1.火葬における蘇生権の侵害について
黄色いバスは至って普通のバスだと自負していた。
少し集権的だが、それも個性と言えるぐらいの普通の暑い国で生まれ、生まれた場所がたまたま首都だったため、普通の流れで首都の交通バスに選ばれた。この四年間全く同じルートを運行し続け、平均的に二回ほど接触事故を起こした。ある普通に暑い日もバスは、いつも通り車庫を出て、運行ルートを二往復した。少し特別なことがあるとすれば、三周目で財務大臣が乗ってきたことだが、それも七回目なので普通の範疇だった。
ここからバスは普通でないことを経験する。
だが、それはバスが心の奥底に秘めていたような素晴らしいものでは無かった。
たくさんの通勤客を乗せて、金融街に差し掛かろうとした頃、運転手がいきなりビクンと跳ねて頭から血を噴き上げた。バスは驚いた。もちろんバスが驚いたせいではなく、車体は、朝食を取ろうと鶏肉のピザ屋台に並ぶビジネスマンの列に突っ込み、停止した。すぐにどたどたと黒い覆面を被った一団が、乗り込んで来て銃を振り回しながら大騒ぎを始めた。バスは恐怖と同時に、少しワクワクしながらそれを眺めた。一団は何人かの乗客を、地面に引き延ばされたピザ屋台の列に放り投げ、でたらめに方向転換しながら街を走り回った後、茶色い地味な倉庫にバスを押し込んだ。ちょうど黒い一団が一人を残し立ち去った時、バスは非常に辛く、受け入れがたい残酷な事実に気付いた。慟哭し、魂を震わせながら、こんなひどいことがあるだろうかと思った。いつのまにか窓が全て割られていたのだ。
『宣戦布告は行わない』
右手の中にある、小さな黒色の無線は、振動して言った。
黒い一団のリーダー、姫条レイスは、紅いドレスコートのポケットに突っ込んだ覆面をいじくりながら、言葉を頭で転がして、幻聴か現実かを検討し始めた。
国力を表すかのように小汚く安っぽい国営バスの、小汚く安っぽい緑色のシートは、一つの隙間もなく、行儀よくうなだれて座る人質で埋まっていた。その中でも、レイスの目の前に座るスーツ姿の特別な、つまり唯一まだ生きている人質が、八時間で随分と老けた顔を上げて呟いた。
「そんな……」
レイスの脳みそは、その呟きでどうやら現実らしいと嬉しそうに結論付けた。
「ふざけるな!」レイスは、無線に怒鳴りつけた。「うふふ、あなた正気かしら。いいか、私が人質に取っているのは、この萎びた緑の紙を数えるのが好きな女じゃない! 貴様の国自体だ!」
『知っている』無線はまた震えあがって、言葉を伝えた。
「はったり? はったりとでも思っているのかしら。 経済テロはもう始まっているわ。あなたの大好きな航空会社に電話でもして見なさい。景気はどう?って――」
『もう聞いた』無線の奥から流れる無関心そうな声は、レイスの言葉を遮った。『倒産するだろうな』
「何故だ! だったら何故要求を飲まない! 私がこのモロトフにかかった指を少し動かすだけで、お前の国は破綻する!」レイスは怒りや苛立ちやそれに類する声の中で、最も無線に適していそうなのを思い切り叩き付けた。そして、ポケットから邪魔な覆面を放り出した後、モロトフ拳銃を引き抜き、急いで指をかけた。
無線はしばらく、何の反応もしなかった。ちょうど壊れたような気がして横に振った時、ぶれた声が出て来た。
『正義のためだ』声は静かに言った。
「はあ?」
『これは、正しいことだ』
「頭大丈夫?」
声はレイスの二つの的確な疑問を無視し、おおよそレイスにとって、つまらないことを言い始めた。
『三次大戦は、誰かが阻止しなくてはならない。主は我らの国家を迎え入れるだろう』
「気狂いめ! いかれ宗教野郎! 私のために国ごと自殺するつもりか! だったら処刑の時間だ!」
レイスは無線に握りつぶすほどの力を込めて、拳銃を目の前の女に突きつけた。一瞬考え、力を込める方を逆にした。
「遺言を吐きなさい」
レイスは無線を女に投げた。女は無線の変わりに二回震えてから、目をきょろきょろさせて、膝の上にあった無線を拾い上げた。
「お、おやめください。私だけでなく、国家の――」
「そこのボタンを押さないと会話できないわよ。それとも私に言ったの?」レイスは指摘した。女は側面に付いたボタンを確認すると、準備運動のように無線を震わせつつボタンを押した。
「……おやめください! 私ではなく、国家と国民のために宣戦布告の英断を! 祖国を歴史から消してはいけません」
言い終わった後、女はレイスの方を伺うように見て来た。
レイスはボタンが押されたかどうか、よく見ていなかったが自信を与えるように頷いた。
『これは世界のための決断だ』無線の奥からは変わらず無表情な声が返って来た。『大臣、あなたはこの国の八十六番目にして、最後の英雄だ。ありがとう』
無線は震えるのをやめた。もしかしたら震えるかもと思ってしばらく見ていたが無駄だった。レイスは諦めと苛立ちを絶妙に配分した苦笑を漏らして、無線を取り返してボタンを押した。
「手を膝の上に出して固く握りしめなさい」レイスは女に指示を出した。
女はおずおずと指示通り、両膝の上に拳を置いた。
「ラフ・フューチャー基金の代表が私だとばれたのはとてもまずかった」
レイスはそうつぶやいて、銃口を女の顔から外した。
一度床に垂らした後、握り直して拳と膝から下を、縦に撃ち抜いた。
耳に刺さる甲高い悲鳴と銃の反動で、レイスは後ろによろめいた。身体のあちこちから文句が上がったが、ここまできて引くのも癪なので、レイスは気合を入れて女の前まで戻った。
「黒い翼も厳しくなったわね。まあ、同志達に期待しておくわ」レイスは痙攣しながら頑なに握られている、もう一方の拳も縦に撃ち抜いた。身体のあちこち、特に耳は猛烈な不満を表明した。耳の意見を汲んで、レイスは騒音の元凶となっている女の顔を撃ち抜いた。
『これで人質はいなくなったな』無線が久しぶりに震えた。
「あなたの国は、終わりだ」
『心置きなく、我が国の最後の仕事を果たせる』バスの外から、壁が崩れるような音と、砲塔がまわるような音が聞こえた。窓を塞いだボール紙の隙間から見ると、特に比喩は必要なかった。『さらばだ、最後のレイス』
レイスは役目を果たした無線を投げ捨てた。バスの運命を知らない無線は、解放されたと思い込み、通路を二回嬉しそうに跳ねてから、血だまりに落ち着いた。
「ふふふ、せっかく救ってやろうとしたのに」そう呟いて、レイスは自らの首を横に撃ち抜いた。
ラフ・フューチャー保全基金の統合代表にして、テロ組織『黒い翼』の指導者。姫条レイスは、おおよそ笑いどころが無く、仮にあったとしても説明された後に哀れみ交じりのハニカミが出る程度に、あっさり死んだ。
この死に様には多くの不平不満が出た。地球では人々の大半が物足りないとわめいたが、しばらくしてその声は、とある理由でぱったりと止んだ。
一部の良い人以外で喜んだのは、死ぬのを今か今かと待ち望んでいた悪魔達だ。
ある世界を滅茶苦茶にしてくれそうな人材を求めていた一部のイノベーティブな悪魔は、色々なプランニングとチャレンジの末、魂を縛る約束を取り付けることに成功していた。
木っ端みじんになるバスを涙ぐんで鑑賞し終わると、担当に連絡をした後、これで全てがうまくいくとブーイングをけたたましく演奏しながら、砂漠に刺さっている黒い奴隷を掘り返して騒ぎたてた。その騒ぎは何で騒いでいるのか良く解っていない大勢を巻き込み、結果的に全ての悪魔が騒ぐことになった。
全員が、何で騒いでいるのか良く解らなくなった二時間三十分後には、さっぱりとした平穏が訪れたが、黒い狼の姿をした悪魔だけは、文句を垂らしながら四年前の契約書を探しているせいでちっとも騒げなかった。どんな時でも要領の悪い奴は、一番面倒な仕事をしつつ、一番楽しい場面には乗り遅れて、最後の片付けだけはせっせとやることになるのだ。