E2-2「リルナの決意」
また少し日が経ち。
ついにユウの肉体は完全に再生を果たしたが、未だ深い昏睡の中にあった。
メディカルマシンからベッドに彼の身を移し、リルナは昼も夜も最愛の人の看病を続けている。
ミックもさすがに見かねて、今も傍らでユウの手を握る彼女へ心配の声をかける。
「ずっと根詰めていては、いつかまいってしまうぞ。リルナよ」
「わたしはナトゥラだからな。疲れというものを感じないんだ」
「それでも気疲れはするだろう。あなたには人にも劣らぬ立派な心があるのだからな」
「そうだな……」
彼女は強がることなく、素直に頷く。実際それほど弱っているのだろう。
「僕が代わりに見ておくよ。気晴らしに外の空気でも吸ってくるんだね」
そこへ、二人分のホットドリンクを手にしたメレットが入ってくる。
「サイエンティスト何とかはしないの。お兄ちゃん」
「さすがに僕にも最低限の空気くらいは読めるぞ。妹よ」
「お兄ちゃんも大人になったね」
妹はうんうんと頷いて、それからリルナに優しく微笑みかける。
「私も付いてて、何かあったらすぐ連絡しますから。少しは日差しでも浴びてきて下さい」
「すまない。ありがとう」
そうして。請われるがまま、あてどもなく散歩に出てみたものの。
ミック研究所は元々身寄りのない兄妹がスクラップ置き場の付近に建てたこともあり、付近には機械のパーツやネジなどが散乱している。
どことなく彼女の故郷のアンダーグラウンド、ギースナトゥラを思い起こさせる光景だ。
確かにいくらか気分転換にはなったが、また少しすれば深刻に考え込んでしまうのだった。
アイ。あのまま奴が我々を放っておくことがあるだろうか。
パトロンのアイビィはどこからか伝手で、ダイラー星系列のニュースを仕入れてくる。
ところで、ユウを治療してくれたメディカルマシンも、かの地の製品だと聞く。
かつて彼女の故郷をあわや滅亡かと脅かしたバラギオンも、外地用量産型侵略兵器のほんの一体に過ぎなかったと言うのだから、驚かされる。
それはさておき。アイビィが最近、ニュースでとても気になることを言っていた。
近頃、第80番台のセクターを謎の『女神』が荒らし回っているのだと。
先般、全宇宙指名手配されたその凶悪犯の名は――『星海 ユウ』。
本当のユウはここにいるのだから、『姉』の姿を奪ったアイの仕業であることは明白だった。
そして『女神』アイは、活動領域を第90番台のセクターへ移しているのだと耳の早いアイビィは掴んでいた。
ここイスキラがあるところは、第97セクター。
やはりそうなのか。奴は徐々にこちらへ迫ってきている……。
星すらも粉々に砕くほどの強さだ。まともに戦っては、どうやっても勝ち目などない。
今少しの猶予はあるが、早く宇宙船で逃げる準備をしておいた方が良いのではないか。
だがどこへ。いったいどこの星が安全と言えるものか。
頭を悩ませながら、深刻な表情で歩いていると。
くず山の向こうから、ひょっこりと誰かの顔がのぞき出した。
黒髪で妙齢の雰囲気を醸す女性。
彼女はリルナを見つけるなり、一直線に駆け寄ってくる。
「よかった。やっと見つけました~」
人当たりの良い顔をほっと綻ばせる。生来の優しさが滲み出ていた。
この女性――インフィニティアは、大冒険の末にようやくリルナの元へ辿り着いたのだ。
『神の穴』は彼女の望むだけの場所へ連れていってくれるが、その世界のどこに繋がるかは「ランダム」である。
『隠れ家』イルテアのようなごく小さな星でなければ、それこそどんな珍妙な場所へ出るかわかったものではない。
彼女は「運悪く」広大なイスキラ世界の、それもミック研究所とはほとんど星の裏側に飛ばされてしまった。
やはりユウの助けに繋がることは妨害される――【運命】の力を感じずにいられない。
未開の地、途上国や紛争地域など。危険地帯を駆け抜けて、今彼女はできる限りの最速でこの場所へ来た。
セカンドラプターのように戦い向きの能力をしていないので、えらく苦労をしてしまったけれど。
「お前。わざわざこんな辺鄙なところへ何の用だ」
一見して、奴の手先のような感じはしないが、と見定めようとしつつ。
持ち前の用心深さから、警戒して身構えるリルナに対して。
インフィニティアは堂々と挨拶をかます。
「はじめまして。インフィニティアと申します。リルナさん、あなたたちに会いに来たんですよ」
「わたしにだと。それになぜわたしの名を」
戸惑うリルナに、インフィニティアは持ち前の固有能力を自己紹介代わりに使う。
「私、こういう者でして」
【無限の浸透(インフィニティ=ペネトレーション)】は、こういうときに便利である。
ひとたび念じれば、今まであった出来事を説明抜きにして直接伝えることができる。
小さなユウの当時の小学校の先生であったことや、陰ながら彼の支えになっていたことなどを。
だからこそ、ウィルよりユウの仲間の避難大使に任命されたとも言えるだろう。
驚き目を見張るリルナに、インフィニティア――ミズハはぱちりとウインクした。
「要するに。あなたたちの味方です」
***
アイビィも帰ってきたところで、ミズハはすぐに用件を切り出した。
迫る脅威から、ひとまずはあなたたちを逃がしたいのだと。
アイが第97セクターの蹂躙を目論んでいることを知ると、ミック兄妹の目の色が変わる。
「くっ! またもや僕らの星が危機に陥っているだと!?」
「ユウをひどい目に遭わせた化け物が……」
「やはりか……!」
嫌な予感が確信に変わるリルナ。
アイビィにとっても、さすがにショックは大きく。
「マジで!? こんなド田舎まで来るの!?」
「はい。間違いなく」
ミズハが確信を持って告げると、今度は頭を抱えた。
「なんてこったい。取引先の星が滅茶苦茶になったら、商売上がったりだよ。せっかく販路も開拓して、軌道に乗ってきたってのにさあ!」
アイビィは頭の中でそろばんを弾き、くにゃりと絶望的な気分に浸っている。
「それって、僕たちだけが逃げていい話なのか?」
「いざ帰ってみたら故郷がなくなってましたなんて、私は絶対嫌ですよ!」
『時空間の破れ』事件のことを思い返し、故郷の危機ならばなおさら立ち向かうべきではと考える兄妹。
もちろんユウのこっぴどいやられようを知っていて、二人の足は仲良くがくがくしているが。
百パーセント保証はできないけれど、とミズハは慎重に自分の意見を語る。
「それはたぶん……大丈夫なはずです。アイはとにかく強欲なので、すべてを手中に収めるまではみすみす星を破壊したりはしないでしょうから」
実際、今までただ一つの星を除いては、皆【侵食】支配するに留めている。
リデルアースを粉々にしたのは、すべてを喰らった空っぽの星にはもはや用済みだったこと。
星脈をこじ開けるためという正当な目的に加え、自分をずっと閉じ込めていた殻によほどの恨みがあったからである。
何もかもを欲しがるアイは、基本的にただもったいないだけのことはしない。
リルナは合点がいったと頷く。
「なるほど。欲望に忠実なだけに、かえって読みやすいところはあるのか」
「はい」
これもまさに人外の証と言えなくないだろう。まったくとんでもない奴だ。
「じゃあ僕たちは、逃げてもいいんだな!?」「そういうことね!?」
ほんとは逃げたくてたまらなかったのか、二人は手を取り合って提案に飛びつく。
一方のアイビィは、まだ苦い顔をしている。
「でも逃げるたってどこへ。聞けば聞くほど、安全な星なんてどこにもなさそうじゃないか」
「それはですね」
ミズハは、ウィルからの受け売りをそのままに伝える。
ユウが旅した世界の一つに、トレヴァークというものがある。
アイは星脈を泳いで渡る。ゆえに一連の『事態』の果て、星脈が途切れたその世界だけは唯一比較的安全なのだと。
具体的には、宇宙船で直接乗り込むか。『神の穴』を通じて来るしか手段がない。
地球はセカンドラプターが守ってくれている。そこを突破されて初めて危機に陥る、つまりは最終防衛ラインだった。
『神の穴』はフェバルには利用できないため、ミズハにはユウを連れてはいけない。
みんなには、宇宙船で向かって欲しいのだとお願いする。
「トレヴァークか……。そう言えば、気になっていた子がいたな」
リルナはずっと「繋がって」いるから、ユウの心の動きにかけてはそれなりのところは知っている。
傍らで眠り続ける相手を見やる。
こいつが元気ならば。「この浮気者が!」と、拳骨の一つでも喰らわせてやろうかと思っていたところなのだが。
それどころではないからな……。
「まあそれは会ってからのお楽しみということで。向こうの人たちには、もう事情は伝えてあります」
「ふふ。そうか。楽しみだ」
暗いことばかりのところへ一つ、楽しみな話題ができた。
と、ミズハは思い出して手を叩く。
「おっとそうでした」
ミズハは、ウィルから預かったものを懐から取り出す。
「ユウくんに会ったら、いいタイミングでこれを渡すようにって」
それは過去を封じ込めた、黒い記憶のオーブだった。
かつてラナソールで彼が取り出し、ユウに受け取らせようとして拒否されたもの。
リルナはユウとずっと「繋がって」いたからこそ、また知っていた。
彼がいかに過去に対して異常なトラウマを持ち、今もって向き合うことができていないかを。
「そいつを少し、わたしに貸してくれないだろうか。わたしにも触れることはできるのだろう?」
「ええ……。おすすめはしませんが」
ミズハ自身にとっても苦い記憶である。
幼馴染のトレイターが世界へ、そして大いなる【運命】へと挑みかかったTSG事件の起こりから顛末まで。
悲惨なことがあまりにもたくさんあった。
そしてユウが両親と親友を失った、まさにそのくだりも。掛け値なしに含まれていることだろう。
壮絶な『痛み』とともに。
「ぐ……!」
リルナがほんの少し触れただけで、心に鋭く痛みが走る。
今度は気合を入れて、もっと深く触れようとしてみる。
同じ場面のおぞましい記憶が、何度も何度も繰り返されて。
彼女は思わず手を離し、青ざめていた。
なんて禍々しい……。
ユウ。お前はこんなものと向き合おうとしていたのか。
「だが……そうか。やっとわかったぞ」
自身もかつてシステムに「操られていた」経験も手伝って、リルナはついに確信を得た。
「記憶は操作されている。過去のトラウマを呼び覚ますものに、極めて強力な記憶封じがかけられているんだ」
「えっ!?」
リルナは一発で、【神の手】の仕業を易々と看破してみせた。
実はそういうことだったのだ。
これこそ、アルが決してユウが真実に辿り着けないように仕掛けていた罠だった。
ユウが失った記憶を取り戻し、欠落のない完全な心を取り戻すことの脅威を強く感じていたからに他ならない。
「おかしいと思っていた。地獄に等しい責め苦を今も一身に受け、それでも逃げずに戦い続けているのだぞ」
か弱き小さな子供だった時分ならいざ知らず。
いや、聞けばウィルは昔からユウと因縁が深いらしいからな。虫も殺せぬ泣き虫だった頃から。
だからかえってこの人が持つ「強さ」が、見えなくなっていた部分はあったのかもしれん。
リルナは確信をもって言う。
「ユウはもう十分強くなった。あえて言おう。今さら自分の過去ごとき、耐えられない道理はないんだ」
ではなぜ、今までユウは最後まで自分の過去と向き合うことができなかったのか。
どうやら、対象の『記憶そのもの』に仕掛けが施されている。
回想は最悪な部分で、ひたすらに増幅されて。何度もループして。
決して始めから終わりまで、辿り着けないようになっている。
これではユウがどんなに強い心を持っていたとしても、耐えられるものではない。
アルめ。なんて意地の悪い仕掛けを考えるのだ!
リルナは激しい怒りを滲ませ、その場の誰もをすくませるほどだった。
そして、迷うことなく決断する。
「こいつはわたしが責任をもって預かっておこう。いや、わたしが全部引き受けてしまっても構わないな?」
「ええ……ええ! もちろんです。受け止められるものならば」
リルナは思う。
ユウはただでさえ、現在の壮絶な『痛み』と必死に向き合っている。
せめて手伝えることがあるならば。このくらいの『痛み』はわたしが引き受けよう。
たとえアルがどんな卑怯な妨害を仕込んでいたとして。
わたしだって、既にお前たちの言う『異常生命体』なのだ。
お前の想定通りになどいかない。いかなる仕掛けだろうと、正面から打ち砕いてやる。
そして、わたしが咀嚼してまっさらになった過去を。今度こそわたしと一緒に向き合おう。
そうすれば、今のお前なら必ず乗り越えられる。
リルナには今、決意があった。
「最愛の人のメモリーアルバムを見つけて、嬉しくならない嫁がいようか」
「かっこいい……」
メレットは女として、素直にリルナへ憧れを抱く。
「おい、誰かこの劇場版女を止めろぉ!」
ミックはここぞといつものノリを戻して、みんなから一発ずつ殴られた。
***
「いざというときは念じてわたしを頼れ。そこのミックと共同開発した、最高の移動手段を持っている」
「ありがとうございます。ぜひそうさせてもらいますね」
【無限の浸透(インフィニティ=ペネトレーション)】は、奇しくも【神の器】のうちユウに唯一残された、『人の心を知り、繋がる力』のTSP版である。
したがって、『心の世界』の繋がりを介して遠大な距離を結ぶ《エーテルトライヴ》は、まったく同じ理屈で、インフィニティアの近くにも飛べるらしいことがわかった。
思わぬ副次効果だったが、これはいざというときの切り札として頼りになる。
インフィニティアは『神の穴』を通じてできるだけの仲間を避難させる旅を続け、リルナたちはアイビィの高速宇宙船で一路「アイから最も遠い世界」トレヴァークへ向かう。
イスキラを襲った『時空間の破れ』事件以来、商いが軌道に乗ってきたこともあり、「こんなこともあろうかと」一回り大きいサイズに買い替えておいた。
なのでユウを含め五人を乗せても、まだ十人分は余裕がある。それだけの人数を「緊急避難」させられるということだ。
眠るユウの傍らでずっと手を握りながら、リルナは静かに決意を強くする。
アイの行動目的は単純明白だ。欲望に忠実であるからこそわかりやすい。
残されたわたしたちまでも皆奪い――特にわたしを亡き者にすること。
そうやって愛する者を奪い、ユウをひとりぼっちにして。さらなる絶望を与えようとしている。
ならばわたしは。絶対にその手には乗らん。
どんなに逃げ腰と蔑まれようとも。戦士の恥を啜っても、必ずや執念で生き延びてやる。
そして、助けられるだけの人を助けてやろうじゃないか。
ユウ。いつかお前が目覚めたとき、少しでも希望のあるように。
記憶を引き受けること。人助けをすること。
これが今のわたしにできる戦いか。やっと見つけたぞ。
打ちひしがれていたリルナの瞳に、再び熱い闘志が湧き上がる。
彼女はやはり戦士である。己の戦場を見つけたときにこそ、彼女は輝く。




