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Chapter-6 ②

 電車で磯崎と別れた。しばらく一人で電車に揺られ、駅に着くと他の乗客とともに電車を降りる。改札を抜けたところで、僕はようやく自分に先ほどのことについて考えるのを許す。

 どうして急に泣きたいような気分になったのか。

 あんな風に二人で会話して、あれこれ相談して、「いいんじゃないのそれ」なんて相手の意見に同意したりすること。その感じがたまらなく懐かしかったからだろうか。それとも僕は、悲しくなったのだろうか。失ってしまったものがあるということを、改めて認識させられてしまったからだろうか。

 かつて僕は城山とコンビを組んでいた。城山は相当の漫画好きで、それなりにたくさん読んでいる僕とすごく気が合った。そして城山は漫画を読むだけでなく、自身でも漫画を描いていて、漫画家を目指していた。絵がすごく上手だったけど、ストーリーを作るのが難しいと言っていた。僕がアドバイスすると感心して聞いてくれて、僕が書いたストーリーを漫画にしたいと言い出した。僕が話を書き、彼が絵を描く。二人で漫画家を目指そう。そんな話になり、二人でどんな作品を作るか、設定やキャラクターについて話しあっていた。

 そんな時、城山は事故に遭った。車に轢かれかけた。道を歩いていて、居眠り運転の車に衝突されかけた。下手をすると車と壁の間に挟まれて死んでいたかもしれないということだった。けれども上手いこと避けたので、車には接触せず、避けた時に転んで着いた手を痛めただけだった。「俺の反射神経を舐めんな」と、事故翌日、城山は得意げに語っていた。右手に包帯を巻いていて、しばらくは動かせないということだったので、僕はノートのコピーを彼に渡すようにした。絵を描けないのは辛いけど、しばらくの辛抱だ。今のうちに妄想力を鍛えることにする。そう言って城山は笑っていた。早くメモを取ってくれ!と休み時間になるなり訴えて、授業中に思いついた設定をずらずらと話し出すこともあった。早くこいつのこと描きたい、なんて主人公の設定メモを見ながら城山は言っていた。

 治りが悪いらしい。まだギブスを外せないって言われた。少し経ち、城山はちょっと苛々し始めていた。右手が動かせないって、不便で仕方ないんだ。何をするにも時間がかかる。なのにだらだらするなっていきなり昨日親がキレ出した。こっちだって好きでゆっくりやってねえよ。

 それから数日後、休んで病院に行った次の日、城山はとても暗かった。声をかけても「ああ」ぐらいしか言わない。放課後僕は、部活を休んで城山と一緒に帰ることにした。「言いたくないならいいけど」と僕は言ったけど、城山は話してくれた。医者は前に行った時は「痛いなら無理に動かすべきじゃない、もう少し固定しておこう」と言った。なのに昨日行ったら、「予想外に早く骨が固まっている。リハビリ開始のタイミングを逃してしまった。これは厄介だ」と言われた、と。ギブスは取れたけど、親指と人差し指がうまく曲げられない。曲げようとするとかなり痛いのだ、と。「でも、よくはなるんだろう?」と僕は訊ねた。うん、なるはずだ、と城山は答えた。明日他の病院に行く。今行ってる病院の医者はクソだ。そう言う城山に、うん、それがいいよ、と僕は言った。とりあえずギブスが取れてよかったね。もうすぐだよ。僕が言うと、ああ、と城山も頷いていた。

 それは悲劇でも何でもなかった。初めの医者はちょっとまずかったようだけど、別に完全に手遅れになっていたわけではなかった。君はまだ若いし、すぐによくなるよ、と二番目の医者は言ってくれたという。多少痛くても頑張ってリハビリすれば回復するって。早く治して漫画を描くぜ、と城山は言っていた。全然大したことではなかったのだ。少し経ち、汚い文字ではあったけど書けるようになったようなので、僕はノートのコピーを渡すのをやめた。そうは言っても痛いんだぜ、と、城山は冗談めかして泣きごとを言った。それもリハビリの一環だろ、と僕は笑いながら言った。文芸部では卒業する先輩に部誌の特別号を渡すことになって、活動が忙しくなっていた。城山は美術部で、美術部も卒業生に向けたパネル制作をしていたようだけど、城山は参加していなかった。一緒に帰らないか、と城山に誘われて、ごめん、と断ったことが何度かあった。城山は疎外感を感じているかもしれない、と気になったりもしたけれど、僕も忙しかったし、城山もリハビリで病院に行かないといけなかったから、仕方なかった。休み時間なんかは普通に喋っていた。城山の書く文字は前よりもマシになっているように見えたし、僕は順調に回復していると思っていた。僕が文芸部のコンクールで入賞した時、城山は「凄いな。作家先生かよ」と僕をからかった。「漫画の話、忘れてないよな」と、僕はご機嫌伺いのつもりで訊いたりした。「まあな」と城山は答えていた。

 ある日の昼休み、城山に呼びだされて、中庭で二人で話をした。一方的な愚痴だけど、誰かに聞いてもらわないと壊れそうなんだ、悪い、と、まず城山は謝った。手の調子がなかなかよくならないから苛々してしまうんだ。親とも喧嘩ばかりしてる。ちょっと最近精神的にキツイ。そんな風に言った。城山がそんなにも追いつめられていると知らなくて、僕は少し驚いた。でも、前よりはよくなってるんだろ?と僕は訊いた。悪くはなってない、でも順調でもない、と城山は言った。理由や原因ははっきりせず、人の身体は理屈通りばかりでもないから、と医者は言ったのだという。ともかくリハビリを根気よくやるしかない状況なのだ、と。

 城山は、辛そうだった。僕も同情した。でも、塞いでもどうしようもないよ、と僕は言った。城山を、励ましたかった。事故の時、死んでたかもしれないんだろ?そうじゃなくても、一生寝たきりとか、歩けないとか、腕が動かないとか、になってたかもしれない。それ考えたら、全然よかったじゃないか。だって右手の指がちょっと動きにくいだけだし、しかもそれだって、頑張ってリハビリ続ければたぶんそのうち治るんだろ?もうちょっとの辛抱だよ。もうちょっと頑張れば、元通りになるよ。前みたいに凄い絵描いてみせてくれよ。気を遣っているつもりで、僕は言った。城山は、そうだな、とだけ言って、僕たちは教室に戻った。

 五時間目は美術だった。その時は、木版画をやっていた。大半がまだ下絵を写す作業をやっていた。美術室はワックスのにおいがきつかった。僕と城山の席は離れていた。みんな黙々と作業をやっていた。

 トレーシングペーパーで絵を真剣になぞっていてふと顔を上げると、目の前に城山が立っていたのでびっくりした。気づかないうちにチャイムが鳴って授業が終わっていたのかと思った。でも、そんなことはなかった。数人が顔を上げ、こちらに注目していた。少し離れた場所で誰かに熱心に指導していた先生は、城山が授業中に立ち上がって移動したことに、まったく気づいていなかった。

「城山?」

 ぽかんとして、僕は訊ねた。どうしたのだろう、と思った。城山はひどい顔をしていた。まったく血の気がなくて、どこを見ているのかわからないようなぽっかりとした目をしていた。城山の動機について、「理不尽な憎しみ」と表現した先生がいたけれど、その時の城山の表情に限って言えば、それは憎しみとかそういう強い感情とは無縁のものだった。「疲れた」。強いてその顔にことばを押しあてるなら、そういう表情だった。

「おまえって……冷たいのな」

 やっと聞き取れるようなか細い声で、城山は呟いた。力なく立って僕を見下ろして、そう言った。

「人の気持……わからない……わかるように……」

 城山は、途切れ途切れでそんなことを言った、と思う。

 次の瞬間城山は、逆手に握った彫刻刀を振り上げた。右手の指は、きっとこの時もかなり痛かったに違いない。けれども城山は、痛みに耐えて頑張ったのだ。渾身の力を込めて、僕に向かってきた彫刻刀。とっさに持ち上げた右腕。血が、僕が苦労して書き写したトレーシングペーパーの上に飛び散った。まわりの子たちの悲鳴が響いた。



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