Chapter-3 ②
程なく僕たちは「廃屋」を出た。駅前の大通りまで三人で歩き、目の前に建っていた大きなマンションに住んでいると言う根津くんと、僕たちは別れた。
「あのさ、磯崎くん」僕は言った。根津くんの姿がもう見えないのを、目の端で確認する。
「『依頼人』は何をくれるの?」
磯崎はいぶかしげな目で僕を見た。根津くんと話をし始めてから、磯崎はずっと言葉少なだった。帰り道もずっと、ほとんど僕と根津くんが当たり障りのないような学校についての話をしていた。昼間学校にいる時はぴんと姿勢がよかったのに、今の陰気な磯崎は、妙に猫背だ。
「報酬だよ。依頼を成功させたら、何かもらえるの?」
磯崎は目をぱちぱちさせた。
「さすがだな沙原くん……しっかりしている」
「そういうことじゃなくて」
駅はそれなりに賑わっていた。「学園盗撮疑惑」がどれほどの問題なのか、単なる探偵ごっこに過ぎないのかは正直よくわからないけれど、一応僕は約束を意識し、ことばの選択に気を使って話していた。「探偵」なら、守秘義務は守るべきだろう。生徒や学校関係者が近くを通る可能性は充分あるのだし。
「さっきの『依頼人』の話を聞いていて、いろいろ疑問が湧いたんだ」
「そうか。それは嬉しい限りだな」
一応そう言って笑ったが、磯崎のテンションはやけに低い。
気分の浮き沈みが激しい所も城山にそっくりだ、と僕は思った。
「……助手にしたいって話は、別に本気じゃなかったんだな」僕は言った。
「そんなことはない」
「じゃあちゃんと説明してよ」
「何を?」
「何もかも。僕が訊きたいことすべて」
「訊いたらいいじゃないか」
「ここで?」
磯崎はゆらりと首を傾げ、周りを見た。僕たちは改札の少し手前で、立ち止まって話していた。電車が到着したのか、高校生やサラリーマンが吐きだされるように流れてくる。
「……君の家の最寄り駅を通学に利用している生徒は今のところ君だけだ。教師もその辺りに住んでいる人間はいない。その駅まで僕も行くから、そこで話すというのはどうだ」
「なんで僕の家の最寄り駅を知ってるの」
「なぜなら僕は」
「もうそれはいい」僕は磯崎を遮った。昼間より勢いを欠いている磯崎は、小さく口を開けていたけれど続きのことばは発さなかった。
「僕を助手にしたいというのなら、君こそ僕に、誠意を持って話すべきじゃないの?」
磯崎は僕をじっと見る。磯崎は背が高いので、当然僕を見下ろす形になっている。やみくもにクソ、と思う。
「……君がどの辺りから通っているか聞いた」
磯崎は言った。冗談めかしもせず、淡々と。
「誰から聞いたの」
「高槻先生だ」
「へえ。高槻先生は、編入生の個人情報を、クラスのみんなにぺらぺら喋ったりしたってこと?」
「いや。僕にだけ教えてくれた」
「君は特別扱い?」
僕は笑いながら磯崎を見上げた。けれども磯崎はいたって真面目な顔のまま、「今日、話しただろ」と言った。
「何を?」
「僕が文芸部に入った理由」
磯崎が文芸部に入った理由。探偵である自分の助手、兼筆記係を求めて文芸部に入った、という話を、そういえば「廃屋」に行く途中でしていた。
「それが何」
「だから。君はぴったりだから……。元文芸部員の編入生が今度来る、ということを先生は僕に教えてくれたんだ。その時に、訊いたら教えてくれた」
「他には?」
「他とは」
「君は僕が不安そうだとか、二か月近く部屋に引きこもっていたのだろうとか、右腕に痛みの記憶があるとか、いろいろ言ったじゃないか。僕のことについて、何をどんな風に聞いた?」
「その辺りについては、見たままを言っただけだ」
磯崎は率直な調子を崩さずに言う。
「そんなことわかるものか」
僕は少しかっとなって言った。
けれども磯崎は、ちょっと困ったような顔をしていた。
「そもそも、どうして僕が『その編入生』だってわかったんだよ」
「だって在校生ではなかった。時季外れの編入生が二人以上同時に来るなんてことはありえない。見ない顔で、校舎を珍しそうに眺めていたから」
「在校生じゃないってなんでわかるの?全校生徒の顔を覚えてるって?」
「それぐらいは覚えてる」
僕は鼻白んだ。「全校生徒の顔と住んでいる家の最寄り駅、それと教師全員の家の最寄り駅を君は把握している」
「そうだ」
「着ている制服の状態を見ただけで、初めてそれを着ただとか、一度も座っていないだとかがわかる。体の動きを見ただけで、二か月近く家の中で過ごしたとか、腕に怪我をしたことがあるとかわかるって?」
「……わかる」
僕は磯崎をにらみつけた。
磯崎は、叱られた子どもみたいにばつが悪そうな顔をして、自分の足元を見ている。
「それが本当なら、凄いと思うけど」僕は言った。
うつむいていた磯崎は、それを聞くと顔を上げた。少し頬が紅潮している。
「沙原くんに凄いと言われると感動する」磯崎は言った。
「なんだそれ」僕は思わず吐き捨てた。
僕の家の最寄り駅で話すという案は、僕が却下した。そんなところに長時間いて、知り合いに見つかったりするのはいやだ。結局僕と磯崎は電車には乗らず、再び駅を出てぶらぶらと歩くことにした。人が多くなく、住宅街の中でもなく、けれどもそれほど暗くない。そんな道を何となく選んで歩いた。
「そもそも、なんで根津くんは君に依頼なんてして来たの?」
「それは……僕が自分のことをいつも探偵だと言っているから」
「だから依頼を持ち込んだってこと?」
「変か?」
僕は考えてみる。たとえばそう、根津くんが言う通り、ふとある時、この学校は怪しい、と思ったとする。そうしてある疑惑を持ったとする。調べてみて、さらに疑いを深めた。どうするだろうか。……もしも前の学校でなら。あのことがある前だったなら、僕は城山に言ってみたかもしれない。真相を暴きたいと思ったかはわからない。そんなのははなから無理な気もするし。でも、ありえないことも含めてあれこれ想像を膨らませて喋ったら、きっととても愉しかったに違いない。けれど。
「君と根津くんは仲がいいの?」
「いや。別に……同じ授業になったことは一度もなかったし。今年初めて同じクラスになったが、そんなに話したこともなかった」
「さして仲良くもないのに、突然根津くんは君に『依頼』をした。まあ、それは根津くんが『探偵』としての君に期待をしたから、ということで納得してもいいのかもしれない。でも、僕が納得できないのは君の方だ」
「なんで?」
「君は依頼を受けた。たとえば謎を解明できたとして……根津くんは、『依頼の報酬』についてどう言ってるの?」
「それは……報酬については話していない。探偵というのは生き様だ。人としてのあり方だ。報酬のために仕事をするわけではない」
磯崎がかっこつけたことを言ったので、僕は彼に冷やかな視線を向けた。磯崎は平気な顔をしている。僕は気を取り直して続けた。
「つまりね。何が言いたいかというと、君はどうしてそこまでするの?ってこと」
「探偵が調査に力を尽くすのは、別におかしいことじゃないだろう」
「何の見返りもないのに?」
「見返りのためにするんじゃない。言ってみれば正義のためだ。学園が盗撮されているかもしれない。それは生徒にとって由々しき事態じゃないか」
「そう?盗撮されてるとか、確かに気分がいいものではないけど、学校の授業受けてるとこを誰かに観られたからって別に何とも思わない」
「この問題に興味が湧かないってことか?」
「興味が湧かないというか……。こっそり撮影されて一番困るのは、何かそこでやましいことをしていた人間だと思う。けど君は、調査のために敢えて自らやましいことをやっていたわけだよね。飾られている絵を汚したり、廊下にタコ糸を張ったり。あんなことして、君が犯人だとなったら確実に怒られるだろうし、下手したら退学になったかもしれない。どうしてそこまでするの?リスクを冒してそこまでする価値のある問題だとは、僕には思えない。それを根津くんに依頼されたからといって実行したというのが、僕にはどうもよくわからない」
「そうだろうか」
「うん。何か他に理由があるんじゃないかと、そう思った」
「たとえばどんな?」
「君が根津くんに弱味を握られていて従わされている、とか」
僕たちは、いつの間にか立ち止まって話していた。街灯のまわりに、細かな虫が飛んでいた。磯崎は、僕をまじまじと見た。僕は自分が見当違いのことを言った気がして、急に恥ずかしくなった。
「……たとえば、だよ。っていうか、僕が訊いているんだよ。何かあるんじゃないの?助手には本当のことを話すんじゃなかったの?」
磯崎は、考え込む表情をした。
やっぱりまだ、隠していることがある。
僕はそう直感した。
けれども磯崎は、その理由を口にしようとはしなかった。
「別に根津に従っているわけじゃない。僕は探偵として、盗撮疑惑についてどうしても知りたいと思っただけだ。ただ、確かにうまいやり方ではなかったな」
「……僕は納得できない」
「なら仕方ないな」
意外にあっさりと、磯崎は言った。
「安心していい。さっき根津が言った作戦を実行する気はない。たとえ演技でも、君をいじめたりは絶対しない」
「そういうことじゃない」
「僕は別の方法をとる」
それだけ言うと、磯崎は黙り込んでしまった。無言で歩き出した彼の横を、僕も黙って歩くしかなかった。