1-71「緑天の霹靂」
[惑星エラネル ナボック アリス魔法教室]
すっかり紅葉の季節である。
エイミーは中級クラスの講義を担当した後、レクを楽しむ生徒たちを微笑ましく眺めつつ、校庭で掃き掃除に勤しんでいた。
魔法で一気に落ち葉を吹き飛ばすこともできるけれど。感謝の心を込めて丁寧にやると気分も良い。
「ふんふーん♪」と楽しげにオリジナルソングを口ずさみながら、箒で掃き進めていく。
ちなみに題目は『アリス先生大好きの歌』である。
「アリス先生は~すごいぞ~♪ おっぱいは~小さいけど~♪ 包容力はでっかいぞ~♪」
自分も控えめだったのが成長期ですくすくとしてきたので、煽りもキレを増している。
「アリス先生は~つよいぞ~♪ おっぱいは~つまめないけど~♪ どんな敵もひとつまみ~♪」
ノリノリで二番に入る。
本人に聞いたら追い回されそうなフレーズだが、誰も聞いてないはず。たぶん。
「アリス先生は~すてきだぞ~♪ おっぱいは~つつましいけど~♪ どんな人もイチコロだ~♪」
最近地元の方とご結婚されたのは記憶に新しい。いつかお子さんを世話できる日が待ち遠しい。
「アリス先生は~やさしいぞ~♪ おっぱいは~きびしいけど~♪ 私たちみんな愛してる~♪」
最後にいっぱいの愛を込めて。
「アリス先生大好き~♪ アリス先生フォーエバー♪ アリス先生大好き~♪ アリス先生フォーエバー♪」
度々口ずさんでいたためにやがて皆に知られ、後々生徒から生徒へと非公式に伝承されていくのだが。それはまた別の話。
と、ガラッと教室の窓が開き。にっこり笑顔のアリス先生が顔を出す。しっかり聞いていた。
「ねえ。何だかとっても楽しい歌を口ずさんでいた気がするのだけど、気のせいかしらね」
「いやだなあ。アリス先生大好き~って歌ってただけですよ」
てへっと舌を出して誤魔化してみるも、時すでに遅し。
「こらーーーーー! エイミーーーーーー!」
「ごめんなさーーーーい! あっちも掃除してきますーーーーー!」
けらけら笑いながら、ぴゅーんと逃げ足だけは早いエイミーなのだった。
むしろこうやって楽しく怒られたいから、いたずらしているのかもしれない。
自分のどうしようもない先生愛に、ほんのちょっぴり病気かなと思いつつ。生涯の推しを止める気は毛頭なくて。
「アリス先生大好き~♪ ……あれ?」
エメラルド色の空を裂くように。遠くの方で何かがチカッと光った。
サークリスの方角ですかね。そのこと以外は、よくわからないけれど。
すると突然、謎の声が心を直接揺さぶってくる。
『わたしはアイ わたしに従い 身も心も委ねなさい さあおいで』
「え……急に何言ってるんですか? こわ」
エイミーは多少ざわつくものを感じたが、それだけだった。
ところが周りを見渡せば。明らかに様子がおかしい。
アイ様……アイ様……とうわ言のように繰り返し。
呼びかける謎の存在に、すっかり陶酔しているようだった。
正気じゃない。みんな変になっちゃってる!
ぞっとしたエイミーは、箒をその場に放って教室へ駆け込んだ。
最愛の人に急ぎ相談を持ち掛け、対処を考えようとして。
「アリス先生! なんか空から、変な声が――」
――――。
彼女は絶句し、その場に固まってしまう。
なぜなら。
アリスもまた、うっとりと空の一方向を見つめていたからだ。
そして、ゆらりとこちらを向いたときには。
「エイミー。あなたどうして、アイ様の声が聴けないの?」
「アリス、先生……?」
怯えるエイミーに、一歩一歩と怖い顔をしたアリスが近付いてくる。
「そう。『異常生命体』だから。だからね」
『異常生命体』って。なに、それ。
「先生……? 何、言ってるんですか……?」
混乱と衝撃で、エイミーは頭がくらくらしてきた。
とにかくまずい状況にあることだけはわかる。
でも、どうしよう。どうしよう。
いつも先生に頼っていたから。私だけではどうするかもわからなくて。
迷っているうちに、アリスは口元を害意に歪めた。
「言うこと聞かない子には――おしおきよね」
《ボルアーク》
おしおきにはほど遠い、殺意全開の火の上位魔法が放たれた。
エイミーは間一髪で跳んで避けるも、髪の焦げ付く嫌な臭いが鼻につく。
奇しくもアリス先生自身に手ほどきされた戦闘技術が、この突然の危機で最適行動を取らせていた。
だが狭い教室で無理に避けた代償は大きい。
ガラガラと机を巻き込んで、彼女はもたれ込んでしまう。
それでも懸命に立ち上がり、健気にも戦う姿勢を取ろうとして。
ただ嘘だというショックがずっと大きくて、手がぶれて狙いを定めることができない。
大好きな先生に手を向けるなんてこと、できるはずがない……。
逡巡するエイミーに、アリスは容赦なく迫り。
左手だけで胸ぐらを掴み上げる。
しもべに対する洗脳強化によって、アリスは人並外れた腕力をも得ていた。
「あ、 やめて……アリス、先生……!」
右手が火の魔力に満ちて。煌々と殺意に輝いている。
「さようならエイミー。馬鹿な生徒」
エイミーは涙し、絶望に暮れる。
自分の命よりも何よりも。
優しいアリスがこんなに変わり果ててしまったことが、悲しくて。
絶体絶命の中、祈ることしかできない。
誰か……助けて……。
《アールリット》
教室の壁をぶち抜いて。光の弾が炸裂する。
アリスだけが吹き飛ばされ、エイミーはその場で尻もちをつく。
直接視認なしに、助けるべき人だけは綺麗に避けて。それこそは熟練の賜物だった。
はっと見やれば。開いた大穴の向こうから、華麗に銀髪を靡かせて。
ミリア・レマク一級外交官は、もう次の攻撃を構えている。
《ヒルダイブリスク》
さらに氷の超上位魔法を容赦なく被せ、アリスは氷漬けになる。
ミリアはエイミーに目を向けると、油断なく警戒したまま呼びかけた。
「エイミー! 無事ですか!?」
エイミーはぼろぼろ涙を流しながら、先生が吹っ飛んでいった方を指差して。
「ミリアさん! 先生がぁ! アリス先生が、おかしくなっちゃってぇ!」
「わかっています! 一度逃げて立て直しましょう!」
「……はい! わかりましたっ!」
手招きに従って、エイミーは急ぎ彼女の元へ駆け寄る。
ここでもサークリス式の常在戦場、日々の訓練がよく活きている。
気丈に振舞いながらも、ミリアは思いもかけぬ危機に先ほどから冷や汗が止まらない。
アリスが突然変貌したことへのショックは、当然彼女にとっても大きい。
しかも感じる魔力は、元のアリスの比ではない。
彼女は火魔法を得意としている。こんな拘束などきっとすぐにでも破ってしまう。
もう声が聞こえてきた。
「どこへ行くというの。親友にひどい仕打ちじゃない」
「今のあなたに、大事な生徒は任せられません!」
もう一発。気休めの牽制に《ヒルダイブリスク》を放ちつつ。
エイミーを引き連れ、《ファルスピード》を使って猛ダッシュで校舎から抜け出す。
「ラクア!」
愛鳥はミリアの呼びかけへ即座に応じ、二人を乗せて空へと急発進する。
この愛鳥も最初はおかしくなっていたが、ユウから洗脳解除の魔法を教わっていたため事なきを得た。
動物は比較的洗脳が弱かったから、これで何とかなったけれど。アリスに同じ手が通用するとも思えない。
それに親友の強さはよく知っている。通じたとして、そんな隙は与えてくれないでしょう。
アルーンもおかしくなっていたので、予め洗脳を解いて逃がしてある。アリスも同じように追いかけることはできない。
この空にさえ逃げれば、時間は稼げるはず――!?
アリス魔法教室から、追撃の《ボルアークレイ》が飛んでくる。
あわや直撃かと思われたが、ラクアが器用いっぱいに身体を使って、わずか羽を掠めるに留めてくれた。
その後も無尽蔵かと思われるほど連発されたが、どれも間一髪のところで避けていく。
ミリアが水魔法を懸命に使い、軌道を逸らすことも幾度となく。
そうして、やっと圏内から逃れることができた。
「助かった。ありがとうラクア」
「私からも、ありがとうございます」
「クエエ!」
一路、サークリスとは反対方向へ。
あの謎の光からできる限り遠ざかるように、逃げ延びてゆく。
たった二人と一羽、決死の逃避行である。
ミリアには好材料などまるで見当たらなかった。世界のどこへ逃げても、大丈夫な気がしない。
ただひとまずは。本当の親友にとって、一番大切なものだけは守ることができた。
十分に距離を稼ぎ、ほっと一安心したエイミーが泣きついてくる。
今まで必死に堪えていたのだ。
「うわーん!」
「よしよし。怖かったですね」
自らの包容力でもって、ミリアは優しく宥め続ける。
ようやく落ち着いてきた後、二人で意見交換をかわした。
「アイとかいう者。あの謎の声を聞いてから、どうもみんなの様子がおかしいですね……」
間違いなくそいつの仕業だと、当たりを付けて。
「どうして私たちだけ、平気なんでしょう……?」
おかしくなってしまったアリス先生が言っていた。
『異常生命体』というワードが、何かの鍵でしょうか。
エイミーはそのままミリアに伝えると、彼女はしばし考え込む。
やがて、慎重に言葉を選びつつ言った。
「わかりませんが。魔法大国エデルの事件――あのとき私たちは、本当は滅んでいたはずだったんじゃないかと。そう思うことがあるんです」
ユウがいなければ。あの子が一生懸命助けてくれなければ。
その感覚には、実はエイミーも薄々同意するところがあった。
「私、みんなが生き延びて。そしてアリス先生に出会わなかったら。きっと幼くして死んでしまっていたと思います」
「そう。あの後に『未来への可能性』として繋がれたもの。もしかすると、それこそが『異常生命体』なのかもしれません」
賢いミリアは、精一杯の推測を立てる。
肝心なことはわからないが。目の前のエイミーはきっと世界にとって、限りなく重要人物になるだろうという確信はあった。
生きて長じれば。「本来」あるはずの世界の未来をも変えてしまう。そうした者が『異常生命体』なのではないかと。
その可能性が今、危ぶまれている。
エデルの事件。あのときにも匹敵する、とてつもない世界の危機が今起こっているのではないか。
「じゃあどうして、アリス先生はダメで。ミリアさんは平気だったんでしょう?」
「うーん……」
はっきりとはわからないが。ミリアにはそれとなく心当たりがあった。
あのとき。ユウの「耳を傾けるな」という声が聞こえた気がして。
たぶん、良き思い出として吹っ切れたアリスとは違って。
私は青春から、ほろ苦く、深く。恋慕で繋がっていた。
「ユウへの愛が、護ってくれたんですかね」
「……それって。何だかロマンチックですね」
こんなときだって言うのに。
エイミーはちょっぴり可笑しくて、つい笑ってしまった。
***
サークリスへずらりと寄せ集めた面々を眺め渡して、アイはしめしめと頷いた。
アリス。イネア。アーガス。ケティ。
特にユウの仲間については、今直接触れて念入りに強化を付与している。
それこそ、フェバル級にも劣らないほどに。
奇しくも『黒の旅人』がそうであったように。
ここでも【運命】は形は違えど、ユウと操られし彼女らを敵対させることを決めてしまったらしい。
だが……おかしい。
ミリアともう一人がいない。
アイはまた不機嫌なまま、思案する。
アニエス始め、ちょろちょろしている連中はどうやら複数あるらしい。
せっかく滅ぼしたはずのエルンティアも、息を吹き返している。
……まああちらへは、とっておいた『星海 ユウ討伐部隊』を派遣するとして。
トレヴァークは忌々しくも、最後の避難場所として機能しているようだ。
こちらにも戦力は送り込んだが、果たして十分と言えるかどうか。
やはり、『神の穴』を押さえないことには。
望むままの場所へ行ける根っこを掴んで、目障りな連中や本拠地を一網打尽に潰してしまわなければ。
いたちごっこの繰り返しになってしまう恐れが高い。
そこまで考えると、結論を下す。
「レンクス。あなたはここに残り、この子たちを取りまとめなさい」
もしも仮にユウが追ってきたとしても。さらなる絶望を与えるように。
かわいそうにね。お前は、お前自身の手で。また友を傷付けなくてはならない。
「アイ様はどうするつもりで」
「わたしは地球へ向かうわ」
「いよいよですか。……言うことを聞かない残りはどうします」
「そんなものは要らない。見つけたら始末して」
「はっ」
星脈への扉をこじ開け、アイは一人先へ向かう。
地球へ。懐かしき故郷へ。
***
[魔法大国エデル 跡地]
アイの襲来を察知したとき。
ウィルは咄嗟に【干渉】を行使して、己の放つ生命波動や魔力をすべて遮断した。
そうすれば、誰もこんな廃墟に人が潜んでいるなど気付かないだろう。
どうにか無事、奴をやり過ごすことには成功したが……。
「僕としたことが。情けない。こそこそ隠れるような真似しかできないとは」
だが冷静に考えて、アイと対峙すればレンクスの二の舞になるか滅びることは明白。
特に操られるなど。そんなことは誇りにかけても許されない。
僕はウィルだ。最後まで僕の意志で生きる。
「こうなっては。残り仕事も慎重に進めなければならないか」
地上のレンクスに気付かれないよう、細心の注意を払って作業しなければならない。
一つは、時を遡る究極の時空魔法《クロルエンダー》のメンテナンス。
もう一つは、エラネルから地球への唯一の「正規ルート」を通すこと。
ウィルはここまでの「最悪」に近いケースについて、それでもおおよその目算を立てていた。
奴ならばきっとそうするだろうと。必ずや地球へ向かうはずだと。
アイを倒せるとすれば。それは許容性最低の世界。
奴の力が最も著しく落ちるその地――地球にしかない。
ユウの奴が目覚め、奴に対抗できるだけの何かを掴み。
決戦のときまで、そこへ押し留める必要がある。
もちろんそのために色々と手配はしたが。
結局のところ、すべては地球最後の戦士にかかっている。
「頼むぞ。セカンドラプター」
***
[剣と魔法の町サークリス 地下牢]
アイが現れた直後まで、時間は遡る。
ここに、一人の模範囚が囚われていた。
彼女が『女神』の声を聴いたとき。
心奪われるはずだった彼女に割り込む形で、熱い何かが流れ込んでくる。
知らないはずなのに、知っている。
それは遠い遠い。かつて一度愛した男の、無念の記憶。
【支配】を前に彼女たちは屈し、尊くも己を捧げて儚い犠牲となった。
もう二度と。決して誰かに尊厳を奪わせたりはしないと。
男の無念は。執念は、遥か時を超えて。
彼女の脳裏に、後ろ手を振りながら暗闇へ去っていく『黒の旅人』が映る。
去る跡に、小さな希望を指し示されて。よく知る後輩がやってきた。
溢れてくるのは。心優しい彼の、彼女との学園生活の思い出。
そして、永い永い時を超えて。
今代のユウは、絶望に打ちひしがれる彼女に言った。
『死なせない』
彼女は薄々ずっと感じていたことを、今ようやくはっきりと悟った。
本当はあのとき、死ぬはずだったわたし。【運命】に殺されるはずだったわたし。
あなたは。今度こそ、わたしを守るという約束を果たしてくれたのだと。
目覚めれば、もうすべてははっきりとは覚えていなくても。泡沫の夢みたいなものであっても。
心は。魂は、ずっと覚えているから。
彼女の瞳から、一筋の涙が零れて。
恐るべき洗脳は、ついに彼女を脅かすことはなかった。
「……そっか」
彼女はふんと力を込めると、自分を縛っていた鎖はいとも容易く砕け散った。
腐食のロスト・マジックの応用である。
いつでも自力で脱獄することはできたが、罪を濯ぐため大人しく服役していただけのこと。
事情が事情なのだから。良い子で捕まっているのはやめにしよう。
敵と味方は入れ替わり。宇宙を脅かす真実などは、何もわからなくても。
ユウが。あの子が助けを呼んでいる。そのことだけはわかった。
――わたしたちの世界を。人の想いを舐めるな。化け物。
「どうやら今度は、わたしがあなたたちを助ける番のようね」
カルラ・リングラッドは決意を燃やし、一人敵だらけの街を脱出した。




