1-75"親友"
「アリス。あなたを正気に戻しに来ました」
「おかしなことを言うのね。正気に戻るべきなのはあなたじゃないの」
アイに洗脳を受けた者は、完璧に認知が歪んでしまうらしい。
まったく恐ろしい能力ですね……。かわいそうに。
今は話しても無駄だと断じたミリアは、自分の想いを呟く。
「あなたの大切な親友として。もう一人の親友と生徒にも頼まれてしまいましたからね」
ユウの望みの分まで背負い、直接は戦う力に乏しいエイミーの分まで矢面に立つ。
これは洗脳から救い出すための戦い。決して殺すための戦いではないのだから。
カルラ、アーガスの戦いと違って素の実力はほぼ互角。ミリアに一つも悲壮感はない。
必ず取り戻すと強い決意で臨んでいる。
《ファルスピード》
風の加速魔法を双方自分に付与し、戦闘が始まった。
《ボルケット・レミル》
《ティルオーム・ミクス》
アリスの豪火球を、ミリアは怒涛の水流で相殺する。
《デルミレイオ》
《アールエヴェクト》
物量攻撃の応酬。
荒れ狂う雷の細束を、レーザー様の光の束が次々と撃ち反らしていく。
火と雷魔法を得意とするアリスに対し、水と光魔法を得意とするミリア。
普段の相性補完はまったく完璧で、互いに手の内も知り尽くしている。
それゆえ敵対すれば、火と水の関係では容易に決着が付かない。
「やるわね。ミリア」
「あなたもね。アリス」
彼女生来の善性が、操られていても素直に敵への賞賛を漏らした。
これがただの訓練戦闘だったらどんなによかったかとミリアは思う。
「容赦しないわよ」
《ボルアークレイ》
――始まった。
ミリアは冷や汗を感じながら、いったん回避に専念する。
アリスが開発したこの超上位魔法は、発生が極めて早く到達速度も恐ろしいものがある。
呑気に相殺などしていられないし、まともに当たれば消し炭になってしまう。
そんなものがマップ兵器のように隙なく雨あられと撃ち出されるものだから、ミリアは避けるだけでも一苦労だった。
本来連発できるような小技ではないのだけど、今は凄まじいバフが乗っているせいか、初等魔法のように連射してくる。
戦いの余波で雄大なアウナキア霊峰もどろどろになって、流れ落ちる溶岩になるほどだった。
ミリアは避けながら高速の光魔法で反撃を試みるも、圧倒的物量の前には掻き消されてしまう。
その一発は確実に相殺しているが、それだけだ。
これはユウのかけたバフが想いの力によるもの――魔力の直接強化ではなく、本源を断つ力の付与にあること。
対してアイによる強化は、純粋に凄まじいまでの魔力の増強にあることがこの対照的な状況を生んでいる。
親友の力は純粋な魔力にあらず。もっと別の何か。極めて質に比重を置いている。
確かに素晴らしいけれど、アリスに直接ぶつけなければ決定打にはならない。
――なるほど。あれを搔い潜って近付かなくちゃいけないわけですか。
戦いの中で、ミリアもTSの性質を掴みつつあった。
困りました。シンプルなだけに厄介な戦法ですね。
まるで隙が見当たらない。
「どうしたの。逃げてばかりじゃ戦いにならないよ!」
「まったく。言ってくれますね!」
次々とアイ様のありがたいお声が解かれていることは、アリスもしもべたちの連携を介して掴んでいた。
だからこそ安易に近付かせるわけにはいかないと、彼女は冷静に判断していた。
死と隣り合わせの鬼畜弾幕ゲーがひたすら続く。
悔しいけど打つ手なしかとミリアが苦しい思いをしていると、念話が飛び込んでくる。
『ミリアさん。だいぶきつそうですね』
エイミーだ。
彼女は術式転移魔法でイネアを遠く安全な場所まで匿ってから、再び戦場に舞い戻ってきたのだ。
『正直やばいですね』
『アリス先生のためにも、全力でお手伝いしますよ』
心強い提案であるが、ミリアはどうしても気になった。
『カルラ先輩の方はいいのですか』
『あっちは短期決戦と言いますか。さっき無事終わりまして』
『ということは、勝ったのですね』
『はい! あとですね、ちょっと見てられない感じになっちゃいまして。あ、いい意味でですよ!』
てへへと笑うエイミーからこぼれた、顔を真っ赤にするようなイメージを掴んで。
『……やってくれますね。どいつもこいつも』
年頃か訪れる春のラッシュに、ミリアはつい顔をしかめる。
これで余り者はもう自分だけになってしまった。間違いなく一生そのままだろう。
『ま、まあ幸せの形は一つじゃないですし!』
こんなときなのに呑気に励ますエイミーに、受け継がれしいつもの親友らしさを感じ取り。
『ふふ。ですか』
『はい。ミリアさんは私たちみんなのお母さんですっ!』
『いいでしょう。ではすみませんが、手を貸してくれますか。エイミー』
『もちろんです。二人で勝ちましょう!』
一人で届かないなら、二人で。
大切な生徒を信じて、右手に想いの力を集中していく。
《ティルアーラ》
直撃以外なら耐えるよう、水の護りの魔法も付与して。
『いきますよ』
『はい!』
意を決して、ミリアがアリスに接近を試みる。
アリスは当然、殺意全開で《ボルアークレイ》の束を彼女に向けた。
そのままであれば、為すすべもなく焼き尽くされてしまうところだったが。
アリスもまたアーガスと同様、芽吹きの天才の絶技に舌を巻くことになった。
エイミーの手になる『空間屈折魔法』が、光線の性質を持つ熱線を次から次と捻じ曲げていく。
もはやアリスとミリアを隔てるものは何もなく。
ついに想いを乗せた正拳が、アリスの薄い胸板を打ち抜いた。
くの字に曲がったアリスが、ぴたりと動きを止めて。
固唾を呑んで見守っていたミリアに、いつもの温かい眼差しが返ってきた。
「……あいたたた。結構芯に効くわね。これ」
「アリス!」
『アリス先生!』
ミリアは目の前の帰ってきた親友を万力で抱き締め、エイミーも急ぎ彼女の元へすっ飛んでいく。
「ごめんね。とんだ迷惑かけちゃったみたいで」
「いいんです。困ったときはお互い様ですよ」
ぱちりとウインクしたミリアに、アリスはふと切ない顔で言った。
「何だかね。ずっと悪い夢を見ていたの」
彼女は語る。夢か本当かもわからない、遠い遠い思い出。
――あのときも。みんな敵になっちゃって。
最後は「殺して」だなんて、ひどいことあの子にお願いしちゃってさ。
そっか。また、ひとりぼっちにしちゃうところだったんだね。
けれど、そうはならなかった。
【運命】の用意した最悪の結末は、ついに退けられた。
あのときとは違う。
確かな想いの力と、繋げたエイミーがそこにあるから。
そのことを薄々悟って、もうアリスはくよくよしなかった。
「みんな。ありがとね」
「どういたしまして」
触れ合うミリアを介して、《マインドリンカー》による想いの力がすうっとアリスにも沁み込んでいく。
アリスは親友の切ない気持ちを深く理解し、逆に力いっぱい抱き締め返した。
「アリス。強いです」
「バカね。ミリア。だから早く捕まえときなさいって言ったでしょう」
「……だって。しょうがないじゃないですか」
それは重々承知しているのか、いつもの繰り返しになってしまうので。
アリスももうそこは責めないけれど。
「それだけじゃないわ」
「うぐ……」
「あなた、ユウが遠くなっちゃったって勝手に寂しがってもいるでしょう」
「どうしてそれを」
「ちょっと見たらわかるのよ。もう」
アリスは慈しみを込めて、抱き締めながらミリアの頭の後ろを撫でてやる。
「ほんとにバカね。大バカよ」
そして先生らしく。いいこと、と優しく諭す。
「ユウはユウよ。どんなに強くなっても。どんなに遠くなったとしても」
青春のあのときとは、もう何もかもが違っていても。
確かにあたしはあのとき、言った。
一人だけで、世界なんて大きなものを背負う必要なんてないって。
確かにそれはもう……当てはまらないのかもしれない。
守れるだけのものを守りたいと願って。あなたはどこまでも歩み続けて。本当に本当に強くなった。
きっともう、世界を一人で支えなきゃいけないほど。その手一つで行く末を変えられてしまうほどに。
でもね。それほどの力と業を背負ってしまったとしても。人間離れしてしまったように見えても。
「それでも。ユウはユウじゃないの」
だから強さだけじゃなくて、ミリア。あなたたちを心から頼ってくれたのよ。
自分で言うのも何だけど。大事な親友のあたしを托してくれたの。
その心の本質だけは、ずっと変わらない。それでいいじゃない。
「旅行くあの子をひとりぼっちにしないために。あたしたちも精一杯想いで応えてあげましょう」
「……まったく。あなたには勝てませんね」
取り戻す勝負には勝ったけれど、言葉の力では完敗です。
綺麗に一勝一敗を刻み。まったく素晴らしく素敵な親友関係だった。
そこへ遅ればせながら辿り着いた、エイミーが飛び込んでくる。
ミリアはふっと微笑み、大切な生徒のために一歩譲った。
「おかえりなさい。アリス先生!」
「ただいま。エイミー」
勢いのままくんかくんかして、エイミーは先生にいっぱい浸る。
久しぶりの日課が嬉しくて。やっぱり、温かく安心する匂いがして。
「ごめんなさいね。痛くて怖い思いいっぱいさせちゃって」
「いえいえ。それはまあ、ちょっぴり怖かったですけども」
強がって言うけれど、どんなに怖かったか知れない。
アリスもすぐに察して。生徒のこととなると、どうしても弱くて。
つい泣きそうになってしまう。
「本当にごめんね。ありがとう」
「そんなぁ。いいんですよぉ! でも、ほんとに、ほんとによかったぁ……!」
いつものアリス先生が帰ってきてくれた。
ようやく一安心してわんわん泣きじゃくるエイミーを、アリスは優しい顔であやし続けた。




