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Chapter-5 ④

「磯崎くんは、知ってたの?」

 途中自販機に寄ってから、僕たちは「廃屋」に行った。三人並んで縁側に腰かける。僕は冷えたカルピスを飲んだけれど、驚きはちっとも冷めてくれなかった。だって、まさか男子校に女子がいるなんて思わない。根津くんって女の子みたいだとは思っていたけれど、本当に女の子だなんて、そんなのは、……何というか、反則だ。

「そこはさすが探偵を自称するだけのことはあると思ったよ。私のこと女子だって見抜いたの、他にいないし」

 根津さんが、水のペットボトルの蓋を回しながら言った。男子のふりをしていた時の彼女は、意識して少し低めの声で話していたらしい。今話している根津さんは、これまでよりも自然な喋り方で、そして男子の制服を着ているにも関わらず、もうどこからどう見ても女の子にしか見えなくなっていた。

「女子だって気づいて……どうしたの?」

 僕は磯崎に訊ねたけれど、磯崎は決まり悪そうに地面を見つめている。さっき買った缶コーヒーは、まだ開けてもいない。代わって根津さんが答えた。

「気づいていること、隠そうとしてたよね。でも、磯崎くんって男ばっかり三きょうだいの真ん中でしょう?何というか、女子と接する時に独特の構えがあるっていうか。態度でわかっちゃった。ああ、これはばれてるなあ、って。だから問い詰めたり鎌かけたりいろいろして白状させた」

「いや、その、そもそも何で男子のふりしてうちに……」

「そんなの、イケメンのパラダイスに浸りたいからに決まってるじゃない」

 冗談めかして答えた根津さんに、

「前は『二十歳まで男子として過ごす家のしきたりだ』って言ってなかったか」

 ぼそりと磯崎がつっこんだ。

「ふふ。それもある」

 根津さんは答えた。……絶対嘘だ。

「でも、そんなの、よく学校がOKしたね」

「それはあれだよ、親のコネでね」

 そんなことが、できるものなのだろうか。

「……他にそれを知っている人はいるの?先生とかは……」

「基本的には誰も知らないと思っていてほしいな。まあ、もちろん理事長とか一部の学園中枢の人は知ってるはずだけど」

「先生も知らないの?」

「それなんだよ。今私が抱えている問題は」

 僕の問いに、根津さんは初めてちょっと深刻そうな表情を浮かべた。

「今日はそのことで、相談したくて」

 磯崎は、顔も上げずにコーヒーの缶を弄んでいたが、やがてぼそっと言った。

「……本当は、一昨日ここに来た時に、根津の性別のことも含めて沙原くんに話そうと思ってたんだがな」

 ちなみに彼の髪型は、根津さんに掻きまわされてもう朝とは比べものにならないほどぼさぼさで、ほとんどコントの爆発後みたいになっている。

「そんな、やって来たばかりの編入生をいきなり信用して秘密をばらすなんてこと、できないよ」

 根津さんは、笑いながら「ねえ?」と僕に同意を求める。

 ……まあ、わからないでもないけれど。

 僕に同意を求めるのはどうかと思う。

「僕の助手なんだから信用してもらってよかった」

「はいはい。……とにかく。私が磯崎くんに『依頼』をしていることは伝えたよね。学園の盗撮疑惑について」

 根津さんが、僕に向かって言う。

「うん」

「『盗撮』について私が過剰に反応していたのも、私が女子だからってことで、理解できるよね?」

 本当は、よく理解できているとは言い難かった。たとえば着替えているところだとか、スカートを履いているのを下から……とかならわかるのだけど。僕たちが体育の時に着替えるホーム教室の天井に鏡はないし、そもそも根津さんは、教室では着替えていなかった。まあでも、「女子だから」と言われてしまったら、男子の僕にはどうしようもない。

「うん」

「もちろん私は用心してた。実際盗撮されているのかはわからないけれど、天井に鏡がある場所では充分に注意してた。……でも」

 そこで根津さんはことばを切った。

 ためらうように、それまでとは違う、ちょっと震えるような声で、 

「実はね。高槻先生に……」そこまで言って、声を詰まらせた。

 磯崎が、顔を上げる。

 根津さんは、何とか続ける。

「……四月の新入生歓迎会の時に、吹奏楽部でちょっと着替えなきゃならないことがあって……もし盗撮されているとしたら、その時だと思う。今日、高槻先生が私を呼んで言ったんだ。『君の秘密を知っているよ。ばらされたくなかったら、私の言うことを何でも聞くように』って」

「そんな」

 用心していたと言っているわりに、何で鏡のあるところで着替えたりしたんだろう。そう思ったけれど、その時はどうしようもない状況だったのかもしれないし、それを今さら言っても仕方がない。

 それよりも、高槻先生が、本当に、そんなことを?

「今日のいつ言われたんだ?」磯崎が訊ねた。

「放課後。私と話した後で、先生は君たちのところに向かったんだ」

「盗撮なしで気づいた可能性もあるだろう。僕みたいに」

「まあ、それはどっちかわからないけど」

「具体的にどうしろ、ってことは言わなかったんだな」

「うん」

 磯崎は、ひどく顔をしかめている。

 僕はやっぱり信じられなくて、思わず口を開いた。

「あのさ、もしも本当に盗撮されていたとしたらショックだとは思うけど……根津さんの受け取り方の問題ってことはないかな。先生は、女子だとばれないように配慮してあげるから、助けてあげるから指示に従うように、って言ったんじゃないかな」

 言ってから、まずい言い方をしたかもしれない、と思った。女子にこういうことを言うと、「わかってくれない」と、怒られたり泣かれたりすることがある。

 けれども僕のことばを聞いて、根津さんは何だかひどく奇妙な表情をした。ほんのさっき声を震わせて今にも泣きそうな顔をしていたはずなのに、妙に冷めたような、すっと無表情になったかと思うと、笑みさえ含んだ声で「そうだよね」と言った。

 怒ったり泣かれたりして言い返される方が余程ましだ、と僕は思った。……怖い。

「あの、ごめん」

「なんで謝るの?」

「いや、だって」

 僕はうろたえた。

 根津さんは、小動物めいたやけに黒目がちな目で僕を見て、磯崎を見ると、

「それで、二人に頼みがあるんだ」

 静かな口調で言った。

「今日は動揺して、高槻先生に何も言い返せなかった。でも、後から考えてみると、実際盗撮をされたのか、何となく私を女子だと察したのか、またはまったく別のことについて言ってるのか、今のままでは判断がつかないことに気づいた。だからもう一度高槻先生と話をして確かめたいんだけど、でも、一人で行くのは怖いから。二人についてきてほしい」

 どうかな?と根津さんは不安げに僕と磯崎を見上げる。

「もちろんだよ」

 僕は勢い込んで言った。

 あれこれ考えたって仕方がない。高槻先生本人に、どういうことなのか問い詰めるのが一番いい。僕としても願ったり叶ったりのことだった。

 黙ったままの磯崎の方を見ると、磯崎は何かをじっと考え込んでいるようだった。

「磯崎くんもいいよね」

 僕が言うと顔を上げ、「ああ」と短く返事をして、

「さっき、高槻の兄は自殺したと言っていた、そのことについて教えてくれないか」

 いきなり磯崎は話題を変えた。

 このタイミングで、と思ったけれど、根津さんはまったく気にする様子を見せない。それどころかけろっとした顔で、

「高槻先生の四歳年上のお兄さん、彼は香々見学園に入学した。そうして中学二年生の時、近くのマンションの屋上から飛び降りて自殺したんだ」

 すらすらと彼女は言った。

「高槻が赴任当時、そのことが生徒の噂になったりしたのか?」

「ううん。十五年も前の話だし」

「高槻が赴任したのは?」

「一昨年の秋」

「じゃあ君はまだ入学していないはずだ。それが噂にならなかったと知っているのも、それなのに君が知っていることも不思議なんだが」

「そう?」

 根津さんはにこにこしながら磯崎の顔を見た。

 磯崎は笑わない。

「どうしてそんなに詳しいんだ?」

 磯崎は、重ねて訊ねる。

 根津さんはひどく愉しそうに笑いながら言った。

「調べたから。……私は香々見学園マニアなんだ。性別を偽ってこの学園に入るほどに、この学校が大好きなんだよ」



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