”ジルフの選択”
「アイ……!」
アニエスがその名を叫び、戦慄すると同時。
「ぐ、が……!」
ほんの一瞬の出来事だった。
ヴィッターヴァイツは真っ先に狙われた義姉を庇い、自らを盾にして犠牲となった。
口から血反吐を吐き、その場に倒れ込む。
レンクスの貫き手が、同じ戦闘タイプのフェバルであるはずの彼の心臓をいともあっさりと貫いていた。
それほどまでに、しもべに付与された強化は隔絶的だった。
遅ればせながら、ようやく護られたことに気付いたJ.C.が悲鳴を上げる。
「ヴィットッ!」
一方、アイは。
この内で誰が最も厄介であるかを、ほんの一目で見抜いていた。
「アニエス――『時の巫女』だったかしら。アルの奴が随分と苦い顔をしていたわね」
アイはこの宇宙の脅威となり得る存在について、予めあの偉そうなのからレクチャーを受けていた。
この女は、ただ殺すのでは足りない。
無限に絡み合った時の鎖が。アニエルチェインが、彼女を何度でも呼び戻す。
強力な『異常生命体』ゆえ、操ることもできない。喰らうことも。
ならば。
「死んでもらおうね。永遠に!」
アイの左手に真っ白な光が集中していく。
それは間もなく、目覚ましい剣の形となって実現した。
『白の剣』
かつて『原初のユウ』のみが発現したという、どこの記録にも伝説にも残らない破滅の剣。
いかなる事物も一撃で死に至らしめ、そればかりか存在そのものを無に帰してしまう。
既にアイは、その領域に達しつつあった。
アイの加虐心が、ユイの笑顔を邪悪に歪ませる。
何も知覚させないのでは、つまらない。
精々見せしめるように。たっぷりと絶望させるように。
怯えるアニエスにゆっくりと振りかぶり、そして。
――そこへ。素早く割って入った者がいた。
ジルフだ。
彼は深々と腹に『白の剣』を突き刺し、身を挺してアニエスを守り抜く。
次第に薄れゆく意識の中、彼は思う。
――懐かしい匂いのする未来、か。
彼には。彼女がどんな人物かは正直、わからない。
だが。赤髪の少女の腰に付けているもの。あれにはよく見覚えがあった。
森の匂いのするウェストポーチ――彼女が愛する者へ、手ずから編み上げて贈るものだ。
だからきっと、そうなのだろう。
健気にも【運命】と戦う少女が、今まさに脅かされようとしている。
大切な未来が奪われようとしている。
心優しき男には、無視するという「選択肢」はなかった。
「お前……」
アイは、完璧に気配を消していた彼の【気の奥義】の見事さに驚き。
アニエスの顔には驚愕と、そして絶望の色へみるみる染まっていく。
「あ、あ……そん、な……」
なぜなら。
彼女の旅の目的の一つは、この人をイネアおばあちゃんに会わせてあげることだったから。
なのに。こんなことって……!
彼女は今になって、ようやく悟った。気付いてしまった。
ああ、だから。
だからエレリアのどこにも、名前が残っていなかったんだ……。
宇宙のどこをどんなに探しても、見つからなかったんだ。
ユウくんも困ったように、ただ寂しそうに笑って。
知っていたらきっと。やっぱり……決心は付かなくて。
今このとき。あたしを守るために。
アニエスの視界が滲む。ぽろぽろと涙が零れ出す。
ジルフは振り返ることもできず、ただ穏やかに笑った。
『なあ。イネアは……元気にしているか』
『はい。イネアおばあちゃんは、千年経ってもぴんぴんしてますっ!』
『はは……おばあちゃんと、きたか……』
『だから! だから……っ! 心配しないで下さい!』
あたし、やるから。
きっともうすぐ。今と未来の『道』を繋いでみせるから。
ユウくんを『あの場所』へ送り届けるから。
『あたし、アニエス・オズバインです。イネア先生の――最後の愛弟子です』
せめて最後の愛弟子として。師匠の愛する人へと。
立派に胸を張って、代々受け継がれてきたその名を告げる。
あなたは大切なことを成したのだと。決して意味のないことなんかじゃないって。
確かに伝えるために。
『そうか……よか……』
転移魔法が発動し。
瀕死のヴィッターヴァイツとJ.C.と、彼女自身を包み込む。
『白の剣』はジルフの「全存在」を傷付け、フェバルの永遠にも近しい寿命を一瞬で削り切る。
全身は瞬く間に崩壊し、白く儚く泡と消えて。
そして後にはもう、何も残らなかった。
***
それは自分にしかできないことだから。
あたしだってもう、立派な戦士なのだから。
アニエスは彼が護ってくれた命を胸に、J.C.と協力して「巻き戻し」と【生命帰還】を発動させる。
エルンティアの人々は奇跡的に目を覚まし、死にかけたヴィッターヴァイツも復活する。
でも……『白の剣』の犠牲になったあの人だけは。
過ぎ去った者はもう。時空魔法でも【生命帰還】でも、どんな奇跡だって返らない。
それだけは誰にも覆すことのできない――この宇宙の絶対の真理だから。
どうにかなすべきことを終え。その場で膝をついたアニエスは。
悼み、絶叫とともに滂沱の涙を流した。
「わあああああああああああああああーーーーーーーーーーーっ!」
ジルフ・アーライズ。
彼の「選択」は、懐かしき匂いのする未来を守った。
まだ『道』は続いている――。




