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13.基礎人質論から逸脱した状況に対する実践的命乞い技術

 ターメリックガスは神経毒。濃い黄色の煙で広がり残留時間は三時間。空気より重く風に流されにくい。症状は呼吸困難、筋肉弛緩に強力な昏倒作用。戦車砲弾から家庭用霧吹きスプレーにも入る、ラフ・フューチャーでは無く『黒い翼』の主力製品。


「そして、レギュレーションスピードとやらでも防げない。空気っていうのは最高の暗殺者」


 レイスは耐性薬品を染み込ませたガーゼを噛みながら、扉にもたれた。どんな未知の力があろうと所詮できることは電気柵程度。一次大戦以下の世界で使うには少々強すぎる力だったようだ。

 散々、昨日今日で振り回されたり、嫌な思いをしたことが思い起こされて、レイスは非常に痛快でせいせいした気分だった。薬品の苦みにすら、多少のおいしさすら感じるほどだった。しかし、それは昨夜の凶悪な液体のせいだと気付き、また苛立ちが戻って来た。


「私の軍隊がここに来たら一週間で世界征服でも出来そうだわ」


 レイスは世界の悪口を言って少し気分を和らげた。あとは三時間待つだけで任務完了だ。腰をゆっくり下ろすと人質の二人の兵士が目に入った。静かにしておくなら生き延びるチャンスをやってもいい。ガス地帯に突っ込んでは来ないだろうが、何といってもここは気狂いの世界だ。その時には彼らは哀れにも……


 突然、轟音が耳を大音量でガンガンとノックした。レイスの思考はぶちりと千切られ、『パニック』をとりあえず準備した。背中を預けていた扉が、あちこちに挟まっていた黒い隙間埋めを吐き出しながら大騒ぎして、レイスはころころと二回前転した。小屋はハリケーンの散歩ルートになったように揺れて揺れて、とにかく揺れていた。


「ちょっ、なんなのよ」


 レイスが床にへばりついているとすぐに猛威は収まった。だがレイスは安心しなかった。こういうものはすぐに第二波が来るような予感がして、レイスはベッド台の下にそろそろと隠れた。緊張を張り巡らせ、レイスは数十秒じっと静止していた。


「さあ、早く出てこい! 赤い魔術師!」外から無意味によく通る怒鳴り声が聞こえて来た。


 レイスは悪態をついて、間抜けに這い出すと、開拓兵の持っていた剣を後ろ手に握った。

 扉を僅かに開ける。何の煙も入ってこなかった。レイスは舌打ちして開け放った。



 ひどい光景だった。松明は四方八方に散らばり弱弱しい光を放っていた。その光の中で砂埃がきらきらと輝いている。ガスは兵士にはきっちりと効いていたようだ。ぴくりとも動かない体が、向かいの小屋の屋根、隣の小屋の窓枠、道のあちらこちらに数人転がっていた。そして爆心地に最も近い魔術師の立っていた場所には

「話が違うわよ……ショットアウト」

数人の兵士らしきものが固まっていた。丸い球体を描くように固まっていた。

 革のチョッキが見える。これは原型を保っていた。レイスからは少なくとも四つ見えた。そして兵士らしきものの数は、わからなかった。それは融合していた。血走った目がクリケットの球ほどの大きさになっていた。皮膚は奇妙なてかりを持つほど引き延ばされていて、腕も、脚も、胴体も、顔も、繋がっていた。全て、別の人間のどこかと。人間ドームが道の真ん中に鎮座していた。その中から紫男の声が聞こえて来る。


「ようやく出て来たか! レギュレーションスピードさえ突破できれば魔術師は倒せるとは、中級魔術師特有の浅はかな考え方だ」


 レイスは後ろ手に握った剣へ力を込めた。気色の悪い人間ドームへ近づいていく。中からは政治演説のような気取った声が続いている。


「貴様の使ったのはキルクラウドの亜種だろ。この珍しい魔法を習得しただけの探究心は称賛に価する。確かに強度も目を見張るものがあった。不勉強な魔術師のつむじ風じゃ対処できなかったことは想像に難くない。だからこそ、私は声を大にして言いたい」


 レイスはロングソードなど使ったことは無いが、悪魔となって力は手に入れた。魔術師を待っている間に振り回してみたがアーミーナイフよりも軽い感覚で扱える。騎士団博物館で調子に乗る馬鹿な若者のように、振り回されることは無い。こいつは鎧と呼べないようなものと違って有用だ。


「魔解戦線はいずれ力尽きる。その時になってああ、無駄な時間を――」

「くたばれ、プチブル!」


 レイスは声を上げると一撃で仕留めようと上段に剣を振り下ろした。悪魔の力は想定以上だった。レイスの目からは剣の軌道が完全に消えたように見えた。風を引き裂く音と同時に鮮血が噴き上がる。

だが、紫男の血ではなかった。


「……ぐっ!」


 口の端からうめき声が漏れる。レイスの手は痙攣して剣を離した。人間ドームは骨ごと真二つに完膚なきまで引き裂かれていた。だが、その裂け目から嘲笑うように青白く光る膜が覗いている。神経を逆なでするようなため息が耳に入ってきた。


「同時に二つの魔術を使えないという常識は、重大な盲点を生み出す。一度発動すれば効果の継続する魔術の存在を霞に隠してしまうのだ。不可能と言われたウェスト・カード復興演説大会純劣化銅賞を魔術師である私が掴み取ったというのも――」


 紫男の御託は何事も起きなかったかのように続いている。

 兵士たちのようなものは結束を失い、引き延ばされたまま、地面に湿った音を立てて落ちた。

 青い防護膜に包まれた男が姿を現す。紫色のローブ、近づいてみれば顔に相当皺が寄っている。レイスの解りやすいものに照らし合わせると中欧系の顔だ。


「あんな場所は無い方がいいわね」


 レイスは痺れた手に少しでも血を戻そうと手をゆっくり握った。防護膜は事前に聞いたレギュレーションスピードの特徴と一致する。その仕組みはショットアウトから、隙間なく、問題なく聞いている。要は防護膜の中に入ってしまえばいい。手が痺れていようと貧民街で投げ売りされている茄子のように萎びた老人に負けるはずはない。


「死ね!」


 レイスは地面を蹴って距離を詰めた。青い膜は何の抵抗も無しにレイスを通した。兵士の血を踏みにじりながら足を払い、襟首をつかみ、頭から叩き付ける行程をプランニングする。

 だがせっかくのプランはプランという言葉の持っている本質や使命に従い、やはり成し遂げられなかった。それもなんもおもしろみもない、兵士の血を踏む段階でレイスの攻撃は終わった。


 紫男の口元が微かに動いた。

 レイスの身体に突然白い蛇のような輪が巻きつく。

 近接格闘体勢に入っていた身体は、腕を上げられずバランスを崩して倒れた。

 後頭部と背中が痛みにわめく。真上に見下す顔が見えた。


「失望させないでくれ。身体強化魔法なんぞ魔術師の使うものではない。元の技量が無ければ初球魔法にも劣るものだ。君はここの開拓兵ほどの戦闘技術もない。くだらん活動をしていないで魔導書と演説指南書を読むんだな」


 そう言うと紫男はわざとらしくレイスを跨いでキャラバン小屋へ向かっていった。


「これで貴様は魔法を使えない。凡人以下の屈辱をしばらく味わっておくのだ。では代価を払ってもらおう」


 レイスは現状を理解するのに三秒かけた。その後、一度だけ引き攣った笑い声が漏れた。感情に曝された臓器から熱が喉元まで昇って来る。奥歯がガチガチと震える。紫男が小屋に入るのを確認すると同時に転がって同じ場所まで辿り着いた。『生存・回避・抵抗および脱出』のマニュアルを思い出しながらささくれた木壁を頭で殴りつけて立ち上がる。そのまま耳を付けると、ちょうど口封じの布を留めていたピンが落ちる音が聞こえた。


「わー助けに来てくれたんですね! ありがとうございます!」


 咲月はレイスと年は変わらないが見た目は段違いに若い。ランドセルはともかく中学校には潜入できるほどだ。戦場に置いて最も凶悪な見た目。花束の中に爆弾を突っ込める。これ以上にないプランB要因であることは疑いようがない。レイスは思わずにやけて聞き耳を立てた。いかなる悪趣味でもなく、聞きたい断末魔というものは存在するのだ。


 静寂。

 ナイフの落ちる音が聞こえた。

 舌打ちが漏れる。


「うぶえっ!?」


 開きっぱなしの扉から白い輪で拘束された咲月が転がり出て来た。


「ふん、そんな年齢で弟子を取るのが間違いだ。師と同じく邪道に走る」


 レイスはバランスを取りながら何とか扉まで壁をつたっていった。

 中を覗くと紫男は人質には目もくれず咲月のスーツケースをいじくっている。


「兵士達には興味ないの?」


 レイスの言葉に微塵も身体を動かさず、無表情な声が帰って来た。


「おい、貴様、こいつを開けろ。中身によっては天使に渡さないでやる」癪に障る声を聞きながら、レイスは素早く小屋に目を走らせた。扉から入るボヤの光の先端に紫男は座り込んでいる。


「空気も剣も拳も防ぐ魔術師。じゃあこれは防げるかしら」


 紫男は振り向いて、怪訝な表情を見せた。


「諦めろ。身体強化魔法も、もう切れてる。私は生半可な魔術師でなくすごいからな。貴様では拘束を破れんよ。なんといっても純劣化銅賞だ」


 レイスは静かに呟いた。


「一発で沈めろ」

「なんだ、その呪文は」


 レイスは足に引っ掛けた扉を無理矢理蹴り上げた。

 再び砂に叩き付けられる。今度は顔と胸部が不満をあげた。

 扉の閉じる衝撃音が、背中越しに聞こえた。

 続いて、窓も塞がれたキャラバン小屋から、鈍く弾ける音が聞こえた。


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