12.基礎人質論を用いた生存事例のパターン分析
「やめろ……話し合おう……なんでこんなことするんだ、レイス」
フレックスカフ、簡易手錠をはめられて転がる人質、サム・モルウィッツが弱弱しい声を上げる。レイスはその声を聞くと、再び腕を組んだ。十秒間、倫理と道徳における非常に難しい問題にうんうんと唸った。
「……今回は三十四ってところね。……いや、あなた。人質が喋るのは犯人を刺激するからやめたほうがいい」
レイスは小声で囁き、十五の擦傷で濡れて腫れた顔に一つナイフを付け加えた。押しつぶされたような悲鳴の後、静けさが戻って来る。
キャラバン小屋にはあと二人、開拓兵士が隅に座り込んでいた。両者は人質学をしっかりと頭に入れているようで、ぴくりとも動かなかった。
熱帯夜というほどでもないが、小屋は血で蒸されたような不快さをたたえていた。
レイスは暇つぶしに開拓兵の装備を眺める。革チョッキは重たいが、分厚さは特に安心と落ち着きを与えてくれそうには無かった。今のレイスなら簡単に引き千切るぐらいできるかもしれない。かと言って特におしゃれという訳でも無く、夜のパーティーでは脱いで欲しいと間違いなく入り口で止められる見た目だった。
「いらないわね」
レイスは革チョッキを投げ捨てた。
部屋の床に跳ねて鈍い衝撃音が響く。耳をすましたレイスには、それ混ざった雑音が聞こえて来た。
「来たかぁ……」レイスは笑みを浮かべて立ち上がった。床にへばりつくサムを引っ張り上げる。雑音は威圧的な音と面倒そうな音が半々に混ざった程度で、のろのろと大きくなり、ぴたりと止まった。
レイスはサムにゆっくりと解りやすい、とても安心できるような声で指示を出した。
「これから貴様を解放する。貴様は真っ直ぐに魔術師の元へ迎え、私との射線をふさぎ続けろ。次の人質解放の条件は……静かにしてたら教えてやる」
レイスは念を押して扉を蹴り開けた。完全な暗闇に近い小屋から、昼間の如き白光に照らされレイスは目をぱちぱちした。目がすぐに映像を取り戻して、それが松明の灯だと気づいた。十数人の安っぽい革を着た人間が並んでいる。
「広がるな! 全員一か所に集中しろ!」レイスはサムの首にナイフを当てて声を上げた。
松明の光がゆっくりと束になっていく。ショットアウトが見たら発狂しそうだ。意外とてこずっていたのはこの松明のせいかもしれないとレイスは思った。
キャラバン小屋の扉にぴったり背中を貼り付ける。
「魔術師はいるか」レイスは囁いた。サムは頷きで返した。
「どいつか教えろ」
「中央……紫のローブを着ている」
「狙撃手はいるか」
「……?」
レイスは目玉だけで魔術師を探し当てた。身長の高い兵士に囲まれて不機嫌そうな男が突っ立っている。レイスが観察していると唐突にその男が口を開いた。
「魔術解放戦線! 賛同しない魔術師の拉致を始めたという噂は本当だったのだな! このような恐ろしい組織にも私が屈することは無い。ここで貴様らが所持している罪無き人々を傷つける魔法道具を奪取することを宣言しよう!」
男が腕を突き上げてレイスに、そして周りの兵士に声を張り上げる。兵士たちの中で控えめな拍手がぱちぱちと起こった。
レイスは昨日今日で出会ったものや聞いたものが意味不明ばかりなことに、いい加減苛立ちが諦めに変わりつつあった。何かもっと解りやすいものがあればいいのにとも思った。例えば、今ここに古くて白い日本製の中古車や、串焼き肉を売っているレストランの紫色の看板が見られたらとっても気分が良くなるのに。
レイスは握ったナイフを大事に眺めた。
「訳の分からないこという奴は……死んでくれないかなぁ」
レイスは小屋の扉を開くとサムを蹴り飛ばした。
腕にフレックスカフを繋いだまま、悪魔の蹴りを受けたサムは勢いよくつんのめって警備兵の集団に深く突っ込んだ。
背中に張り付けた銀色の缶が良く見える。レイスは指に通したピンをくるくる回しながら、扉を閉めた。
「くくくっ、楽勝過ぎるわね」
扉の裏側でくぐもった破裂音が聞こえた。