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Chapter-4

「おはよう沙原くん!」

 次の日教室に入った僕に、磯崎は大声で自分から声をかけてきた。やけににこにこして、テンションが高い。

「おはよう……」

 僕は面食らった。昨日のことがあって、もしかしたら少し距離をとられてしまうかもしれない、と思っていた。けれども磯崎は、そんなそぶりを全く見せなかった。同じクラスの授業については、昨日と同じように一緒に行こうと誘ってきた。


 六時間目は、体育だった。今はバスケをやっているのだという。

 体育こそ運動神経に応じてグループを分けて欲しいと思うのだけれど、この授業に限っては、授業はクラス単位だった。僕たちは、ホーム教室で体操服に着替えた。

「さあ行こう沙原くん!」

 着替え終わって制服をたたんでいると、磯崎がやって来て言った。他に数人、特に声を掛け合うこともなく当たり前のように一緒に教室を出た。教室にはまだ何人か残っていたけれど、根津くんはいなかった。この休み時間、根津くんを見た記憶がない。

「根津くんは?」

 僕は隣にいた杉野くんに訊いてみた。

「え?根津がどうかした?」

「いないなあ、と思って」

 つるんでいるわけでもないクラスメートについてこんな風に訊ねるのは変に思われるかな、と思ったけれど、杉野くんはその辺りは特に頓着する様子はなかった。

「根津はいつも体育見学だから。職員室に届とりにいってるんじゃないかな」

「え。身体弱いとか?」

「そうかも」

 杉野くんも、よくは知らないようだった。

 階段を下りながらふと鏡を見上げる。

 もしも盗撮されているなら、僕の馬鹿みたいな顔が映し出されているのだろう。授業中も何度か意識してみたけれど、そんなに気になることはなかった。けれど。


 バスケは三チームに分かれて二チームが試合をして、残りの一チームが審判係、点数付け係、球拾いなどをすることになっていた。審判にも点数付けにもならなかった僕は、コートの脇に座って試合を眺めていた。

 磯崎は、異彩を放っていた。身体がひときわ大きいせいもあるが、それだけが理由ではない。動きのよさが、別格だった。ボールが彼のところに来ると、何だか別の物みたいに見える。手に吸い付くような、彼の意のままに動くような、とにかく何だか特別なものになる。

 でも、その様子は、ほんのわずかしか見られない。

 なぜなら磯崎は、すぐさまボールを手離すからだ。磯崎の目的は、どう見ても勝つことにはなかった。それよりも、どれだけ他の子に球を回すか、そこに力を注いでいるようだった。偉そうに言えるほど僕も運動神経がいいわけではないけれど、試合を見ていれば大体その子の上手い下手はわかる。でもそんなの関係なく、磯崎は果敢にパスを出す。それだけではなく……。

 わあ、とコートの中で流れが変わる。

 さっき磯崎はボールを取り落した。敵チームの子が食らいつくようにそのボールを掴み、試合は敵チームが攻める流れとなった。たびたびそういうことがあった。磯崎は味方だけでなく、敵チームの子にもボールに触れる機会を増やす工夫をしているようだ。巧妙にやっているしそういうミスもしうるともとれるけれど……けど、やっぱりわざとのように思える。

 僕は隣に座っている杉野くんの様子を窺った。杉野くんは楽しそうに試合を見ている。彼が磯崎の行為をわざとだと気づいているか、そこのところはわからない。

 僕は考える。例えば前の学校で、磯崎のような奴がいたら……嫌われていたのではないだろうか、と。格好よくて勉強ができて運動神経もよくて性格もいいなんて、どう考えたって反感を買うだろう。背が高くて目立つから、先輩たちにも目をつけられるかもしれない。女子には好かれるかもしれないけれど、それだと余計に、男子には嫌われるかもしれない。

 彼は彼で、必死なのだろうか。

 普通に考えて、ミスをするのは恥ずかしいことだ。

 わざとミスをするのは、同じチームで頑張っている子にすごく失礼なことだ。

 それでも敢えてやるのは、自分の身を守るためなのだろうか。

 それとも本当に、磯崎は「いい奴」だから、みんなが楽しむために、「みんなのために」あんな風にするのだろうか。

 僕は視線を遠くにやった。僕たちがいるのと反対側、コートを挟んだ向こうに、一人ぽつんと座っている根津くんが見える。同じ教室で授業を受け続ける前の学校のような方式なら、休み時間に教室を眺めればクラスの人間関係は一目瞭然だった。でもめまぐるしく移動があるこの学校のスタイルだと、人間関係は見えづらい。つるむメンバーそのものも、ころころと変化する。けれども、まだたった二日だけど、ちょっと意識して見ていた限り、根津くんはいつも一人だった。たまにちょっと皮肉を言ったり、誰かの盛り上がっている会話に一言入れたり、ということはあったし、クラスの子たちも、別に疎外しているという風でもなかったけれど、でも、誰にも馴染んでいるようには見えなかった。

 孤独で癖が強くてちょっと毒のある根津くんが、「探偵への依頼」という特殊な形で磯崎に交流を求めた。磯崎はそれに最大限応えるために、あんなに必死で作戦を決行したり、根津くんを犯人だと言い張ったりしたのだろうか。あんな無理のある推理で犯人を決めつけて、自分をいやな奴に貶めて。それどころか、実際にやったのは自分なのだから、叱られたり処罰を受ける可能性は十分にあったのに。

 ただ、根津くんに応えるためだけに、そうしたのだろうか。


 ピーッ、と試合終了の笛が鳴る。

 交代の時間だった。隣の杉野くんが立ち上がり、僕も慌てて立ち上がる。

「おおっ沙原くんの雄姿が見られるのか!」

 コートの外に出てきた磯崎が、僕に気づくと大声を上げた。

「見なくていい」

「いいやかぶりつきで見させてもらう」

「……嫌味だよ。自分が上手いからって」

「沙原くんに褒められた!」

 本気で喜んでいるような反応をする磯崎の屈託のなさに、杉野くんも他の子たちも笑った。僕もつい、笑ってしまった。

 コートの中に入り、ジャンプボールを眺めた。味方が勝って、弾んだボールが敵のゴール前へと躍り出る。数人が団子みたいになって、ボールを奪い合っている。

 僕はふと考えた。昨日編入してきたばかりの僕がもう何となく輪の中にいられるのは、磯崎がいちいち僕に話しかけてくれたからなのかもしれない。いや、まちがいなくそうだ。移動の時に声をかけてもらえなければ、こんなに早く他の子たちに溶け込んだりできなかっただろう。勝手のわからない仕組の中でどう自分を出していいかわからず、いつの間にか一人増えた幽霊のように、じっと息を潜めていたにちがいない。

 ……ああ、そうか。

 磯崎は、高槻先生から探偵助手にぴったりの編入生が来るよと教えられたと言っていた。

 でも、本当は逆なのかもしれない。

 もしかすると先生は、編入生が来るから、早くクラスに馴染めるように気遣ってやってほしい、仲良くしてあげてほしい、と事前に磯崎に頼んでいたのかもしれない。だから磯崎は僕を褒め上げ、助手にしたいんだと持てはやしたのかもしれない。

「沙原くん!」

 杉野くんが、僕にパスをくれた。

 けれども僕は、そのボールを落としてしまった。

 いたたまれない気持のまま、体育は終わった。

 磯崎や杉野くんの軽口に、僕はへらへらと笑っていた。


 今日は早いのね、と母親に言われた。昨日、帰りが遅かったのは部活の見学をしていたからだと言い訳をしていた。「うんちょっと」とだけ言って、僕は二階にある自分の部屋に上がった。制服を脱いで着替えると一階に下り、居間に置いてあるパソコンに向かった。僕の名前でログインして、メールソフトを立ち上げる。

 未読を示す濃い文字が三件ほどあった。差出人はすべて同じだ。順に僕は、開いていった。僕が読もうと読むまいと、もうどうでもいいのかもしれない、日記のような城山のメール。

 内容はどうであれ、それは僕に語りかける文章だ。かつて僕を親友で相棒だと呼んだ城山が、僕に向かって話しかけている。

「……大丈夫?」

 後ろから母親に声をかけられて、僕ははっと我に返った。

 顔面がひんやりとし、手が少し震えていた。

「大丈夫」

 僕は言った。

 笑みを浮かべてみせるくらいの余裕は、あった。


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