三題噺『パソコン』『道場』『ステーキ』
俺は女を知らない。
男としての不良債権のことではなく、いやそれもそうなんだが、女の子と話したことがない。話したいと思うが、どうも話す機会がなく、17年間経ってしまった。
誤解を生むかもしれないが、知っている女は母と祖母と従姉妹のお姉さんだけだ。
だから女性と上手く話せない。近くに女性が来ると顔が強張り、相手も怖がるし、こちらはもっと強張る。身長190近い強面の男が近づいてきた時の女性の心中を察して、枕に顔をうずめる時は多々ある。
そんな俺だから、口癖はこんなものだ。
「女の子と遊びたい」
そのたびに友達や後輩、はたまた先輩が励ましてくれる。
「いつか良い女性と出会えるよ」
「先輩ゴツイけど、そこに惹かれる女性もいますよ」
「お前厳つ過ぎて怖がれてるし、柔道部の部長だから忙しすぎて碌に遊べないし、ここ男子校だからそういう出会いないけど、頑張れや」
と、励ましてくれる。励ましているのだろうか?
そんな汗臭い青春を過ごしていたある日。
「おーい、小山。ちょっと来てくれ」
顧問の松岡先生が練習中に声をかけてきた。
「なんですか?」
「大会の情報調べたり、記録を保存できるようにって、学校から『パソコン』が支給された。あとでパソコン部のやつが来るから、設置を手伝ってやれ」
「うす」
パソコンというものは、使ったことがない。ケータイはガラケーだ。だが、これを機に覚えた方がいいかもしれない。部長としてこれを扱えないのは問題だ。
しばらくすると、パソコン部らしい、ひょろりとした男が道場に現れた。
「どうもぉ、パソコン部部長の森久保でぇす」
「どうも、柔道部部長の小山です」
森久保は道場に併設された部室に台車で運んできたパソコンをにらみつけていた。
部室は全部員が一度に着替えてもいくらかスペースが余る、この学園で一番大きい部室だ。部室の奥にはシャワー室があり、他にも顧問が大事な話をするときに使うミーティングルームがある。そこにパソコンは設置されることになった。
「いやぁ、うらやましい。このパソコン、最新のやつですよ。うちの学園の看板部にはちゃんとしたものを持たせたい、って学園長が。このスペックでデータの管理ぐらいしか働かされないってのは可哀想だぁ……」
どうにも森久保は睨みつけていたのではなく、羨望のまなざしで見ていたらしい。
「パソコンというのは、ネットを見る以外に何かできるのか?」
小山がそういうと、森久保は驚いて、パソコンをいじくる手を止めた。
「このスペックならなんでも。ゲームに動画制作、スカイプに2ちゃん、メール、SNS。全部同時に処理できる程度の能力はあるぜ。もしかしてパソコン使うの初めてか?」
「うむ。森久保が今言ったすかいぷ?やらにちゃんというのはなんだ?流行っているのか?」
「スカイプってのは、他人とコミュニケーションが取れるツールのこと。2ちゃんってのは2ちゃんねるの略称。有名な匿名掲示板だぜ」
「2チャンネルということはNHKか。通信料を払わなくてはいけないのか?」
「あぁ……。2ちゃんねるってのはただの名前のことだ。NHKとは関係ないと思う」
森久保の話は難しかったがなんとか理解できた。しかし何かが引っかかった。
「うーん……」
「どうかしたか、小山。とりあえずネットのホームはYahoo!で、他にも部活関連で指定されたものは全部ここのお気に入りってのを押せば出てくるようにした。ほかに何か入れたいものでもあるのか?細かい疑問はあとで言ってくれても答えるけど」
森久保の態度からは、早々にこの部室から出たいという意思が垣間見える。
「さっき森久保が言ったツールの名前はなんだったかな……」
「スカイプ?2ちゃん?」
「それだ。それで何かひっかかったんだよな……」
「スカイプはデスクトップにデフォであるし、じゃあ2ちゃんもお気に入りにいれとくよ。これ顧問にばれないようにしてくれよ。大きな問題にはならないだろうけど、部活用のパソコンに匿名掲示板やらが入ってたら怒られるかもしれんし。俺が怒られたら面倒だし」
まぁうちの部活が言えたことじゃないけど……、と小さく森久保はこぼした。
何が引っかかっているのか必死に考えていると、森久保が唸っている俺を不審者を見る目で見ていた。だがそこで俺の脳内で、先ほど森久保が言った言葉が思い起こされた。
「おい、さっき森久保はスカイプやらは他人とコミュニケーションを取れるツールだと言ったな。その他人の中には『異性』も入るのか?」
あまりにがっつき過ぎたせいか、森久保は若干引いている。
「お、おう。一応できるぜ。だけど、さすがに異性と出会うために学校のパソコン使うのはまずいと思うぜ」
「おい、パソコンの設置は終わったのか? そろそろ部活が終わるぞ」
副部長の安元が声をかけてきた。
「あぁ、今行く。森久保、助かった。また色々聞くことが色々あると思うが、よろしく頼む」
「あいよ、練習頑張ってなぁ」
そう言うと森久保はとっととミーティングルームから出ていったしまった。
「安元、部活終わった後であとでミーティングルームに来い。大事な話がある」
「え……」
ギョッとしている安元を尻目に道場へ向かった。
「お前ら、練習やめ! 整列!」
50名近い部員が4列で並び、練習最後の挨拶をする。
「連絡だ。ミーティングルームにパソコンが設置された。大会や部員のデータを記録するためだ。だれでも見れるようにセッティングしてもらったが、あまりいじらないように。まぁミーティングルームのカギは俺と安元、あとは松岡先生だけだから、なにか見たいやつは一言かけてくれ。それじゃ、解散っ!」
「「「「お疲れ様でしたっっ!」」」」
「で、大事な話ってなんだ」
「……パソコンを使えば、女性とコミュニケーションがとれるらしい……」
安元は盛大に溜息をついて、長机に寝そべった。
「そんなことだろうと思ったぜ。お前、とりあえず女子関連でなんかあったらミーティングルームに俺連れ込むもんな。おかげで、俺が彼女持ちだってカミングアウトするまで俺ら影でホモ疑惑があったんだぜ?」
「俺にそんな趣味はない」
「俺もだよ!!」
「そんなことより、安元。スカイプと2ちゃんねるを知っているか?」
「そんなことって……、まぁいいや。知ってるぜ。使ったことはあまりないけど」
安元は俺が何を考えているのか分かったらしく、また大きく溜息を吐く。
「で、スカイプで女の子と話がしたい」
「無理無理無理無理。お前画面越しとは言え、女子と話すんだぞ? 悪いことは言わないから、やめとけ」
安元の言うことももっともであるが、それでも女性とコミュニケーションが取りたい。
そんな顔をしていると、安元は妥協案を出してきた。
「2ちゃんねるなら、文字だけだから大丈夫じゃないか? やるならまずそこからにしておけ」
安元はそういうと、パソコンをカタカタ弄り、大きく『2ちゃんねる』と書かれた画面を開いた。
「よし、これでいいかな。おい、ここになにか書き込んだら返信が来るぞ。彼女が待ってるから俺は帰るぜ」
そう言い残し、安元は帰った。
「……」
おっかなびっくりキーボードを打つ。
「はじめまして……僕は……高校二年生です。……趣味は剣道です。……よろしくお願いします。……これでよし」
カーソルを送信に当ててクリックした。
画面の上には『パソコン初心者が書き込んでみた』とあり、その下に先ほど打った文面が出てきた。
「これでいいのか?」
しばらくまっても何も起こらず、画面が暗くなってしまった。
「……明日安元に訊こう」
そして俺はミーティングルームを後にした。
次の日の放課後。練習中の安元に声をかけた。
「安元、練習終わったらミーティングルームに来い」
なぜか周りの部員の空気が凍った気がしたが、気にせず自分の練習に戻った。
そして練習後。
「画面が暗くなった。返信も来なかったぞ」
「スリープモードだよ。それも知らなかったのか……」
安元は慣れた手つきでキーボードを叩く。
「んで、ここの新着レスってのを押せば更新される。何個か返信来てるぞ」
『新しいスレッドを建てる場合、テンプレを見ましょう。http……』
『よろしく(キャハ』
『やらないか』
「まぁ、こんな感じで返信されたら、さらに返信で会話が続く。そんなに頻繁に返信は来ないから、部活帰りに確認するくらいでいいんじゃないか?」
「おい、安元」
俺は大変なことに気づいてしまった。額から汗が零れる。こんな気持ちは大会でライバルの三木とぶつかった時以来だ。
「なんだよ……うわっ!」
画面から目を離し、こちらに顔を向けた安元は驚き飛びのいた。パソコンにぶつかりそうだったので、肩を掴みおさえた。
「部長、ちょっとパソコンを使いたいん……ですけど……」
1年のエース、神谷がミーティングルームの扉を開けて頭を覗かせていた。
「……また今度にします。失礼しました」
「待つんだ神谷、何か誤解している!」
安元は冷たい音を立てて閉じた扉に手を伸ばし固まっていた。
「この2個目の返信……もしかして『女の子』からなんじゃないか!?」
俺が言うと、安元はハイライトの消えた濁った眼で画面を見た。
「うん……ソウダネ……」
「俺は、遂に、女性とコミュニケーションを取ったぞ! ふふふ、この優越感、大会で優勝した時より気持ちがいいなぁ!」
安元は、さいですか……、と言い残し、魂を失ったゾンビのようにミーティングルームを出ていった。
「よし、返信しなくては……」
明るい画面の向こうに鬼が凄惨な笑みを浮かべているのが見えたが、よく見ると自分の顔だった。
顔を合わせていないとは言え、女性と会話したのだ。心臓は機関銃が唸りを上げているように高鳴り、汗はスコールの様に激しく流れ落ちる。
「初めまして……あなたは高校生ですか……、これでいいな。明日が楽しみだ」
そして俺は帰宅した。
「おっしゃぁぁぁぁ!! 次来い!」
「なんで練習が進むにつれてテンション上がってるんですか」
神谷が練習相手だった。面の奥で笑っているようだ。
「ふふふ、俺に勝てたら教えてやろう」
軽い挑発に乗り、真向から打ち込んできた。
素早い動きだがまだまだだ。蚊が飛んでいるように、速いが重みがない。
「めぇぇぇぇぇぇん!」
あっさりと打ち返す。今日は調子が良い。
「練習終了! 安元、今日も」
「無理! 『彼女』待ってるから!」
彼女を強調して言った。他の部員からは修羅場に巻き込まれたような悲壮感が漂う。
「そうか……なら神谷。お前ミーティングルームに来い」
「え……なんで俺……」
神谷は疑問半分、絶望半分と言った顔だ。安元は神谷に親指をグッと立ててはにかんだ。
「解散!」
死刑宣告を受けた囚人のような顔をして神谷はやってきた。
「部長……勘弁してください……」
「神谷、お前2ちゃんねるは知っているか?」
「え、はい。それが何か? まさかそこに晒す……」
スリープモードを解除し、お気に入りから例のページに移る。
「これを見ろ」
「はぁ……」
「俺は遂に女性とコミュニケーションを取ったぞ!」
「いやこれネカマ……」
神谷は何かを言いかけ、それを飲み込んだ。
「よかったですね! でも今日は返信来てないみたいですね」
「うむ……ここは待つのが男だな。返信まだですか、みたいなのは女々しいやつがするものだからな」
「そうですね、今日はもう帰りましょう」
そう話し、神谷と二人で帰った。
家に着くと、自然と溜息がでた。神谷の前だったので態度には出さなかったが、返信が来ていなかったのは少しショックだった。
しかし、明日になればきっと返信がきているだろう。
だが、それから1週間、誰からも返信が来なかった。
「……よし、やるぞ」
「はい!」
神谷が練習相手だった。元気にとびかかってきた。以前感じた軽さは消え、その成長ぶりは素晴らしいものだ。
「どおぉぉぉぉぉぉぉ!」
神谷に一本取られた。
「強くなったなぁ、神谷」
「いや、部長が最近急に覇気がなくなったんですよ。どうしたんですか」
神谷や安元、他の部員も心配そうに俺を見ていた。
「なんでも……ないんだ」
そして俺は、練習終わりにいつものようにミーティングルームに向かった。
帰ってこない返信を見るために。
その次の日、またミーティングルームで例のページを見る。操作には随分慣れた。
「……うん? うん!? これは!?」
『お久しぶりです(キャハ 私は大学1年生ですよ(キャハ』
震える手をなんとかキーボードに這わせ、ゆっくりと文字を打つ。
「そうなんですか……先輩ですね……。好きな食べ物は何ですか?」
鼓動が高鳴る。こんなに嬉しいことは久しぶりだった。世界に色が付いたように、いや、世界が俺に笑いかけているようだった。
俺は返信を済ませて、ミーティングルームを後にした。今日は久しぶりに気持ちよく眠れそうだ。
「めぇぇぇぇぇぇん!!!」
また神谷が蚊の様に見えるようになった。どころか安元の動きすら容易に見えた。
「絶好調だな」
安元が笑いかける。
「あぁ、昨日返信があってな。とても気分がいい……」
「そ、そうか……。ここまで上手くいくとは……」
「???」
安元は何かを誤魔化すように離れていった。
「まあいっか」
その後も返信は途絶えることなく、相手はこちらの事をよく理解してくれ、話していてとても気分の良いものだった。
ある日の返信で。
「あなたはステーキの焼き加減は何が好きですか? 僕は」
両親とそんな話題になったので、その話を振ってみた。
きっと女性はレアが好きなんだろうな、と思った。
返信を楽しみにして、次の日の練習も絶好調だった。
また神谷が相手だった。
「神谷、お前はステーキの焼き加減はどんなのが好きなんだ?」
「それ昨日の夜に安元さんにもLINEで訊かれましたよ。実は俺、ちょっと細かいんですけど、ブルーレアが一番好きですね。生に近いレアなんですけど、これが美味いんですよ。海外で食った時の味が忘れられなくて」
「ほぉ、そんなのがあるのか……」
そして練習後の日課と化している、返信チェックをすると、こんなことが書いてあった。
「ちょっと細かいんですけど、ブルーレアが一番好きですね(キャハ 生に近いレアなんですけど、これが美味いんですよ。海外で食った時の味が忘れられなくて(キャハ」
まさに先ほど神谷と話した内容だ。そこで俺はあることに気づいた。
この相手は、どうにも理解が良すぎないか?
そしてある一人が思い浮かんだ。
キーボードを力強く叩いた。
『明日練習が終わったらミーティングルームに来い』
試しに数分待って更新してみると、返信が来ていた。
『彼女が待っているんだ……』
おそらく誤字脱字、矛盾がたくさんあると思います。
すいません……。