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Chapter-9 ②

 帰りのHRが終わり、教室を出る間際に根津さんにメモを渡された。1500と書いてあった。磯崎はもう教室にいなくて、彼も渡されたのか確認できなかった。磯崎はたぶん昼から部活だろう。……文芸部の教室に、行ってみようかとも思った。でも、結局やめにした。

 僕は一旦家に帰り、昼ご飯を食べてから「廃屋」に向かった。

 二時四十分くらいに着くと、磯崎だけが来ていた。彼は制服のままだった。縁側に腰かけて、ぼんやりと目の前の庭を眺めている。

「沙原くんか」

 僕は口許だけでちょっと笑って応え、磯崎の隣に腰を下ろす。

 別に今日、避けていたわけではないけれど。

 少し気まずい気持があったのは、事実だ。

「いい天気だな」磯崎は言った。

「うん」

 空はひどく晴れていて、風は涼しく気持がよかった。

 目の前に山があり、木々がうなるように生い繁っている。

「あのさ」

 僕は口を開いた。ん?と磯崎が庭に目を向けたまま問い返す。

「昨日はごめん」

 僕のことばに、磯崎は間を置いて、こちらを見た。

「その。うん。何というか、偉そうなことを言った気がする。失礼なことを言った気がする、から」

 僕は言った。

 磯崎は庭に目を戻すと、静かに応えた。

「謝ることはない。僕は探偵の風上にも置けないのだろう」

「そこまで言った覚えはないけど……」

「正確には、『世の探偵さんたちに土下座してこい』だ」

「記憶力いいよね磯崎くんは」

「沙原くんに褒められると大変嬉しい」

「いや、今のは半分皮肉なんだけど」

「じゃあ半分は本気ってことだ」

 風が吹くと、草木がサラサラと音を立てる。明るい陽射しを受けて、緑はまぶしいくらいに生き生きと光っている。

「そのさ。昨日畑さんの家に行く僕のこと、尾行したんだよね。なんで?」

「なぜなら僕は、探偵だから」

「そうじゃなくて」

「……心配だったからだ。沙原くんがどれだけ僕を見損なったとしても、そんなことは関係ない。僕は僕のしたいことをするだけだ」

「腹立たなかったの?」

「立ったよ。自分に腹が立った」

「さらにいやな思いする、とか思わないの?傷ついたりしないの?」

「傷つくさ」

「じゃあなんで?」

「たとえ傷ついてもしたいことをする方が、案外痛くないと気づいたんだ」

「傷つかない方が痛くないと思うけど」

「傷つかない方の道を選んでも、実際は見えない傷を負っているものだ。見えない傷の方が、性質が悪いし治りも遅い」

 僕は磯崎が、やはり僕と城山のことを知っているのではないかという気がした。昨日僕は、違和感を覚えたのだ。磯崎は、僕に見損なわれても「自分は」僕に刃物を向けたりはしないと、そんなことを言ったのではなかったか。

「磯崎くん、君は……」

 その時、サクサクと草を踏む足音がした。

 根津さんだった。大きなバスケットを持っている。それはそうと……彼女は淡いピンク色のパーカーの下に、スカートを履いていた。いや、私服だから別にスカートだって履くだろう。いいけど……男子の制服をいつも当たり前に着ているくせに、どうしてそんなにスカートが似合うのか。

「おや、二人もうお揃いなんだ」

 にこ、と笑うと根津さんは、身構えて姿勢を正している僕たちに向かって「今日はね、昨日のお詫びだよ」と言いながら、縁側にどんとバスケットを置いた。中から出てきたのは、何だかやけに高級そうな、紅茶のポットやら、カップやら、ソーサーだった。一体何が始まるのかと警戒を解かずに僕たちが眺める中、根津さんはポットに紅茶の葉を入れ、魔法瓶でわざわざ持ってきたらしいお湯を注ぐ。それから保冷バックを取り出して、何やら手作りっぽいケーキを切り分け始めた。

「マーブル・ニューヨークチーズケーキだよ。この私が昨日の夜わざわざ焼いたのだから、ありがたくいただきなさい」

 チョコレートが不可思議な模様を作っているクリーム色のチーズケーキと、いい香りの湯気の立つ紅茶が僕たちに渡された。何が何だかわからないけれど、とりあえず、言われたとおりありがたくいただくことにする。ケーキの下に黒いチョコ味のビスケットのような台があり、それがサクサクとして、妙に美味しかった。食べ終わるともう一切れあるというので、僕も磯崎ももらった。根津さんは一切れを、ゆっくりゆっくり食べていた。

「……結局さ、学校の鏡が盗撮のカモフラージュって言う話は、なんだったの?」

 僕は訊ねた。ビスケットだけでなく、しっとりとした濃いチーズ味にチョコレートの絡んだケーキ部分も、もちろん美味しい。でもやっぱり、サクサクしたところが最高だと思う。

「ああ、あれはね。君たちの反応を知りたかったんだ」

 根津さんは、優雅にカップを傾けながら言う。

「反応?」

「そう。なんというか、私みたいな人間には、どうにも一般人の気持が掴みきれないところがあるからね。教師のスキルアップ・いじめや非行の防止等の観点からも校内にカメラを設置したいと思っていたんだけど、それに対して君たちはどんな反応を示すかな、と」

「なら、そう訊いたらいいだけなんじゃないの?」

「何をおっしゃる。『校内にカメラを設置する計画がある。賛成か反対か?』なんて訊いたら、反抗期の君たちは十中八九反対するに決まってる。でも君たちは、『すでにカメラは設置済』であることにしてそれに過剰に拒否反応を示す私に対しては、共感しきれないという態度を見せた。そういうものだ。大変参考になったよ」

「……じゃあ結局カメラは」

「さあね」

 根津さんは涼しい顔で自分のチーズケーキをつつく。何が「さあね」だ。今日はお詫び、ではなかったのだろうか。

「それなら、なんで高槻だったんだ?」

 顔をしかめながら磯崎が口を挟んだ。盗撮疑惑で探偵として依頼を受けて、絵を汚したり糸を張ったり……どう考えても、磯崎はかなり振り回された感じがある。

「ああ、それは昨日言ったと思うけど、高槻先生を鍛えたかったからだよ。生徒が予想外の行動をとったらどうするかっていうね。秘密を本当に守れるか、どのくらい信頼に値する人間か、試したかった部分もある。磯崎くんに真面目に向き合おうとするあまり私のことをばらしてしまうような人だと、任せられる仕事が限られるからね」

「……じゃあ『秘密をばらされたくなかったら何でも言うことを聞け』って言われたって話とかも……?」僕も重ねて訊ねる。

「そだね。理不尽に生徒に憎まれたり、突然個人的な事情に触れられたり、いきなり身に覚えのないセクハラ疑惑で責められたり……教師はいかなる場合でも冷静に対処できなくちゃ。単にちょっと愉しかったってのもあるけど」

 言ってから、「あ、いやいや嘘」と根津さんは笑いながらごまかした。たぶん絶対嘘じゃない。というか、むしろそっちがメインなのではないだろうか。

「……僕に依頼したのは?」

 むっとした顔のまま、磯崎が訊ねた。もうチーズケーキはないのに、相変わらず皿を持ち、フォークを握りしめている。

「だから監視カメラへの生徒の反応を知りたかったから……」

「どうして僕に依頼した?」

 磯崎は、庭の草をにらみつけるようにしながら重ねて言う。

「……それはね」

 妙に優しい笑みを浮かべると、根津さんはすいっと視線をはずして言った。

「磯崎くんと関わりたかったから。友だちになりたかったからだよ」

 予想外の答えに、磯崎も思わず顔を上げた。根津さんは自分の足元を見つめていて、その伸ばした足をぱたぱたさせた。

「私は学校で、ほんとうの友だちを作ったことがない。香々見学園の改革に関わっていて、自分の発想の根本が『ひとりぼっち』だって痛感した。一人でいるのが悪目立ちするから、狭苦しい教室に一日中閉じ込められているのはいやだ。だからなるべくたくさん教室移動できる形態にしよう。教室移動の時、一人でも気まずい思いをしないように、教室の場所は広範囲にばらけさせて、ぼうっと一人で歩いていても浮かないようにしよう。移動先の教室でも、毎回同じ席だと、どうしても人間関係がかたまってしまう。だから授業は毎回違う座席になるようにしよう。そんなのばっかりだ。もちろんこういう思考を生かして、不器用な子たちへの配慮を香々見の売りにしたわけだけど……。私は生徒としてこの学校に通い始めてからも、同級生と必要以上に関わることなんて、まったく考えていなかった。単に生徒視点の方が改善すべき点を見つけやすいだろうと思っただけだった。だから磯崎くんを見ていて、こんな子もいるんだな、ってびっくりしたんだ。特別に関わってみたいって、そう思ったから、探偵の依頼をしたんだよ」

 磯崎くん、それから沙原くんも。

 今回は、迷惑をかけてごめんね。

 私は、あなたたちをとても信頼している。これからも、もしかしたら何かお願いするかもしれない。

 その時は、よろしく。

 根津さんは紅茶のおかわりを注いでくれながら言った。

 僕は根津さんの、どこかさみしげな佇まいの理由がわかった気がした。

「……なあんてね」

 しかし根津さんは、カップを載せたソーサーを僕に手渡しながら、そう言って舌を出した。

「私が香々見学園の理事になると決めたのは単にイケメンが多かったからだし、潜入したのはもちろんその中に女子一人という少女の夢を実現したかったからだよ。うん、私が関わる以前から、入学基準の一つに容姿が入ってたのはまず間違いないと思う。いや、あんまり全員イケメンだと怪しいから、ごまかし要員も入れてるけどね。ほらあれよ、学力がすべてじゃない、総合的な人間力を見るのなら、当然容姿だって人間力の一つなわけで。ねえ、そう思わない沙原くん?」

 僕に同意を求められても困る。

 僕は助けを求めて磯崎の顔を見た。磯崎は、視線を遠くにやりながら、カップの紅茶を傾けていた。気まずいのか、照れているのか、彫像みたいに、ただ黙り込んでいた。


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