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Chapter-2 ②

「あのさ、磯崎って変な奴だけど、いい奴なんだよ」

 廊下を歩きながら、杉野くんが言った。「まあ、『助手』なんて失礼だと思ったかもしれないけど」

 僕は杉野くんの顔を見た。杉野くんこそいい奴だ。「いい奴」は、本人のいないところで他人のことを悪く言ったり……勝手に犯人扱いしたりはしない。

「沙原くんがみんなに早く馴染めるように気を回してるんだよ」

「そうなのかもしれないね」

 僕は無難に同意した。ここで僕が否定すると、僕が責められかねない。

「この学校は……その……まじめな子が多い感じだよね。不良とかいなさそう」

 僕は言った。杉野くんはびっくりしたように目を見開いて、「いたら困るよ」と言った。僕は杉野くんをまじまじと見た。鼻にそばかすがあり、素朴で純粋そうで……もしかすると、いじめられたりしやすいタイプかもしれない。高槻先生が言っていたように、やっぱり何か公立学校で「トラブル」があって、この学校に来たのだろうか。杉野くんにとってこの学校は、「守られた空間」なのかもしれない。

「じゃあさ、たとえば誰かが煙草吸ったとか、窓ガラスを割ったとか、そういうことは一切ないの?」

「ないと思う」

 ふうん、と僕は思う。

 知らないだけじゃないんだろうか。だって昨日の絵の具の件だって、ほとんどの生徒は知らないままだ。

「それはそうと、磯崎くんが僕の授業クラスを知っていたのが不思議なんだけど」

 これくらいなら非難とはとられないだろう。僕はなるべく「素朴な疑問」といった感じで杉野くんに訊いてみた。自称探偵は、実際何か特別な情報を得る手段を持っていたりするのだろうか。

 しかし杉野くんはきょとんとしていた。

「いや、誰でも見られるよ」

 こともなげにそう言うと、自分の端末を操作して見せてくれる。検索欄に磯崎の名前を入れると、彼の時間割が表示された。

「なんだ……」

 しょうもない。やっぱり磯崎は特別なことなど何もない、単なるイタい中二自称探偵だ。

「やっぱり頭いいんだな磯崎」

 杉野くんはしかしその画面を見ながら感心したように呟いている。

 訊くと、授業のクラスA、B、Cというのは、上位クラス、中間クラス、下位クラスを表しているらしい。僕はもう一度杉野くんの持つ端末画面を覗きこむ。確かに磯崎の時間割には、A以外のアルファベットが見当たらない。

 成績がいい人間はいいとして、成績が悪いのもバレバレじゃないか。

 いいんだろうか、これ。

 僕はちょっとこの仕組みに抵抗を覚えた。けれども杉野くんはその感覚はないという。

「だってその成績を自分がとったのは事実だし。低いのがいやならがんばればいいんだし。Cクラスはわかるように丁寧に教えてくれるから全然いいよ」

 僕は感心し、杉野くんをまじまじと見た。

 本当に「いい子」だな。杉野くん。



 数学の教室は、赤茶色の木の床がやけにつやつやした小綺麗な部屋だった。壁は白く、窓は床と同じ色の木で縁取られている。意味はまったくわからない数式のようなものが、洒落たデザインで書かれて絵のように飾ってある。天井には、やはり鏡細工があった。

 数学Bの授業は、正直なところ「楽しい」ものではなかった。まあでも退屈ではなかった。息つく暇もないという感じだった。時間のあっという間さは、国語とは比べものにならなかった。公式について説明され、「用意スタート」と先生が手を叩き、僕たちは言われた問題を必死で解く。見回りながら先生は、僕たちの間違いをチェックしていたらしい。答え合わせの時の説明で、間違った部分はどうして間違ったのかがわかった。テンポがよくて、チャイムが鳴った瞬間には、ちょっとした「やり遂げた感」のようなものがあった。

 その次の理科Aの授業の教室は、リノリウムの床に白い机が並んでいて、……これまでで一番教室らしかった。写真や研究発表の紙が壁に貼ってあり、隅に並んだ顕微鏡は、覗くと植物細胞の分裂とかが見られるようになっていた。授業自体は、前回の実験結果を報告する内容だった。僕はぼんやり聞いていた。

 四時間目は社会Bだった。青と白の、ふんだんに布を使ったカーテンが下がる高級そうな雰囲気の部屋で、古めかしい色合いの茶色の大きな世界地図や、モノトーンの日本地図がいくつも壁に貼ってあった。古い地名のものと今の地名のもの、特産物の絵が描かれているものなどいろいろある。授業はグループに分かれての話し合いがメインだった。この部屋も……三時間目の理科室も、天井にはどこも鏡細工があった。

 僕たちは、教科書等を取るために毎回元の教室に戻らないといけなかった。だから遠い教室の時は少し大変だ。それにしても、教室それぞれの内装や雰囲気の違いもさることながら、なんだってその場所までもがこうもバラバラなんだろうか。端末で学校全体の教室配置を確認してみたけれど、ホーム教室はおろか、それぞれの教科の教室の場所も学校全体に散らばっている。一体どういうルールで教室の場所は決まったのだろう。毎回端末を見なければ、次に行く教室の場所もわからない。

「なんでこんなに教室の場所離れてるんだろう」

 四時間目が終わってホーム教室に戻った時に、僕は言った。脇にいた杉野くんに言ったつもりだったのに、ちょうどその時に教室に入ってきた磯崎がとたんに寄ってきて、

「そこに着目するとは、さすが沙原くんだ」と言った。

「……なんでか知ってるの?」

「探偵は、目下調査中だ」

 やっぱり。自称探偵なんてその程度だ。

 教室では、給食の準備が始まっていた。移動もしんどいけれど、慣れない場所、慣れない仕組、慣れない人たちの中で、僕の神経は自分が思っているよりも昂ぶっていたのかもしれない。幸いなことに僕は給食当番ではなかったので、決められている自分の机につくと、ふう、と息をついた。とはいえいつまでも休んでいるわけにもいかなかった。戻ってきた子たちは、次々に机を横向きにしていく。向かい合って班ごとに食べることになっているらしい。机を動かし終えるとみな立ち上がり、教室の出入り口に列を作り始めた。廊下に机が並べられ、その上に銀色のお鍋やケースが置かれている。自分でトレイを持って、順番に、おかずやごはんをもらっていく方式らしい。

「自分の分は自分で並んでもらうんだよ」

 自分がもう並んでいいのか、それとも順番が決まっているのか、よくわからずに座ったままでいると、まだ声変わりとは無縁らしいかわいらしい声で、そう言われた。

「あ、そうなんだ」

 ありがとう、と僕は立ち上がる。声をかけてきたのは、根津くんだった。

「午前中の授業、同じクラスのなかったね」根津くんの後ろに並びながら、僕は言った。

「そりゃそうだよ。だって僕、頭悪いもん」

 にこにこしたまま根津くんは言った。そんな風に言われたら、何と答えていいかわからない。

「ええと、授業のクラス分けって、一年間変わらないの?」

「学期ごとに変わるよ。前の学期の定期テストの点数と面談で決まる」

 列の進みは早かった。平たいお皿にごろんとしたおにぎりを二個のっけてもらう。少し深さのあるお皿に盛られているのは筑前煮。お椀には、揚げとネギの味噌汁。根津くんは身体の小ささから想像されるとおり小食らしく、おにぎりは一個を希望していた。おかずも少なめに、と頼んでいた。量の増減を聞いてもらえるようで、当番が「これくらい?」と減らした中身を確認していた。僕はそのまま、入れてもらうにまかせた。

「佐々木くん、君は今恐怖におののいているね。どうやってこのおそろしい事態を回避しようかと、頭を悩ませている」

「どどどどうしてそれを」

「ふふふ。なぜなら僕は探偵だから」

 聞こうと思わなくても響き渡る、妙に通る声。列の後ろから聞こえてくる、磯崎の声。

 磯崎は誰にでも、あの調子で喋っているらしい。お笑い芸人の持ちネタみたいなものなのだろうか。自称探偵。助手求む。

「木下くん、彼はすでに観念している」

「ええ磯崎さん。警察にも慈悲の心はありますよ。この皿にはしいたけを入れないことをお約束します」

「そのかわり鶏肉多めでお願いします」

「そいつぁ聞けねえ相談だ佐々木」

 鍋の前で繰り広げられているコントを何となく見ながら教室に戻ろうとしていると、磯崎が僕に気がついて「沙原くん!」となぜか大声を上げた。

「沙原くんっ沙原くんは食べ物の好き嫌いはあるかい?食べられないものは!?」

 声を張り上げてそんな風に訊いたので、まわりの目がみんな僕に集まった。

「……特にないけど……」

 なんでそんなこと、みんなの前で答えないといけないんだ。

「本当に?正直に!」

「……ないよ」

「ちっ。苦手な食べ物の一つもないなんて、面白味のない野郎だぜ」

 なんでそんなこと言われないといけないのだろう。

「でも、そんなこだわりの少ない沙原くんは、やっぱり探偵の助手にぴったりだなっ」

「……」

 つきあいきれないので、僕はそのまま席に戻った。

 これはもしかするとクラスのムードメーカーであるらしい磯崎なりの、新参者への気遣いなのかもしれない、とも少し思う。

 でも、こんな風に場を支配しているというのは、逆に考えると、この磯崎のノリに否定的な者はいじめの対象……またはそこまではいかなくても、クラスで疎外されてしまうことになるのかもしれない。杉野くんは特にこの空気に疑問を持たず、磯崎のことを「いい奴」と言っていたけれど。

 磯崎のノリは、どうにも胡散臭い。

 しかしそうだとするとなおのこと、上手くつきあっておかないと危険でもあるのだけれど。

「お、お願ぇだす。給食当番様、お慈悲を、お慈悲を!」

「よし磯崎。なんでもいうこと聞くっていうなら、ニンジンはなしにしてやってもいいぜ」

「へい。あっしにできることなら」

「おめえんとこのヨシコ、ずいぶんべっぴんに育ったよな」

「まっ待ってくだせえ。それだけは」

「なんだ磯崎。なんでもするんじゃなかったのかい」

 こんなことを毎日やっているのだろうか。

「……申し訳ないんだけど磯崎くん、後ろがつかえてるから……」 

 エンドレスコントを終わらせたのは、列に並んだ最後の一人、高槻先生だった。……先生も、生徒同様給食の列に並んで自分の分は自分でもらうことになっているらしい。

 給食当番が自分たちの分を入れ、筑前煮が多少余ったので増量希望者が再度並び、ようやくすべての鍋が空になったようで、みんなでいただきますをした。

 僕のまわりは黙々と食べている。何か話しかけてみようか、とも思ったけれど、静かに食べたい子たちなのかもしれない。教室全体はそう静かということもなく、みんなががやがやと喋っている。その中でやはり目立つ声は、磯崎のものだった。

「沙原くんはすごく賢いんだ。僕は彼に惚れ込んだよ。沙原くん!沙原くん!」

 教室は比較的小さいとはいえ、磯崎の席は廊下側の一番前で、僕は窓際の一番後ろなのに。……なぜ磯崎は僕のことを話題にし、そればかりではなく、こちらに呼びかけるのか。そしてまた、どうして僕も、それに気がついてしまったのか。

「沙原くん!沙原くんは『江藤さん』を知っているかい?」

「……誰?」

「『江藤さん』だよ!」

「知らないよ」

「『江藤さん』のことを知らない!沙原くんは『江藤さん』のことを知らないのかあ!でも沙原くん、君は『江藤さん』のことは知らないけれど、『江藤さん』が笑顔になるとどうなるかは知ってるよねっ」

「……知らないよ」

「『江藤さん』が笑顔になるんだよ?知ってるだろう!?」

 いつの間にかクラスの全員が僕たちを見ている。先生までもが、ゆるい顔でもぐもぐと口を動かしながらこちらを見ている。

「……知らないよ。子どもができるんじゃないの?」

 言ってから僕は自分の言い方に恥ずかしくなって、一人で耳が熱くなった。そんなつもりはなかったのだけど、何だか下品な言い方をしてしまったような気がする。いや、そう考えること自体、下品なのかもしれないけれど。

「……沙原くんって、そういうネタが好きな人?」

 ぼそっと言ったのが聞こえた。その声は根津くんのもので、それはちょっとショックだった。

 編入初日だというのに、僕は不名誉なあだ名をつけられてしまうかもしれない。むっつりとか、そういう類の。

 けれどもクラスの大半は、よくわかっていないようだった。

 そうして磯崎が、実際僕の発言をどう受け止めたのかわからないけれど。

「すごい!やっぱりさすが沙原くんだ。さすが僕が見込んだ男だっ。江藤さんが笑顔になるんだよ、え・が・おに。『え』が『お』に!」

 磯崎はなぞなぞの答えの説明をしつつ、僕を褒めちぎった。そこで「ああ」と納得顔をする子がちらほら見えた。

 僕はひたすら筑前煮を口に運んだ。



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