落下
初投稿です。
【7/18】修正しました。
「後頭部をハンマーで殴られたような衝撃」という比喩表現がある。
あまりにも陳腐だが、これを実際に経験した人間がどれほどいることだろうか。
後頭部に思い切りハンマーを振り下ろしてくれるような信頼できる知人がいれば話は早いが、真っ当な生き方をしていてそういった経験に触れる機会はまず無い。
だが今現在の私ならば、そういった稀有な経験について自信を持って説明することができるだろう。
ほんの数秒前、私の身体は空中で静止していた。
否。静止という言葉には誤解があり、私はどうやら空中に突如出現したらしい。
つばをゴクリと飲む程度の静寂が訪れた後、私の肉体には重力加速度が与えられ始めた。
この時点で私は下手に抗うことを諦め、ただ生き残るため、冷静に状況を分析していた。
初めに着地したのは人体の中でも柔らかい臀部からだ。
接地までの時間の短さから、落下距離はおよそ2メートルぐらいだろう。
続いて腰を支点とした振り子の原理で、私の後頭部は大地へガツンと叩き込まれた。
それからゴゥンという鈍い音が脳内に響き。
紫と黄色の2色で構成された視界がネガポジ反転を周期的に繰り返し。
そして臀部から鈍痛が遅れてやってくる。
後頭部からの痛みはまだ感じていない。いや、まだ知覚していないだけなのだろう。
照りつける太陽に顔面を焼かれ、生い茂る雑草の生臭さに嗅覚をやられながら、私の意識は徐々に薄れていく。
そうだ、この衝撃。
この衝撃こそ、私が3日前に「証明」したあの時の感覚に限りなく近しい。
急速に衰える思考の中で、私の頭脳は1つの戒めを導き出した。
これからの私の人生で「後頭部をハンマーで殴る」などという生ぬるい表現は、二度と文中で使われる事がないだろう。
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「おい、お前生きてるのか?」
初老らしき男性の声が耳に届いた。
生きているのか、もしくは死んでいるのかを尋ねる質問のようだ。しかし後者の場合だと返答できない事まで彼は考慮しているのだろうか。
ともかく返事をしておかねば、死体同然の扱いされてしまう。
「はい」
「うわっ、びっくりした」
私が開眼すると、彼は1メートルほど仰け反った。
不本意ながら驚かせてしまったらしい。
私は寝たきりで対応するのも失礼に当たるかと思い、上半身だけを起こして件の男と対面した。
男は外国人のようだ。白髪まじりの金髪に碧眼という彼の顔立ちは北欧系を感じさせるが、日本語は異様に流暢だった。ひょっとしたら帰化しているのかもしれない。
落ち着いて周囲を見渡すと、ここは道路のど真ん中のようだった。
とは言え両脇に十分なスペースもあるし、他に車も見当たらないのでしばらくはこのままでも問題ないだろう。
「大丈夫かお前……あっ、頭から血が出てるじゃねぇか」
「む、本当か」
右手で首元を拭った所、今まで汗かと思い込んでいた液体はデラデラとした赤色を放っていた。
「大丈夫だこれしきの事」
「いやいや、これしきもへったくれもあるもんかい。ほら、今《応急処置回路》持ってきてやっから」
そういって彼は立ち上がり、道端に停車させていた馬車の荷台に乗り込んだ。
なるほど。アレは彼の乗り物らしいが、このご時世に私用の馬車とはずいぶん洒落込んでいる。
2匹の馬は主人を待ちくたびれているようで、既に十分すぎるほどの肥を大地へと垂れ流していた。
「これが応急処置回路か?」
「あぁ、そうだ。何だ、使ったことないのか?」
「初耳だ」
「どこの田舎モンかは知らんが、これの使い方ぐらいは覚えときな。まず怪我してる所にこのテープを貼る」
「貼る」
「次にセロハンを剥がす」
「剥がす」
「すると自動で圧縮術式が展開される」
「術式が展開される」
「すると治癒魔術が実行されて回復する」
「なるほど……少しこそばゆいが驚くほどの回復速度だ」
「おうよ」
……なるほど。
仕組みまでは理解に至らないが、どうやら【治癒魔術】なるアプリケーションが実行されることで、私の怪我は瞬く間に回復したらしい。
不勉強故か、まだまだ世の中知らない事だらけだ。
傷が回復した私の下に、男が馬車から小瓶と黒い塊を持ち運んできた。
「お前もこの炎天下の中寝たきりじゃ喉も乾いたし腹も減ったろ」
「ご明察だ」
「そう思って水と黒パンを持ってきた。本来は俺の昼メシだからよく味わって食え」
「かたじけない」
私はボソボソとして味気のないパンをもそもそと咀嚼し、そいつを生ぬるい水で喉に流し込んだ。
男は胸元から手帳を取り出し、何かメモを取り始める。
「それにしても」
「何だ」
「なんだってお前はこんな道端で寝転がってたんだ」
「うーむ、分からん」
「分からんって、なんだいそりゃ。じゃあ名前は?」
「人に名を尋ねる時は、自分から名乗るのが礼儀であろう」
流石に怪訝な顔をされた。
「……よく分からんがお前の地元はそういう文化なんだな。分ーった分かった。俺の名前はジミー、自警団に所属している」
「自警団?」
「あぁ、それで街道のパトロールしていたところ、たった今頭から血を流す負傷者を発見して救護中だ。本件も後で上に報告させてもらう。で、お前の名前は?」
「私の名前は……坂上彦摩呂だ」
「サカノウエヒコマロ?どんな綴りだ?」
「綴りもへったくれもあるか。えぇい、紙とペンを貸せ」
「はぁ」
私は男から手帳と万年筆をひったくるように奪い取り、親から与えられた「坂上彦摩呂」という名前を書き綴ったが、男の反応はそっけないものだった。
それどころか此奴は「それはどこの言語なんだ?」などと宣いやがる。
えらく遠回しな表現だが、ひょっとしたら彼は私の達筆な文字を、もんどり打ったミミズの模写か何かと勘違いしているのではないだろうか。
自警団を名乗る男は首を傾げつつ質問を続けた。
「ふーむ、そうするとお前は自分が今まで何処にいたのか、何をしていたのかも覚えていないって?」
「そういうことになるな」
「それは一般に言う、記憶喪失という案件に該当しそうだな」
「そのようだ」
「ふむ、後頭部を打撲し記憶喪失っと……自分の名前以外に覚えている事柄は?」
「名前以外……1つだけある」
「何だ」
「証明……」
「証明?」
「自分が『証明士』だった事だ」
「ショウメイシ?なんだそりゃ」
「ソースコードの安全性を証明をすることで飯を食べていく人間だ」
「へぇ、そんな職業聞いたことねぇな。じゃあどこに雇われてるんだ?」
「国だ。学術振興会から毎月定額が支給されてた」
「そりゃすげぇ、さぞかし一線級のスキルをお持ちなんだろう」
「あぁ、生半可な技能では続けられん仕事だからな」
「……まぁ調書はこんなもんでいいか。とりあえず怪我の具合は大丈夫か?」
「うむ、痛みも引いた」
「では今からお前を近くの市街地まで連れて行く。そこでもう一度証明士だかナンダカ知らんが職業証明書を再発行してくれ」
「ありがとう、ジミー。君は命の恩人だ」
「じゃあヒコマロ、早速だけど後ろの馬車に乗ってくれ」
馬車の乗り心地はもれなく最悪だった。
小石を乗り上げるたびケツを掘られ、窓から漏れ入る生ぬるい風で必死に涼みながら約3時間。
日が沈む前にようやっと、のどかな田舎町へと到着したようだ。
「職業斡旋所はヤミーっていうエールホールを兼任している。この中央のレンガ通りをまっすぐ行ったところの突き当りだ」
「何から何まで助かる、ジミー」
「じゃあ気をつけてな」
ジミーに別れを告げてから約10分、私はえらく年季の詰まった酒場の前まで辿り着いた。
木彫りの看板には【YAMMY】とある。ここに違いないようだ。
観音開きの押し戸を開くと、蝶番からギィィと軋む音が店内へと響く。数名の客がチラリとこちらを一瞥するが、すぐに視線を戻した。
意外にも店の奥行きは外見の見た目よりもずっと深い。丁度天井がドーム型になっているところから、建物全体がかまぼこのような造りをしていた。
そして恐らくレンガ造りの恩恵だろうか。店内は温度も湿度も低く、人間にとって快適な空間が形成されているのはありがたい。
「はいはい、らっしゃい!ご注文は?」
あちらこちらの客をかき分けて、バーメイドさんがこちらに近づき注文を尋ねてきた。
そのあまりにもコテコテな衣装は、一見そういったコスプレのたぐいではないかと疑ってしまうほどだ。
さて注文ときた。ふと思い出したが今日はあのパンと水以外、何も口にはしていないじゃないか。
すると私の喉はついさっき思い出したかのようにカラカラとした乾きを突如訴え、胃袋は溢れんばかりの胃液をじゃぶじゃぶと生産し始めた。
「そうだな……そこのカウンターの客と同じ物を」
「はい、ベイクドチキンとラージのエールね」
やっとこさ安息の時間を得られた私は近くの手頃な席に着き、首元のボタンを1つ緩め、改めて周囲を見渡す。
店内は真っ昼間だというのに客で溢れかえっていた。
早くも一仕事終えたらしく互いに談笑を交わす日雇い労働者達。
ジョッキのエールを互いに回し呑みするホビット族。
何だかよく分からない生物のモツをガツガツと平らげるドワーフ族。
イワシだのアジだのを一匹ごとに丸ごと平らげ、瓶詰めされたミルクで喉に流し込む獣人族……。
ん?
どうやら記憶を喪失しているらしい私の中で、形容し難いふつふつとした違和感が芽生え始めた。
何故酒場に人間以外の生物がたむろっているのだ?
そもそもここは何処なのだ?
単なる町おこしでドイツ風の街並みを再現した田舎町か何かと思いこんでいたが、少なくとも日本ではないのか?
あれだけの出血を伴う大怪我をしておきながら、瞬時に回復できる魔術とは何だ?
ひょっとして私が記憶を喪失する以前の常識と、現在における常識には齟齬が生じているのではないか……?
私は次々と浮かび上がる疑問に対して熟考を重ね、少しでも過去の記憶に関する情報を引き出そうとしたが、その度に頭痛が走り、視界は紫と黄色で覆い尽くされた。
これは駄目だ。
そもそも記憶などという至極曖昧かつ論理的確証を得られない根拠を元にして、現実世界で起こっている事象に対する疑念を抱くのは、まるで偽の命題から真を導いているようなものだ。不毛な熟考は排し、思考のリソースは節約するのが吉であろう。
という有意義な結論が得られたところで、先程の給仕が厨房からメシとエールを持ち運んでくるのが見えた。
しかしあの給仕というやつは、改めて見ると凄まじい格好だ。
当方服のデザインには詳しくないが、あの緑を基調とした服は多くのアピールポイントで構成されている事がわかる。
胸元や首元にはあのフリフリした白いやつが取り付けられ、腹部に締められた梱包用の紐みたいなやつは繰り返し交差することでくびれを強調している。
膝下まで伸びたスカートは歩く度にサラサラと揺れ動き、その度に白い太ももが姿を現したり引っ込んだりした。
世間一般でのああいった服装は、働く女性の健康美を男性にアピールするためというイメージが強いかもしれない。
だが私はどうしても「あのピチピチの服を着れるように体型を維持するの大変なんだろうな」だとか「あんなに肌を露出しちゃって冬は風邪引かないのかな」などというご両親目線でしか女性を見ることができなかった。
これも偏に私のハングリー精神が足りないからなのだろうか。
「はい、ご注文お持ちしたよ!」
「どうも」
彼女がジョッキを叩きつけた衝撃で、飛び散ったエールの泡が顔にかかった。
「あら、ごめんなさい!」
「どうも」
これもこの店なりのサービスのようだ。
ついでに調査も兼ねて、申し訳なさそうに平謝りしている給仕の顔をまじまじと眺めてみることにした。
長々と尖った耳、ぱっちりとした目元、高々とした鼻、鮮やかな朱を描く唇などの顔面を構成する要素は、それぞれ左右対称性が取られている。
透き通るような肌は、予め母体内部でホワイトバランスをいじったのではという疑念すら湧いてくるほどだ。
彼女の人間離れした容姿には細部に至るまで作り込まれた、まるでフラクタル図形のような美しさがあった。
だがその美的評価はどちらかと言うと、人間に対するというよりは美術品や骨董品に与えられるそれに近いものだろう。
「あの、お客様……?」
「ひょっとして、貴女はエルフか?」
「あ、はい」
「なるほど、参考になった」
「はぁ……」
エルフの女は怪訝な表情を浮かべていたが、私だって目の前の男にいきなり顔面をまじまじと見られたら、きっとこんな表情を浮かべるに違いない。
「おーいシュプちゃん、こっちもエール1杯」
「あっ、はーい!」
シュプちゃん、と呼ばれた彼女は別の客の給仕へと足を運んだ。
さて、私も空腹には抗えない。冷める前に料理とエールを頂くとしよう。
三十分後。
空になった皿とジョッキを目の前にして、私は恍惚な表情を浮かべていた。
あの口の中で肉がホロホロに蕩けるベイクドチキンの味……あの味は生半可な鶏に出せる味ではない。十分な放牧で運動し足の引き締まった見事な鶏だ。
それを火を通しすぎて硬くすることもなく、かといって生煮えにするでもなく、バターで表面だけを焦がして肉汁を包み込んだ料理人の腕前は見事なものだった。
そしてそれをキンキンに冷えたエールで流し込む悦びといったらもうない。
少し強めの炭酸は口の中に入っても発泡をやめず、口の中をさっぱりと洗い流し、最後に鼻からホップの芳醇な香りが抜け出した。
まさに日本の画一化されたビールでは味わえない、ご当地の自家製エールだ。
私はチキンを細かく細かく少しずつ口に含んで味わい、エールをちびちびと呑み、その味わいを末永く堪能した。
「ええっと、お会計はエールが50オニックス、チキンが100オニックスで合計150オニックスね」
ゆえに先述のシュプちゃんが会計の請求をしにくるまで、私は商品に対して通貨を支払うという資本主義の大原則が脳裏から完全に抜け落ちていたのである。
「よろしいかな、シュプちゃんよ」
「急に馴れ馴れしく来たわね、何よ」
「1つ相談したいことがある」
「どうせ金が無いとか言うつもりでしょ?」
「なんと、何故分かった」
「会計の途中で算段を持ちかける人間の相談内容なんて、それ以外考えられないわよ」
なるほど、中々このシュプちゃんなる人物は論理的思考が備わっているらしい。
だがここでまんまと相手のペースに巻き込まれては行けない。
いいか、記憶を失ってから現在に至るまで自分の経験を思い出せ。
私は如何にしてこの無銭飲食という悪行を言いくるめて有耶無耶にするか、既に脳内で思索を張り巡らせていた。
初投稿でした。