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Chapter-9 ①

 次の日は土曜日で、授業は午前中だけだった。いろいろあったせいで昨日は遅くまで眠れなかった。けれど電車の苦行を抜けて駅を出ると、空は青く澄んでいて、五月らしく緑がきらめいていた。白い宮殿のような、僕たちの学校。天井を彩る、幾何学模様の鏡細工。初めて磯崎に会った廊下を通り、あの時汚されていた絵を眺める。絵はすっかり綺麗で、でも僕の中にはあの光景が焼き付いたように残っている。あれからまだ、五日しか経っていない。すごく変な感じだ。

 そういえば、盗撮云々の話は、何だったのだろう。

 教室や廊下の鏡は、実際に監視カメラを隠しているのだろうか。

「おはよう沙原くん!」

 教室に入ると、いの一番に磯崎が声をかけてきた。もっともそれは、別に僕に対してだけではない。扉横の一番前の席の磯崎は、他のクラスメイトと雑談しつつ、人が入ってくるたびに顔を上げて挨拶している。そういうのを、うっとうしい、と思っている奴もいるに違いない。けれども磯崎は、そこを曲げるつもりはないのだろう。僕が後ろのロッカーに荷物を入れている間も、磯崎の挨拶は続いていた。

「おはよう根津くん!」

 その名前に、僕は思わず振り向く。凄いな磯崎、とちょっと思った。根津さんは、眠そうだった。いつも白い顔がひときわ白い。低血圧なのかもしれない。ぼんやりとした声で、それでも磯崎や、その他の子たちに挨拶を返していた。僕も気まずさを残したくはないので、あえて席の近くまで行って「おはよう」と声をかけてみた。根津さんはちょっと驚いたような顔をして、けれどひどく可愛らしくにっこり微笑んで「おはよう」と返したので、僕の方が面食らってしまった。僕はそそくさとその場を離れると、杉野くんたちのところへ行き、てきとうに話の輪に加わった。しばらくしてチャイムが鳴ると同時に、高槻先生が教室に入ってきた。先生も、普段通りだった。もうすぐテストが近いことを告げたので、不満の声があちこちから上がる。テストが終わると文化祭ということだった。


「杉野くんは何部なの?」

 教室移動の時に、僕は訊いてみた。次は数学だったので、杉野くんと二人で廊下を歩いていた。

「工芸部」

「へえ。そんな部があるんだ」

 どんな物を作っているか。杉野くんはいろいろと説明してくれた。今は文化祭に向けて七宝焼きの大がかりな作品を作っているらしい。クラスでの出し物なんかもあるみたいだけど、やはり文化祭は文化部中心のイベントだ。

「沙原くんも部活に入った方が、絶対楽しいと思うよ」

「うん」

 そうだろう、とは思う。

「前の学校では何部だったの?」

「……文芸部」

「へえ。磯崎くんも文芸部だよ。ちょうどよかったじゃない」

「ちょうどいいかな?」

「え?違う?」

 杉野くんが戸惑うように僕を見た。それから、「あのさ、もしかして、今日、磯崎くんのこと避けてる?」とおずおずと訊ねた。

「……そんなこともないけど」僕は言った。

「そっか。そうだよね。昨日とか一昨日とかやけに一緒に行動してたから、今日はどうしたのかと思ったんだ。でも、別に普通かな」

「……なんで杉野くんは、そんなに僕と磯崎のことを気にするの」

 僕が言うと、杉野くんは妙にうろたえた。それから、「気を悪くしないでほしいんだけど」と前置きすると、

「磯崎くんって、背が高くて頭がよくて何でもできてかっこよくて、ちょっとホームズみたいでしょう」と言った。

 僕はちょっと、それはホームズにかなり失礼なんじゃないかと思ったけれど、それを言ったら杉野くんに悪いので、「ああ、うん」と相づちを打った。

「それで磯崎くんが、沙原くんは助手の素質がある、って言ってたから。わあ、ホームズとワトスンだ!と思って」

 目をきらきらさせて言った杉野くんを見て、僕は考え込んだ。その僕の様子を見て、杉野くんは、「あ、ごめん。助手役なんていやだった?」と慌てて言った。

「いや、そんなことないけど」僕は笑って否定する。

 問題は、そこじゃない。


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