第一章 姫、見た。
「ふわぁっ…」
一年前から楠村 優夜に突如として眠気が襲いかかってきた。
病院にも行ったが医者は異常なしと笑顔で優夜に告げたが、眠気は一日の時間が増すごとに酷くなる。
部活動に所属していない優夜にとって下校中が一番大変なのだ。
帰り道の途中、いつどこから今日一番の眠気がくるのか、分からないからだ。
以前は信号待ちの時に道端に倒れて爆睡。
寄り道したカフェでコーヒーを飲んでいる最中に爆睡。
良いケースでは玄関で爆睡の時も。
優夜は病院の常連さんになるかと思っていたがそうでもなかった。
爆睡の後、不思議なことに気づいたらいつも自分の部屋で寝ているのだ。優夜はあまり気にしていないらしいが。
「起立、礼」
委員長の掛け声にはっと我に返った優夜は急いで席から立つ。
目を擦りながら周りと同様、頭を下げる。
そしてイスに座り、ふぅと息を吐く。
「…」
やっぱり見てる。
そう優夜は確信した。
優夜を見ているのは斜め後ろの席の風間珠鬼だ。(チャームポイントは眼帯だったりする)
優夜が爆睡芸を覚える前から何度かイケメン珠鬼くんと目が合うことが多かった。
その時はまだ恋かも、なんて妄想程度だったが優夜が爆睡芸を覚えた途端に恐怖となった。
優夜が何をするにも見る。ガン見だ。
(まだ眠気のほうに気を取られるから良いものの。やっぱり困るよなぁ…)
しかも一部の珠鬼ファンにも睨まれることも多々。
優夜の日常は気を抜いたら死ぬような日常になっていた。
「優夜、ご飯食べるわよ」
「あれ? もうそんな時間?」
「あなたはいつも寝ているのだから時間が鈍るのは無理はないわ。だけど前に比べて寝過ぎじゃないかしら?」
「まあ、ね」
彼女は千堂那月。優夜の唯一の友人だ。
フワリと漂う清らかな香り。艶やかな髪が束ねられていてポニーテールになっている。
つい二度見してしまう端正な顔立ち。
那月と優夜は長い付き合いだ。
もちろん那月は優夜の異変は知っている。
そんな上の中の上の那月と中の中の中の上の優夜がなぜ仲が良くなったのだろうか?、と優夜は思っているらしい。
「いつも思うのだけれど」
「うん?」
「優夜のお兄さんはとんでもないシスコンね」
「あはは…」
優夜は開けたお弁当箱を見て苦笑する。
そこには煌めくオカズと白いご飯の上には大きなハートにLOVEと書かれていた。
優夜の家では家事、炊事は優夜の兄、楠村 要がしている。
所謂スーパーお兄ちゃんなのだ。
そのためか、最近やっと優夜は野菜炒めを作れるようになったのだ。
しかも困ったことに優夜が料理をすることを拒んだ。
それを那月に言ったところ那月が家に乗り込み、要を説得させ、ようやく料理をすることができたのだ。
「大変ね。なんなら私が言ってあげましょうか? 要さんに」
「いいよ。あの料理の件以来、要お兄ちゃん、那月のこと警戒してるし」
「あら、それは困った」
「まあ、お兄ちゃんと那月ならいい勝負ができると思うよ」
「それは困るわ。将来、挨拶に行く時に困るじゃない。義理の兄になるのだから」
「せめて冗談言う時は笑ってよ。嘘か本当かわからないよ」
那月はあまり笑わない。
長い付き合いである優夜でさえ、那月が笑うところは滅多に見れない。
「ほらニコッと」
「そんなこと言ってたら詐欺にあうわよ」
「なぬっ?!」
「嘘よ。その時は私が守ってあげるわ」
「う、うん。それもどうかと思うよ…」
こんな会話していても珠鬼はずっと優夜のことを見ていたことは紛れもない事実。
@
優夜は本屋に立ち寄っていた。
必死に目を開眼させて。
「プリンの作り方は知っておきたいしなぁ…どうしようかな。ふわぁっ…はっ! いかんいかん! 集中だ!」
……やっぱり視線を感じる。
優夜はぶるりと体を震わせる。
辺りを見渡すが珠鬼の姿はない。
「私の思い込みが激しいのかな? 風間君がこんな私なんか見ても意味ないものね」
苦笑を零し、レシピ本を持つ。
瞬間、優夜は硬直した。
そこには気味が悪いほどの静寂だった。
車も人もいない。
「何、これ…どうなってるの?!」
外に出るが、【何もない】。
代わりに大きな黒い蝶の渦が渦巻いていた。
「しくじりましたね、あの馬楓」
声の主の方に振り返ると眼帯クラスメイト、珠鬼が立っていた。
優夜の思考は間違ってはいなかった。
「何で風間君が…やっぱり…?」
「今は逃げますよ。魔物が生まれる前に」
「え、でも聞きたいことがたくさんあるんだけど!」
「何をグズグズしているのです? このクズ村」
「ク、クズ村!?」
ギビィィィィ!!
気持ち悪い不協和音がひと気のない町を包み込んだ。
優夜は顔を蒼白させ、耳を塞ぐ。
足が竦み、冷たい汗がダラダラとすごいスピードで流れ落ちる。
「大丈夫ですか?」
「わからない…でも、なんでだろう…味わったことある恐怖なの…」
その優夜の言葉に珠鬼の顔つきが変わる。
優夜にはわからなかった。今まで生きてきた中でこんな恐ろしい思いをしたことはなかった。
だが、なぜか体が怯え出す。脳ではわかっていても体が動かないとはこのことだろう。
「そうですね…ピンチはチャンスとも言いますから」
こんな状況だと言うに珠鬼は不気味な笑みを浮かべていた。
学校で見る作り笑いと違う、生き生きとした笑みだった。
俯いた優夜の顔を上に持ち上げ、優夜と珠鬼の顔が近くなる。
「あなたはここにいなさい。そしてよーく見ていなさい。これは勉強と思いなさい」
「勉強…」
「そうです。バレたいじょう、躾なければならなくなってしまいましたので」
「何を言って…」
「あなたは普通ではないのですから」
その言葉を吐き捨てると珠鬼は背を向け、魔物と向き合う。
すると珠鬼の手に機関銃が現れる。
「さあ、ゲームの始まりです」
そう呟くと渦の中から現れたトカゲ型の魔物の足元に向かって弾を放つ。
放たれた弾に魔物はバランスを崩し、倒れる。
「球切れですか…まあ、いいでしょう」
機関銃を捨て、二丁の銃が現れる。
地面蹴り上げ、空中からバランスを崩した魔物に対して銃を放つ。
だが魔物は打ち込まれた銃弾を吸収する。
しかし、珠鬼はそれを待っていたかのようにまた笑みを浮かべた。
「これもまた姫のため。悪く思わないでください」
そう言うと魔物は口から煙を吐き、塵となって消えた。
「ふぅ…終わりました」
「あ、あの、これは一体」
「問題です」
「はい?」
珠鬼は優夜の質問には答えず、逆に問う。
「魔物は私の銃弾を吸収した後、どうなって死んだのか。答えなさい」
「え、え、えっと」
「時間切れです。正解は先ほど吸収した弾が体内で爆発したでした。見学していたのですからこれぐらい分かってもらわないと困ります」
そんなこと分かるか。
そう強く優夜は思った。
だがまた一難去ってまた一難。
優夜に眠気が襲ってきた。
さすがに限界だった優夜も眠りについた。
「まったく…あの馬楓の所為で私の今までの努力が無駄になってしまったじゃないですか。あなただけは巻き込みたくはなかったのに…」
爆睡する優夜を抱き上げ、そう小さく言った。