには精霊と人間から生まれた半霊の魔法使いがいるって。
「なぁ、そこの少年と強面のおじさんも、年長者と精霊は大事にするようヨルハに言ってくれないかな? ボクはその両方の属性を兼ね揃えているのだから、二倍大事にしてもらわないと、ってさ」
「あなたは、まさか光の魔法使いグラン!?」
「いかにも。世界広しといえど、ボクのようにキラキラと輝く魔法使いはいないだろうさ。何せ精霊と人間のハーフだからね! 人が僕に魅了されるのも無理はないさ」
グランがハハハと笑いながら、両手を広げて踊るようにくるくる回る。
どうしよう。おかしいことを言う少女だけでも精一杯だったのに、うさんくさいお兄さんまでやってきて、頭が理解することを放棄しそう!
「フェンツ、気にしないで。グランは人でなし。言うことは適当。本気にしちゃダメ」
「ひどいなぁ。確かにボクは人じゃないけどさ。受けた恩は返すくらいの甲斐性はあるぜ? その少年が君の探し人なんだろう? ボクがちゃんと説明するよ。どうせ君のことだ。ちゃんと説明せずに彼を連れて行こうとしたんだろう」
グランが僕と親方の顔を見て、楽しそうにウインクする。
まるで、僕たちが戸惑っている姿を見られて良かった、とでも言うかのように。
「では、改めて自己紹介だ。ボクはヨルハの言う通り人でなしの半霊グラン。そして、この赤髪の女の子が世界を救った勇者ヨルハさ。証拠が欲しいって? そこはほらボクの光輝く姿が証拠かな! どうぞ見とれてくれたまえ! 特に親方さんに見て貰いたいね! きっと良い眠りにつけるからさ」
何なんだこいつ!?
夜空に輝く星のような光がグランの周りに浮いている。確かにそれだけでただ者じゃないことは伝わる。
けれど、それ以上に説得力があったのは、冗談を言っているような口ぶりのくせに、全く笑っていないグランの目だった。
ひとまず、彼女らが本物の勇者と魔法使いだったと思うことにしよう。
「そして、残念ながら別の意味でもボクは人でなしでね。魔王を倒すためにヨルハをボクと同じ半霊にしたのさ」
「え?」
ヨルハが人ではなく、半分精霊のような存在だと言われても、彼女はグランのように輝いてはいない。とても信じられないけれど、グランは肩をすくめて話を続ける。
「ヨルハの剣は持ち主の魂と肉体を作り替える霊剣でね。身体能力が上がるだけでなく、致命傷を受けても、死なずにすぐ治る。死に至る毒にむしばまれようが瞬きする間に解毒される。そして、一度剣を抜いて振るえば、どんな頑丈な金属も、魔法の障壁も軽々切り裂く光の剣となる。おかげで魔王を何とか倒すことができたのさ」
「すごい剣じゃないですか。でも、ヨルハさんは普通の女の子にしか見えないですよ?」
「見た目はね。けれど、彼女の五感と感情は人間のものではなくなってしまった。フェンツ君に分かり安く言えば、ボクもヨルハも味覚がない。何も食べなくても、大気中のエーテルで身体は維持できるからね。食べるという行為が必要なければ、味覚なんていらないのさ」
グランの言葉に僕が驚くと、ヨルハはこくんと首を縦に振った。
そういえば、ヨルハの表情は先ほどから一度も変化していない。
グランに文句を言っている時も、僕に結婚しようと言った時も、全く同じ無表情と平坦な口調だった。
「霊剣を使うことで、こうなることは分かっていた。けれど、魔王を倒すためなら、ヨルハ一人を犠牲にしても良いと思ったのさ。ヨルハも同意してくれたからね。だから、ボクは彼女を半霊にしてしまった罪悪感を、ほんのこれっぽっちしか抱えていない。ヨルハとボクの関係はこれで大丈夫かな?」
グランは親指と人差し指で小さな丸を作りながら言うと、全く反省している様子のない微笑みを見せた。
「グランさんがろくでなしの人でなしだ、というのはよく分かりました」
「ははは、手厳しい~。全くその通りだから、否定しようがないけどね! けれど、そんな人でなしでも、受けた恩を返す甲斐性はあると言っただろう? ボクの恩返しの鍵が君なのさフェンツ君」
「僕が恩返しの鍵?」
「あぁ、そうさ。ヨルハは君の作ったパン。その味だけはちゃんと覚えているらしい」
「僕の作ったパンを食べたことあるんですか?」
僕の問いにヨルハはこくんと頷いた。
そして、僕の手をぎゅっと握ってきて、指の一本一本をなでるように触ってくる。
まるで、ちゃんと僕に指が生えているのかを確かめるみたいだ。
グランはそんな僕とヨルハの手の上に、手を重ねた。
重なったヨルハとグランの手からは温度を感じない。冷たくも暖かくもないどころか、触れた感覚すら希薄だ。何もない、または空気のような存在、それが精霊の感覚というやつなんだろう。
ヨルハといつ出会ったのかよりも、よっぽどその不思議な感覚が気になった。
「味覚はない。痛覚もない。視覚は壁を貫通してどこまでも遠くを見られるし、触覚も見える全ての物に触れているような広い感覚になっていて、近くのものも遠くのものもごちゃ混ぜだ。感情だって薄れている。そんなヨルハが唯一覚えている感覚と、感情が君との思い出なのさ。辛うじて人の形を保っているのも、君の料理を食べるためだ。全く男冥利につきるねぇ」
「えっと、つまり?」
「君の料理を食べることで、ヨルハは人間としての感覚と感情を取り戻すことが出来る。ヨルハを人間に戻す切っ掛けを与えることが、ボクの恩返しなのさ」
グランはそう言って手を離す。
その顔はどこか寂しそうな表情だったけれど、本当に寂しいのか、ただそういう表情をしているだけなのかは、僕には分からなかった。
でも、僕が作った料理で、本当にヨルハを助けることは出来るんだろうか。
「えっと……、掃除が終わった後に食べようと思ったパンとスープがあるんだけど」
「ようし。ではそれを早速いただくとしよう。ふむふむ、料理は奥のキッチンだね。さて、ここはこのグランお兄さんがヨルハに恩を売るために取って来ようじゃあないか!」
「……ろくでなしだ」
自分のしでかした失態の挽回なのに、恩返しと言い張り、恩の押し売りをするなんて、酷いマッチポンプだ。本当にろくでなしだなこの魔法使いは!?
そして、店の奥に勝手に踏み込まれたというのに、親方の怒鳴り声はなかった。
どうやらいつのまにか眠っていたらしい。
「グランが魔法で眠らせた。朝には起きるから、放置すれば良い」
「そ、そっか」
ヨルハは相変わらずぎゅっと僕の手を掴んでいる。
冷たくも暖かくもなければ、触れられている感覚が薄いヨルハの手。辛うじて人の形を保っているというのもきっと嘘じゃないのだろう。
勇者の活躍の末路がこんなのって、いくらなんでもあんまりだ。
本当に僕の料理で、少しでも彼女が助かるのなら、喜んで手を貸そう。
「やぁやぁ、お待たせ。ほうら、ヨルハ。フェンツ君のパンとスープだぞぅ?」
「あ、グランさん、それちゃんと温めないと!? バケットは冷えるとカチカチになるから――ってああああ!?」
なんて、せっかく覚悟を決めた瞬間に、グランがパンとスープの入ったマグカップを持ってやってきた。
随分早いと思ったら、温めた形跡はなし。
グランは僕の制止も聞かず、冷えてカチカチになったパンをヨルハの口に押し込み、数秒咀嚼させると今度はスープを押しつけるように飲ませた。
さすが食事が必要無いと言っただけあって、食べさせ方もメチャクチャだ。
「どうだいヨルハ? 君の原点の味は?」
「……固い。……冷たい。……けど、懐かしい味がするかも」
ほら、見たことか!? ちゃんと温めないと美味しい物も美味しくなくなっちゃうってことを精霊は分からないのか!?
「ヨルハ……」
「グランはあてにならない。フェンツ温めて」
「は、はは! あはは! そうだね! フェンツ君! どうやら、ヨルハは君の愛情が籠もっている方が嬉しいらしい! さぁさぁ、一緒に料理を温めようじゃないか!」
グランは罵られているのに、本当に嬉しそうに手を叩きながら笑っている。
そして、ひとしきり笑うと、僕とヨルハの背中を押して、キッチンの方へと無理矢理連れて行く。
この人は本当に何なんだろう? マゾなのか?
でも、この時は何でグランがこんなにも喜んだ理由は、後々知ることになる。