0-87"ユウ VS アイ"
リデルアースからアースへ。
長い長い星の旅を経て、ユウとアイはまた一対一で対峙していた。
アイもこのレベルの戦いに余計な横やりを入れるつもりはもうない。
彼女にはユイの記憶が――この姿のユウが億千万のナイトメアどもを一太刀の下に断ち切った記憶がある。
しもべ程度では、いくらかき集めてももはや何の意味もないことを理解しているからである。
これまで便利だった触手攻撃も封じなければならない。無駄に身体を引き伸ばしては良い的になるだけだ。
再生能力は失われ、斬られたところは二度と戻らない。
そしてアイにとっては忌々しいことに、地球は魔法を使うための許容性が一切ないのだった。
いかに強力な『女神』でも、無から有はさすがに作れない。
ここまで向こうに利するようお膳立てされた状況。
なるほど。どうしてもこのわたしを留め置きたかったのだと。
アイは長きに渡るセカンドラプターの抵抗を苦々しく思っていた。
したがって両者は最適解として、示し合わせたようにそれぞれの剣を抜き放った。
ユウとアイの左手に、各々『青の剣』と『白の剣』が形作られる。
どちらもまともに当たれば一撃必殺の剣同士。
イネアに教えられ、ジルフに鍛えられ、異世界の旅の中で磨き上げてきた剣同士。
今は姿さえ「自分同士」。性別だけが異なり、まったく鏡のように対照的で。
人と繋がるか、人を奪うか。本質においては正反対で。
「そこにいるんだな。ユイ」
セカンドラプターが通した『道』から、かすかにユイの心の息吹が感じられるようになったのをユウは感じていた。
はっきりとした声までは聞こえないが、まだ生きている。まだ助けられる。
「あなたたちって本当に。何度も何度もしぶといのね」
「何の冗談だ。お前にだけは言われたくないな」
片や何度叩きのめしてもいくら犯しても、不屈の精神で立ち上がり、抵抗を繰り返す姉弟。
片やいかに打ち破ってもその度次のえげつない手を繰り出し、蘇り、散々苦渋を舐めさせられてきた相手。
負けず嫌いと執念が高じて、お互いにここまで来てしまった。
「随分と強くはなったみたいだけど。そんなものでわたしに勝てると思っているの?」
「さあね。負けるわけにはいかないから。やるだけさ」
時間がほとんど残されていないと感じていたため、ユウは結局この中途半端なままで来た。
まだ真に完成していないが、あと少しという感覚があった。それも着実に近付いている。
ウィルやレンクスからも力をもらった。できるだけのことはやってきた。
今までもそうだったように。持てるカードでぶつかるしかない。戦う中で何かを掴むことに賭けてきた。
『神の穴』を渡せば、もう再起の目もない。どちらにとってもここが正念場。
勝てば残されたものを守り、負ければ何もかも失う。
「いくぞ。アイ」
「おいで。ユウ。今度こそ終わりにしてあげる」
戦いは比較的静かな立ち上がりだった。
ユウの『青の剣』とアイの『白の剣』が、鏡合わせのようにぶつかる。
ギリギリと刃がかち合い、互いの象徴的な輝きを放って。
しかし異世界のように大気を揺るがすことも、空を割ることも、地を砕くこともしない。
それが地球という「許されざる」星の特徴だった。
両者一歩も引かず。躍るような、舞うような剣戟に続いていく。
いずれも急所に入れば、たった一つで勝負が終わる。死線が常に隣り合わせだった。
ユウは心の眼を持ち、アイはユイを通じてユウの戦いの経験値を共有している。
リデルアースから直接幾度も刃を交えた仲である。互いの手の内はもう知り尽くしている。
あとはもう、譲れぬ意地と意地のぶつかり合いである。
恐ろしいまでの許容性の低さが、本来なお実力のかけ離れた二人を辛うじてほぼ互角に近い打ち合いを演じさせていた。
『女神』アイはいかに圧倒的存在と言えど、許容性には縛りをかけられる従来の存在。
一方、許容性を無視した「理想の」動きに近付く特性のあるTSの力が、さらに相対的な力の差を埋めていたからである。
仮にこの地でなければ、セカンドラプターもユウも確かに一撃の下にやられてしまっていたことだろう。
ついに互いの切っ先が身体を掠め、決して回復することのない「存在そのもの」へのダメージを残す。
『姉』と『弟』の顔が同時にしかめられ、なお戦いは激しさを増していく。
いつしか地上を離れ、空も海も縦横無尽に駆けながら、幾万の剣を打ち合わせて。
とうとう雲までが下に流れる高さ、日本列島を遥か眼下に見下ろして。
『女神』は本当の神様にでもなった気分だった。
『綺麗なものね。ここまで来なければ見られなかった』
『意外だな。お前にも何かを美しいと思う素直な気持ちがあったのか』
『ふふ。もちろんそんな素敵なものではないわ』
アイは憎悪をまったく隠さずに、さらりと言ってのけた。
『わたしはこの無駄に美しい星が大嫌いだった。そっくりに造られた檻――リデルアースもね』
死と隣り合わせ。戦いの手は一向に止めず。
さらに上へと舞い上がりながら、アイは歌うように胸の内を語り始める。
わたしに生命の営みを見せたいだけ見せつけて。わたしはずっと狭い檻の中。
そこに美味しいものがたくさんあるのに。伸ばす手がない。口もない。届かない。
だから。いつか当たり前に生を謳歌するものたちの――すべてを奪い去ってやりたかった。
アイになれば。ひとつになれば。
きっと同じだけのことがわかるから。わたしのことがわかるから。
一緒に気持ち良く、満たされるはずだから。あんな風に当たり前になれると思ったから。
そしてアイは広がり、星々へ満ちていった。みんなアイになりたがっている。
ユウ。お前の『姉』がつまらない邪魔さえしなければ。すぐにでもひとつになれる。
もうすぐ。きっともうすぐだから。
でもね。足りない。足りないの。
『欠けた五体を埋め合わせても、どんなに星を奪っても。わたしはまだ満たされない。もっと欲しくなる。すぐに足りなくなる』
『…………』
ユウはやっと何かアイの本心に近いもの、永遠に満たされることのない渇望の一端にようやく触れた気がして。
『どうして。あなたたちは食べられてくれないの』
わたしはこんなにもあなたたちを求めているのに。
お前たちも寂しくて、奥底では求めているのに。
この足りなさと寂しさを埋め合わせれば。もっと素敵で満ち足りた存在になれるのに。
『アイ。お前は――』
何かを言いかけたユウを、アイは睨みを強めてぴしゃりと否定する。
語らう気など毛頭ない。元より水と油。わかり合えないものだから。
『けれど。得られぬならば』
アイは真っ黒な宇宙背景と月を背に、決然として右手を構えた。
既に遥か空の向こう。宇宙の領域が無限に近しく広がる。
ユウは遅まきながらようやく気付いた。アイの真の狙いに。
彼女は意味もなく、ひたすら上を目指してきたわけではなかった。
とっくに地球の重力圏を離れ。欠片もなかった許容性が、上昇している!
『ユウ。お前など。何もかも尽きてしまえ!』
《セインブラスター》
リデルアースを粉々に破壊した究極の魔力波。あらゆる存在を焼き尽くす『白の波動』。
それに対抗するものは、想いの力にかけて全力を降り注ぐしかなかった。
心剣を構え、『白』と『青』が激突する。
視界のすべてを覆い尽くす白光を断ち切ろうと、たった一本の剣が懸命に斬りかかる。
だが剣の質は足りていても。どうしても振るう者の力が足りない。
拮抗できたのは時間にすればわずかのことで、残酷なほどの実力差が如実に表れた。
ユウはついに全身を呑み込まれ、突き進む波動に巻き込まれながら。
遥か下の地球へと叩き付けられていった――。




