Chapter-9 ③
「件名 沙原だけど
一度会って話したいと思う」
「件名 RE:沙原だけど
そうだな」
次の日の日曜日、僕は城山と待ち合わせをして、近所の公園で会った。今日もいい天気だった。僕たちはベンチの一つに腰を下ろした。小学生が大声を上げながら、警察ごっこをしていた。
「メール、ずっと返さなくてごめんな」僕は言った。
「ああ、うん」気まずそうに城山は言った。城山の身長は、ほぼ磯崎と同じくらいだ。顔の彫りが深いところも、ちょっとくせ毛なところも似ている。調子がいい時にはやけに快活に話し、沈んだ時には別人のようにぼそぼそと喋る。そういうふり幅が大きいところもそっくりだ。
「その……僕は今、新しい学校に通ってるんだ。編入して」
「へえ」
「まだ一週間なんだけどね。なんか変わった仕組の学校でさ。全部の授業で教室移動するんだ」
「ふうん」
「おまえに似た奴がいてさ。そいつ、自分のことを探偵だ、って言うんだ」
「なんでそいつが俺に似てるんだよ」
「おまえだって自分のこと、生まれながらの漫画家だって言ってたし」
「そうだっけ」
城山はうつむいて、せわしなく自分の右手の指をいじくった。それがリハビリ行為なのか、癖みたいなものなのか、僕にはよくわからない。
「楽しそうでよかったな」
吐き捨てるように城山は言った。僕は今日、覚悟をしてここに来たつもりではある。それでもやっぱり、動揺している自分に気がつく。
「城山も楽しんだらいいよ」
僕は言った。
「俺はもう、何も楽しめないよ」
城山は言う。
「あ、そう」
僕が言うと、城山は顔を上げて僕を見る。
「冷たい奴だよおまえは」
じっと僕を見据えてそう言った。
僕は自分を落ち着かせ、笑みを浮かべて言い返す。
「そうだよ、冷たい奴だよ僕は」
「開き直りやがったな」
「うん。開き直りやがったよ」
大声で笑いながら、小学生が飛びつきあっていた。風が吹くと、むせるような草いきれのにおいがした。遠くの方のブランコが、一回転するんじゃないかという勢いで漕がれている。ジャングルジムを、親に手を貸されながら小さな子どもがよじ上る。
「……悪かったよ」
かすかな声で、城山は言った。
「うん」とだけ、僕は答えた。
「それだけか?」城山が言った。
「だって僕の人生は僕の人生だし、城山の人生は城山の人生だ」と僕は言った。
目の前で駆け回る小学生たちのはしゃいだ声と、ざりざりと土を蹴る音が響く。
「そうだな」
しばらく黙りこくった後、城山は言った。
それから立ち上がると、「じゃあな」と手を挙げ、一度もこちらを振り返らずに、城山は、歩き去った。
そのまま僕は、一人でぼんやりとベンチに座り続けた。
僕だって、少しは学習をするのだ。一昨日の夜は尾行にまったく気づかなかったけれど、いつもそうだと思われては困る。
しばらくすると案の定、奴は姿を現した。
「やあ、沙原くんじゃないか。どうしたんだいそんなところで」
ひょい、とやってきて隣に座った磯崎に、
「しらじらしい」と僕は言った。
「僕が家を出るところから、ずっと尾行してただろ」
「なんでそれを」
「……ほんとに家からだったのか」
僕は呆れた。城山と話している時にちらりと遠くの方に磯崎の影が見えた気がしたから、鎌をかけたのだけれど……まさか本当に、家からずっと尾けられていたとは。
「さっきのは、前の学校のご友人か?」磯崎が訊いた。
「うん」
「君の右腕の怪我と関係のある人か」
「なんでそう思うの」
「さっき話しながら、君は何度も右腕に手をやっていた。相手は君の右側に座っていたが、君の動きはその右側から右腕を守ろうとする意識とそれをすまいとする意識の葛藤でかなり不自然なものになっていた」
「……君は誰彼構わずそういうことを読みとってるの?」
「読みやすい人間と読みにくい人間はいる。読みやすいと感じたとしても、実際に合っているかどうかは確かめられないことが大半だ。勝手な憶測みたいなものだし、失礼だから基本的にはあまり口に出さない」
「じゃあどうして僕に対しては口にするの」
「沙原くんは大丈夫だと思うからだ」
「大丈夫じゃないよ」
僕は息を吐いた。小学生は警察ごっこをやめて、ボール遊びを始めていた。さっきとは違う集団なのかもしれない。四角い陣地を地面に書き、四人でボールを突きあっている。
「訊きたかったんだけど」僕は、気になっていたことを訊くことにした。
「磯崎くんは、僕と城山のことをどこまで知ってたの?」
「さっきのは、城山くんというのか」
「一昨日君は……僕には何があっても刃物を向けたりしない、と言ったよね。どうして突然そんなこと言ったの?君は僕と城山の間で何があったか、実は全部知ってるんじゃないの?」
「僕が君に刃物を向けないと言ったのは、君がその前に、『例えば僕は、君が突然刃物を持って僕に襲いかかっても、そういうこともあると思える』と言ったからだ」
「でも君は、……そうだ、僕に見損なわれても、と言ったんだ。なんで君にそれがわかったの?」
「君は城山くんを見損なって、それで城山くんは怒って君を切りつけたのか?」
「そう……いや、違うかな。城山が切りつけてきたのは……僕が、城山の気持をわかってやらなかったからだ」
「じゃあ違うじゃないか。悪いが僕は何も知らない。君が右腕を怪我したことがあり、その怪我自体は大したことがなかったが精神的に大きな傷となっていること、君が二か月近く家にひきこもっていたこと、君が僕を誰かと重ねていたこと、それで初対面の僕に対して嫌悪となじみと恐怖の入り混じった感情を抱きなるべく近づくまいとしていたこと、僕にわかったことはそれぐらいだ。繋げるストーリーはいくつか思い描けたが、その中に真実があるのかはわからなかった」
一気に言われて、僕は絶句した。
「……君を避けようとしてたの、ばれてたんだ」
「探偵だからな」
「探偵だからなの?」
「さあ」
何だかばつが悪かった。磯崎もそうだったのだろう。
僕たちは、しばらく黙り込んだ。
「……それでよく、平気で何度も声かけたりできるよね」僕は言った。
「言っただろう。傷つこうがなんだろうが、僕は自分のしたいことをすると決めたんだと」
「それって一歩間違えると危険だよ。今日だって……僕のこと家から尾行してたなんて、完全にストーカーだよ」
「人聞きが悪い言い方をするな沙原くん。天気もいいし暇だったから、僕は散歩をしていただけだ。散歩ついでに沙原くんの家に行ってみよう、沙原くんも暇そうなら一緒に散歩しよう、と思い立っただけだ。まあどうせだから探偵修行も兼ねてしばらく中を窺ったりしたが、別に怪しいことはしていない。そうしたら沙原くんが家から出てきたから、これも探偵修行の一環として尾行しただけで」
「どうせストーカーするなら根津さんにすればいいのに。まあ、ガード堅そうだし、プロの人とか出てきそうな気がするけど」
「なんでここで根津が出てくる」
「ねえ、ほんとにまったく自覚ないの?」
その時遠くのブランコから、ポーンと脱げた靴が飛ぶのが見えた。
僕たちは、同時に目をやる。
小学生の笑い声が、ひときわ高く空に響く。
「ねえ、畑さんのことだけど」
僕はもう一つ、気になっていたことを口に出す。
「君は一昨日、畑さんは僕や君に本気で危害を加える気はなかったんだと言ってたけど……本当に、はじめから終わりまでそう思っていたの?」
僕にはそうは思えなかった。畑さんはかなり狂気に落ちていたと思うし、それを磯崎が感知していなかったはずはない。
なのにどうして、畑さんが磯崎に「屋上から落ちてみせろ」と言った時、磯崎はあんなに静かな目でそれを受け止めたのか。なぜあんなに落ち着いていられたのか。
磯崎はちろりと僕の顔を見ると、言った。
「その可能性もありえなくはない、と思った。初めて会った時、酔っぱらって罵りながらも『高槻』に怯えたそぶりを見せたり、謝罪のことばも口にしていた。畑にも気の弱いところはあるし、高槻兄について罪悪感もないわけではないようだった」
「でも、ナイフを持った畑さんはすごく愉しそうだったよ」
「そうだ。畑は危険な状態だった。危害を加えるつもりがないなんて、そんな可能性はとても低かっただろう」
「なにそれ。一昨日はあんなに断言したくせに」
「いやああ言ったのは、高槻の反応を見たかったからだ。僕が畑を庇ったら、どんな反応をするか」
僕はあっけにとられた。あの状況で、そんなことを考えていたのか。
「怖くなかったの?」
僕は訊いた。
「ん?」
「畑さんが君に飛び降りろって言った時……君は、どうしようと思っていたの?」
磯崎は、真顔でじいっと僕の顔を見た。
「……なに?」僕は訊ねる。
「どうしようと思ってたんだろう。わからない」真剣な顔で、磯崎は言った。「でも、怖いとは思わなかったな」
磯崎は、遠くに目をやった。また笑い声が響く。ジャングルジムの上に、いつの間にかたくさんの子たちが載っている。
「助手がいるなら怖いものはない」
磯崎は言った。
「なんだよそれ」
「真実だ。そういうものだ」
「助手が人質になってるのに?」
「それでもだ」
ジャングルジムに載っていた子たちのうちの一人が、よろよろと立ち上がり手を離したかと思うと、ぱっとそこから飛び降りた。続いてもう一人の子が、同じように飛び降りる。
「滅茶苦茶だよ……」
僕は言った。
「探偵とは、そういうものだ」
磯崎は言った。ふふん、とわざとらしく得意げな顔をする。
「なんだよそれ」僕は顔をしかめてみせる。
それから僕たちは、顔を見合わせると、二人同時に噴き出して、笑った。