10.不可能理論
咲月は陰気な本社の研究所では、浮いて会話の好きな人間だった。
その性質は、一回本社を離れて闘争に身を置いた時でも変わらなかった。
彼女は誰とでも話した。気の立った戦士とも、衰弱した人質とも、廃人とも、死刑囚とも。
甘言と脅迫の割合を、化学式と同じように頭へ入れていた。騙すも騙されるも質問も尋問も無味無臭の毒物のように操っていた。レイスが組織を立ち上げた時に一番初めに引き抜いたのが咲月だった。引き抜いたのか引き抜かせられたのかは今でもはっきり解らない。
そんな咲月は今、幽霊とすっかり打ち解けて話あっている。
「へー、じゃあ街に入れなかったのはその天使の結界とかいう奴のせいなんですねー」
少女の幽霊、ショットアウトは咲月が口を開くたびにこにこして答える。存分に警戒していたのが、とても間抜けなようにレイスは感じ始めていた。
「ええ、そうよ。とっても気分が悪くなったでしょう? あれは一部以外のケルゴンパターンに干渉して来るの。第二世代生命体は、ケルゴンによって体を構成してるから、まあ内側からぐちゃぐちゃに掻き回されているって感じね」
「ケルゴンパターンを持ってる生物とかって、その結界とやらを通さないと解らないんですか?」
「まあ大体は私みたいに浮いたり、体のバランスが悪かったりで、見ただけですぐわかるわ。あなたもさっきみたいに薪をすごい速さで投げられるのは体に流れているケルゴンのおかげなのよ」
レイスは牙だらけの悪魔を思い出した。奴もケルゴンとやらで動いているのだろうか。その悪魔の言っていた「天使」。ショットアウトも頻繁にその単語を出していた。街には天使の結界がある。天使と人間は手を組んでる。天使と天使も争っているとかなんとか……
「……ふざけてるわ」
レイスは楽しそうな二人を尻目にそっと呟いた。
「ケルゴン、エネルギーってことは補給がいるんですか?」咲月はケースから出した報告書の裏に勢いよくペンを走らせている。
「えぇ、私達には必須よ。無くなると、体を支え切れなくなって、バラバラに崩れてしまうわ。でも、天使や人間にもとっても便利だから、奪い合いになるのよ」
「はーどこも変わんないですねー」
「それはそうよ。どんな街も拠点も村も巣も、ケルゴンの出てくるホールの上に建ってるんだから」
レイスはそろそろ退屈していたし、存在を主張することが必要な気がして会話に口を挟んだ。
「じゃああなたの、手伝ってほしいことっていうのは、ここの資源が欲しいって言うことなのかしら」
ショットアウトはしばらく不思議そうな顔をした後、手のひらを打ち付けた。何の音もしなかった。
「あ、そうだ、任務! いや、ここのホールが欲しいわけじゃないのよ。私はさっき言った組織の1つ、ドラグレイドってところに属しているんだけど、ここの魔術師をすぐ殺さなきゃいけないのよ。あの忌々しいオークのせいで!」
レイスは久々に知っている単語が出て来て嬉しくなった。猪の頭をした奇怪な怪物に少しだけ親しみがわく。ともかく天使やらケルゴンやらよりは見たことも蹴ったこともある。
「オーク? それなら私達も知っているわ。朝追い掛けられて、この街まで来たし」
ショットアウトはその名前を呼ぶのも嫌だという風にオークについて話す。
「オーク、あいつらはあまりケルゴンを必要としない。せいぜい、あの大きな羊顔を取れないようにするぐらいでしか、使ってないんでしょ。普段は山脈都市で大理石に数字を落書きしたり、くだらない喚き声を競ったりしているんだけど、貯蓄をする頭がないから、食料が無くなると他の生物の拠点を襲いに来るわ。奴らは目の前にあるものを、人間だろうがドラゴンだろうが、区別しないの。『食事において生命は二元論でのみ示される!』とか言ってね。そこがやっかいで強いところよ。数も多いのに止まらないのよ」
レイスはここまで聞いて、突然右手に痛みを感じた。咲月がペンでつっついている。
声を出さずに口が動いた。
れ・い・す・さ・ま・の・ば・か
一瞬、咲月が何を言いたいのか解らなかった。数秒考えた後、理解して自分を呪った。案の定、ショットアウトは体を机にめり込ませて近づいてきた。そして嬉々として口を開く。
まだ協力するとも言っていないのに。
ショットアウトの所属する組織、ドラグレイドは、ここから数十キロ離れた都市に奇襲攻撃を行っている、と彼女はとても面白い情報を伝えているというような顔で言った。
咲月がペンを床にぽとりと落とした。レイスも嫌な予感がして出口の方を見る。
「何よ、反応薄いわね。私の部隊はその戦闘の情報統制を任されてるわ」ショットアウトは胸に手を当てて自慢げに言った。
レイスはがくっと肩を落とした。いつの間にか、楽しいお話は脅迫へと劇的な変貌を遂げていた。情報を流すことで協力を強制させる。どおりで咲月と気が合うわけだ。
「奇襲戦闘に必要なのは情報の隠蔽よ。我々は『見えない戦闘』を望んでいる」
気のせいか、ショットアウトの声に幽霊らしい冷気が混ざって来たように感じる。
口の中に白熱電球を突っ込まれたようなみじめな気分で、レイスは話を聞いた。ショットアウトは、無反応のレイスと咲月に構わず続ける。
「私達の部隊は敵の都市の脱出路を抑えていた。民間人も行商人も野良魔族も魔力波も逃がさない。任務は順調に進んでいたわ」テーブルの上に残っていた方のスプーンが宙に浮かんだ。
「あのオーク共が山を下って来るまでは!」浮いていた木のスプーンが針のように弾けた。
レイスはぞっとしながらぱらぱらと落ちる木くずを見つめた。
「奴らはこの辺鄙な資源基地を目標にしているけど、あの羊頭じゃ何千匹でかかっても天使の結界を突破できないわ。数でどうにかなるものじゃ無いし。迂回して辿り着くのはドラグレイド本隊の背中よ」ショットアウトはレイスと咲月の目の前まで迫って来た。金色の大きな目だけがぎらついている。
「だから、私は魔術師……それに天使を殺さなければいけないのよ」
レイスは口を真一文字に結んで、申し訳ないことを精一杯伝える表情を作り咲月を見た。咲月はペンを噛んで虚空を見つめている。
「つまり」咲月はペンを口から出して、白衣に突っ込んだ。「この街をオークの餌にしたいと」
ショットアウトがにっこり笑う。
「そうよ、せっかくの統制された戦場に、横やり後ろやりを刺されたくない」
「まだ聞きたいこといくつかありますけど。まず、部隊ってことはあなた以外もこの街にいるんですかね」
咲月が質問すると、ショットアウトは苦い顔をした。
「いいえ、中にいるのは私だけよ。あと外にもう一匹、デミって子がいるわ。情報工作も中止になったし、ついでにここを破壊して帰る予定だったんだけど、思ったよりてこずってて……」
咲月が呆れたような表情を浮かべた。
「まさか、我々みたいなのをあてにして、その計画とやらを実行しようとしていたのでは、ないんですよね?」
「当然よ、私とデミだけでも問題ない簡単な仕事のはずだったのよ。飛べるから。デミが空中から教会を破壊して、私が魔術師を倒すって考えだったのよ」
ショットアウトはいったん言葉を区切るとため息を吐いて続けた。
「でも思ったより魔術師が強力だったの。空中に、非透過式の防御魔法をかけてたのよ。それで仕方なく、デミを隠して私が潜入しているってわけ」
レイスは少しの間考える。ショットアウトの言うことは意味不明な話ではない。要するに一地域を圏外に保つ秘密裏の戦争。電話局も通信基地も全て破壊し、ジャーナリストすら始末する。起こっていないはずの戦闘を仕掛けられた側は、少なくとも数日間は援軍も来ない籠城戦を強いられる。だが、そこにたまたま通りがかった軍隊なんていう不条理なものが存在してしまうなら。
「頭が痛くなるわね」
「でしょー! 最悪よ最悪!」ショットアウトが喚いた。
レイスはショットアウトの顔を再び見つめる。
彼女の金色の目は、暗がりの中、爛爛と輝いている。中々に逃がしてくれそうにない瞳だった。レイスが仕方なく、報酬命のタダ働きにイエスと答えようかと考えていると、隣で咲月が顔を上げた。そして、目を細める。
「報酬が欲しいです。何か用意でもありますか?」レイスは心臓が止まるかと思った。咲月の考えが読めない。強盗に向かって値切り交渉をするような愚かなふるまいだ。
ショットアウトは数歩分後ろに滑っていき、考えるような素ぶりを見せた。
「え、報酬? うーん……いろいろ教えてあげたのじゃだめ?」
咲月が笑う。
「あれは教えてくれたら協力ができるようになるって話ですよ。協力するしないは別問題です」
「そんな、もうあんなに計画教えちゃったのに! 今更断られたら……」
レイスは背筋が凍った。次に続く言葉は火を見るより明らかだ。足に力を込めるが幽霊からどう逃げればいいのだろうか。机の上のバラバラになった元スプーンが強烈に存在を主張して来る。
「今更断られたら?」
咲月がショットアウトを煽った。レイスはめまいを感じて眉間を抑えた。いざとなれば咲月を抱えて逃げるしかない。仮に倒れたとしても最後まで一緒なら後悔はないだろう。いや、まだショットアウトの気分次第では、無礼を謝って済むのではないだろうか。
ショットアウトは口を開いた。
「困るわ」
レイスは呆けて体を停止させた。咲月が噴き出して笑い始めた。
「キキキキ、レイス様、彼女は無害ですよ! 極極々稀にいる生粋のいいやつ、純粋過ぎる裏表透過仕様! この私が言うから間違いないです!」
咲月は堪えきれないという風にベッドに倒れ込んでうひゃうひゃ笑い始めた。
ショットアウトは困惑を見せた後、怒った声を上げる。
「ちょっと何が可笑しいのよ! それで、協力してくれるの、してくれないの?」
咲月はむくりと起き上がった。
「私はレイス様の判断に従います」
ショットアウトはそれを聞くとレイスを不思議そうに見つめる。
レイスは二回ほど口をぱくぱくした後、頭を引き戻した。
「どうしようか……」
ショットアウトが目の前にやって来る。レイスの足が体を貫いている。
「うーん……この街の人間を10人! とか、どう成功報酬で」
「いいえ、いらないわ」レイスは顔を引きつらせて答えた。
ショットアウトはうんうんと考え込んでいる。
「えー……うーん、払えるものなんて持ってないわ……私のからだだけよ……」
「え、いいんですか? じゃあ報酬はあなたの体の解、ムグッ!」
レイスは咲月の口に手を当て切り出す。いいことが一つ頭に浮かんだからだ。
「報酬は、そのドラグレイドって奴に私達を紹介してくれる、ってのでどう?」
「……へ? いや、まあいいけど。それで手伝ってくれるの?」
ショットアウトは、意外そうに丸い瞳をさらに丸くした。
レイスが頷くと、みるみる嬉しそうな笑顔に変わる。
「やったー! やったわ! ありがとう、レイス! 咲月!」
「こっちが感謝したいわよ、いい生き方ね」レイスはそっと呟いた後に、言葉の是非について頭を悩ませた。
ショットアウトは腕を広げてレイスと咲月がぴったり隣り合う間に埋まってきた。
「これでもう、あなた達は友情を超えた仲間よ!」
ショットアウトがそう言うと咲月は顔をぱっと明るくして質問攻めを再開した。