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Chapter-7 ①

 次の日の昼休み、僕たちは社会科の吾妻先生に話をしに行った。二時間目に授業があった磯崎が、すでに約束を取り付けていた。運動場で話しましょうという僕たちの提案に、吾妻先生は「運動場?」と笑った。「だって、いい天気ですし」窓の外を眺めながら、磯崎は妙に朗らかに言った。「困りましたねえ。日差しは頭皮に悪い気がするなあ」先生はそう言いながらやや薄い自分の頭をさすってみせつつも、承諾してくれた。昨日見た写真よりも、実物の方がふっくらしている気がする。丸い眼鏡は洒落たデザインで、何だか高級そうだ。

「実は僕たち、ちょっと調べていることがあるんです。それで、先生がご存知のことがあったら教えていただきたくて」

 校庭の隅、昨日高槻先生と話したのと同じ辺りに着くと、磯崎がそう切り出した。

「へえ。分野によっては先生もすぐには答えられないかもしれませんが。いつ頃の時代ですか?」

「いえ、学問的な質問ではないんです。すみません」

 目を輝かせて問い返してくる先生に、磯崎は謝る。

 先生は、きょとんとした顔をした。

 磯崎は続ける。

「先生は、かなり長いことこの学校にいらっしゃるんですよね」

「え、まあ、そうですね」

「二十年くらいですか」

「そのくらいでしょうかね」

「その間に、自殺した生徒がいますよね」

 磯崎のことばに、先生の表情が変わる。

「誰かに聞いたんですか?」

 先生は問い返した。

「まあ、そうです」

「生徒の間で噂になったりしているんですか?」

「いえ、知っているのは僕とこの沙原くんくらいです」

 知っていた張本人の根津さんのことは伏せ、磯崎は返す。

「でも、噂になっては困るんですか?」

「それは困りますよ」

「どうしてですか?」

「どうしてって……」

 先生はため息をつき、眼鏡に手をやって位置を直す。

「そういう事件についての噂が生徒にいい影響を与えることなんて、これっぽっちもありませんからね」

「そうでしょうか」

 磯崎の方が先生よりも背が高い。

 吾妻先生は、磯崎を見上げる。

「十五年前ここの学校の生徒が自殺をしたと聞いて、僕たちは興味を持ちました。中学二年生、今の僕たちと同じ学年です。僕たちと同じ制服を着て僕たちと同じようにこの学校に通っていた同い年の少年がどうして自殺したのか。僕たちと何が同じで何が違って、どうして彼は自ら死を選んだのか。そのことについて考えるのは、そんなに悪いことでしょうか」

 遠くの方で制服のままバスケをしている集団がいて、にぎやかな声が風に乗って流れてくる。

 先生は、もう一度ため息をついた。

「君みたいに真面目な子はいいんですけどね。深く考えずにそういうことを面白がって、あることないこと言い立てて大騒ぎする子もいます。学校内だけならまだしも、それが外に出ると、世の中のハイエナが寄って来てまともじゃない事態になったりね」

「当時そういう事態になったんですか?」

「いや。当時はうまいこと抑えを利かせることができましたよ。騒がれることはほとんどなかった」

「でも、蒸し返されると困る。やましいところがある、ということですか?」

「やましいところって。君ね……」

 僕は時間が気になった。

 昼休みは、あと十分。

「決して噂を広めるつもりはありません。約束します。でも、今先生に知りたいことを教えてもらえないなら、他の人にも聞いて回らないといけない。そうしたら、逆にそれはこの話題を広めることになってしまう。ちゃんと事実を知らないから、憶測でものを言ってしまう危険も大きい。それこそあることないこと言ってしまうかもしれない。そうは思いませんか?」

「君は先生を脅しているんですか?」

「そんなつもりはないです。でも」

 バスケの集団から笑い声が立ちのぼる。その向こうで、体操服に着替えた集団がばらばらと校庭に降りてくるのが見える。

「人が一人死んでいる。それは、大ごとだと思うんです。その理由がどうしても気になって、気になって、仕方ないんです」

 磯崎は、真剣な顔をして続けた。

 先生は、遠くに目をやりながら、またため息をついた。

「磯崎くん。人は毎日死んでいますよ。世界中至るところで、今この瞬間も死んでいますよ。歴史上、存在した人は、今も残っている人以外全員死んでる。近しい人、知っている人、知っている場所に住んでいた人、有名人、自分と似た要素があったり、あるいは変わった死に方だったり、さまざまな要因で人は人の死に関心を抱きますけどね。十五年も前の会ったこともない人間の死について君が詳しく知る必要性はこれっぽっちもない。君たちが、生まれる前の話ですよ?中二の自殺を知りたいなら、ネット検索でもしてみなさい。いくらでも例が出てくるでしょう。死の動機に興味があるなら、小説でも何でも読みなさい」

「でも、僕が興味があるのは『この学校に通っていた生徒が』なぜ自殺をしたのか、なんです。他の自殺じゃ意味がありません」

「君は学校が原因でその生徒が死んだと思ってるんですか?」

「それがわからないから訊いているんです。先生がそこまで隠すというのは、そうなのかという気がして仕方ありません」

「君は……っ」

 ふくふくと穏和そうだった先生が、穏和な調子ではなくなっていくのが悲しかった。磯崎は、粘り強かった。どう思われようとも引く気はないのだ。

「……君はまだ若いから、ピンと来ないかもしれないがね。人の行動の動機というのは、単純なものではないんですよ。君たちはどうかわからないが、死についてひどく軽い感覚しか持たない中学生というのは案外多い。自殺となれば大ごとだとまわりは思うが、その中には本当にちょっとした思いつき程度で踏み切ったものも絶対に含まれているんだ。そんなこと、生徒に死なれた教師には、口が裂けても言えるものではないですけどね。自殺したとなれば、それはもう、自殺という選択肢しか残されていないほどの大変な事態に追い込まれていた、それほどの深刻かつ重大な問題を抱えていたんだと言う前提を強制される。けれどももう話すこともできない人間一人の心がどうなっていたのかなんて、誰にもわかるものではないんです。

 言っておきますが、はっきり言って私は当事者とは言えません。確かに当時この学校にいましたけど、別の学年で、担任はおろか教科で教えたことすら一度もなかった。死ぬまでは、その生徒の顔も名前も知りませんでしたよ。その頃は今のようなシステムではないですからね、大人数クラスの担任をやりながら教科を教えて部活顧問をやって、上はあれこれ勝手なことを言って、どの教師も倒れそうになりながら、毎日が必死だった」

「やっぱりいじめが原因だったんですか?」

「やっぱりっていうのはなんですか」

「自殺といえばいじめが原因というのが多いイメージなので」

「君は賢いのだから、そんな短絡的なイメージで物事を決めつける人間にはならないでほしいですね」

「じゃあ、違ったんですか?」

「……さっきも言ったように、動機というのは単純に測れるものではありません。何で死んだかなんて、そんなの本人に訊かないとわからないでしょう。本人もわかってないかもしれないが」

「遺書はなかったんですか?」

「ありません」

「日記とかも?」

「日記というか……自室にノートはあったようですけどね」

「いじめはなかったんですか?」

「どうして君はいじめにこだわるんですか」

「僕は元いじめられっこなので」

「そうですか。ではこういう考えには反発するかもしれませんが、いじめの判定というのは難しいですからね。みんな自分が正しいと思っている。いじめられた人間はいじめがあったと思っている。いじめた方の人間は、そんなつもりはなかったという。もちろん、いじめられた人間がいじめだといえばそれはいじめです。最近の風潮では、そういうことにしようということになっています。けれどもそれが客観的に『そう』だったかどうか、ましてや教師が認識したり止めたりできたかどうかというのは、大変に難しい問題なんですよ」

「そういう、判断の微妙な『いじめっぽいもの』があったということですか?」

「今のは一般論ですよ。まあ、人間関係に何の問題もない人間なんて滅多にいません。誰にも見せるつもりのないノートに、あれやこれや書いていた可能性は充分にありますがね。私はその内容を知りませんし、それに今この学校にいる教師で、当時を知っている人間はもういません。君たちは知らないと思いますが、一昨年の秋、私以外の古い教師は全員やめたんですよ」

 一昨年の秋、というのは……昨日根津さんが、高槻先生がこの学校に来たと言っていたタイミングだ。

「一昨年の秋?どうしてですか?」

「さあね。ともかくいいですか、私は知っていることはすべて話しましたし、このことについて当時を知っている教師は誰もいない。だからこのことについて考えるのはもうやめなさい。話題にするのもなしです。自殺の心理が気になるなら、太宰か芥川の晩年の作でも読んでなさい。自殺した歴史上の人物なんて、数え上げたらきりがないほどですよ。その中から好きな人をピックアップして調べたらいいじゃありませんか」

「先生は、自殺したのが高槻先生のお兄さんだというのはご存知ですか?」

 その時予鈴が鳴り始めた。校庭で遊んでいた生徒たちが、校舎に向かって動き始める。

「……そんなに気になるなら、それこそ高槻先生に訊いてみればいいんじゃありませんか?」

 吾妻先生はそれだけ言うと、くるっと身体の向きを変え、早足で歩き始めた。

「……お話いただいて、ありがとうございました」

 もう時間切れだし、次の機会を設けることも難しいだろう。

 先生の後を追いながら、磯崎が一応の感謝のことばを口にする。吾妻先生はちらりと磯崎を見やり、むすっとした表情のままぴくりと眉だけ動かした。

「僕は先生の授業が好きです」

「まったくいやな生徒ですね君は」 

 空は青く澄んでいて、荘厳な白い校舎を囲む五月の緑はきらきらと輝いている。

 あと二つ、授業があって。

 その後僕たちは、根津さんとともに高槻先生と話をする予定なわけだけど。

 正直、授業なんてさぼりたいような気分だった。国語だし、すごく面白い授業なのだけど……

 はっきりいって、それどころじゃない。



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